【最強の称号】
どうやらこの、定例ではない、特別な祭事に張り切る神官がいるようだ。
そのせいなのだろう。西宮様の来訪に合わせて、西部の警備状況の確認を、などという仕事が回ってきたのは。
二殿の巫女すずさは頭をかきながら、宮の段を降りていく。
普段はあまり足を踏み入れない武官達の詰所に行くと、何でも西からの武官の多くは稽古場に集まっているということだった。
何事かと向かってみると、確かにいつもと違いざわついている。
稽古場に面した建物の縁側には、その場に似つかわしくない巫女たちも固まって座っているではないか。
その中には、三宮の雨月さい様までいる。
その場にいた武官に尋ねてみる。
「これは、どうされたんですか?」
「すい様の手合わせだ。西国一と言われた中禅様と」
「中禅さま……。その方は一体」
「知らぬのか、すい様に破られるまでは神織最強と言われた方よ」
初耳だった。
そういえばいつの間にか雨月家のお嬢様が「神織にて最強」と呼ばれるようになっていたが、言われてみれば確かに、それ以前の最強もいたのだろう。
雪辱戦、という訳か。良い見世物になってしまっている。
稽古場を見ると、中央に立つ二人組。周りには遠巻きに見る人だかり。
「どちらが勝ったのですか?」
続けて聞くと、声を低くたしなめられた。
「しっ。これから始まるところだ」
この騒ぎが収まらねば誰も相手にしてもらえなさそうである。
大人しく終わるのを待つことにした。
周りのざわめきが、静まり返る。
稽古場の中央を見ると、すい様の隣に立つ大柄な男、中禅が大きな笑い声をあげた。
何を話しているのかはここでは聞くことができなかった。
二人は何事か言葉を交わした後、木剣を持ったまま、距離を取っていく。
向き合うと、それぞれに剣を構える。
すいの構えは、以前間近で見た通り、一部の隙も感じさせない。
対する中禅は、剣を片手に持った見慣れぬ構えだ。
その体格といい、すい様と同じ長さとは思えぬほど木剣が小さく見える。
お互い向き合ったまま、一歩、二歩と近づくと、すいが地を蹴り飛び込んだ。
高い音が響いた、と思うと立て続けに響き渡る木と木がぶつかり合う音。
すいは足を止めず、立て続けに打ち込んでいく。
中禅は押されて一歩退いた、と思うと
ガァン!!
という異質な音が響いた。
音と共に二人の距離は二歩程も開いてしまっている。
すい様が、吹き飛ばされたのか。
中禅は距離を詰め、打ち込み始める。その一撃一撃が重い音を立てる。
防戦一方になるか、と思えば、すいは巧みにかわしそのまま反撃を叩き込む。
それを受ける中禅の剣に響く音。
互いの剣を打ち合う音が、不格好な旋律を奏でていく。
中禅の大振りな横切りを、すいが背を低くしてかわした時、群衆からおお、と声が上がる。
それを皮切りに、観衆は次第に熱を帯び、声が上がり始める。
二人が打ち合うたびに騒めきが空気を震わせる。
中禅の剣を受けたすいが、その勢いをもって回転し、ひと際大きな動きで打ち込んだ。
中禅は両手で剣を抑え受け止める。
立て続けに攻め立てるも、守りに徹した中禅を、そう易々とは打ち崩せない。
周りがすいと中禅の二人にくぎ付けになる中、すずさは見逃さなかった。
三宮の巫女、雨月さいの組んだ両手の下、確かな光が輝いているのを。
思わず目を見張るが、周りの者たちは誰もさいへ目もくれない。
これは、さい様の神器、か……?
ひと際大きなざわめきが起こった。
反撃に移った中禅の猛攻に、ついに、すいが片膝を付いた。
次の瞬間。
くるり、と回った、ように見えた。
立てた片脚を軸に、流れるように身をひるがえしたすい。
立て続けに響く轟音。
バガァン!!
受けた中禅の剣が、二つに砕けた。
すずさの手首ほどの太さはあろうという木剣が。
そのまま尻もちをつく中禅に、静かに剣を向けて立つすい。
勝負はついた。
息を切らして立つすいが、中禅に手を差し伸べ立ち上がらせる。
再び中禅の大きな笑い声が響いた。
すいは、中禅の大きな手にばしばしと背中を叩かれながら、あっという間に押し寄せる群衆に飲まれてしまった。
すずさは視線を外し、三宮雨月さいを見る。
無邪気に周りにいる巫女たちと姉の勝利を喜んでいるようだ。
その胸元に提げられた珠──神器に輝きはなく、静かな沈黙を保っている。
ふと、手をきつく握りしめていた自分に気づいた。
爪の跡が手のひらに付いてしまっている。
「見たかお主!あの技の冴え!あれぞ神織の頂にふさわしい!!」
「はぁ、私には、何が何だか……」
興奮して話しかけてくる武官に、そっけない返事しかできずにいる。
実際のところ何が起きていたのかさっぱり分からなかったのだ。
「片膝をつき、あわやという時!中禅様の一撃を受け流し、その勢いでもって叩き折った!いや、あれこそまさに、すい様の『螺旋歩』の極みかもしれん!」
「螺旋歩……お噂の」
熱を帯びた武官と対照的に、熱に乗り切れない自分がいる。
「いやぁ、良いものを見せていただいた」
横の武官は満足そうに言うと、稽古場の人ごみに紛れにいった。
周囲の熱狂はしばらく冷めそうにない。
そっと雨月さいのそばに進み出ると、さいもこちらに気づき声を掛けてきた。
「あら、すずさ様、あなたもご覧になりましたか?お姉さまのご活躍!」
「ええ、目にも止まらぬ、凄まじいものでした」
「どうなることかハラハラしていましたが、さすがお姉さまです!」
普段は大人しい宮様も、興奮を隠せていない。
「あの、さい様……さい様の神器は……」
最前見た光景を思い出しながら、恐る恐る声を掛けた、が。
「はい?私の、神器ですか?どうかされましたか?」
本人は何も気づいていないのか、頓狂な声を上げた。
「い、いえ、何でもありません……。お二人に怪我が無くて良かったです」
熱狂の中、追及することもできず退いた。
◇
~二殿の報告書~
西方警備に関する聞き取りを実施。
合わせて祭事近辺の警備体制の状況も確認。
武官の仕事に神官が首を突っ込むのはどうかと思うが、黙っておいた。
本日、武官訓練所にて、雨月すい様と西より来られた中禅様の手合わせが実施された。
結果は、すい様の勝利に終わった。
中禅様はこの手合わせのためにわざわざ西宮の護衛に志願した、とのこと。
◇
日も落ち、宮の大門の脇にある通用口を通り抜ける。
門の前に立つ武官に少し頭を下げて町へ繰り出した。
夜風が頬に心地よい。
ひと町歩き、目当ての明かりの元に向かう。
のれんをくぐり、入り口に近い席に付く。
「おやいらっしゃい、今日は雨月のお姫様は一緒じゃねえんだな」
「ええ、まぁ……。酒と、煮込みを」
店主の軽口は受け流しつつ、いつものように注文を済ませる。
すぐに出てきた酒の入った酒器を、両手でつかむ。
薄く濁る表面を眺め、そっと、一口、口を付ける。
はぁ、と息を吐いて天井を見上げた。
ほわん、とした香りが頬に上る。
煮込みを待っていると、どかどかと音を立てながら数人の武官達が入ってきた。
その一団の最後に、雨月すいが、すっと入ってきた。
目が合った。
頭を下げる。
すいはにこりと微笑むと、連れの武官達のついた奥の席に座り込んだ。
「はいよ、お待ち」
湯気の立つ鉢が差し出された。
もりもりの根菜と肉が少し、一日じっくり煮込まれた煮込みだ。
つまみながら、酒をちびちびと飲む。
視線を奥の席の武官達へやる。
今日の主役、すい様を肴に盛り上がっている。
ほくほくの山根を口に含むと、ほろほろと崩れていく。
じゅわっとあふれる汁に、鼻を抜ける出汁の香り。
緩む頬をそのままに、酒に手を伸ばす。
ふんわりとした甘い香りに、きりっとした飲み口。
口を半開きにして呆けていたら、奥の席ですい様が立ち上がった。
思わず顎を引き背筋を正す。
あちらもひとしきり盛り上がった後なのか、銘々に話がはずんでいるようだ。
その席を抜けてすい様がこちらの席にやってきた。
「今日は、にぎやかなお仲間とご一緒でしたか」
言いながら杯を差し出すと、すい様も手にした杯を突き合わせてくれた。
「ふふふ、たまには付き合いも必要でしょう」
顔を見合わせ、ふっと笑い、酒を口にする。
すいは、すずさの隣に腰掛け、手にした杯を見つめている。
その横顔を見ながら、しずかに語りかけた。
「すいさま……手合わせ、拝見しました」
すいの手がピクリと動く。
「すずささん、それはそれは、恐れ入ります」
「見事な勝利、でした……その……」
言いよどんだ。口にしてよいものか。
そう思っていたところ、すいが口を開いた。
「……さい、ですね?」
「え!?い、いえ……!」
思わず動揺が表に出てしまう。
すいはこちらに構わず、笑顔を崩さないままこともなげに言う。
「ふふ、わかりますよ。ズルじゃないか、ということですね」
「そ、そのようなつもりでは……」
こんなことなら酒を入れるんではなかった。
肩を丸め小さくなりながら、ごまかす様に酒に口を付ける。
すいは、奥の席の武官達を目を細めながら眺め、その思いを伝えてくれた。
「さいの加護については私も分かっています。しかし、最強を求める中禅殿に対して、私は、私の持てる力全てでもって応えるのが、誠意ではないかと考えました」
素直に驚いた。
とっくに分かっていたのだ。
「さいの『祈り』……。私は巫女ではないので詳しくは分かりません。しかし、純粋なあの子の思いに応えてやるのが、姉としてできることなのかな、と思っています」
「彼女は……さい様は意識はされていないようでした、が……」
「ふふ、そうでしょうね。ですが、目を閉じればいつでも思い出せるのです。私は独りではない。あの子の思いが、私に力を与えていることを……」
目を閉じてそう語る彼女の横顔は、店の明かりを受けて影をはらんでいる。
「少し……飲み過ぎたようです」
そう照れくさそうに言うと、立ち上がって元の席へと帰っていった。
その背をぼんやりと眺めながら、すいの言葉を反芻する。
独りではない、か……。
酒器の底に残った酒を飲み干すと、勘定を済ませて外へ出た。
月のない夜空に星々が瞬いている。
ひときわ大きな輝きを放つ星が二つ、並ぶのを見て頬を緩めた。




