13.急転直下
翌朝、俺は問答無用で自分の家に帰ることにした。
黒川には義理は果たしたと思う。
これ以上関わりすぎると、後々面倒になりそうだ。
黒川のためにもならないと思う。
俺も疲れたし、もういいと思った。
黒川は俺にまだ滞在してほしいと言ったが、女の独り暮らしに上り込むつもりはないと一蹴した。
泣きそうだったから、俺の家の住所は教えておいた。
用があったらいつでも来いと言ったら、少しだけ安心したような顔をした。
そうして俺たちはあっさりと、黒川の家の玄関で別れた。
たった三日間の仲だったが、これで終わりだ。
…………
久しぶりに、自宅に帰ってきたような感覚がある。
やはり自宅が一番落ち着く。
定位置である椅子に座り、思考にふける。
いろいろあって後回しにしていたが、あの親子はどうなったのだろうか。
睡眠に入ったのを確認してから、今日で4日。
今確認しても、意味はない。
ご近所の誰かに見つかったとしても、彼女たちをどこかへ運び出すことはない。行政はそういうことはしないし、誰も罹患者に触りたいとは思わな い。
結局、あと三日は時間を潰す必要がある。
ひとまず、食料が心もとないので配給を受け取りに家を出た。
配給は近所の小学校で行っていた。学校は機能していないが、広い敷地いろいろとは有効活用できる。
配給に並んでいる時、なんだか周りの様子がおかしいと感じた。
皆神経質になっているような。殺気立っているような。
列の前方から、大声が聞こえる。
どうやら配給をしている人と一般人のオッサンが口論しているようだ。
オッサンの周囲には仲間と思われるやつらもいた。数が多い。
聞くと、昨日、一昨日と配給がなかったようだ。
「俺たちに、死ねって言うのか!?」
オッサンが叫ぶ。
俺の周りの人間は、同調したように拳を握りしめていたり、「そうだ、そうだ」と叫ぶ人もいる。
自分の食い扶持くらい、自分で用意しろよと思う。
自分も配給に並んでいるので、なんとも言えないが。
30分近く並んで、ようやく配給を受け取ることができた。
以前受け取った時より、少なくなっていた。
(限界、近いのかもな)
農業などの食料生産活動を行う時、どうしても蟻に接触する機会が増える。従事者は減っているだろう。新規に始める人も少ないだろう。
安全地域からの供給は、この先もあてにできるとは思えない。
(やっぱり、山でサバイバル生活か。)
満腹にはなれないだろうが、食料は今より手に入る。
今度は農業なども視野に入れる必要がある。
なんだかんだで、管理所の畑は確認していなかった。忘れていた。
農作業の道具は買ってあるが、種や肥料は全く持っていない。準備する必要がある。農作業について書いてある本もほしい。
などと考えていると、突然後ろから背中を叩かれた。
「やっほ!」
「…………」
「……あはは、また合ったね」
最近見慣れた笑顔の女子高生が、居た。
そういえば家が近所だった。
「…………こんなに早く再開するとはな」
「朝はいきなり出てっちゃうんだもん。ビックリしたよ」
「そーだな」
少し面倒だ。独り暮らししようと実家を出たら、隣に幼馴染がいました。みたいな。
「あはははは。……えっと、もしかして、迷惑だった?」
黒川は俺の表情に何かを感じたのか、笑顔を崩した。
黒川はコロコロと表情を変える奴だ。だからこそ、悲しそうな表情を素直に現してくる。
まぁ、普通の知り合いだったら挨拶くらいするよな。
「あきれてただけだ。思ったより元気そうだな」
黒川の目を見ると、本音ではあんまり元気そうには見えなかった。
「うん。独り暮らしになっちゃったけど、これからはもっと頑張らないといけないからね!」
「……そーだな」
空元気が痛々しい。口には出さないが。
「……黒川さん、その男性とお知り合いなのですか?」
と、ここで知らない女が会話に割り込んできた。
声のした方を見ると、黒川と同世代くらいの若い女性が二人いた。
どうやら黒川と一緒に配給を受け取りに来たみたいだ。
友達、いるじゃん。
話しかけてきた方は、おとなしそうな長めの黒髪の女。背は高い。胸がでかい。
もう一人は、日本人ではない。恐らくスラブ系の若い女性。背は低い。俺の胸元くらいまでしかない。胸はない。
というか、スラブ系の方は知ってる顔だ。
今年のインターンでうちの会社に来る予定だった奴で、俺も1日だけ案内係をやらされる予定だった。名前は忘れた。
一応、互いに自己紹介したこともある。
名前は長くて忘れたが。
「あ、ええと、さっき話してた白沼さん」
俺のことを何故か黒川が紹介している。話ってなんだよ。
黒髪の方は「あぁ……」と納得したような口調をしている。
いったいどんな話をしたんだよ。
「白沼路人です」
一応自己紹介しておく。
「これはご丁寧にどうも。私は桑水流綾乃。黒川さんと同じ学校の学友です」
聞いたこともない苗字だ。
黒川が「生徒会長なんだよ! 成績も一番だし!」とどうでもいい補足をしてきた。
生徒会長。
俺の母校では罰ゲーム感覚の役職だった。ジャンケンで負けた奴が立候補し、さらにジャンケンで負けた奴がなっていた。
見るからにクールビューティーな感じの女だ。
こいつもジャンケンに負けたのか。
クールな奴が負けた時ほど、周囲は笑いをこらえるのに必死になっていたのを思い出す。
当時を思い出し、目の前の女がジャンケンに負けてるのを想像し、一瞬笑いそうになる。腹筋がピクリとした。なんとか耐えた。
と、隣にいたスラブ系の女が突然満面の笑みで自己紹介をしてきた。
「エリシュカ(↑)・チェスカーですヨォ(中国語第3声)!」
「…………知ってる」
冷めた声で返答する。
ついでに、この意味不明な発音の自己紹介が、こいつの持ちネタであることも知っている。こいつが実は日本語が流暢なことも。
正しくは『エリシュカ・チェスカー』。
チェコかどっかの出身で、確か20歳くらい。都内の大学生。
人事のオッサンが、「顔が可愛くて面白いから」とかいう理由で面接を通したと聞いた。
「おや? 私のこと知っとるのかの?」
ほれみろ、普通の発音の日本語で返答してきた。
いや、なんか所々で日本語が変だ。前はこんなことはなかったはずだが……。
「君がインターンに来るはずだった会社の社員だ。一応、自己紹介もしている。経営企画部の、白沼だ」
「あ。なんか思い出してきたやもしれぬ」
本格的に、日本語がおかしい。
他の二人は普通の表情をしている。
……なんとなく、つっこんだら負けなのかもしれない。
「そういえば、エリシュカはインターンに申し込んでたわね」
どうやら桑水流はエリシュカと知り合いみたいだ。
黒川はどうなんだ。聞いてみる。
「黒川、エリシュカとも知り合いか?」
「いや、今日初めて会ったよ。桑水流さんの友達だって」
こいつらの関係性がよくわからない。
桑水流と黒川は同じ学校。
桑水流とエリシュカは友達。
エリシュカと黒川は初対面。
エリシュカだけ20歳。
というか、いきなり自己紹介されても話すことなど何もない。
「……白沼さんには、黒川がいろいろお世話になったそうですね。私からも、お礼を言わせて下さい」
桑水流が、やたら折り目正しい感じで頭を下げてきた。
黒川はどこまで話したんだ。
「別に、大したことをした覚えはないな」
と言いつつ、黒川の方を向く。
「黒川、ちょっと面かせや」
「え!? 何?」
黒川の腕を引っ張り、他二人と距離をとる。
エリシュカが桑水流に屋上がどーたら話しているのが聞こえるが、無視する。
声が聞こえない程度に距離が取れたので、問いただす。
「黒川、お前どこまで他のやつに話してるんだ」
「何って……。話しちゃいけないこと、あったっけ?」
質問に質問で返してきた。イラッとする。
「例えば、キャンプ場のことは言ったのか」
「えっと、そこまでは言ってないよ」
「そうか。具体的に何を言ったんだ?」
「えっと、えーっと」
黒川は懸命に思いだしながら二人に話した内容について話し始めた。
桑水流、エリシュカと会ったのはたまたま。
配給を取りに来て合っただけみたいだ。
俺のことについては、お爺ちゃんの火葬を手伝ってくれた親切な近所のお兄さんとだけ話したようだった。
少し安心する。これ以上キャンプ場に人が来るのは勘弁だ。
「俺としては、キャンプ場のことはこれ以上知られたくない。知ってる奴は知ってるだろうが、人が多くなっても困ることしかない」
「そうかな? たくさん人がいた方がいろいろできそうだけど?」
「食料、寝場所、蟻対策。多くの人が来て住めるとこじゃない。安全でもない」
「あ、そっか。蟻がたくさんだもんね」
「爺ちゃん云々はいいが、キャンプ場のことは言うなよ」
「わかった。白沼さんがそう言うならそうする」
やたらと素直だ。
と、ここで視界の端に何かが映る。
黒川から視線を外し、その方向に目を向ける。
方向は、俺の家や黒川の家の方向。何やら煙が上がっている。
「なんだ……? 火事か?」
「え? なになに? ってウチの方向じゃん!」
目を凝らすと、煙は一か所ではない。複数個所から上がっている。
黒川もすぐに俺の目線の先を見て、騒ぎ始めた。
「黒川の家は、もう少し北だろ。あの辺りは……」
眺めているうちに、煙の発生源が、少しずつ増えている気がする。
グラウンドにいる他の人々も、煙に気付きざわめきだした。
気付いたら、先ほどまで列の前の方で騒いでいた人達がいない。
(……嫌な予感がする。)
周囲の雰囲気に違和感を感じる。口では言い表せない違和感。
「来い」
「えっ、またぁ? なんだよ~」
黒川を引っ張る。
ここから離れるのが懸命だと思う。
理由はあくまで勘だが、この違和感は気持ちが悪かった。
「何か異常な雰囲気だ。ここから離れる」
「え、わかんないよー」
そういう割には、黒川は俺にしっかりついてきている。
「ここから離れるって、桑水流さんとエリシュカさんはどうするの?」
立ち止まる。完全にあの二人のことを忘れてた。
正直どうでもいい。どうでもいいが、ここでそのまま立ち去ると、後で黒川が煩くなりそうだ。
「……来い」
「引っ張らないでよー」
黒川を引っ張り、桑水流とエリシュカのいる場所まで戻る。
すぐに桑水流が近づく俺たちに気付いた。
「密談は終わりましたか? ……何かあったのですか?」
やや急いでいる俺を見て、桑水流はすぐにその訳を聞いてきた。
エリシュカはいつの間にか黒川の横に行き、その腕を撫でてあげている。少しきつく握りしめてしまったかもしれない。
「俺たちは今すぐ、ここを離れる」
「……?」
桑水流は何も感じていない様子だ。エリシュカも特に変わった様子はない。黒川もだ。
俺の感じている違和感は、非常に感覚的なものだ。
だからこそ、俺の頭の中で強く警鐘を鳴らす。
煙の方向を見る。徐々に煙の発生源が近づいている。
校舎の方を見る。校舎の中で、誰かが走っているのが見える。
耳を澄ます。地響きのような、悲鳴のような、何かが聞こえるような気がする。
「本当に、何があったのですか?」
目の前で周りを見渡している俺に、桑水流が聞いてくる。
黒川も、エリシュカも俺を見ている。
「何かヤバイことが起こってる」
もちろん、これで何もなかったら笑いものだ。
……そうでない確信が、頭の仲で増殖してきている。
黒川の腕をもう一度握りしめる。
黒川は何故か、抵抗しない。
そのまま車に向かって歩き出す。
ふと黒川の顔を見ると、後ろでポカンとしている二人を見つめ、俺に何かを訴えかけてきていた。
抵抗とかはしないくせに、こういうことは主張してくる。
(…………面倒くせぇ)
自然と舌打ちが漏れる。
本当は、急ぎたいし、他の奴なんてどうでもいいのだが。
しかし、そういえば、俺は黒川には甘い。別れを選らんだ後も、そこは変わっていなかったようだ。
「……お前らも、来るならついて来い」
二人に向かって、言った。
二人はわけがわからないという顔をしつつも、俺のあとを追ってきた。
…………
車に乗り込み、助手席に黒川を、後部座席に二人を詰め込み、すぐにエンジンをかける。
気付いていなかったが、煙の発生源は四方八方に飛び移っている。いまだ目の前に発生源が来ていないのが不思議なくらいに。
すぐに出発する。
(行き先は、どうする?)
バックミラー越しに後部座席の二人を見る。桑水流と目が合う。何かを疑っているような視線だ。
(あいにく、俺は何も企んではいないんだけどな)
一番都合のいい目的地は、あのキャンプ場だ。
山の展望台から、街で何が起こっているか一望できる。
不都合な事態でも対応ができそうな場所だ。
しかし正直、あの二人を連れて行きたくはなかった。
(どうするか……)
結局目的地は決まらずに、ひとまずキャンプ場の方向に車を走らせた。
どうせならホームセンターに寄って農作業に必要な物資を買って行きたかったが、余裕があるかわからない。
車を走らせること、数秒。たったの数秒で、原因の一つが目に飛び込んできた。
(暴動……か。)
まだこの街にはこれだけ人がいたのかと思う程、多くの人間が暴れながら街を行進している。
無差別に家に火をつけている奴もいる。
(煙の発生源がこいつらだとすると)
空を見上げる。煙の発生源の数は、もはや十や二十ではない。
どれだけの人が暴動を起こしているのだろうか。
しかしこの数は……。
(暴動だけじゃ、ない?)
車を山に向かって走らせる。
なんとか暴動を避けて走る。
車中の3人に目を向けると、黒川も後ろの二人も、あまりの事態に頭がついて来ていないようだ。
暴動を起こしている奴らの近くを通る。
目に飛び込んできたのは。
(銃!?)
銃を周りにぶっ放している男がいた。その横の男は火炎瓶のようなものを持っている。
ヤバイと思い、車を加速させる。
車の前に、火炎瓶を持った男が躍り出てきた。
躊躇することなく加速する。横で黒川の悲鳴が聞こえる。
投擲のモーションに入った男を、撥ねた。
衝撃が車内を揺るがす。事故などしたことがない自分としては、今まで経験したことのないような不気味な衝撃。
こちらの車が軍用四輪駆動車を元にしたSUVということもあり、男は吹き飛んで行った。こちらはほぼ無傷。構わず走り続ける。
黒川が俺の服の肩付近を握りしめている。
後ろから息をのむような声が聞こえる。
すべてを無視し、山へと走り続けた。
追ってを警戒し、山のふもとの人のいなくなったコンビニで少し待機し周囲を警戒する。
俺しか使っていないんじゃないかと思っているガソリンスタンドで、燃料を補給する。周囲に問題なさそうなことを確認し、すぐに山へと向かった。
情報がないかとラジオをつけるが、聞こえるのは雑音だけ。
早く、見渡しのいい場所から街を確認したかった。
後ろの二人をキャンプ場に連れて行く事など、もはやどうでもよくなっていた。
この街のストレスは、限界に達した。