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【沈黙の車】

「……ふぅ」

ここまで連日けが人や病人に相対して、神器を振るい続けるのも楽ではない。

しかし、こうまで私の力が求められているのを目の当たりにすると弱音を吐いてもいられない。

祭事も五日目。

本日は、再び舞台での全体祈祷が行われることもあり、特別看護は行われない。

ある種、私のために設けられた休みのようで気が引ける。

久しぶりに日が昇るまで寝床で過ごし、昨夜の寝酒がまだ抜けきらないような頭で、朝食に用意されている棒状に切った根菜をぽりぽりとかじる。

「あ、はり様、お目覚めですか。本日はごゆっくりお休みくださいね」

朝食の盆を下げさせようと部屋から出ると、通りかかった巫女から声を掛けられた。

「ええ、本音を言うと、無理はできないから、素直にそうさせていただきますね」

そう笑顔で答えたつもりではいるが、まぶたは重く、口角が上がり切らないのを感じる。

その巫女が盆も下げてくれたので、一人自室に戻った。

私の神器で、自分の疲れも取れれば良いのに……。

誰も見ていないことをいいことに、だらしなく再び寝台に横になり、天井を見上げる。

差し込むはずの朝日はもう上ってしまい、梁の影だけが重なって見える。

寝ころんだまま、棚の上に納めてある自分の神器を見つめる。

あの神器であれば、こんな私の疲れ、簡単に取れるのでしょうか……。

取れるはず、なのよね、あの九宮(くぐう)様の言葉が正しいのであれば……。


────。


日も暮れ、勤めも終えたあの日。

九宮様の住まわれる門前町の別荘を訪れた。

奥の間に通された私は、九宮様の座る畳の前に手を付いた。

「……九宮様」

「ほう、珍しいのう。神織の癒し手、か。何用じゃ」

時折、ちり、ちり、と音を立てる細い明かりが、ゆらゆらと九宮様の幼い横顔を照らしている。

九宮様の長い髪の艶が揺れると共に、その黒髪を影に溶かす。

「すい様からお聞きしました、『神技』について、伺いたく参りました」

「……ほう」

時候の挨拶も抜きに単刀直入に要件に入った私に対して、九宮様は興味深げに眉を上げた。


「神気を纏い神器を振るう、神技。わたくしの『癒しの力』を、さらに広く届けることができるのでしょうか」

すい様によりお聞きした「神技」の妙。

この力をさらに増すことができるのであれば、どれだけの者が救われることになるだろう。


「そこまで聞いておるならば、結論から言おう。できる」

思わず目が開くのを自分でも感じた。

「その技、お教えいただけますか?」

我ながら手ぶらで押しかけて図々しいとは思うが、そのような余裕を持っていられなかった。

山が消え、天が裂ける。

そのような事態には関わらず、人は病み、老い、死んでいく。

神より授けられた奇跡の術を持ちながら、目の前の怪我ひとつを直すことで精いっぱいな自分に、限界を感じていた。


「できるというのは、神器の能力としては可能、という意味じゃ。今のお主にそれができるようになるかどうかは分からん」

「それでも、目の前のものしか救えない、そんな私は、もう嫌なのです」

そう訴える私に、九宮様はぴしゃり、と言い放った。

「うぬぼれるなよ、巫女よ」

思わず身体が震え、腰に提げた鈴が、ちりり、と音を立てた。

九宮様の目つきは変わることなく、冷めた様子でこちらを真っすぐ見据えてくる。


「お主の世界はお主の目の前にしか広がっておらぬ。見えぬところもその手で救うなどと、軽々しく言えるものではない」

「しかし……では、一体どうすれば!」

「……。」

食い下がる私の目を、九宮様はじっ、と見つめる。

そして、腰から下げている私の神器に目を向けた。


やがて、目を背けると、こちらも見ずに、ゆっくりと語りだした。

「神技、それは世の『理』に作用するものじゃ。普段お主らが神器の力として扱っているものは、その余波程度でしかない」

「余波……」

口の中で繰り返す。


「お主の神器──天津玉鎮魂鈴あまつたましずめのすず、それは『ナオす』特性を持っておる。壊れたものを直し、病やけがを治す。あさめの持つ『調和』に近いものだが、もっと根源的で後天的なものじゃ」

我知らず、腰の神器の柄に手をやる。

ナオす、チカラ。

息を飲む。口が乾いている。

「後天的、と言いますと……?」

声が少しかすれた。


「『壊れていない』ものは『ナオせない』。何かが起きてからでなければその力は発揮されん」

「……」

九宮様は視線を戻し、何も答えることができなかった私を、感情のない瞳で見つめる。

「つまり、お主が、『対象が壊れてしまっており、ナオす必要がある』という認識が必要なのじゃ」

「認識、ですか」

後天的、何かが起きてからでなければ。

どこまで行っても、私は……。


「その認識を持つことが、神気を纏うことに他ならぬ。己の意識の段階を引き上げ、俯瞰的に事象を見ること。古の巫女であればだれでもできたことじゃ」

「意識の、段階を、上げる……そんなことが……」

神気を、纏う……。


「その気になれば、神織の歪んだ体制、すら直すことができるかもしれんな。もっとも、お主にこの体制が『壊れている』と思えるかは分からぬが」

そういたずらそうに言う、その口の端がわずかに上がっていた。


────。


神気を纏う、という言葉。

あれから何度も反芻しているが、未だに納得のいく感覚はつかめていない。

壊れている、ですか……。

……なんの、まだまだ!

ふん、と気合を入れて寝台を跳ね起きた。

北部で倒れたという巫女、三殿(さんでん)せなさんの話も聞いている。

痛ましい限りだ。

到着次第私の元に回されてくるという。

ダラダラしてはいられない。

今日はお勤めもない分、祭を外から見物して、心だけでも気分転換しなくては。

寝台の脇に立つと、自分の舞の一節を、心で拍子をとりながら身体を動かした。

ふふっ、まだまだね。


内務用の簡素な服に着替え、昼食は外で済ませるつもり、と通りかかった巫女に言い残して宮の門へ向かった。

門の付近ではこれから鑑の選定を待つ子供たちが列を作り、それぞれに緊張した面持ちで辺りをきょろきょろしている。

笑顔で手を振りながらその脇を通り過ぎた。

あさめ様をはじめ、他の宮の巫女たちはこの鑑の儀のため、代わる代わる大神殿での祈祷をしている。

特別看護という自分にしかできない役目が別にあるとはいえ、他の皆を手伝えず、少しの後ろめたさがある。

村々を回り癒しを施すことはあるが、こうして大々的に受け付けることは宮の祭事の中でもそう多くはない。

それだけでも、この祭事がいかに重要で、成功に向けて皆さまの力が注がれていることが伺える。


門を出るのにも一苦労であった。

門へ顔を出すと、そこにいた群衆が一斉にこちらに手を振ってくれる。

押し寄せる人が門内になだれ込まぬよう、警備する武官が立ちふさぐような始末だ。

まあ、せっかくお祭を見ようかと思ったけれど、どうしましょう。

警備の武官達との多少の問答の末、二名の武官様に囲われる形で人ごみをくぐり抜けた。

人通りの落ち着く場所まで来たところで、苦笑いしながら再び警備に戻って行く武官様方を見送った。


宮の門前や特設舞台から外れた通りでも、出店や出し物が並ぶように連なっている。

団子や餅を焼く香ばしい香りが辺りに漂っている。

普段も賑やかな門前町が、この祭事でさらに盛り上がっているのを目にして、胸の奥にくすぐったさを感じる。

自分のお勤めが、この盛り上がりの一部となれているなら、嬉しい限りだ。

おもちゃの風車を手に駆けていく子供、赤子を背にしたままそれをのんびり追いかける親子。

笛を鳴らし、太鼓を叩く旅芸人の二人組に、それを取り囲む若者たち。

その旋律に合わせて陽気に手を叩くご老人と、寄り添うように立っているご婦人。

通りを歩きながら頬がゆるんでしまう。

この喧噪が、通りの先までも、どこまでも続いているような。

この街を包む空気そのものが明るく、輝きを放っているような。


ガラ……ガラ……ガラガラ……


焼き立ての団子の香ばしさが、不意に、埃と、獣の汗。

そして、鉄の匂いに塗りつぶされる。


ぶふぉ……


黒い長い毛をした牛の鼻息が低く響く。

牛に引かれた車が、通りの真ん中をゆっくりと、進んでくる。

神織(かみおり)である」

御者の低い、低い声が、腹に響く。

「道を、道を空けよ」

御者は、神織の紋の入った紙を前に掲げている

薄茶けた泥に汚れた御簾(みす)を下げた車が、通り抜けていく。

振り返り車を見る人々の目は、場違いな物を見るように訝しげだ。

はりは、動くことができなかった。

急に、周りの音が遠く感じる。

目は通り過ぎる車の背から離すことができない。


車はすぐに人並に囲まれ見えなくなった。

宮へ向かったのだろう。

すぐ脇に出ていた出店には磨いた珠の(かんざし)が並んでいる。


──コワれている。


祭事の最中は極力車は通らぬように封鎖されていたはず。

ぴかぴかと輝く簪の一つに手を伸ばす。


──コワれている。


あの泥、牛の汗、御者の疲れた目付き。相当遠くから引いてきたのだろう。

珍しい青色のころころとした珠が提げられた、長めの簪。


──壊れている。


鉄の、匂い。


気づけば腰から下げた神器を手に掴み、駆けだしていた。

袴の衣擦れに合わせて手の鈴が微かにちり、と音を立てる。

急に立ち止まった男を避けきれず、肩がぶつかる。

「ごめんなさい!どうぞお通しください!!」

通り抜けざまに謝りつつ、足を止めることは無かった。


巫女装束で通りを駆け抜けるその姿に、周りの奇異な視線が刺さる。

「あ……はり様……」

「なんだぁ……慌てて……」

ざわめきの一言ずつが耳に入る。

周りの視線も、宮へ戻らなければという焦燥が覆い隠す。

門が近づいたところで、再び大勢に囲まれ動きが取れなくなりそうになる。

「お通しください!」

声を上げ群衆を押しやり、門の内に飛び込んだ。


先ほどの車が、ゆっくりと二の門を抜け、その先で止まる。

それを見て立ち止まり、呼吸を整える。

早足で歩きながら、二の門をくぐると、車の側面に回り、地に降りた御者の前へ回りこんで告げた。

二宮(にのみや)の、はり、です」

御者は目を見張るように瞬きした。

「は、はり様……!こちらに……」

と、かすれた声で車へ案内する。

御者により、御簾がゆっくりと上げられる。


細い、白い腕が、力なくだらりと垂れ下がっている。

簡素な巫女服を着せられた、華奢な体。

髪は梳かされず乱れたまま。頭の付近には簪が。

車の中に無理矢理据え付けられた寝台に、少女が寝かされていた。

「……せなさん、ですね?」

少女からの返事はなく、御者がゆっくり頷いた。

垂れ下がった腕にそっと手をやり脈をとる。

目を閉じて、一つずつ数える。

と、と、と、と。

脈が正常にあることを確認して、すぐに宮の者を呼びつけた。

せなを宮の医務室の寝台へ運ばせる。

御者をよく労うように言いつけた。


医務室の戸を閉め立てると、外の慌ただしさと切り離された。

寝台に横たえられたせなを改めて検分する。

現地で武官が治療を施したのか、身体は清められている。

身体の至る所が包帯や布当てなどで処置されている。

手当てをほどき、あちこちの擦り傷、切り傷、火傷の跡を確認する。

武官の行った処置は適切で、どの傷も致命傷には届かないものだ。

神器を構え、息を整える。

傷を、癒す。

鈴を振る。

鈴の輝きが、その場に残り、漂う。

傷口が仄かに明るくなったかと思うと、その明かりと共に傷口も跡形もなく消え失せた。

「せなさん……?」

どうぞ、お目覚めください。


脈は少し遅いが、正常の範囲。

呼吸もしている。

正常。

病のような跡もない。

正常。

眼球の濁りもない。

瞳孔も動いている。

「せなさん……?」

コワれて、いない。

なぜ、目を覚まさないの?

腱を叩き反射を見る。

反応はする。

意識が無い。

この状態は正常ではない、分かってる。


思い出されるのは、あの五匠(ごしょう)の「人形師」。

あの時も何も手を施せず、その身を安置することしかできなかった。

姿を消した人形師は、起き上がったのだろうか。

それとも、何者かに連れ去らわれたのか。


せなの顔を見つめながら、再び腕を振り、すずを鳴らす。

しゃらり、しゃらり、しゃんしゃんしゃん……。

鈴は乾いた音を立てるが、目の前のせなはピクリとも動かない。

胸がきゅっと締め付けられる。

分かっている。

壊れていない物は直せない。

分かっている。

でも……!


窓の外から、祈祷の合図の太鼓が、空気を震わせ鳴り響いてくる。

~二殿の報告書~

祭事の五日目。

中日の祈祷が行われ、殿位の舞が奉納されその後の祭事の無事を祈る。

端役として参列。

つつがなく終えた。


北方へ遠征に出ていた、三殿せなが負傷し帰投。

軽傷。

しかし、はり様の看護もむなしく、依然として意識不明。

その他の損害報告は今のところ無し。

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