【月夜の迷い子】
「せんせい!どこですか!?」
声を上げながら、辺りを見渡す。
木々の間から差し込む白銀の月光が生い茂る草木を照らす。
ひんやりとした空気に、むせかえるような緑の香り。
どこか遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
どこかの林の中だ。外界、だろうか……?
しかし、辺りの草木には、どこか見慣れたもののような気がする。
ふと、つい先ほどの得も言われぬ感覚を思い出し、全身が粟立つのを感じる。
あの、感覚……。
軽く身震いして我に返る。
せんせいを探さないと。きっと巻き込まれてる。
おそるおそる、辺りを探る。
魔力の動きは、『見え』ない。
魔獣の類は、いなさそう。
代わりに、人の姿もどこにもない。
暗い林の中を、足元を確かめるように歩を進める。
やがて、林の切れ目が見え、その間から、民家の明かりが見えた。
人里だ。
木で組まれた家に、わらぶきの屋根。その質素なたたずまい。
やはり外界のどこかに飛ばされたのかもしれない、と思い至る。
胸に提げた魔術学校の紋章を外し、服の内側のポケットにしまい込む。
どうしよう。
ここにいても仕方ないけれど、ここがどこかも分からなければ……。
頼りのせんせいもいない。せんせいなら外界にも詳しいのに。
思い切って、民家に近づいていく。
せめて場所の手がかりだけでも、聞ければいい。
外界で言葉が通じるだろうか。
おそるおそる、戸をノックする。
「なんだぁ?」
中から男の声、しかし、それ以前に。
その、言葉。
ガタガタと音を立て、戸が開けられた。
中から男が顔を出し、戸の隙間から見える部屋の奥には家族のものがいるようだ。
「なんだ、お嬢さん、どうなすった」
今、何と、言った。
この、言葉。
「えっと、あ……」
声を詰まらせる。
5年前、あの日から聞くことのなかったこの言葉。間違いない。
「どうした……?」
男はいぶかし気にこちらを見る。
「わ、わたしは……」
まだ声が出ない。
「その恰好、巫女さまですかい?」
巫女……。そう、巫女。
「は、はい。巫女、巫女……でした……」
思わず目頭が熱くなる。
これまで、どれだけ希っていたか。
果てしない道を覚悟していた。
修行を続け、『九元』に至れば、いつか必ずたどり着くと、そう信じ込もうと。
それでも、どこかで諦めかけていた。
この世界で、生きることになるんだ、と。
その願いが、今。
鼓動が跳ねる。不安と期待が入り混じって言葉が出てこない。
「こ、ここは……せ、仙境、ですか……?」
かすれがすれ、それだけ聞くことができた。
男は変な顔をしながら、答える。
「そりゃ、仙境だけども……巫女さまがこんな遅くにどうなすった」
返事ができない。
やはり……『帰って』来た……!!
頬を熱が伝い、唇がわななく。
「あっ……あの、すみません……」
両手で目を覆うが、涙が次々と溢れてくる。
これは夢か。あの不思議な感覚から、覚めない夢を見させられているのか。
膝が震える。
「おおい、母ちゃん!巫女さまが!」
男は家の奥に向かって声をかけた。
奥から出てきた妻と思われる女が、肩を抱き、屋内へ迎え入れた。
火のそばに座らされ、温かい湯を一杯もらう。
少し、落ち着いてきた……。
「迷子の巫女様っちゃあ……神織さんのところへ行ってもらうか」
「まだ起きてるかいねぇ?」
二人はそんな相談をしている。
神織。
「神織……!そ、そこへ連れて行ってください……!」
思わず声に出していた。
明かりを持ち夜道を歩く男に付いていく。
「あんたは、どこからきなすったね?」
「ええと、遠く……。とても遠くから……」
「山を越えてきたんかね?」
「そ、そうですね、あの林を抜けてきました」
「ケモノに襲われんでよかったなぁ。最近多いでな」
呑気な心配が温かい。
やがて一軒の建物の前にたどり着いた。
見慣れた神織の紋に、どこか懐かしいデザインの門構え。
男は遠慮がちに敷地に入り、建物の戸を叩く。
やがて、中のものが出てきて、経緯の説明をした。
「あんたが、巫女さま……?」
神織の男は、怪しげにこちらを、上から下まで眺めるように見る。
「はい……はい。一社の、せな、と申します」
案内した男は神織にせなの身柄を預け帰っていった。
神織の詰所の中に通される。
中にはもう一人の男がおり、二人で話している。
「せな、って巫女様というと……」
「ほら、二年前の。行方不明とかいう」
2年前……?
「とりあえず、今日はもう遅いが……泊まれるところが無いか、村長に聞いてこよう」
そう言い一人の男が出て行った。
残った男に、恐る恐る尋ねる。
「あの、ここは、どこなのでしょうか……?」
「どこって、そうだな。池尻村よ。ほれ、黒曜さんのとこの近くの」
黒曜。聞き覚えのある単語。
神織の宮、その東北方面に、黒曜家の本邸があったと聞いた覚えがある。
忘れかけていた心の中の地図が、鮮やかに蘇ってくる。
「2年前、というと……?」
「お宮さんの山が消えて、天が裂けたっていう話が、確かちょうど二年前だったろう」
山が消えた、という話は覚えがある。
あれが、2年前?天が裂けた、とは?
戸をガタガタ立てて、先ほど出て行った男が帰ってきた。一緒に来たのは村長か。
「明日一番にお宮へ使いを出すから、一緒に宮へ行くといい。今晩は家に泊まっていってくだされ」
そう村長が言い、それに素直に甘えることとした。
そう広くはない村長の家の離れの一室に寝具をもらい、横になる。
全身を心地よい疲れが覆っている。
しかし、まだ、頭の整理が追い付いていない。
あの、戦い。
それを終えるため、『九元』の力を頼った。
それは間違いない。
そこからはほとんどの意識が混濁している。
しかし、私を飲み込んだ渦は、辺り一帯を覆っていた。
おそらくその場にいた、せんせいも。
せんせいも、この仙境に来ているのだろうか……。
2年前、と言っていた。
では、私が過ごした5年間は、どういうことなのだろう。
ぐるぐると同じことばかりを考えてしまう。
いつの間にか、朝が来ていた。
早鳥の声で目覚める。
いつ眠ったのかも覚えていない。
寝床から起き出し、着物を整え、外していた簪を差す。
壁に立てかけていた魔具を腰に提げる。
内ポケットから、しまい込んだ紋章を取り出し、胸に取り付けた。
宮へ、行かないと。
離れを出ると、村長たちはすでに起きていた。
簡単な朝食を済ませ、書状を持ち馬に乗った使いの者と共に村を出る。
村長が立派な耳馬を貸してくれた。
馬は……ほとんど乗ったことがない。
馬の背に揺られ街道を進む。
昼になり、街道沿いの町で食事をとった。
お金がないというと、使いの者が苦笑いして貸してくれた。
あとで神織に相談する必要がある。
神織。
果たして、私の言葉をまともに取り合ってくれるだろうか。
私が、せなだ、と認めてくれるだろうか。
そうだ、神器。この神器、廻天簪が、私を私だと証明してくれる。
髪に差した簪にそっと手をやる。
ひんやりとした冷たさが指先に伝う。
しかし、その感触こそが、ここでの私の証なのだ。
日も暮れかける頃、ようやく宮の門前町にたどり着いた。
茜色に差し込む日が、門前町に並ぶ店の瓦を輝かせる。
もう、腰が限界だ。尻も擦れてジンジンと痛んでいる。
門からは離れた、宮の厩に耳馬たちを預ける。
痛む腰をさすりながら、よろめくように門へ向かった。
神織の宮。
麓から改めて山に沿ってそびえるその荘厳な宮を眺める。
立ち並ぶ宮の赤い柱を、夕日が照らしてさらに朱く染め上げる。
ところどころでは、もう明かりが灯され、窓からまばゆい光が煌めく。
銅張の屋根が照る日を返すのと重なり、宮全体が輝いているようだ。
息をのんだ。
こんなに、大きかっただろうか。
かつての記憶との差に戸惑いを覚える。
呆然と立ち尽くしていると、使いの者にせかされ、足早に追いかけると、閉まりかけの大きな門の内側へ駆け込んだ。
~二殿の報告書~
東の並塩の買取量と価格の記録整理の手伝い。
都度の取引記録はあれど、継続して記録したものがない。
なぜ、記録があちこちに散らばっているのか。
転記の手間は分かるが、これでは管理と呼べたものではない。
新規に簿冊を作成。分かる範囲までさかのぼり記録を付けさせる。
一日では済まない量である。




