【九源の煙の香り 三】
夏に差し掛かる日差しが、店先に置かれた桶の水が鋭く返す。
日は天頂に近く、遮るもののない透き通る空は、さらに暑さを増す兆しを見せる。
祭の熱は冷めることなく門前町を覆っている。
休まず団子を売り続ける出店の者たちの声は枯れ、顔には疲労の色が張り付いている。
九宮コトワは、小鬼のりふぁを連れて通りの人ごみをかき分けて宮を目指した。
「九宮さま!今までどちらに……!」
宮の門に近づいたところで、早速武官に囲まれた。
「お屋敷にも使いを出しましたがご不在で……」
「せな様が倒れられて……」
「分かっておる」
矢継ぎ早に告げられるのを、手を振ってあしらった。
「そのために空けておったのじゃ。まだ祭事は続いておるようじゃが、何日目じゃ?」
「ま、祭りは十二日目を迎えたところです……せな様も、はり様のおかげで保たれておりますが……」
「せなはどこ!?」
武官達の話を遮る様にりふぁが声を上げた。
「い、医務室に……」
「せなー!!」
「これ、葉を持たねば意味がないぞ」
宮へ向かって駆けだしたりふぁの背に向かって声をかける。
まったく、落ち着きのない。
背に負った行李を、軽く持ち上げて背負い直す。
……そうだな、一応伝えておいてやるか。
「それより。現常山にあの世の鬼どもが来ておる。何とかするなら何とかせい」
それだけをその武官に言い残して、りふぁの後を追った。
「へっ!?鬼が、山に!?九宮様!?」
神織に義理を果たす、我ながら丸くなったものだ。
「せなー!!」
「あ、こら!勝手に……って、九宮様!」
医務室へ突撃していくりふぁを止める武官が、こちらに気づいて姿勢を正す。
「せなの容体は?」
「はっ、意識を失ったまま一向に目覚めず……」
報告を聞かぬ間に、宮の入り口の方から駆けてくる足音が聞こえてくる。
「九宮様!戻られたのですね!」
「二宮、はり、か。」
最前まで祭の特別看護とやらに引っ張り出されていたのだろう。重々しい衣装を着たまま、息を切らしている。
「私の力及ばず……せなさんには何もできませんでした……」
胸に手を当てながら、足元をじっと見つめるはりの表情は、いつぞやにコトワの座敷で見せたような張り詰めたものを感じさせる。
「お主の力が及ばないのも無理はない、ナオすという類のものではないのじゃ、これは」
はりに付き従って医務室に入る。
戸を閉めると、外の祭の音がどこかへ遠ざかる。
りふぁは寝台に寝かせられたせなの傍で膝をつき、心配そうにのぞき込んでいた。
荷を下ろし、背に負っていた神器、髭切も壁に立て掛けた。
行李を解き、持ち帰った葉を取り出し、はりに見せる。
「この葉を砕き、香とする。もう乾いておるからすぐできよう」
「それは……?」
はりは、値踏みするかのように目を細めて、コトワの手の中の塊を見つめた。
「『九源の葉』と呼ばれる、古の気付け薬よ」
聞き覚えがないのも無理はない。
行李から葉巻を二・三本取り出し、壁際にある卓へ向かいながら言いつける。
「それから、火酒も用意せよ。お主なら何本か隠しておろう?」
「は、はい、秘蔵の品が……。ご用意いたします……」
「なに、気付けに使うだけじゃ、上等なものでなくてよい」
「……はい」
その返事には、何か渋る様なものを感じた。
小さな掌で、パリパリに乾いた葉を握りつぶす。
はははは、小気味よいわ。
隅に置いてあった薬研をとりだし、細かく砕く。
薬研でゴリ、ゴリ、と葉をすり潰す。
途端に、あの甘ったるく、どこか冷たい香りが医務室の匂いを塗りつぶしていく気がする。
粉状にした九源の葉を、四つの山に分け、皿の上に敷いたつやつやの紙に乗せて、せなの寝る寝台の四隅に据えた。
はりが、木箱を抱えてしずしずと帰ってきた。
その表情からは感情を読み取れない。
木箱に書かれた崩し文字を、思わず二度見する。
「……それは、西の鉄火場か?」
はりは黙って、こくり、と頷いた。
「そんな高級品でなくてよい!この世への呼び水にするだけじゃ。もっと安いもんを持ってこんか!」
「は、はい……」
驚くように眉を上げて返事をするはりは、ぱたぱたと足音を立てて再び部屋を出て行った。
まったく、わたくしですらそうそう飲めんものを、こんな小娘に飲ますのは勿体ないわ。
……しかしそんなものも隠し持っておるとは、噂通り相当な好きものじゃな。
火をつけた芯を、九源の葉を砕いた山に刺し込み、静かに火をつけていく。
じきに漂ってきた香りを、はりは目を閉じて嗅いでいる。
「……不思議な、香りですね……この世のものではないような……」
「この世のものではないからな。もう少し待て、煙が部屋を覆うまで」
りふぁは変わらずせなの枕元から離れない。
遠く、太鼓を続けて叩く音が聞こえてくる。
敷布の上に、簡易な看護着を着せて寝かせられた、せなの身体が横たわる。
呼吸はあるのだろうが、その音も聞こえない。
透き通るような白い肌に血の色は薄く、出来の良い木偶を見るようだ。
ぴくっ、とせなの指先が微かに動いた。
「……そろそろか。酒を飲ませてやれ」
「……はい」
小さな杯に満たされた火酒を、こぼさぬようにそっとその口に近づけ、少しずつ注ぎ込んだ。
喉が動き、飲み込んでいく。
びくっ びくんっ
身体の反応が大きくなる。
そして。
「せなさん!」
はりが声を上げ呼びかける。
「……ぁ……」
か細い声が、半開きの口から洩れた。
途端。
閉じられていた眼が、かっ、と開く。
がばっ、と身を起こしたかと思うと、その身を抱きかかえながら、絶叫する。
「ああ!!ああ!!ああああああ!!!」
その叫びと共に、周囲の景色がわずかに歪み、輝き出す。
「なっ!」
マジュツ。
マジュツで編まれた剣が、せなの首筋に向かい大きく振りかぶった。
ガツンっ!!
その刃が首に触れる寸前に、髭切でその剣を砕くことができた。
「せっかく拾った命、投げ捨てるつもりか?」
「はぁ!はぁ!はぁ!………あぁ」
せなは、がくり、と首を下げ、肩で息をしている。
「混乱しておるだけじゃ。……無理もないがの」
「せな!せな!もう大丈夫だよ!せな!」
りふぁが顔を近づけ声をかける。
「ぁ……りふぁ……?」
そして、まだ混乱から覚めぬせなの手を強く握った。
びくんっ、とせなの肩が持ち上がる。
「ぇ、ぁ……」
かぁぁっ、と顔を真っ赤に染める。
「あっ……んっ……んぅっんんん……!!」
目をぎゅっとつぶり、必死に何かに耐えている。
りふぁは手を握ったまま、その様子を心配そうに見つめることしかできない。
「はぁ…!はぁ…!」
荒い呼吸を整えることもできないまま、ぼそぼそと、言葉を紡ぐ。
「うっ、こ、この香り……頭が、おかしくなりそうで……あっあの…しばらく、一人に……」
そうして最後に、消え去りそうな声で言った。
「……おねがい、します……」
それを聞いて、すぐにスッと動き出したはりに、コトワとりふぁは部屋から追い出された。
ぴしゃりと締められた戸からは有無を言わさぬものを感じる。
締め切られた戸の向こうから、せなのもがくような嗚咽とすすり泣くような声が響いてくる。
「せな、苦しそう……」
りふぁは眉をしかめたまま組んだ両手を見つめていた。
「……おそらくアレは、そういうモノではない」
慰めにはならないがそう告げてやる。
「あの二宮がうまくやるじゃろう」
そう言いながら、ぼんやりと宮の柱の紅を見つめた。
やがて、カラリと医務室の扉が開き、はりが顔を出した。
「……落ち着かれましたので、少しでしたらお話できます」
そう言うはりの表情は、医官の落ち着きを取り戻していた。
はりに連れられてせなの寝台の脇に立った。
窓が大きく開け放たれ、煙の香りはだいぶ薄まっていた。
せなは先ほどは無かった掛布に包まりながら身を起こしている。
「りふぁ……コトワ様……そ、その……」
「よい」
何か言いかけるせなを制す。
「せな!よかった!!倒れたって聞いて、うち……」
「りふぁ、ごめんね……その、心配かけて……」
せなの顔はまだ紅潮している。
「コトワ様……ありがとうございます……」
うるんだ瞳でこちらを見つめると、一つ頭を下げた。
「お薬を、コトワ様が取ってきてくださったと……」
「よい。もののついでじゃ」
片手を上げてひらひらとさせる。
「わたくしも、色々と得るものがあったからのう」
壁際に置かれた、九源の葉の入った行李に目をやった。
ふん、あの世の香り、か。
詳しい話もそこそこに、はりに追い出されるように医務室を後にした。
旅の荷を再び背に負うと、りふぁと並んで宮を出る。
家に着くまでに、美味いものでもあれば良い。
いまだ祭の喧騒の冷める気配のない門前町へ向かった。
~二殿の報告書~
祭事も残すところあと二日である。
不在であった九宮様が戻られ、はり様の特別看護が急遽中断することとなった。
散々待たされた列の者たちからの不平の声は上がるが、武官の警備により表面上は落ち着いていた。
夕刻再開されたため現場の混乱は落ち着いた。
九宮様及びりふぁの持ち込んだ薬品により、三殿せなが昏睡より目覚める。
強力な気付け薬の使用による意識の混乱が見られるとのこと。
はり様の看護の元で療養することとなる。




