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「ここに来る前に誰かに絵を習っていたのか?」
ある時、そんなことをネストに聞いたことがある。
無口な彼は首を横に振り、小さな声で、「父さんが紙と木炭をくれた」と呟いた。
ネストの父親は旅商人だと聞いている。
馬車での移動中の暇つぶしにでもと、子供に紙と木炭を渡したのかもしれない。
そして、ネストは、旅の間の暇つぶしに何枚もの絵を描き、密かに才能を開花させたのだろう。
その父親が病に倒れて、しばらく滞在することになったのがこの町だという。
父親の病気が治ればこの町から離れることになり、俺がこの子に教えていること、ネストへの先行投資は無意味なものになるのかもしれない……
最悪、俺の知らないところで他の者がネストに目をつけて彼の絵を売り出すような日が来るのかもしれない。
しかし、ネストの父親を無理やりこの地に縛りつけることもできないし、まだ子供の彼を親から引き離すこともするべきではないだろう。
そうなると、ネストへの教育をやめるべきなのだろうかとも考えたが、彼の才能を前にそんなことはできなかった。
結局、俺はその後もネストに無償で画材を与え、技術を与えた。
技術を与えたとは言っても、天才には無用なものだったようにも思う。
ネストは俺が教えた以上の技能でいつも心惹きつけられる絵を描いていたのだから。
それから、一年が経ち、二年が経ち、俺はネストの絵を見続けた。
「ケイトさん、魔石で絵の具を作ってもいいですか?」
この頃には、人見知りのネストも俺や工房の職人たちにすっかり慣れていた。
「ああ。何色が欲しいんだ?」
俺はポケットから鍵を取り出し、魔石が入っている棚を開けた。
絵の具の材料となる宝石も魔石も高価なものなので、鍵のかかる棚で管理されている。
この世界では、魔石からも絵の具を作ることができた。
魔石も宝石と同じように採掘で見つけることができたが、宝石とは違ってそのままでは色の美しい絵の具にはできない。
魔力持ちが魔石に魔力を注ぐことによって、魔石は鮮やかな色になるのだった。
「青が欲しいです」
俺は青い魔石を一つ手に取ると、ネストに渡した。
「魔力はキオさんに注いでもらうといい」
「僕も魔力持ちだったらよかったのに」
魔力は四人に一人が持っていると言われている。
それほど珍しいというわけではないけれど、全員が持っているものでもなく、魔力があれば魔石に魔力を注いで魔導具が使えたり、今みたいに絵の具を作ることができるため、持っていたら便利なものではあった。
ちなみに、俺も魔力は持っていない。
ネストは両手で大切そうに魔石を包んで、キオさんの方へと駆けていく。
俺は才能の塊のようなネストの背中を眩しく見つめた。
俺はいつ頃からか、ネストの才能に畏怖していた。
もう、ネストを自分の元に置いておいてはいけないとさえ思っていた。
ネストに教えられることなどもうなかったし、この世界のどこかに、彼の絵を俺以上に理解して、彼の才能を成長させることができる誰かがいるはずだと思った。
俺にとってはまさにネストは芸術の神の子のようで、どう接したらいいのか戸惑うような存在になっていた。
画家として売り出すにしても、俺の手には余る……それが、その頃の俺の正直な気持ちだった。
そして、俺は、大きな決断をした。
ネストと出会って三年目、俺が十九歳の頃、俺は工房を帝都に移した。
ネストは十歳になったら工房で働きたいと言い、あと数ヶ月で十歳になることを楽しみにしていた。
だから、俺はネストが十歳になる前に工房を帝都に移すことにしていた。
工房で働くようになったらもうネストと縁を切ることはできない。
この世界では従業員は家族同然のような非常に近い関係になり、工房の職人の人生……いや、その家族の人生までも雇い主が背負っているような状態になる。
ネストは工房の職人で終わっていい才能ではない。
しかし、俺にはネストの才能を受け止めることができるだけの度量はなかった。
だから、ネストには誰か素晴らしいパトロンがついてくれることを心から願って、俺は彼から離れた。
……なんていうのは言い訳で、要するに俺は、俺では扱いきれなくなったネストの才能から逃げたのである。




