【武の頂と、不死の戯れ 後編】
細い月が、宮の訓練所で向かい合う二人を見下ろす。
廊下に灯された明かりが、二人の影を薄く、長く浮かびあげる。
雨月すいの手には、最前真っ二つにされた木剣が握りしめられている。
「その礼を、兼ねて、来てやったぞ」
明かりを背にした九宮コトワの表情は読めない。
「なっ……!?」
うろたえるすいにも構わず、コトワは、音もなくすいの懐に飛び込んだ。
一足飛びに後方へ飛び退く。
ヒュン、という高い音が眼前で響いた。
「コトワ様!あれは、二人から挑んできたことです!私が、未熟なばかりに手加減できず……!」
「それよ」
コトワは足を止め、顔を横に向ける。
その口元に浮かぶ笑みを、廊下の明かりが浮かびあげる。
「おぬしの、手加減を抜いた本気。それを見にきた」
「ご、ご冗談を……!」
「ほれ。自慢の愛刀を、抜かんでよいのか?」
コトワが髭切で脇に置いてあるすいの刀──折鋼十四代を差し示す。
「死ぬぞ?」
一瞬、その目が金の光を帯びたように見える。
背筋に氷が走ったかのような寒気を覚える。
本気、だ。
すいは勢いよく身を翻すと、脇に置いた刀を取り上げた。
翻した身の後ろを、きるるる、と空気が震えるのを感じる。
距離を取りながら刀を構える。
コトワは右手だけで長物を構え、こちらに相対する。
あの小柄で、背の丈を越える長物を、片腕で……?
コトワは、飛び上がると共に、緩やかに弧を描くように飛び込んでくる。
動きを見てから、側面に飛び身をかわす。
髭切の軌道にある大地が、音もなく削り取られた。
考えている間は、ない。
あの神器──髭切の理不尽なまでの切れ味。
刀で受ければひとたまりもない。
翻る袖に、コトワの動きは舞うかのようにゆったりとして見える。
が、眼前に振られるその刃先の速度は目にも止まらぬ。
余裕をもって身をかわしながら隙を伺う、が、余裕があるはずのコトワの動きの中に、付け入る隙を見いだせずにいる。
見切り、回避しつつも、確実に一歩ずつ後方へ追い込まれる。
徐々にコトワの太刀筋が速度を上げてくる。
上下左右の振りに突きを合わせた多彩な動きが、予測不能な角度から繰り広げられる。
その一振り一振りが、空気を、空間を、命を絶つ死の線を描く。
すいはその動きを目で、空気の動きを感じる身体で、必死に身をかわすことしかできずにいる。
「……こうまでかわす、か」
コトワがそうつぶやき、髭切を両手で大上段に構えたかと思うと、眼光が鋭く光る。
「いつまでもつか、な!!」
振り下ろすとともに、踏み込んだ、と思うと、信じがたい速度で眼前に詰められた。
突進に合わせた下からの斬り上げ。
これは、避けれない……!!
咄嗟に刀を振るう。
狙うは、髭切の刃ではなく、刃と同じだけの長さを持つ、持ち手。
ガツンっと重い音を立てて当たった衝撃を使い、横っ飛びに飛び込む。
すぐ後方で空気が音を立てて切り裂かれる。
身体を丸めて受け身を取り、再び構える。
軽く目をみはるコトワの顔が見えた。
今の速度がコトワ様の本気、か?いや、まだだ。
再び大上段に構えるコトワ。
右に向かって駆け出し、狙いをそらす。
あの大上段からの振り下ろしと同時の踏切が、おそらくコチラとの距離を詰めるコトワ様の「技」。
直前の目の輝き。
おそらく神技か。二人の距離を隔てる「何か」を断ち切ってこそのあの速度。
そして一つ、分かったこと。
髭切の刃は、常に大地を削るほどの切れ味ではない。
……ならば……!!!
再びじわじわと間を詰めてくるコトワの剣舞。
一瞬のタメ。遅れれば死ぬ。
コトワの一閃を、紙一重で避ける、と共に。
避けて傾いた体重を刀に乗せ、振りぬいた一撃。
髭切の刃先に当たり、雷光のような火花を散らす。
やはり、「虚」を付けば、髭切と打ち合うことができる……!!
刀の衝撃を受けたコトワは、目を見開きこちらを見つめる。
その口元に浮かび上がる、笑み。
「ふははははは!!!世界広しといえど、この髭切と打ち合うとは!!!」
コトワは崩れかかった姿勢を、下がりながら整えると、髭切を両手に構え、振りかぶる。
目が光る。
突進が、来る。
そう思った時には距離は縮まっている。
「おぬしぐらいなものだぞ!!!」
言いながら髭切を振りぬく。
膝を大きく曲げ、目の前を通る刃を見送る。
キィン、と響く高い音。
金属がぶつかり合う音と同時に散る火花。
振りぬいた隙は、逃さない。
刃に当てて得た衝撃を、回転する方向へ乗せ、振るう。
芯はブレない。
すいの静かな反撃に、コトワも髭切を引き、その柄で受け止めた。
もはや一方的な回避とはならない。
コトワの剣技の「虚」を捉え、的確に打ち込み、斬りこんでいく。
コトワの目は、もはや疑うまでもなく金色に光り輝いている。
下段の薙ぎ払いを両足で飛んでかわす、と共に、刀を短く持ち、身を翻した回転切り。
コトワの左腕をかすった。
わずかに血が飛ぶが、コトワは気にもかけずに反撃してくる。
自らの刀よりはやや広い髭切の攻撃範囲は、もはや見切っている。
死の線のぎりぎりをかいくぐりながら、わずかなスキで切り刻む。
コトワの手足に傷は負わせるが、決定打に届かない。
呼吸が浅い。
鼓動が、胸を引き裂きそうなほどに高鳴る。
足を止めれば容赦なく下段の払いが来る。
跳んで避ける腿がはち切れそうな悲鳴を上げる。
浮いた体に、在りえぬ角度からの剣戟が飛んでくる。
地に刃を突き立て、強引に体を引いてかわす。
そのまま地面を転がり、勢いで跳ね起きる。
既にコトワは大上段に構えた突進の動きを取っている。
髭切を振り下ろし、地を踏み込む、その一瞬。
すいは地を蹴り、コトワに向かって飛び込んだ。
同時に刀は大地から天頂へ、勢いを乗せて振り上げる。
カッ
高い音と共に、コトワの右腕、肘から先が、宙を舞う。
そして、その手に握られていた髭切を、すいが、左手でしっかりと掴んだ。
止まらない。
両手に刀をつかんだまま、振り向きざまにコトワに向かって飛び込む。
両足でコトワの腹にのしかかりながら、左手に持った髭切を、二の腕に突き刺し、その勢いのまま地面に縫い付ける。
続けざまに、右手の折鋼で、コトワの左腕も地面に突き立てる。
刀から離れ、ようやく、長い息を吐き出した。
地に縫い付けられもはや身動きが取れぬコトワを見下ろす。
「……く、くくく」
その口から洩れるのは、笑い声。
「くははははは!!さすがじゃな、雨月すい!!じゃが……」
コトワが、まだ楽しそうに笑おうとした、その時。
訓練場に、凛とした、しかし、氷のように冷たい声が、響き渡る。
「お二人とも、おやめなさい!!」
突然の声に、ビクリ、と振り返る。
そこに立っていたのは、一宮の巫女、あさめだった。
いつもは穏やかな瞳が、静かな、静かな怒りの色に染まっている。
「ここは、互いの技を磨く稽古場であり、殺し合いの場では、ありません!」
その声は、決して大きくは無いが、この場の空気を一変させるのには十分な気迫があった。
しん、と静まり返る訓練所。
すいは、はっ、と我に返ると、コトワの腕を縫い付けていた、二振りの刀を静かに抜き取った。
コトワは、地だまりの中でしばらく呆然と夜空を見つめていた。
が、急に思い出したようにむくりと起き上がると、すいから髭切を受け取る。
何事もなかったかのように立ち上がる頃には、切り落とされたはずの右腕は、既に元の通りに繋がっていた。
「ふん、水を差しおって……。すいよ、見事であった」
そう言い残すと、コトワは、あさめの横をすり抜けるように立ち去ろうとする。
「九宮様っ!!困ります!!……そもそもあなたは巫女として、神織の一員として自覚が足りないのでは……」
あさめは、ぷりぷりと、小声で怒りながら、コトワの後を小走りで追っていった。
ひとり訓練所に残されたすい。
愛刀「折鋼十四代」の柄に、体重を預けるようにして、その場にずるずると座り込んだ。
膝が、今になって、がくがく、がたがたと震え出した。
冷たい汗が頬を伝う。
右手で、首をなでる。
……助かった。
風が、頬を伝う汗を撫でる。
そのひんやりとした感覚。
生きている実感を得る。
細い月が、かろうじて生き延びた武官を静かに照らす。
~二殿の報告書~
コトワ様とすい様の一騎打ち、という話題が面白おかしく騒がれている。
面白いことに、勝敗の結果だけが半々で広まっている。
どちらが勝ったという結果が重要なのではないのだろうか。




