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「ヒィッ!」と情けない声をあげて、若き侯爵は縮こまった。
俺は呪いなど信じていないから、自分が狙われたなどとは全く考えていなかったのだが、この絵が本当に呪われていると信じている者がそれを他者に預けるのであれば、それは、その相手を呪いたいということ……
そう宰相もケイジも考えたのだろう。
しかし、そういうのは、侯爵を別室に連れていってから問い質してほしかった。
「はぁ?」と、それまで俺の隣で大人しくしていたネストの目が細められた。
椅子から立ち上がったネストに見下ろされた侯爵の顔がどんどん青くなる。
「僕から、ケイトさんを奪おうとしたってこと?」
その低い声にすぐに伯爵を殴り飛ばした時のことが思い出される。
きっと侯爵もその時のことを思い出したのだろう。
身を縮めて、ガタガタと震え出した。
俺とケイジは協力してネストを座らせると、どうどうと宥めた。
こほんっと宰相は咳払いをして侯爵の注意を引く。
「そなた自身の企みか? それとも、誰かの指示か?」
侯爵の顔はさらに青くなる。
もはや、死人の方がもう少しマシな顔色をしているかもしれない。
「言わぬなら、皇帝が後ろ盾となっている画商と画家に危害を加えたとして、そなたを極刑に処す」
「大公様に脅されたのです!」
この国で大公と呼ばれているのは、皇帝の叔父だ。
宰相が途端に渋い顔になる。
「あの古狸、まだ玉座を狙っておったか」
「大公が玉座を狙っているのと、私とガヴァルネスに呪いをかけることに関係が?」
呪いで俺たちが体調を崩したり、死んだところで、皇帝が皇帝でいることに変わりはないだろうに。
「言ったであろう? そなた達の絵のおかげで、陛下の評判がいいのだ。逆に、肖像画の制作が滞ったり、万が一にもそなた達が亡くなり制作ができなくなれば、貴族達は陛下に対して不満を抱くだろう」
「すでに絵が贈られて神の子の祝福を受けることができる貴族がいる一方で、ガヴァルネスに万が一何かあって、神の子の祝福を受けることができなくなった貴族がいたならば、その不公平への不満の行き場は陛下になるということですか」
皇帝陛下も楽じゃない。
若き侯爵は、その若さゆえか、宰相を前にしてため息をもらしている。
「やはり、あんな呪われた絵など、さっさと処分してしまえばよかったのだ。そうすれば、大公様もあのような無茶なことは言われなかっただろうに」
「侯爵、あの絵は呪われてはいません!」
これ以上、侯爵が宰相を怒らせないように俺は慌てて言った。
「この事態を見ていて、どうしてそんなことが言えるんだ?」
「この絵には、絵に隠れるようにして魔法陣が描かれているのです」
俺はケイジが持っている少女の絵を示して言った。
侯爵が怖がると思って、絵はまだ布に包まれた状態だ。
「魔法陣?」
「防御の魔法陣です」と魔導師様がその目を煌めかせた。
「その魔法陣のおかげで火事でも燃えなかったということですか?」
俺が椅子から立ち上がると、なぜかネストも立ち上がり、俺の裾を掴んで後をついてくる。
まるで親鳥を追う雛鳥のようだ……雛にしては大きすぎるかもしれないが。
「残念ながら今は完璧な状態ではないので効力は発揮しないでしょうが、火災があった当時には、魔法陣も完璧であったはずです」
俺は侯爵に説明をしながら、客間に飾られた絵を見ていく。
「ああ。ありました」
俺は前回屋敷に来た時に記憶に止めていた絵の前で足を止める。
その絵は、呪われた絵と言われた少女の絵と同じサイズの絵だった。
「こちらの絵をお貸しいただけますか?」
「構わないが……」
俺は侯爵の返事を待って壁にかけられた絵を壁から外すと、宰相と魔導師の前へと持ってきた。
そして、額縁から絵を外すと、少女の絵に額縁を付け直した。
「なるほど」
「魔法陣が……」
額縁には魔法陣の一部が彫り込まれており、少女の絵のために作られた額縁だとわかる。
この絵の購入者が、魔法陣のことを知っていたかどうかはわからない。
けれど、購入者が亡くなった後には、絵と額縁がセットで魔法陣を構成していると知っている者はいなかったのだ。
そして、火災で残った絵は呪われた絵と言われ、そのうち、倉庫に片付けられることになった。
絵を処分すれば自分自身が呪われるのではないかと恐れた人々によって幸い、絵は処分を免れた。
しかし、絵を飾るための額縁は少女の絵から外され、他の絵を飾ることになったのだと想像ができる。
「侯爵、そなたが大公に脅されたことに関しては、私が皇帝に情状酌量を求めてやろう」
宰相がただの優しさでそんなことを言い出したのではないことは若き侯爵にもわかったようで、彼はごくりと喉を鳴らした。
宰相はにっこりと作り笑いをしたが、その笑顔からは怒りが漏れ出ていた。
「その代わり、この絵と額縁は我が家に返してもらう」
侯爵は最初、何を言われているのか理解できなかったようだが、しばらくするとその顔を真っ青にして、今にも倒れるのではないかという様子に変貌……いや、あまりの緊張に耐えられなかったようで、そのまま失神した。
数日後、俺はキオさんと弟子のペルト、それからネストとケイジを連れて、宰相の屋敷を訪れていた。
「お招きいただき、ありがとうございます!」
俺は心からの笑顔でお礼を述べたのだが、宰相からは呆れた視線を返された。
「全く。あれほど絵を見たいと言葉を重ねられては見せぬわけにもいかぬだろう」
「気づいていただけてよかったです!」
「あれほど直接的に言われれば誰しも気づくだろう。そなた、あれでも遠回しのつもりであったのか?」
「はっはっはっ」と俺は空笑いをする。
「宰相様、我々までお招きいただきまして、大変、ありがとうございます」
今にも滝のような汗を流しそうな様子でキオさんとペルトが頭を下げた。
「そなた達はカトリーヌ様の絵が呪われた絵ではないと証明した功労者だと聞いておる。カトリーヌ様も、そなた達のような者たちに絵を鑑賞されることをお喜びになるだろう」
「しかし」と、宰相はウキウキしている宮廷魔導士へと視線を向けながら言葉を続けた。
「単なる鑑賞会とすることができずに申し訳ないな」
そう。我々は、悠長にカトリーヌ様の絵だけを楽しむというわけにはいかないのだ。
「さぁ! 皆さん! 全ての絵の魔法陣を教えてください!」
カトリーヌ様の絵は全て同じ職人が額縁を作っており、その額縁のデザインから全ての絵に魔法陣が描かれている可能性があることがわかった。
そのため、ネストとペルトは絵の中から魔法陣を見つけることを期待されているのだ。
人のいいキオさんも、絵を見ながら一応は魔法陣も探してみるそうだ。
俺と宰相は彼らが作業をする様子を眺めながら、小声で会話をする。
「もしかすると、カトリーヌ様とこの額縁を作った方は……」
「何か心の交流があったのかもしれない。しかし、それはもう誰にもわからぬことだ」
今ではキャンバス画もそれなりに流通するようになっているが、ほんの数年前まではこの世界の絵といえば壁画である。
俺が生まれるよりも以前にキャンバスを使っていたのは、壁に描く前に構図などを決めるために描いていた職人と、カトリーヌ様のように絵を描くことを趣味にしていた貴族だ。
そして、貴族達の描いた絵は大抵は趣味の一環で終わり、飾られることもなく倉庫に眠るそうだ。
それがカトリーヌ様の絵は額縁をつけて飾られていた。
それは病弱な彼女に対する両親の愛情の表明であっただろう。
しかし、その額縁を作っていた者とカトリーヌ様との間には、何かしらの心のやり取りがあったように思える。
そうでなければ、絵画と額縁という二人の作品が重なることによって効力を発揮する魔法陣など生み出さないだろう。
しかし、額縁の作者は不明であり、二人の間にどのような気持ちがあったのかは、誰にも知ることができないのだ。
「……」
いや、本当は、一人だけ心当たりがある。
カトリーヌ様の絵を手に入れたという侯爵家の当時の当主は、その頃、価値を見出されてはいなかったキャンバス画をどこで手に入れ、なぜ飾ろうと思ったのだろうか?
彼が額縁を作った人だったのか、もしくは、その相手を知っていたのかもしれない……
そうなると、魔法陣のことも知っていたのだろうが、それを、誰にも言うことはできなかったのだろう。
「それ以上の詮索は不要だ」
まるで俺の考えを読んだように、宰相が言った。
「私は美しい絵を見ていただけでございます」
カトリーヌ様の名誉を傷つけることはできない。
俺はしれっと作り笑いをしてみせた。
画商らしく。




