幕間一【めがねの巫女と竜のひげ】
神織の宮、二殿の巫女であるすずさの机には、今日も紙の束が山のように積まれている。
その山を座ったまま、ぼーっと見つめる。
今日も、こんなにたまっている。
肩を落としながら、目を閉じかけつつ、口をとがらせ息を吐く。
減らさなければ増える一方だ。
目を見開いて机に付いた。
一つずつ簡単に目を通しながら、振り分けていく。
「これは、武官どものお仕事でしょうが……」
西部に近い村で禍イモノによる作物被害の件。
北部の峠における短刀党による強奪事件。
「これも、これも!とりあえず持ってくるの、やめさせないと……」
ふと顔を上げると、部屋の隅で同様に書類の整理をしている見習い巫女と目が合った。
思わず声に出してしまっていた。
眉間にしわを寄せたまま、微笑んでおいた。
机に向き直る。
しかし……。
いくつかの報告書、上申書を集めてみる。
どれも最近の事件にかかわるものだ。
こうして全体を眺めてみると、宮の西部に近い地域の事件が多い。
これは、『この世の裂け目』の近く、か……?
そういえば、と既に仕分け済みの一枚の報告書を手に取る。
これも、裂け目にほど近い村だったはずだ。
簡単な、祭のための巡幸の報告。それ自体は珍しいものではない。
しかし、そこに書かれた内容を改めて見ると、目を疑った。
『竜のひげ』『不死の巫女』そして、『神器:髭切』。
正気か?
報告者は、一宮の、くれん様。
おそらく、見習いの巫女に書き留めさせたであろうこの報告書。
すずさは、その一枚を手に取ったまま、静かに立ち上がった。
そして、何も言わずに部屋を後にする。
長い廊下を進んだ先、一宮様の執務室だ。
さすがに、ここへ来るのは少し緊張を伴う。
戸を叩き、声をかける。
「あさめさま、少し、よろしいでしょうか」
中へ通され、少し待たされる。
部屋の奥から、良く通る、そして華やかさを感じさせる柔らかな声が響いてきた。
「あら、すずささん。ちょうど手が空いたところです。どうされましたか?」
手を覆い隠す、一宮の巫女の長い、長い袖を翻しながら、あさめが姿を現した。
すずさは、単刀直入に用件に入る。
「私の元に来た整理前の書類を比べていたのですが……どうも『この世の裂け目』……その近辺で異変が続出しているようです」
「『この世の裂け目』……つまり、あの世が絡んでいる、と?」
「分かりません、が……」
答えながら、手にした報告書を差し出す。
「これは……くれんが行った村、ですね。話は聞いています」
あさめは長い袖をたくし上げ、しなやかな手を晒し、報告書を受け取ると、視線を落として目を通した。
やがて顔を上げると、静かに机の前に腰を下ろしながら言う。
「この世の裂け目……禁域とされて久しいと聞きますが」
「鬼を見た、なんてデタラメな話も聞きますね」
「あの世の鬼、ですか……」
あさめは少し困ったように眉を寄せる。
すずさは、あさめの手にある報告書を見つめ、本題に入る。
「その、『竜のひげ』についてですが……事実なのでしょうか?」
「そうですね……わたしも、話は聞いたけれど……そのまま受け取るのも、難しいでしょうね」
「……ええ」
少し悩んだが肯定する。
「あの子は、たまに……そう、不思議な話し方をしますからね……」
あさめ様でさえ、こんな濁した言い方になるのか。
「しかし、『神器:髭切』……」
「そうね、そこだけはハッキリしているのが、問題ですね」
「あさめ様は、ご存じですか?」
素直に尋ねる。
「いいえ、聞いたことがありません。大方、その村独自の言い伝えだったのでしょう」
あさめ様すら知らない、神器の存在。
おそらく、神織が動くべき事態になりかねない。
「既に、五家の皆様の耳には入れております。これから対応が練られることとなりましょう」
さすがは、あさめ様だ、既に動いておられるとは。
「この世の裂け目周辺の件、もう少し調べていただけるでしょうか?」
あさめは手にした報告書をこちらに差し出しながら頼むと、話は済んだという様子で、手元の手紙に目を通しだした。
礼をして部屋を辞す。
戸が閉まっていることを確認してから、思わずため息が漏れてしまった。
また、仕事を増やしてしまった。
この部屋に入る前の嫌な予感はこれだったか。
まあ、既に動いているというのであれば、自分の役目はそこまで大きくはあるまい。
そう思い込むことにして、長い廊下を歩き出した。
すずさの部屋には、まだ整理されるべき書類の山が、残っている。
~二殿の報告書~
あさめ様より任をいただく。
どこか時間を取り直接確認が必要か。
禁域まで半日の行程から、丸一日の日程を取る必要がある。
道中の護衛も兼ね武官達と要調整。