【それぞれの再起:折れた刀(後編)】
雨月家当主、霖雨は、屋敷の自室で、机に広げた地図を見下ろしている。
仙境全体を記した、大まかな絵地図だ。
度重なる天災。
山が消え、天が裂ける。
「この世の裂け目」近辺の異変。
人の配置を考え直さねばならぬ、が……。
事件の起きた場所。神織の宮、そしてほど近い北の村。
やはり、宮、か?
しかし。
大まかに地図全体を眺める。
北の「短刀党」……。あの厄介な盗賊ども、勢力を増しているという噂がある。
そして西方。桝家が抑えているとはいえ、いや、桝家が抑えているからこそ、人員を減らせん。
東はあの塩屋どもが大人しくはしておるまい。
比較的安定している南方、か?
人が動けば金が動く。
文官武官の高官たちが文句を言ってくるのが目に見える。
こまごまと人を動かすだけでは、根本的な解決にはならぬ。
それは分かっているが、打てる手は打たねばならない。
地図から目を離し、腰掛に深く座る。
黒曜のいう強硬策で、大規模に武官を徴用してもよい、が……。
鳥陽家が黙ってはおるまい。
長い息を吐き、冷めきったお茶の入った湯飲みに手を伸ばす。
湯飲みに口は付けず、考えを巡らせる。
すい。
地方の要として置くのには十分だろう。
腕もある。
人を率いらせるのには、ちょうど良い機会かもしれぬ。
いや、しかし。
「ご当主」
室外から声が掛けられる。
「お嬢さま、すい様がお見えです」
すい?随分と屋敷には近づいていなかったが、珍しいことがあるものだ。
しかし、意見を聞くにはちょうど良いかもしれぬ。
「通せ」
それだけ伝え、湯飲みの茶の残りを、一息に飲み干した。
静かに戸を開け、すいが部屋に入ってきた。
顔色は悪く、憔悴しているようだ。
無理もない。宮の事件、北の村の事件。信じがたい両事件の、その前線を張っていたのだ。
すいは床に座ると、手にしていた物を前に、すっと置いた。
折れた刀の、柄。
娘の門出に贈った、折鋼十一代、か。
すいは、両手を床につけ、頭を下げた。
「父上、申し訳ございません。父上よりいただいた、この刀、このような形で、喪ってしまいました。その上、巫女様をお守りするという役目も果たせず、おめおめと帰ってまいりました。どのようなご叱責も、お受けいたします」
おそらく、用意してきたであろう謝罪の言葉。
床に縮こまり、肩を震わせる姿は、非常に小さく見える。
「すい」
努めて落ち着いた声で言う。
「頭を上げよ」
反応しない。
もう一度呼びかける。
「すい」
すいは、その声でようやく、おずおずと、頭を上げた。
おびえながらも、こちらを見る、真っすぐな目。
武官らしい、覚悟を決めたその目つき。
遠い日の、幼いすいの姿を思い浮かべる。
武の雨月として、女や子供も稽古をつける。
妹はすぐに投げ出してしまう稽古も、このすいは真剣に取り組んでいた。
そんなときの、彼女の目付きを思い出す。
この目を見て、武官にすると決めたのだ。
「ご苦労であった。謝罪の必要などない」
すいは、この言葉に目を見張り、意外そうな顔をする。
そして、前に身を乗り出しながら言う。
「し、しかし……!雨月の、名刀……そして、任務も……!」
この、娘は……。
おそらく激しく叱責されるつもりで来たのであろう。
どう、伝えたものかな……。
霖雨は、椅子に深く座りなおした。
「すい……刀は、ただの鉄の塊だ。折れたのなら、また打てばよい。それよりも、その身が無事であったことを喜ぶがよい」
「ち、父上……」
「その刀が、お主の命を救ったのだろう?」
すいが、その刀と共にここまで歩んできたことは知っている。
そして五匠の名刀。よほどのことでもなければここまで無残に破壊はされまい。
すいは、うつむきながら、静かにうなずいた。
「……はい。刀に、命を救われました」
「ならば喜ぶべきことではないか。この刀は立派に役目を果たしたのだ」
「しかし、私だけが、こうして無事帰り、肝心の巫女様は……」
「巫女様が姿を隠されたのは、聞いている。確かに、残念で、不可解なことだ」
うつむいたまま、彼女は顔を上げない。
「しかし」
霖雨は続ける。
「すい、私には、お前が、自分のしたことを理解していないように、見えるがな」
すいは静かに顔をこちらに向けた。
「私が、したこと……?」
やはり、何もわかっていない、か。
真っすぐに育てたつもりではあるが、こうまで直線的な娘に育っているとは。
「お主は、あの大層扱いに困る、堅物の『九宮』、コトワを神織に無事に連れてきたではないか。そして、この度の北の村。あの破壊を止めてきたのだろう?」
まだ分かっていない顔をしている。
林は、ゆっくりと、言葉を続けた。
「そうして、五体満足に、無事に帰ってきた。これが凱旋でなくて、何なのだ?」
その言葉に、はじめてすいは、はっと何か気づいたような様子を見せた。
言わなければ、気づけぬものか。
そこまで、自分を追い詰めていたのだな。
「それに……刀、だがな」
霖雨は、あえて調子を変えて話しだした。
「折鋼。その十四代目。新たな刀を打たせておる。じきに届くだろう。その刀を持って、さらに励むとよい」
「ち、父上……!!」
すいは、立ち上がりかかる、が、また折れた刀に目をやった。
「しかし……この刀。この刀が、家を出る私への餞別、だったのでは……」
思わず、固まった。
初耳である。
「何を言っている?」
「で、ですから、私が家を出るとき……」
まさか、そのように捉えられているとは。
どおりで、家を出てからの、張り詰めた様子……。
今頃まで気づけずにいた己を悔いる。
「……それはな、娘の門出に、親として送れる祝いの品。そうして選んだものだ。これからの雨月を背負い立つ娘が、訓練用の木剣だけでは頼りなかろう?」
すいを、西へ配す。
そうしようかと考えていたが、止めた。
この娘にはもっと大局を見る目を養わせねばならない。
少なくとも、まだ目の届く範囲で。
すいは、再び刀の柄を抱え、おずおずと屋敷を辞した。
霖雨は再び机の地図に目を落とす。
硬くなった左右の肩を交互に回す。
まだ、考えねばならぬことは何も解決していない。
しかし、少し、肩の重さが減ったような気がする。
天頂にある日は、部屋の影を濃く落とす。
開けた窓から、乾いた風が部屋を通りぬけた。
~二殿の報告書~
南部の宮大工が到着していないとの報告あり。
各所に伝令、捜索を実施。
門前町の甘味処にて発見。
これだから、田舎から来る者は…。
三宮雨月さい様が何か心配そうに頻繁に出入りしていた。
すい様と何かあったのだろうか。




