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【祝祭の色彩:桝きり】

出番を終え、舞台袖へ下がった。

湿気た空気のなかで首筋を流れる汗が気持ちが悪い。

重い衣装を着替えたい。

息を整えてから舞台袖を抜け、役人たちが作る宮への通路へ出る。

群衆に向かい再び笑顔で手を振りながら、足早に抜ける。

二宮(にのみや)(ますの)きりのために用意されていた控室に着き、重い袖を外してようやくスッキリした気分になってきた。

用意されていた腰掛に浅く座る。

ひじ掛けに腕を乗せて深く息を吐いた。

はりが付けてくれた振りで、表現したいことはできた気がする。

少し硬くはなったが、本番の舞台としては上出来だろう。

二つ後には、はりの舞の番だが……。

またあの群衆をかき分けて覗きに行くのも億劫になってきた。

打ちのめされるのも分かっていると、なおさら足が重くなる。


巫女の手伝いを受けて重い衣装を脱ぎ捨て、身軽な服に着替える。

きつい帯と共に、少しもやもやが解けた気分になる。

片づけを頼んで、自分で甕の水を汲んだ。

一息に飲み干して、もう一杯。

茶碗を持ちながら部屋を抜けて風の通る廊下へ出た。

湿気た風が頬を撫でる。

宮を離れてしばらく経つが、こちらの空気はこんなものだっただろうか。

廊下の向こうから話声がしてくると思うと、やってきたのは三宮(さんのみや)雨月(うづき)さいと、共に姿を現した二宮黒曜(こくよう)らんだ。

「お疲れ様、さい。あなたらしい、素敵な舞だったわ」

こちらから声をかける。

「ありがとうございます、私も見させていただきました。西と東の融合した素晴らしい舞でした」

さいは照れくさそうに手を合わせながらそう言う。

「……それに比べて、らん様。なんですの、あの舞は。あまりにも常識外れではなくて?」

「あら、西のお猿さんには刺激が強かったかしら?」

言い返そうとしたところで、小走りに駆けてくる者がある。

舞の衣装に身を包んだ二宮はりだった。

彼女は、らんの前に駆け寄ると、勢いよくその手を取った。

「らん様、素晴らしい舞でした……!私、私なんと申し上げて良いか……!!」

「あら、はりにそこまで言われるとは、悪い気はしないわね」

「ええ、新たな境地を見た気がいたします。舞、とは、もはや一人で行うものではないのですね。その場にいる皆で一体となって奉納する……さらに目指す先が生まれました。ありがとうございます」

「え、ええ……刺激になったのならよかったわ……」

あのらんが気圧されている。

少し小気味が良い。多分本人もそこまでは考えて無かったろうに。

はりは「もうすぐ出番ですので、これで……」と名残惜しそうに宮の門へ向かって去っていった。

それを見送ると、さいが少し頭をさげ、こちらの顔を覗くように見る。

「これかららん様とはり様の舞台を見に行くのですが、きり様もよかったらご一緒にいかがですか?」

この小動物のような動き、どこまでも人を虜にする。

「……私は、少し熱気に当てられたようだから、休んでようかと」

「まあ意気地のない。おおかた、はりの舞と自分の舞を見比べてしまうから気が引けるのでしょう?」

らんの指摘は図星である。

おくびにも出さぬよう、手をひらひらとさせて見せる。

「あなたの気持ちを私に投影しないでくださるかしら?ちょっと人ごみに酔っただけです。少し休めば良くなりますわ」

「では……」と、さいは振り返りつつも、らんに引っ張られて門へと向かっていった。


控室を後にし、巫女の(くるわ)の自分の部屋へ向かう。

少し落ち着きたかった。

廓の中も祭事に関わる巫女たちがあちこち動き回って忙しそうにしている。

自分の部屋の戸を閉めると、祭の賑わいから一人切り離された気分になった。

長椅子に横になる。

本当は寝台で寝転がりたい気分だったが、誰かに見られて気を使われても困る。

数か月も前から、張り切って宮まで出てきたものの、こうして出番が終わってしまえばあっけないものだ。

西宮に残してきた面々の顔を思い浮かべる。

土産の品は何がいいだろうか。

こちらで出来る根回しはやり切ったはずだ。

……たける君との面会だけは不発だったが。

宮で晴れ舞台を見せた西宮として、堂々と凱旋すればいい。

いいはずなのだが。


舞の後の疲れもあってか、うとうとしてしまっていた。

日も随分傾いでしまっている。

体を起こすと、行く当てもなく部屋を出た。

廓の門を抜け、宮の中層から上層へ。

宮の中がこう閑散としているのも珍しい。

誰ともすれ違わない廊下を、追いかけっこなどして遊んだ昔を思い出しながら歩く。

上層にある舞台へ出た。

欄干に身を寄せ、眼下に広がる景色を眺める。

すでに日は山影に隠れ、残光が町の屋根を覆う。

町ではこうこうと明かりが灯され、笛や太鼓の音が遠くから響いてくる。

賑わいを見せる門前町の喧騒と、一人こうして風に吹かれる自分が対となる感覚。

祭は続くが、自分の役目はもうあるまい。


「きり……!!」

ふいに名を呼ばれ、肩を跳ね上げた。

風に踊る前髪を抑えながら振り向くと、思わず目を見張った。

そこに立っていたのは鳥陽たけるである。

「こんなところにいたのか……」

息を整えながら、そう言うと、ゆっくりこちらに歩み寄ってきた。

「祭は見なくてよかったのか?」

「……私は、ここでは部外者、ですから……」

そう答えるきりの隣に来たたけるも、欄干に身を寄せて町を眺める。

しばらくそうして、二人無言で町を眺める。

やがてたけるはその身を起こすと、帽子を取りながら、こちらに向き直った。

「こないだは、ちゃんと話せなかったね」

その口調は、この数年の断絶を無かったものにする、やわらかなものだ。

頬に浮かぶ微笑みに、あの日の面影が宿る。

「あの日、西宮になるのは嫌だって、泣いてきた子が、こんな立派になっててさ。正直、驚いたよ」

「たける、くん……」

うまく言葉が出てこない。

ただ、目頭が熱くなった。

たけるは、再び町に視線をやる。

「おれは、あの頃から成長してるのかな……。お前に負けないようにって、頑張ってるつもりだけど、さ……」

「すごく、すごく立派になってるよ……。もう、私のことなんて忘れちゃったのかと思った……」

そう答えるきりには、「西宮さま」の面は跡形も残っていない。

ただ、涙がこぼれないようにするのが精いっぱいだった。

「おれがあの時言ったこと、まだ覚えてるか?」

たけるの目が、きりの目を真っすぐ見つめる。

こぼれそうになる涙が、その輪郭をぼやけさせる。

「……うん、忘れたことない」

「なら……待っててくれよな……」

一筋の熱い雫が、頬を伝った。

わななく口元を、必死に押さえつける。

両手で鼻筋を抑える。

うつむいて涙をこらえる。

次に顔を上げたときには、もう笑顔だった。

「ふふ……待つのは得意なのよ……?『鉄火場』は寝かせて作るんですもの」

その笑みに、たけるも素直に応じて笑った。

「ははは、頼もしいな」

二人の間を通った湿気た風が、頬を伝った涙の後を心地よく撫でる。

祭は始まったばかりだ。

この際だから、宮に出てきた仙境中の名物を買って帰ろう。

~二殿の報告書~

神事における舞。

巫女の重要な職務の一つだ。

民へ動きの美を見せることでもって神への奉納とするもの、とはり様は言っていた。

祭における民衆の楽しみの一つにもなっている。

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