【九源の煙の香り 二】
ふっ、と辺りが薄暗くなると、目の前を覆う霧が晴れてきた。
跳ねる水音が静かに響く。
天は濁った煙が覆い、どこからか漏れてくる光を赤黒く薄気味悪く浮かび上がらせる。
風はぬめりを帯びてただよい、身体に重くまとわりつく。
あの世。
コトワとりふぁの乗った船は、池に咲き乱れる血の華をかき分けて進み、やがて池の端にごごん、と音を立てて止まった。
「あっという間ですねー」
甲板に出て血の華を眺めるりふぁがそう言った。
「まぁ、ここも前は最も近い『隣町』であったからな」
大小さまざまな『船』が止まるかつての面影が瞼の裏に浮かぶ。
前にすいと来たときは分からなかったが、こうして船から見れば、大きな建物の跡はあの時と変わらぬかもしれん……。
だとすれば、あれが池端の宿の跡か……。
ひと際大きな建物のあった跡を目を細めて眺め、奥歯をかみしめる。
鼻孔に微かにあの甘い香りが立ち上る感覚。
そんな錯覚を頭を振って追いやった。
甲板を渡り、りふぁを追い抜き船首から岸に飛び降りた。
りふぁも軽やかに降りてくる。
すいとの訓練の成果か、身のこなしが様になってきておる。
そういえば、この旅にもりふぁは木剣を携えていた。
近頃は当たり前に背負っているため気にしていなかったが、身の丈近い竿のような剣を背に負ったまま身軽に動く。
ふむ。
武官にも認められたことだ、いつまでも木剣を持たせておくものでもないか?
まぁ、考えておこう。
「りふぁ、村までの道は覚えておるか?」
そんな考えはおくびにも出さず聞いてやる。
「うん!!ケモノが出ても、やっつけるよ!!」
りふぁは背にした木剣をざっと抜き取り、身構えた。
頼もしい限りであるが、ほほえましくもある。
「余計な運動はせんで良い、安全な道で頼む」
手を振り案内を任せた。
泡立つ沼地のほとりを渡り、高い木立の間を抜け、狭い岩陰をくぐり抜ける。
ほどなく、見知った集落の家々と、昼飯なのか夜飯なのか分からぬ、炊事の煙が立つのが見えてきた。
村の入口を仕切る柵の前に立つ背の高い鬼が、こちらに気づくと怪訝な目を向けた。
しかし、すぐにその顔は驚きに変わり、駆け寄ってきた。
「りふぁ!?りふぁか!?生きておったか!!おお、おお、大きくなって……」
りふぁも駆け出すと、鬼に向かって抱き着いた。
「おっちゃんー!うちだよ!生きてたよー!」
見知った顔だったか。
再会の抱擁を済ますと、鬼はこちらをじろりと見つめた。
「どこぞの旅人の案内に出たきり帰ってこぬから、そのまま野垂れ死んじまったもんだと……」
「実はそのまま『あっち側』に行ってたんだ……!」
「おうおう、それより村のもんに知らせねばな。おうい!りふぁが帰ったぞぉ!」
鬼の案内に付いて行き、村に入った。
通りを歩けば、りふぁの知り合いの者たちが、代わる代わるやってきてはりふぁと抱き合っている。
家の戸口から遠巻きに見ている小鬼もいる。
「あ、うちの家!まだ残ってる!」
りふぁは周りの者も放り出してその小屋まで駆けて行った。
「もう帰らねえとは思っちゃいても、壊しちまう訳にもいかねえでな……」
その様子を見ていた案内の鬼が呟くように言った。
小屋の中をひとしきり見て回っていたりふぁに、小屋の脇に立つ石碑を見せてやる。
「ほう……おい、りふぁよ。おぬしの墓だそうだぞ、立派なものじゃないか」
「へへへ、みんなには黙って出てきちゃったから……」
「生きているうちに自分の墓を見れることもそうあるまい、よかったのう」
小鬼の方は見ず、すすり上げ、しゃくりあげる声を聞いた。
「りふぁ、よ。よう戻った」
その後、鬼どもの村の長の前まで連れてこられた。
地に引かれたむしろの上にりふぁと並んであぐらをかいて座る。
小さく灯された明かりが、薄暗い室内と片膝を立てて座る村長の横顔を照らし出す。
「てっきりそこな巫女と共に野垂れ死んだかと思っておったわ」
じろり、とこちらを見る目付きは険しく、敵意めいたものを感じる。
「はい、親分!あっちの、仙境に、行ってました!!」
そんな視線に気づいているのかいないのか、りふぁは元気よく答える。
その返事に、村長は目を見張ってりふぁの顔を見つめ直した。
「……なんと、あちらに渡る術があるというのか……」
「えっと、血の華の池に……」
「りふぁ、そこまでじゃ」
「は、はい!」
話し続けようとするりふぁを、ぴしゃり、と止める。
まったく、気を抜けば余計なことまで喋りおる。
「単刀直入に言おう、『九源の葉』を探しておる。あるか?」
だらだらと世間話をしに来たつもりはない。
こちらの問いに、村長はしばし顎に手をやり考え込んだ。
やがて、その手を膝に持っていきながら、重い口を開いた。
「あるにはある……が。ただでやるわけにはいかんだろう。」
まぁ、予想はしていた通りである。
コトワは、腰に提げてた水筒を手に取ると、栓を外し中の水を一口飲んでみせた。
そうして再び栓をすると、村長に向けて投げてやる。
「これは……水か?」
「『あちら側』の、な。飲んでみるがよい」
村長はいぶかしむように手の中の水筒とこちらの顔を見比べる。
そして、恐る恐る栓を抜いてその水を一口飲んだ。
その目は驚きに大きく見開き、さらにもう一口、口に含んだ。
「……これが、対価だと?確かにこんな清らかな水は……」
「『あちら側』」
話し続けようとする村長に、重ねるように言った。
「……『この世』への行き方、でどうじゃ?」
「なんだと……?」
村長は、こちらの思惑を図りかねるように聞き返す。
しかし、すぐにその顔つきは険しさを取り戻す。
伊達に鬼どもの頭領をやってはいない。
「……だが、それはりふぁに聞けばよかろう」
「りふぁだけではあちらへは渡れん」
「……」
村長はりふぁの方へ頭を向ける。
「……う、うん、うちじゃ船動かせない……」
あ、こら。
「船、船か……」
「やれやれ、この娘は、交渉事には向かんな」
緊迫した空気が一気に白けてしまった気がした。
一つ頭を振って、こちらの提案を伝えてやる。
「どうせわたくし達も向こうへ帰るのじゃ、そこに数人乗せてやる。船の使い方もそこで教えよう。それでどうじゃ?」
村長もこの空気の変わり具合が分かったのか、立てた膝を降ろしあぐらをかいた。
「葉は、どれだけ要る」
なかば呆れたようにも見える形でこちらに聞いてきた。
「どれだけある」
「こちらでも貴重な気付けの薬だ。気前よくやるわけにはいかん」
「また取りに来るのは面倒じゃ、景気よくよこすがよい」
「ええい、鬱陶しい」
交渉はそこまでだった。
村長は急に立ち上がると、建物の外の者を呼び付ける。
何事か伝えると、一緒に出て行った。
「あの……コトワ様……?うち、何かまずかったですか……?」
おずおずとこちらを覗き込むりふぁに、呆れた顔をしてしまう。
「もうよい、お主は最初から当てにしてはおらん」
言葉の端に思わず笑いが出てしまった。
しばらくして、村長が小さな行李を小脇に抱えて、再びどっかと座り直した。
「巫女よ、そんななりで葉を喫するとは。いいや、見た目では何も分からんな」
「わたくしは吸わん!好かん!」
「どれ、じゃあ儂は久々に一服取らせてもらおう」
行李の中から一つの乾いた葉を巻いたものを取り出した。
「気付け薬、と言っておらんかったか?」
「たまにはよかろう。おぬしという劇物に触れたのじゃ、気付けも必要じゃ」
そう言うと、手にした葉巻に明かりの火を移して、気持ちよく吸いだした。
甘い香りが部屋を包む。
眉をしかめる。
最後にこの香りをかいだのは、ほんの数百年前、あの酒臭いマジュツの爺の頃か。
あの時でさえ忌々しさが抜けなかったが。
こうして改めてその煙に晒されると、そんな爺の酒臭い記憶を、あの男の冷たい香りが無慈悲に塗りつぶしていく。
数千年、神代の昔のあの男、ぶっきらぼうな声、軽く手の触れたぬくもり、そしてこの甘く冷たい香りが、煙に混じって蘇りおる。
いい加減飽いてきてもよさそうなものだが……。
こちらに寄こされた小さな行李の中を確認すると、焦げ茶色をした葉巻がいっぱいに詰められていた。
九源の葉、か。目にしたのもいつ振りだろうか。
これだけあれば十分じゃろう。
「りふぁも連れて行くのか?」
煙を吹き吹き、村長が聞いてきた。
コトワが答える前に、りふぁが答えていた。
「うん……せなを助けなきゃなんないから!」
その返事を聞いた村長は、目を細め、ゆっくり頷いた。
その瞳には寂しい光がたたえられている。
……村の者達が親代わりだったと言っていたか。
屋敷を出たところで、庭先で簡単な宴が始まっていた。
集まった鬼どもが、家々から酒やつまみを持ち寄って、りふぁが出てくるのを待ち構えていた。
りふぁが顔を出すと、すぐに囲まれて何やら食わされている。
庭先で火を焚いて何やら焼きだしている者もいる。
のんきな物だ。
しばらく動けそうもないので、庭の隅の切り株に腰掛けた。
「今日はもう遅い。明日出ても障りはないのではないか?」
いつの間に屋敷から出てきたのか、酒瓶を抱えた村長がそばに立っている。
「遅いも何も、今が昼なのか夜なのかも分かっておらん」
「がははは、あちらとは大違いか!」
ほれ、と村長の差し出した串を受け取る。
首を落として皮をはぎ、肝を抜いたトカゲの串焼き。
腹から齧りついた
ふっくらした肉に、やわらかい骨とカリカリに焼けた手足の食感。
表面に付いたじゃりじゃりした塩が肉のうまみを引き出す。
じろりと村長の手の酒瓶へ目をやったが、そちらは手放す様子は見せなかった。
こじんまりとしたりふぁの小屋に、近所から持ち込まれた布団の山に押し込められるようにして夜を明かした。
相変わらず昼なのか夜なのか分からぬような空を見上げながら、出立の支度をしていると、おずおずと、大荷物を背負った三人の鬼たちが近づいてきた。
「親分から言われて、付いていかしてもらいやす……」
いずれも若い、筋骨隆々な男どもではあるが、村長から何を聞かされたのか、こちらに怯えを感じている気配だ。
「……二度と、この地を踏めぬかもしれぬぞ?」
脅かしてやる。
「……オラたちが……村のために……」
先頭の鬼が、ぶるぶる震えながらも、そう言うのを聞き、おかしくなった。
「はははは、良い気概じゃ。なに、そう気負わんでもすぐ着くわい」
血の華の池の端まで、鬼たちが進む後を付いていく。
池の付近の遺跡を見るたびに、何とも言えない思いに締め付けられる。
ついこの間の事、と思っているのは自分だけかと、一人取り残された思いが胸を強く刺激する。
先頭を誇らしげに歩くりふぁの後姿は、二年前と比べて堂々と立派なものになった。
一隻だけ忘れ去られたように残された船を見上げ、そこに無遠慮に登っていく鬼たちを眺める。
神代の昔のあの男。
もはや名前も忘れたが、その声と香りだけがいつまでたっても纏わりついて離れない。
忌々しい限りだ。
甲板から伸ばされたりふぁの手を取り、船の上によじ登った。
興味深そうにのぞき込む鬼たちに、一から操作を見せてやりながら、船を動かす。
岸を離れた船は、池をするすると進み、やがて霧の中に飛び込んでいく。
すぐに、あたりを包む霧が、眩しいほどに白く輝きだす。
山の頂にたどり着いた船を真っ先に降り、崖に向かい立つ。
行李を解き、詰められた九源の葉巻を一つ取り出した。
懐から取り出した符を指で挟み持つ。
口の中で文言を唱え火をつける。
くわえた九源の葉にそのままその火を灯した。
口いっぱいにその煙を吸い込む。
トゲトゲした煙の刺激が覆う。
鼻孔全体に甘く香ばしい香りがこもる。
その甘ったるさが全身に纏わりつくように漂う。
足元の雲海を見ながら、ぷう、と肺に入れた煙を吐き出した。
口元に笑みが浮かぶ。
数千年に渡る過去の記憶。
くははは。
我ながら乙女なことじゃ。
「コトワさま、好かんって言ってませんでしたか?」
「なに、この景色に当てられただけじゃ。たまには良い、と思い直してな」
不思議な顔をしている小鬼は放っておき、きょろきょろと落ち着かずにいる鬼どもの方を向く。
「船の動かし方はごらんのとおりだ、あとは好きにやるがよい。帰るのであれば逆の手順でやるだけじゃ。わたくしはおぬしらの面倒までは見れんでな」
~二殿の報告書~
祭事も折り返しを迎え、十日を超えた。
鏡の儀は大方を終え、遠方のいくつかの村の到着を待つばかりだ。
ここで選ばれた子たちを、数年後の春には宮で迎えることになるのだろう。
二宮はり様の特別看護は終日盛況である。
こちらは最終日まで落ち着くこともないであろう。
一宮あさめ様が時間を見ては三殿せなの病室に顔を出しているらしい。
武官付きを決めたことに責任を感じている様子。




