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潜入、美術部。

美術室に入ると、どこか懐かしいような、テレピン油と絵の具の匂いがした。


部屋の中央に机が数個くっつけて置かれ、それを囲むように座った3人の女生徒は、駄弁りながらそれぞれの作業をしている。


その他には、室内の四方に点々と部員らしき人がいる。地べたに座って大きなキャンバスに向かう人、窓際に机を並べて絵を描く人、壁の隅にモチーフを並べてデッサンしている人。


8人ほどだろうか。いま俺の隣にいる曼珠沙華(まんじゅさやか)——もとい『師匠』をふくめると、9人が美術部の部員として所属しているようだ。


……いや、違う。ここにいる煤牛(すすうし)も部員の一人になったのだった。10人だ。


それに加えて、見たところ全員が女性であるため、少しだけ尻込みしてしまう。


「部長ー、見学いいかー?」


美術室の入り口から対角のほうに向かって、師匠は声を張り上げた。あの、隅の所でデッサンをしている人が部長らしい。


「っ!? は、はいっ! 大丈夫でーす!」


デッサンに集中していたであろう部長の背中が、呼びかけられてビクリと反応した。それから、振り返って返事をした……『彼女』なのか『彼』なのか、どちらともつかない中性的な顔立ちをした部長の顔が、こちらに(あら)わになった。


箱椅子に座る部長の、首から下に視線を移してみると、ワイシャツにスラックス。


この学校では現在、服装や髪型に規則と呼べるものはほとんど無い。本校で生徒の多様性を認める傾向になったのはここ数年のことらしいが、それを差し置いても、スラックスを着用している女子は()だ見ていない。


声も中性的で判別が難しいが、この部長は多分、『彼』だろう。……ということは、俗に、『紅一点』の対義語とされる、『黒一点』と言うやつか。


「ま、テキトーに見てくれや。」


師匠はそう言って、対角の、部長がいるほうへ歩いていく。


部長が使用しているイーゼルの隣に、同じようにもう一組、誰も座っていない箱椅子と、イーゼルが置かれている。そこに置かれたカルトンには、四つ切りの画用紙がクリップで留められており、描きかけの鉛筆画が見える。


「あそこの、師匠が描いてるやつ。観に行こうぜ!」


煤牛は興奮した様子で俺の腕を引っ張った。他の部員の目を気にしながら、たじたじと、俺は連れて行かれた。


「おー、さっそくコッチ来たか。」


「いや、いきなり放置しないでくださいよ。」


「あ! あれ? 師匠これ、この前描いてたのじゃないんですね?」


「ああ。アッチは飽きた。」


黙々とデッサンをしている部長の横で、声を落としつつ会話する。


しかし、やはり美術部だけあって師匠のデッサン力というか、画力はそれなりのものであった。


彼女の描きかけのものは、壁の隅に置かれた、低めの台の上に組まれたモチーフを対象としておらず、人物画であった。


自画像でもない……これはもしかして……


「……それ、部長さんですか?」


「えっ?」と隣から、鉛筆を走らせる音が止まると同時に、声がした。


「そうだよ。なかなか良い感じに描けてんだろ?」


「めっちゃ似てますね。」


「すごいっす!」


のほほんと会話を続ける俺たちの隣で、ガタタッと動揺しながら箱椅子から立ち上がる部長。


「ちょっ、ちょっとごめんねっ?」と、部長は申し訳なさげに俺と煤牛の前に入って、師匠の絵を観た。


「な、なにこれっ!? なんで僕を描いてるの沙華さんっ!?」


どうやら師匠は、部長を無許可でモチーフにしていたらしい。


「いーじゃん、別に。減るもんでもないし。」


「それはそうだけど……! すぐ隣にいるんだからひと(こと)言ってくれればいいのに……。」


「あー、じゃあ部長描くんで。」


「いま言う!?」


部長と師匠のやり取りを聞いてなのか、室内の各所からクスクスと笑い声が漏れていた。


部長以外の部員は皆、師匠が彼をモチーフとして描いていることを分かっている様子だ。


「や、やめてよ、恥ずかしいからさ……。」


「いや、もっと自信持って良いっスよ部長。そこらへんの人間よりは描き甲斐あるんで。」


「そ、そうなの……?」


もしやこの人、押しに弱いな?


「あー、そうだ。部長、自己紹介。」


「へっ?」


「コッチの、部長と同じくナヨっちいのが、佐々田夏瑪(ささたなつめ)。」


「どうも、佐々田です。」


「あ、ど、どうも。はじめまして。ご、ごめんね、僕と同じとか言われて……。」


「いや、何に謝ってるのか分かんないですけど、全面的に曼珠先輩が悪いと思います。」


「オイ。『師匠』だ、っつってんだろ。」


「さーせん。」


よし。師匠にツッコませるポイントを上手くズラすことに成功した。


「えっと、僕は3年生で美術部部長の雉隠薫(きじがくれ)です。よろしくね、佐々田くん。」


「よろしくお願いします。」


「部長~、ダメじゃないスか。ちゃんと下の名前まで言わないとぉ。」


「えっ、う……うん。」


部長は、少し身を縮ませて、気恥ずかしそうにしている。そんなに変な名前なのだろうか。


「か、(かおる)……です。雉隠薫(きじがくれかおる)……。」


ああなるほど、と俺は心中(しんちゅう)で勝手に納得した。


切り揃えられたボブヘアーは綺麗な艶を携えており、前髪で隠れかけてもなお、パッチリと丸い目が主張をしている。更には、通った鼻筋、小ぶりな顎のライン、白くキメ細やかでニキビ1つ見られない肌など……部長の持つ外観的要素のいずれもが、俺の思う一般的な『男子高校生』の像から逸しているように見えた。


しかし部長は、自分の容姿や声が中性的であることに対して自覚的であり、そしてそれをコンプレックスのように思っているのだろう。おそらくは。


「煤牛さんも、改めてよろしくね。」


「はいっ! よろしくお願いします!」


彼の身長は煤牛とほぼ並んでおり、こうして隣り合って会話しているところを見ていると、姉妹か女友達同士に見間違えても無理はない。


「話、終わった? 終わったなら早くソコ座ってね、部長。」


「う、うん……?」


師匠に命じられると、部長は(いぶか)しげに、元の椅子に着席する。


「はーい、ジッとしてろよ~。」


「ちょっ、ちょっと!?」


師匠が再び自分の作品に筆を滑らそうとするのを察知した部長は、彼女の視線を避けるように席から離脱した。


「ちょいちょーい。動かんでくださいよ。さっき許可してくれたじゃないスか~。」


「や、やっぱり恥ずかしいよ! それに僕もデッサン描いてるから、見られてると集中できないって言うか……ふんむっ!?」


部長は、ズイズイと師匠のほうへ近づきながら、捲し立てるように反論する。


対する師匠は、近づいて来た部長の顎を片手で掴み、彼の歩みと言葉を制止した。


「いいから黙って描かれてな。薫チャン。」


「……ひゃい。」


ああ、可哀想に。


俺はこの美術室に足を踏み入れて10分も経たない内に、3年生の部長という立場の人間が、ひとつ下のヤンキーみたいな部員にあしらわれている様を目撃して、美術部における上下関係の(ねじ)れを感じていた。

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