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【目覚め、払暁の雲】

北の関所。

柵を抜けて関の中に入ると、部隊の者たちは穏やかな顔つきになった。

見知った顔がいたのか、外に立つ者と会話をしている人もいる。

部隊を率いる雨月(うづき)すい様は、一人馬を降りると建物の方へ消えて行った。

耳馬の背に乗ったまま、三殿(さんでん)の巫女、せなは目を見開いて辺りをしげしげと眺めた。

これまで抜けてきた関所に比べて、一回りも二回りも大きな施設だ。

二重の柵に、高いやぐら。

遠目に見るよりも、近づくとその高さに圧倒される。

外に梯子はなく、内階段から上がるようだ。

そして、関の脇に立つ二階建ての建物。

ここが北方の拠点なのは見るからに明らかだ。

明日の朝、この関を発ち、いよいよ警備任務だ。

明日。

ちょうど宮で祭事が始まる日と重なる。

賊は、敵は姿を現すだろうか。

私は、きちんと役目をこなせるだろうか。

腰に提げた魔具に目をやった。

昼を過ぎた日差しが、魔具の装飾に当たりぴかぴかと光を返す。


やがて、すい様が建物から数人を引き連れて出てきた。

肩に差した羽飾りを見ると、関所の偉い人だろうか。

すい様とその場で一言二言話していたかと思ったら、こちらに向かって来る。

慌てて馬から降りた。

ここまで何度も乗り降りしてきた。慣れてきたかもしれない。

「巫女さま。遠い所、ようこそ、この北の地までお越しくださいました」

慇懃に挨拶をする関所の長に、へどもどとお辞儀をして礼をする。

そのように畏まられると困ってしまう。

宮の巫女はこんなに敬われる存在なんだろうか。

一社の位の時、あくびを噛み殺しながら私のお祈りを聞いていた村の役人達を思い出しながらそう思った。

「巫女さまには部屋を用意させましたので、今夜はそちらでお休みください。慣れない馬旅でお疲れでしょう」

「あ、ありがとうございます。えっと、でも、他の皆さんは……?」

その質問には横に立つすい様が答えてくれた。

「我々は、関を抜けた先でこれまで通り野営します。部隊の全員を抱えるほどの施設ではないですからね」

「え……私だけ、お部屋をいただくのは悪いですよ」

すい様は黙って首を振る。

「ここは素直にお従いください。明日からが本番ですからね。特別扱いは今日まで、ですよ」

そうにこやかに笑って、私を長に預けて離れて行った。


あてがわれた部屋は簡素なもので、寝台の脇に文机と、低い腰掛があるだけだ。

開け放たれた窓からは、宮よりも涼しい新鮮な風が入ってくる。

着替えなどの私物を入れた袋を寝台の脇に下ろし、腰掛に座る。

すぐ立ち上がり窓から外を見ると、我々の部隊が荷物の積み下ろしをしているところが見えた。

明日以降の分の食料を積んでいるのだろうか。

新たに、牛の引く車も用意されている。

明日からが本番。

すい様の言っていた通りかもしれない。

ここまではただの移動、だったか。

部屋の戸が叩かれ振り向くと、お武官の一人が茶を入れて持ってきてくれた。


夕食までにはまだ時間があったので、水場を借りて洗濯させてもらったり、高いやぐらに上がらせてもらったりして過ごした。

北に続く街道を、高い所から見る。

夏前の少し煙る景色に、思わずため息が出た。

起伏のある丘陵地帯をうねる様に続く道。その左右に広がる草原と林。ところどころ覗かせる道沿いの小屋の屋根。

そして、その背後にそびえる青々とした山々。

遠くまで来てしまったものだ。


夕食は、部屋に用意された。

洗濯ものを縄で干して、より狭くなった部屋の中で、温かい汁を飲む。

ゴロゴロ入ったお芋に、味噌を溶いて濁った汁物。

いも味噌、というお料理らしい。

「この辺は芋だけはたくさん取れますから」とは食事を運んでくれた武官様のお言葉。

香ばしい味噌の香りと、ほろほろと口の中で崩れるおいもが、緊張をほっと解きほぐす。

メインディッシュの焼いた鹿肉。脂身の少ない赤身に、粒が見えるあら塩がまぶされている。

焼きたてだからか、口で柔らかく引きちぎることができる。

その肉々しさを味わいながら、固く炊いた麦と米を口に入れる。

いい仕事をするには、食事がだいじ!

香ばしいお肉の味が、元気と気合を入れてくれる。

武官様たちの食事には、ちゃんと武官様向けのおいしさがあるんだな、と感じた。

デザートに添えられた、夏前の酸い果実を齧る。

このすっぱさが疲れた体に染み渡る。

満腹になり、膳を下げてもらうと、寝台にどでんと横になった。

何日かぶりにふかふかのおふとんで寝れる幸福と、今日も野営している部隊の仲間をそれぞれに思う。

油がもったいないので明かりを吹き消して、窓から差す月明かりで見慣れぬ梁を眺める。

明日は、また馬の背でゆらゆら揺られるんだ。



一帯を見渡せる岩場に降り立つと、手にした帽子を被り直した。

あれが目標の関所、か。日が昇らぬ内に動くのは定石だが、如何せん眠い。

「……始めるか」

そう呟き、杖を両手で掴む。重さを確かめるように二度、持ち直す。

呪文の詠唱。仰々しいのであまり好きではないが。

低く、腹に響かせる。

《果て無き井の底に揺蕩うものよ。果て無き惑いをもたらさん。

 果て無き地の底に彷徨うものよ。果て無き微睡みをもたらさん。

 井より出でよ、天を覆えよ。其は果て無き迷宮とならん──》


《──地に満ちよ》



朝。

跳ね起きて、口元のよだれをぬぐった。

いつの間にか眠ってしまっていた。

あまりの熟睡ぶりに、寝過ごしたかと思ったが、外はまだ夜が明ける前だった。

おふとんの魔力、恐るべし。

魔力?

そういえば、目の前を流れる魔力に違和感がある。

雨、だろうか?しかし音はしない。

念のため、窓から外を覗いてみる。

やはり、辺り一帯の魔力がゆるやかに、波打っているようだ。

自然現象ではあまり見ない。

これは……どこか遠くで大規模な魔術が使われているような……。

この世界で……?

とにかく、異常な事態な気がする。

干していた衣服をふくろにしまい込み、急いで身支度を整える。

簪を差したまま寝コケていたので髪の毛が変な方向に跳ねているが、仕方ない。

部屋を飛び出し、これから向かう先、北の空を見上げ、思わず固まった。

重い、重い雲が地に満ち、昨日まで見通せた空を厚く遮っている。

そして、何よりも。あの雲は「魔術」だ。

北の空全体を禍々しく蠢く魔力が覆いつくしている。

思い出したように再び駆けだす。

馬、私の馬は……いや、走った方が早い。

すい様の野営地、北に抜けたところと言っていた。

迷わず腰に提げた魔具に手を伸ばす。

身体力強化ブースト

脚で地を蹴り、柵を飛び越える。

そのまま飛ぶように街道を駆け抜ける。


野営地からはもう炊事の煙が上がっており、すぐに見つけることができた。

両足で地面を滑りながら体を止める。

そのまま野営地に駆け込みながら、あっけにとられている部隊の者に叫んだ。

「すい様!!すい様を呼んでください!!」

一番近くの武官は、何のことだか分からぬまま、すい様を呼びに立った。

「皆さん、皆さんも起こして!!笛、笛です!!」

「巫女様、落ち着いてください。敵襲ですか?」

見かねた武官が立ち上がりこちらに来る。

その首から下げた笛を見ると、思わず奪い取り、躊躇なく吹き鳴らした。

高く長い音が辺りに響くと、各天幕からざわめきが起き始める。

それとほぼ同時にすい様が駆け寄ってきた。

すでに身支度を整え、刀を背負っている。

「せなさん、何事ですか?」

「魔術です!あの、北の雲!!」

「雲?確かに、曇ってきて視界は通りませんが……」

「あの『雲』が魔術なんです!!」

「……雲が?……どういうことですか?」

「私は、『見える』んです!」

「敵があそこにいる、と?」

「あの中で何が起きているかは分かりません、が……おかしいのは確かです!」


そこまで聞いた、すい様の動きは早かった。

すい様が自ら鋭く笛を3度鳴らすと、出てきた武官達にすぐに身支度を命じる。

始めに用意を済ませた2名を先行して出発させると、残った者たちの一部と荷物を残して部隊を編成した。

すぐに馬にまたがらせ、二列の隊列を組ませる。

「おそらく北中の関所だ!街道を駆け足で向かう!抜刀しろ!」

叩き起こされた武官達は眠気と戦いながらも、慌ただしく動き出す。

馬上で隊列を確認しているすい様の隣を、神器の力を使った不慣れな浮遊で追いかける。

「た、多分現場は霧の中です!」

そう補足すると、すい様はすぐに全体に呼びかける。

「現場は霧で視界が悪い!手前で一度、密集隊形に組みなおす!!出るぞ!!」

その掛け声とともに、笛の合図で部隊は一斉に動き出した。

馬蹄が上げる土煙が夜明け前の街道に舞う。

北にかかる重い雲を、夜明けの光が不気味なほど赤く染め上げる。

~二殿の報告書~

氷像警備の際、北方の村から来たという参拝客より。

「道中、短刀党の影もなく、実に安全に参ることができた」と、賽銭と共に感謝を述べられた。

武官より共有されている「北方の治安悪化」という情報と、民の体感に大きな乖離がある。

嵐の前の静けさか、あるいは情報が操作されているか。

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