【祝祭の色彩:氷の巫女】
時は祭事の二月ほど前にさかのぼる。
一宮あさめは薄暗い枢機庵の席に静かに座っていた。
五家の当主たちが、顔を突き合わせる。
ある者は腕を組み、またある者は組んだ手で顎を支える。
これから行われるのは、仙境を揺るがす一大事を決める、最重要会談である。
話は、信仰心に篤いと言われる沓掛一斎が顎に手を当てながら口を開き始まった。
「ほっほ、職人街の氷屋が『氷の像を納めてはどうか』という話になってのう。協力することにしたわい」
「氷の像、ですか。実現できれば、注目を集めそうではありますが……。祭事の間もちますまい」
現実的な視点で返すのは雨月霖雨だ。
「そこでご相談なのじゃが、巫女様のお力でなんとかならぬものかのう?」
突然話を振られ、たじろぐ。
「氷を……ですか……そのようなこと……」
ふと、ある顔が浮かんだ。
「できなくは、ないかも、しれません……」
「おお、さすがは奇跡の代行者さまじゃ。なんとか手配いただけないじゃろうか」
沓掛一斎は無邪気に目を細め無茶な要求をしてくる。
そこに鳥陽たけおみが乗っかってきた。
「神器の奇跡を知らしめるよい機会にはなりそうですな」
「いえ、しかし、そうなると祭事の進行にも少々影響が……」
なんとか矛先をかわそうと、言いよどむ。
「そのような実のないことに人を割いている余裕はありますまい」
黒曜宗厳の助け舟が入るが、沓掛一斎は動じない。
「なに、最初の一日もてばよいのじゃ。二日目以降はかえって溶けてしまった方が巫女様の奇跡のありがたみが分かるじゃろう」
一日で良いのなら……。
「彫像であれば職人衆の技術を見せつけることもできますなぁ。よいご提案かと」
それまで黙っていた桝安鎮までも賛同した。
「いちど、持ち帰って諮らせていただきます……」
そう答えるのが精いっぱいだった。
枢機庵を後にし、殿の位の者たちが詰める執務室へ足を向けた。
ため息が出るのを抑えられない。
目的の人物は、祭事がらみの書類とにらみ合いながら、執務室で卓に向かっていた。
「……すずささん」
非常に重たい口を、無理矢理こじ開け呼びかける。
「祭事当日のあなたのお役目だけれど……」
「はい、殿の舞の後ははり様の特別看護の整理、となっていますが」
分かっていた。基本の割り振りは私がしたのだ。
「それが……とても言い出しづらいのだけれど、全部無くして、ある場所にいてほしいの……」
「それは、非常事態ですか?」
彼女の返事は率直だ。
目を閉じ、心を無にする。
「沓掛のおじいさまが……職人街と組んで大氷室で氷像を作らせるらしくて……」
「ああ……。氷室代わり、ですか……」
察しが良くて助かる、が。
「ごめんなさい!私も反対はしたのだけれど、せめて1日もたせられないか、と……」
「まぁ……構いませんが……はぁ」
隠そうともせず嫌な顔をしている。
その気持ちも分かるだけに、心が痛い。
「祭壇に奉納された像の脇で、像が溶けないように保ってもらえばいいのよ……お願いできる?」
「ええ、その程度であれば、横で見ているだけですし……」
気の進まない願いを、快く、引き受けてくれる部下に感謝である。
◇
祭事当日の朝を迎えた。
清めの儀式を他の巫女たちと共に済ませると、一人、日の出前の街を歩き、職人街へ向かった。
既に門前町では出店の準備が進められ、人の動きが始まっている。
町の向こうの山に、日が差し出すのを見て、これから始まる戦いを予感し、ため息をついた。
門前町を過ぎ、職人街を抜け、事前に言われた通りの崖上の場所まで行くと、鉢巻きをした男が出迎えた。
「嬢ちゃんが、氷の番っていう巫女様かぁ!?」
「ええ、言われて、まいりました」
「そんなすげぇことができるのか?」
「ええ、まぁ……」
不本意ながら、できます。
「これが『大氷室』ですか。この中に像が?」
「大」氷室と言うからには、巨大な倉庫かと思っていたが、そこに在るのはこじんまりとした木造の小屋だった。
しかし入口には確かに「大氷室」と筆文字風に彫られた板が掛かっている。
「なに、こいつは入口よ、室は地下にあるのよ。さぁ、像は地下だ。中はさみぃぞ!」
小屋に入ると、二・三人の男が待機していた。
部屋の真ん中は木の柵で囲われ、床面には地下への入口と思しき板戸がある。
男は、柵を退け、その分厚い板戸を開けると、地下への階段が顔をのぞかせた。
男に付き従い、らせん状の階段を降りると、後から二人の男もついてきた。
ひんやりとした空気が階段を上ってくるのを感じる。
下りきった所で、再び分厚い戸を開け中へ入る。
そこは、やはり想像していたよりも小さな蔵だった。
宮様たちの使う畳で言えば、十枚も敷ければ良いほどだろうか。
部屋の中央には何やら布で覆われた塊が。
部屋の隅には藁にくるまれた氷塊が山ほど積まれている。
「……大氷室、という割にはこじんまりとしたものなんですね」
率直に感想を述べる。
「この部屋のために、五倍はどでかい穴が掘られてるのよ」
鉢巻きの男が蔵の中央の塊から布をどけると、背の丈を越える荒削りの氷像が姿を現した。
「へぇ……。これが像ですか。大したものですね」
聞いているのかいないのか、鉢巻きの男は後から来た者たちに指示を飛ばす。
「壊れねぇように運び出すぞ。嬢ちゃんは溶けねぇようにお祈りしとくれ」
「はぁ。分かりました」
氷が解けないように冷たさを「保つ」。
胸に提げた神器──封神匣に意識を向ける。
男たちは氷像を担ぐと、掛け声とともに階段へ運び出していく。
再びあの重たい戸板を閉め、地上へ戻ると、鉢巻きの男が残りの者たちに促した。
「さあ、仕上げちまいな!野郎ども!」
男たちが氷を磨くのを見つめながら、ふとした疑問がわいてくる。
「しかし、この時期にまでこんな大きな氷が残っているだなんて。カネでなんとかなる、とも思えませんが……」
もう春はとうに過ぎ、夏に差し掛かろうという季節だ。
付近に氷山があるわけでもなく、純粋に不思議だった。
「そうか、嬢ちゃんは生まれる前のことだな。ここに氷を保管するために百年かけた大工事が行われてるんだぜ」
「百年……」
「そのおかげで、職人街にも、宮にもいつでも氷が届けられるってわけさ」
「私は、ほとんど目にしたことはありませんが……」
偉い人たちは夏場でも冷たい氷がお目に掛かれるのだろう。
縁の遠い話だった。
「しかし嬢ちゃん、すごいな!氷室から出したのにこの像、汗一つかきやしねぇ!」
真っすぐな感心を向けられるのは慣れていない。
眼鏡を抑えながらうつむいた。
「まぁ、これが私のお役目ですから……」
ごろんごろんごろん。
台車で像と共に運ばれる。
出来上がった像は布を掛けられ、台車にがっしりと固定されている。
その横で車に揺られるがままに顎を揺らす。
再び門前町まで帰り着き、特設舞台の脇まで来た。
舞台では五家の雨月家当主が熱弁を振るっている。
舞台周りは既に群衆であふれ、通り抜けるのに苦労が必要だった。
台車から降り、像の設置を指示する。
「はい、はい、その祭壇の、脇に。はい、そちらです」
「わっせい、わっせい」
威勢のいい掛け声とともに像が据えられる。
布を外すと、見事な氷の巫女像が姿を現した。
前を通る群衆からも、おお、と声が上がる。
手を掲げ舞う姿を象った、動きのある見事なものだ。
布越しでも溶けずに済んだことにほっとした。
「職人街の皆様のご祈祷は一番最初ですので、はい。そちらに、お控えください。ご案内を、頼みます」
近くにいた役人たちに、車を引いてきた職人たちを任せると、自分用に与えられた腰掛に座り、ようやく一息ついた。
「すずささん、ご苦労様。見事な彫像ね」
一宮のあさめ様だ。
お忙しいだろうにわざわざ顔を出してくれるとは。
「はぁ、私の今日の恋人です……明日には逃げられてしまいますが」
「ふふ、そう腐らないで。あとで差し入れを持ってこさせますから」
「ええ、お願いします……」
役人たちに囲まれて宮へ戻っていく後姿が群衆に飲まれ見えなくなるまで見つめていた。
氷の巫女像を眺める。
その冷たい瞳で何を見る?
氷の像も、大して意識せずとも維持できるようになってきた。
まぁ、どうせ明日には溶けてなくなるもの。
遠くに聞こえる五家の演説、内容ははっきりとは聞こえてこない。
ぼんやりと聞き流しながら、口を半開きにしながら青空を見上げる。
大道芸だろうか、町の方からも笛や鐘を鳴らす音が聞こえてくる。
他の巫女たちに混ざり舞の練習をした日々や、はりとの特別看護の打ち合わせをしていた日々がなんと遠くのことか。
目線を像に戻すと、一組の親子が群衆の列から離れて像の前にやってきた。
下手に触られて壊されてもまずい。せめて一日もたせなければ。
自然に立ち上がり、像のそばへ進むと、その小さな女の子がこちらに向いて話しかけてきた。
「みこさま!これはなあに??」
その純粋な目に当てられた。
かがみこんで視線を合わせて教えてやる。
「これはねー、氷でできた彫像だよ~。溶けないようにお祈りしてるんだ」
そう答えたとたん、女の子の後方から声が上がった。
「まぁまぁ!これ氷でできてるの!?」
その声が妙に通ったのか、周辺がざわつき出した。
「あらまぁ!氷で!!」
「へぇ!すごい!」
「溶けちまわないもんかねぇ」
「あの巫女様のお祈りで溶けずにいるみたいよ」
「へぇ!ありがてぇありがてぇ!」
チャリン、と音がしたと思うと、足元に硬貨が飛んできていた。
それを皮切りに、お賽銭の雪崩が始まった。
「え……」
あっという間に熱の中心になってしまう。
「は、はぁ。まぁ」
と挨拶にもならない返事をしながら求められるまま握手に対応する。
我も我もと、なるうちに、いつの間にやら列までできてくる始末。
足元には硬貨の山、どこぞで買ったお団子まで供えられている。
まさか、こんなことになるとは……。
氷の像ではなく自分が注目を浴びてしまっていることに戸惑いを隠せない。
誰の助けもないままに握手をし続けていると、通り過ぎる群衆の中に知った顔を見つけた。
九宮コトワ様である。
彼女もこちらに気づき立ち止まる。
その頭には紙張りの何やらのケモノの面、手には串に刺さった何やらを持っているようだ。
「……。」
無言で見られる視線が痛い。
「……はっ!良い見世物じゃな!」
それだけ言うと、再び人ごみの中へ姿を消した。
「こ、コトワ様……」
翌日。
老人たちにかがんで握手をし続けたせいか、腰が重たい。
結局あの後に助けが来たのは、賽銭箱が置かれたことぐらいであった。
今日は特別な神事としては、そこまで多く予定されていないはずだ。
従来通りの鑑の儀が大神殿で行われるほかは、はり様の特別看護が手厚く行われることだろう。
宮の廊下を腰をさすりながら中庭までくると、前から九宮コトワ様が歩いてきた。
欄干に寄りかかり、道を空けたが、コトワ様は真っすぐこちらに向かってきた。
「一日中神器を使っていたそうじゃな」
「ええ、まぁ、集中したのは最初ぐらいで、あとは見ているだけでしたが」
意外なことに、気にしてくれていたのだ。
「体に違和感はないか?」
「え、それはどういう……」
「なければ問題はあるまい」
「え、え?」
訳が分からず聞き返すが、言いよどんでまともに答えようとしない。
「なに、九元に近づきすぎると、な……」
「九元?それは、一体……」
コトワは、遠くを見つめるように顔を上げた。
「なに、いずれ分かる時が……」
あまりに気になる言いぶりなので、しっかりと問いただす。
「もう!ちゃんと教えてください!」
「わかったわかった。ええい、食って掛かるでない」
コトワ様は手を振り一歩引くと、隣の欄干に寄りかかりながら話始めた。
「わたくしが気にしたのは、神気も神技も知らぬ現代の巫女が、それほど長時間にわたって事象の書き換えを続けたことじゃ。事象の書き換えは九元に通じる奇跡。」
事象の書き換え……。
そんな大それたことをしていた気はしていない。
「あの人形師を覚えておろう」
「あの、行方不明になったという……」
宮の奥山が消えた「きい」事件の後、ソレを封じた人形と共に行方をくらました人形師。まだ捜索は続いているとの話だが。
「あれが昏倒していたのはおそらく『九元酔い』。マジュツを通して九元に近づきすぎた者の末路じゃ。じゃが、お主にその兆候が無いのであればわたくしの杞憂であった、ということじゃな」
「え、えええ……くれん様なんて毎日浮かんでますが……」
「そういわれればそうじゃのう。心配するだけ無駄じゃったか」
コトワはあっけらかんとしてそう答えると、体を起こした。
まだ何にも答えが出ていないではないか。
「そもそも、『九元』って何ですか?」
「ええい、そこからか。面倒くさい。とにかく神器の起こす奇跡は分からんことが多いということじゃ」
手を振りながら立ち去ろうとするコトワの背を追った。
祭の日はまだ続く。
~二殿の報告書~
大規模祭事における特別任務報告。
終日、氷像の監視。
以上。




