【九宮誕生】
むくりと体を起こす。伸びながら大きなあくびをひとつ。
窓から外をのぞくと、空は明るくなってきたが、まだ鳥も鳴いていない。
寝台から足を降ろすと、床にりふぁが転がっていた。
踏みつけぬよう、またいで寝室を抜ける。
昨日からまだ替えられていない、甕のぬるい水。洗面台で目ヤニの付いた顔を洗う。
しょぼしょぼしていた眼が、少しはしゃっきりしたか。
今日の朝餉は何だろうか。まあ、またどうせ菜粥辺りだろう。
人のことを老人か何かだと思っているのだ。
宮に来てから、肉などほんのかけら程度しか口にしていない。
たまには角鹿の肉の塊など出してもよかろうものを。
柔らかな食感を思い出して思わずよだれが出る。
朝から余計な想像をしてしまった。
昨夜は、りふぁにせがまれて、ついつい昔の話をしてしまった。
少し熱が入りすぎたきらいがある。まだまだわたくしも青いな。
一人反省する。
さて、と再び大きく伸びをする。
朝餉までも、まだ時がありそうだ。
こう早く起きたとて、散歩にも行かせてもらえぬようでは。
今も部屋の入口に立っているであろう武官に少し同情する。
外で鳥の鳴き声が聞こえてきた。
朝餉の菜粥を流し込む。
膳を下げに来た文官が、何か言いたげに立っている。
目線を向けると、おずおずと話し出した。
「ほ、本日は、宮の『九宮』様として任じられます式典がございます」
すでに聞いてはいた。
ご大層に、わざわざ、特別に、わたくしの為に、用意された席らしい。
「案内の者が参りますので、それまでお待ちください」
あくびを嚙み殺しながら、片手を上げて応えた。
文官が退出すると、眠気がやってきた。
二度寝は、しあわせ。
しかし、いつ、その案内とやらが来るか分からぬようでは、その楽しみも中断されかねない。
りふぁは、なにやらあちらへ行ったりこちらへ来たり忙しそうだ。
昼までは、あさめから差し入れられた、あたりさわりのない書物を読んで過ごした。
門前町の民を記録した一編である。
特別な感想は浮かばぬが、書き留めた者の癖が出過ぎているのが気に入らなかった。
本日は室外が慌ただしい。巫女や文官が左右に行き交っている。
昼の鐘が鳴る。
それとともに、なにやらぞろぞろと巫女たちが部屋に入ってきた。
「お着換えの支度に参りました」
お着換えの合間にお食べください、と、堅く焼いた薄い餅をのせた盆が卓上に置かれた。
なんと、まあ、大げさな。
餅をかじりながら、されるがままに立っている。
やれ、この紐がどうの、帯がどうの。これは、自分では着られぬな。
そして、仕上げに長い、長い袖に手を通す。
「この袖は、何とかならぬのか」
不満を言うが、宮様のお着物ですので、と返されるだけだった。
「まったく、いつまでこんなことを……わたくしの頃は……」
と言いかけたが、やめた。この子たちに言ったところで仕方がない。
化粧から何から済ませると、またぞろぞろと立ち去っていく。
残った巫女が最後にこちらに向けて言った。
「神器、髭切を、お預かりします」
「ほう?」
「のちの式典にて、授与されることとなります」
なにやら、面倒くさいことを考えているようだ。
ここまで来て抵抗するのも余計に面倒だ、こやつらの為す様を見てみるか。
おとなしく壁に立てかけてあった髭切を渡す。
「天津常世裂帛……それがこの神器の名じゃ」
素直に渡すのも癪だ。せっかくだから教えてやることにした。
「あ、天津……」
目を丸くして驚いている。
うやうやしく髭切を抱え込むと、礼をして立ち去っていった。
ふと横を見ると、りふぁが隣の部屋から目を丸くしてこちらを覗いていた。
どうじゃ、この晴れ姿。何か言ってみい。
「もこもこですね、コトワ様!」
うむ……。
眼鏡の巫女に連れられ、廊下に立ち並ぶ役人たちの間を抜け、神殿という部屋の前まできた。
締め切られた、鋲が打たれたぶ厚い扉。
このようなところでも人を威嚇せねば気が済まぬようだ。
両開きのその扉を、二人の巫女が、ゆっくりと手前に引き、開けていく。
その室内からあふれる、まばゆいきらめきに、思わず目を細める。
天井から吊るされる燭台の、爛々と輝く溢れんばかりの炎のきらめきを、燭台から垂れる重厚な金の飾りが鮮やかに返し、きらり、きらりと瞬いている。
部屋の中央には低い舞台があり、手前側に小さな腰掛が据えられている。
あれがわたくしの席。
左右に並み居る文官武官の高官たちの間を、長い長い袖を引きずりながら歩く。
一番前にいる色の違う衣をまとう五人。
あれが、例の五家、か……。
紅染めの腰巻のされた舞台に上がると、正面にはあさめが迎え、座るよう促された。
あさめの背後には朱塗りされた豪勢な五段の祭壇。
そこにはこまごまとした神饌やら草花、そして髭切が祀られている。
そして、最上段の中央。
懐かしさに、思わず頬が緩んだ。
天津天鑑……。
『巫女』を『見抜く』神器。いや、それ以上に……。
左右をゆっくり見渡す。
このようなハリボテの中にも、『本物』は変わらずそこに在る、か。
あさめが動き出し、儀式がはじめられた。
背を向け祭壇に向かい、なにやらこれからもらい受けるという『九宮』がいかにエラいかを謡いあげている。
今日のために書き下ろしたのだろう。ご苦労なことだ。
舞台のそで、祭壇に最も近い席に腰かけている、あの村で出会った一宮、くれんと目が合った。
手を振られた。
大バカ者。
あさめは、言葉を謡いあげ終わると、静かに祭壇に進み、両手で髭切を持ち上げる。
その姿勢のまま、戻ってくると、こちらの方へ向き直った。
頷かれ合図が出される。
立ち上がり、無遠慮にあさめに近づいた。
これを受け取れば、この儀式とやらも終わるのだろう。
あえてうやうやしく、両手で髭切を受け取る。
髭切──神器、天津常世裂帛。
あさめは、左手を上げて、席に戻るよう促した。
踵を返し、席へ向かう、が。
このままされるがままというのも、面白くない。
舞台の中央で足を止める。
祭壇に向き直ると、両手で神器を掲げる。
あさめが目を開き慌てたような顔をした。
舞台のそでに座っていた眼鏡の巫女が腰掛から立ち上がりかける。
そこで、見ているがよい。
舞。
神へ納める。聖なる舞。
長い、長い袖を翻す。室内の明かりを照り返し、光が生まれる。
神器と、一体となる。
ダン、と足踏みを一つ。
首から下げられた、金の飾りが跳ね、しゃん、と音を立てる。
布が擦れる音、そしてもう一つ、足踏み。
神器を床に立て、それを軸に、回転。
袖が、裾が翻る。
指先まで、芯を通し、しなやかに。
ゆっくりと、天から地へ。
軽やかに、神器を回す。
回転。集約。
片手で構え、回転。
並み居る者たちへ神威を、示す。
もう一度、うやうやしく神器を掲げ、舞を終える。
目を見開いたまま動けずにいるあさめに向かう。
「これでよいかの?」
彼女は何も言えずにいた。
返事は待たずに踵を返し、静寂が包む神殿を横切り入口へ向かう。
どうじゃ、何も言えまい。
振り返らずに重い扉を押し開き、外へ出る。
緑の香りがする新鮮な空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
~二殿の報告書~
本日、九宮就任の式典。
概ね滞りなく進むも、終盤にて急遽九宮による舞の奉納が行われる。
そのため、終盤は全て取りやめ。
少々の混乱が起こるも、あさめ様が収拾をつけられた。
晴れて新たな宮号ができたが、式典の実施については問題が残った。