【西宮さまの憂鬱】
かつて慣れ親しんだ宮の廊下を大股で進む。
角を曲がった先の部屋。開け放たれた戸の中で、立ったまま書付に目を通している知った顔を見つけた。
「おやまぁ、どこの好青年かとおもえば、とりひなのおぼっちゃんじゃあないの」
声をかけると、ぎくり、とした様子で顔を上げた。
「に、西宮どの……」
五家、鳥陽家の次男、たけみである。
二宮の巫女、桝きりは、彼の意には介せず、つかつかと脇まで歩を進める。
「しばらく見ない間におおきくなっちゃってまぁ」
遠慮なく頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
「お、おやめください、オレももう子供じゃありませんよ」
たけみはその手を払いのけながら憤る。
「おやおや、ついこないだまで宮の中庭で遊んであげていたというのに」
「きり姉さんが西宮にお就きになってから何年たっていると思っているんですか……!」
「はははは、威勢もよくなって」
笑いながら、部屋の隅にある腰掛に腰を下ろす。
たけみは手にした書付を卓に放り出すと、その卓にもたれてこちらを向いた。
少し前かがみになり、下からその顔を覗き込むように言う。
「聞いたよ、宮の若人たちで勉強会を開いてるんだって?文の鳥陽を担う若者は大変だねえ」
かねてから宮で集めさせている情報だ。
「そちらは兄上にお任せしていますよ……オレはオレみたいなやつらで、できることを探しているだけです」
じっとその顔を見つめる。
が、言っていること以上のことは読み取れなかった。
「まあできるだけやってみな、よ。遠くから応援だけはしといてあげるからさ」
体を起こし、窓から見える青空を見ながらそう言った。
「またそうやって子ども扱いして……」
たけみは不満そうに眼を閉じて息を吐くと、もたれた卓から身体を起こしながら言う。
「それより、オレの方でも聞いてますよ。この祭事に強引に出番を作らせたって。相変わらず無茶をしてますね」
「はははは、こんな大仕事に顔を出さないなんて西宮さまの名がすたる、でしょ?」
「知り合いの巫女さんは頭を抱えてましたよ……」
そう。こうして宮へ来た理由の多くは、沓掛のいう大規模な祭事にある。
ここに一枚かんでおくことは、桝家として、西宮として外すことはできなかった。
しかし西宮である私個人の意思というよりは、もっと大きな動きの中でのことのように感じている。
「それより、兄上にはもうお会いしたんですか?」
たけみの変えた話題に、思わず向き直り腰掛に座りなおした。
そしてぽつり、とこぼす様に言葉を続ける。
「たけるくん、か……まだ、会いに行けてないんだよね」
たけみの顔に、やっぱりな、という表情が浮かぶのを見た。
ため息をつきながら、たけみが答える。
「兄上なら部屋にいると思いますよ。とりつぎましょうか」
何食わぬ顔で簡単に言ってくれる。
「いじわるだな、きみは」
「きり姉さんがしり込みするのも珍しいですね」
「まあ……ね。あれは西宮になるのが決まった……ってきみに話すことじゃない!」
いたたまれず、腕を組んで視線を外した。
あの日のこと、いつまでたっても忘れられるものではない。
「兄上も待っていると思いますよ」
たけみはこちらの思いを知ってか知らずか、そう続けてくる。
「もう、年上をからかうんじゃない。挨拶にはちゃんといくさ」
「西宮として、ですか」
「当たり前じゃないか、なにせ『西宮さま』だから、さ」
両手を広げ、あえて大げさに言う。
「素直じゃありませんね」
その言葉に、勢いをつけて立ち上がる。
「生意気だぞぉ!いろいろあるの!ちょうどいい機会っていうのが!」
◇
使いを通して、鳥陽たけるへの面会を申し込んだ。
もちろん、宮入りした西宮として。
すぐに承諾されると、あれよあれよといううちに時は進んでしまう。
宮の上層。
ひと際立派な執務室の前で、少し固まる。
この部屋が、たけるくんの……。
部屋の前まで付いてきた供を下がらせる。
戸を開けると、精悍な顔つきとなった鳥陽たけるが、立って出迎えた。
黙り込んだまま、しずしずと進み、用意されていた腰掛の前に立った。
「西宮さま……ご立派になられて」
たけるがまず口を開いた。
「鳥陽、たける、様……ご、ご無沙汰しております……」
思ったように言葉が出ない。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れる。
顔をまともに見ることができない。
「遠い所、ご苦労様でした。久々の宮はいかがですか?なにかご不便などございませんか?」
「いえ、いえ。とても良くしていただいております……」
◇
巫女の廓、用意された部屋の長椅子に横になりながら、見慣れぬ天井を眺める。
ふわふわとした感覚がいまだ抜けない。
たけるくん……立派なお役人になってたな……。
久々に再会したたけるは、すっかり高官の姿勢を身に着けていた。
当たり障りのない会話しかできず、宮の内情を探ることすらできなかった。
あの時のこと……引きずってるのは私だけなのかな……。
「きり様、お食事をお持ちしましたわよ」
戸が開けられ、入ってきたのは予想もしない者だった。
「……らん様、なぜあなたが」
膳を持って入ってきた黒曜らんは、黙ったまま奥の間に膳を運んでいった。
戻ってきたらんは、長椅子に横になるきりを見下ろしながら話始める。
「私もわざわざ来たくありませんよ。……しかし、お聞きしましたよ。鳥陽たける様にご挨拶に行かれたと」
「まったく……地獄耳ですこと」
確かに、正式に面会を申し込んだのだ、誰の耳に入っていてもおかしくはなかった。
しかし、すぐにこうしてわざわざ言いに来るなんて。
「ちゃんとお話できましたの?」
「あなたには関係ないでしょう」
冷たく言い放つ。
「あなたのことだからどうせ社交辞令で終わってしまったんでしょう?」
「だから、あなたには関係ありません!」
声を荒げるも、らんは全く意に介さない。
「いつまで居られるのですか?あまり長くはないのでしょう。きちんとお話しなさい」
ぷい、と視線を外した。
「祭事が近づけば、そういう時間もそうそう取れなくなりますよ。よくよくお考えになることね」
そう言い残すと、わざと音を立てて戸を閉め、らんは去っていった。
わかってるわよ……でも……。
奥の間に据えられた膳を見つめるが、しばらく手を付けられそうになかった。
~二殿の報告書~
西宮様の祭事への組み込みが急遽行われた。
それまでに組まれていた段取りが大きく崩れる。
様子見の多い桝家にしては、大胆な動きである。
この祭事がかつてない規模のものだと思い知らされた。
はり様の舞の稽古もひときわ身の入ったものとなった。
これも西宮様の影響だろうか。




