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【祝祭の色彩:あさめ】

桶を片手に、宮の奥山の湧き出る泉まで登って来た。

東の山の端が赤く染まり、山鳥が早い夜明けを告げる。

うまく寝付けないままこんな時間になってしまった。

あと一日。

祭事の最終日である。今日を乗り切れば一旦肩の荷は下りるか。

後片づけは日に追われるものでもないため、誰かに任せてもよさそうだ。

桶に泉の水を汲み、静かに顔を洗う。

どこまでも透き通り、刺すような冷たさを保った水が、回らない頭を刺激する。

音もなくこんこんと湧き出る泉の他には動くものもない。

静謐な朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

もう一度顔に水をかけ、両手で頬を軽く叩く。


廓の門を抜けて自室に帰ろうとしたところで、一宮のくれんが廊下を漂ってこちらに寄って来た。

珍しくずいぶんと早起きだ。

「お祭りも、終わりだね」

今に始まったことではないが、相変わらずのんきな口ぶりである。

「ええ。舞の準備、頼むわよ?」

「準備も何も……」

あくびを嚙み殺したような表情は、いつまでたってもその底が読めない。

「ふふ」

「何かおかしいですか?」

不意に笑うくれんに問いかける。

「お祭り始まってからずっとあった、眉間のしわが取れてる」

それだけ言うと、どこへ行くのか、またふわふわと去っていった。

見送りながら、指先で眉間を揉んだ。


日が昇りだすと、途端に宮の中が騒がしくなる。

本日は、舞台での最後の舞の奉納と祈祷。

それ以降は役人たちに任せておけばよいだろう。

各宮に付ける巫女はあらかじめ割り振ってある。舞台も昼からなので、まだ余裕はあるだろう。

結局この十四日間ほとんど門前町には出れずにここまで来てしまった。

話に聞く分には、普段は目にすることのない、いろいろと珍しいものが売られていたという。

差し入れに頂いた焼き桃団子などは、こんがり焼いた団子の中にとろりとした果実が入っており美味しいものだった。

西宮(にしのみや)から来ている(ますの)きり様は、隙を見ては供を連れて町へ出ていたようで、各地の産品を買い集めて戻ってくるのをたびたび見かけたものだ。

あの九宮(くぐう)様でさえ、面を付けて出店を歩き回っていたという。幼い見た目に不遜な態度の九宮が、その見た目にそぐわぬ姿でうろついているを想像して、思わず口元がにやけた。


朝食の片づけが済んだ頃を見計らって、医務室へ顔を出した。

食事を終えたであろうせなが、寝台に体を起こして座ったままの姿勢で、こちらを見てぺこりと頭を下げた。

寝台の横に据えられた腰掛に座り、様子をうかがう。

はりの話によれば、しばらくは後遺症に悩まされるかもしれないが、身体的には問題はなく、じきに普通の生活に戻ってよいとのことだ。

「九宮様のお屋敷に戻る、ということもできるのだけれど……」

と提案はしたが、一度出てきた手前戻るのも忍びないとのことで、当初あてがっていた巫女の廓の一室を使う事となった。

せなは、じっと手元を見つめてぽつりとこぼした。

「せんせいが、どうなったのか、分からないんです……」

「私たちも、詳しい状況は分かっていないの。じきにすい様が戻られます。そこでお話をお聞きしましょう」

北部から増援の要請があったことは聞いている。実際に東西の関所から北部の街道への動員も行われているようだが、そのことについては触れなかった。

「さて、祭事の最後のお勤め、行ってくるわね!」

努めて明るい声でそう告げ、腰掛を立つ。

「後で誰かに町の出店の差し入れを持ってこさせますね。食べ物の制限はされてないでしょうし」


医務室を後にし、大股で宮の下層に設けられた自分用の控室へ向かう。

お付きの巫女に、昼以降の舞台向けの重たい衣装に着替えさせられながらも、昨日上がってきた仙境各地からの報告書類の束に目を通す。

宮が祭事の中心となっている分、各地方では大きな動きはなさそうだ。

南の板切山(いたきりやま)の宮の、大雨被害による参道の修繕の件だけは枢機庵(すうきあん)へ上げた方が良いか。

老人たちの昔話の種になりそうな件で気が重くなった。

今の内から、会議を本筋に戻そうと苦心する自分を想像して苦笑する。

それを見て、着替えを手伝ってくれているお付の巫女が変な顔をした。


金でできた、これもまた重たい首飾りと耳飾り、髪飾りを付けて、重たい衣装の裾と袖を引きずるようにしながら、宮の門へ向かう。

その裾と袖を、二人の巫女が地に着かないように持ち上げながら、門を出て舞台の前を横切って段を上り、特設の観閲席へたどり着いた。

五家のご当主の面々はすでに座しており、酒など酌み交わしているようだ。

黙礼して自分の席に座る。

出された温かい茶を、袖を汚さぬように取って口を湿らせた。

あとは出番まで待機である。

自分の出番は一番最後。ほかの宮が舞い終えたのを見届けてから、この席から舞台に直接上がる。

一宮という役職上仕方のないことかもしれないが、一番最後というのは落ち着かない。たまには誰か代わってくれてもよさそうなものだが。

番組みを行う者は、疑いもせずあさめを最後に持ってくる。

掛けられる期待は、着物の両肩を余計に重くする。


今日の衣装は、初日と違い、全員統一された意匠となっている。

純白の布地に合わせた糸で、仙境伝統の草模様の刺繍が施され、光が当たるとほのかに浮かび上がる。

銀糸を配した紅紐が襟元と袖口に通され、動きと共に光を返す。

神聖なる神織の巫女。

その威光を知らしめるための聖なる衣。

素直に、美しいと思う。

そして同時に、積まれた金貨の影が浮かび、そんな着物に袖を通す喜びが削がれて嫌になる。


太鼓の音が響き、殿(でん)位の巫女の中でも選ばれた五名が舞台に立つ。

日は天頂に至り、その日差しは鋭さを増す。

影が最も小さくなり、その色も濃く落ちかかる。

動いていなくても汗ばみそうで、周りの視線が舞台に向いている隙に、長い袖をまくり上げて手を出し、化粧が落ちないように用意されていた紙で首筋を叩く。

宮様の正装ではあまり手は出さぬもの、と。

一宮に就いた時に、そう伝え聞いてはいるが、その謂れはいまだに分からないままだ。

九宮様は自由な恰好をされているが、あの時代には無かったしきたりなのだろうか。

舞台を見つめる群衆を見渡すが、九宮様らしき顔は見つからなかった。

子供のように飴をなめながら舞台を見る九宮様を想像してしまい、一人吹き出しそうになる。


舞台は、そんなあさめを待つことなく、流れるように進んでいく。

入れ替わるように順に出てきた宮位の巫女たちは、伝統の舞を基礎とした落ち着きのある舞を、笛と太鼓の音に合わせ奉納していく。

そのなかでも、やはり二宮はりの舞は目を引くものがある。舞台を脇から見下ろすこの場所からでも、その舞の美しさを感じ取ることができる。

基本の動きは他の巫女たちと大きくは変わらない。

一つずつの動きが大きいのか。

翻した手先、おそらく袖で隠れた指先までも神経が研ぎ澄まされているかのような。

音と寸分たがわず止まり、動く。

奏者と演者を一人でやっているかのような一体感。

一つの舞の完成度をここまで高めることができるのかと、感嘆することしかできない。

はりの舞を見届けてから、ゆっくりと立ち上がる。

舞を終え、観閲席へと登ってきた三宮達と入れ替わるように舞台の袖へと降りた。

はりの次、らんの舞のあとには自分の出番だ。

落ち着く間もなく、らんが舞を終え、舞台の向こうへと引っ込んだ。

袖を払い、襟を整える。

一宮である自分が出る前には、いつも間が設けられる。

太鼓が低い音からだんだんと早く、高く打ち鳴らされていく。

そして、ドドンっ、とひときわ大きく叩かれた太鼓。

静寂。

この仰々しさ。


一息溜める。

そして、一歩ずつ、確かに地を確かめるように踏みしめながら、足を進める。

舞台から姿を見せたところで、観客が息をのむのが見える。

一歩ずつ、歩みに合わせて耳飾りがしゃらりと音を立てる。

舞台の中心、印の釘を打った位置まで足を進め、あえて一息置いてから、観客の方へ向き直る。

舞台を見上げる人々が、わずかに背筋を正すのを、見るともなく見る。

両手を、ゆっくりと広げる。すべてを包み抱えるように。

目を閉じながら、その手を前へ、ゆっくりと伸ばす。

再び大きくその手を広げ、勢いをつけて拍子を打つ。

目を大きく開く。

大きな身振りでもって、腰から下げた神器の短刀を引き抜く。

その刀身に手を添えて、三方へ掲げる。

神への祈り。

────「調和」への希求。

笛の音。

刀身が、わずかに輝く。

手首を返し、刀を振りかぶる。

身を引きながら、その身体の動きに合わせて振り下ろす。

切っ先はブレることなく弧を描く。

描かれた弧は光の軌跡となり宙に残る。

身をひるがえし、短刀の描く線が舞台を彩っていく。

この一閃が、不変を動かし、この一閃が、不和を破る。

見えぬものを断つ太刀筋だけが、光の筋となって舞台を漂う。

どこまでも高く遠く響く笛の音が、背骨から頭へ突き抜けて響き渡る。

どん。

踏みしめる。

しゃらり。

刀を振り下ろす。

笛の音が止む、余韻。

静寂。

両手で刀を掲げ、ゆっくりと、鞘へ納める。

それと共に、漂っていた光の軌跡も跡形もなく消え失せる。

再び手を前へ、大きく振りかぶり、一つ、拍子を打つ。

一息ずつ間を置きながら、三方へ向かって、礼をする。

三方目、観客に向かい礼をしたとたん、割れんばかりの拍手と歓声に晒される。

息は切らさない。

下げた頭を、三つ数えてからゆっくりと上げた。


それを合図に、舞台の袖に控えていた宮位の巫女達が、舞台に上がる。

祝詞(のりと)を書いた紙を受け取り、ゆっくりと開く。

この祭事のために書き下ろされた、特別に紡がれた言葉。

辺りが静まるのを待ち、お腹の底から轟かせるように、天高く響かせるように、一定の音程で(うた)いあげる。

泉のほとりで繰り返した読み上げの練習通りに。

抑揚をつけて。

天日(あまひ)の輪より地皎皎(こうこう)と照らし見給う大神へ。

(かしこ)み、畏み、申し上げる。

この地安らかに。千代の太平を。

平和と、調和。

そして、しあわせ。


謡い終えた祝詞の紙を、またゆっくりと閉じる。

静寂に包まれたまま、列を作り、茜の差す舞台を降りる。

これにて、お役目は果たした。

舞台を降りた背中の方から、ひょろろろろ、と気の抜けた音が聞こえた。

続けて、ぼん、ぼんぼん、と腹に響く破裂音。

祭事の最後を締めくくる、職人街からの花火の奉納だ。

観閲席に戻り、空に咲く大輪の花を見上げる。

ふと横を見ると、二宮黒曜らんが、頬を上げ笑んでいる横顔が照らし出された。

視線に気づいたらんは、何も言わずこちらに向かって微笑んだ。

「ほんとうに、お疲れ様」

声を掛けたが、その声はすぐに次の花火の音にかき消された。

ぼん、ぼんぼん。


夏が来る。

~二殿の報告書~

鑑の儀に合わせた特別祭事の全ての工程が終了した。

舞台の宮様方の舞を一目見ようと、大変な混雑具合であった。

特設舞台の周辺は、もはや人の動きは無く、むしろ立ち入り制限を設けた外側での混乱がひどかったようである。

特別看護所の撤収は日中の内に済んだため、宮の下層に設けられていた演者控室の撤収作業に当たって過ごした。


職人街の奉納した花火を宮の廊下から眺めた。

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