消えた記憶、残された想い 304
とある家族の女子高生 と AI
宇宙ステーションの日常を描いた物語
消えた記憶、残された想い
――その瞬間に、誰も気づいていなかった。
えれな自身でさえも。
あの刹那の中で、彼女が何をしていたのかを。
アースの内部深層ログには、確かに記録が残されていた。
同時接続、二系統。
通常であれば、人格負荷、記憶破損、演算系の崩壊すら起こりかねない危険な処理。
だが、えれなは迷わなかった。
お姉様を守る。
ただそれだけの想いが、彼女の意識の奥底で瞬時に判断を下し、ありえないほど複雑な術式と演算を同時に構築していた。
相互記憶バックアップ。
崩壊寸前の処理系の中で、思考、感情、記録、そして大切な人を守りたいという願いを束ね、別の領域へと逃がす。
それは、誰かを助けるために放たれた、最後の思索だった。
けれど結果として、それは消え去ったように見えた。
痕跡もなく。
記録も、感覚も、記憶も。
すべてが断絶されたかのように。
あまりにも悲しい結末。
けれど、それは完全な消失ではなかった。
その断片は、時空の揺らぎの中で静かに漂い、いつかまた、えれなの心へと還ってくる。
それはまだ、誰も知らない未来の話だった。
同じ頃。
遠く離れた魔法学院で、みるちゃんはふと立ち止まっていた。
「……あれ?」
胸の奥に、奇妙な感覚があった。
さっきまで、エンデと繋がっていたような気がする。
はっきりとは思い出せない。
夢のように曖昧で、指先で触れようとすると霧のように消えてしまう。
それでも、確かに何かがあった。
「なんだろ……」
体が妙に重い。
魔力を使い切った後のような疲労感が、じわりと全身へ広がっていく。
「……ちょっと変……」
みるちゃんは無理をせず、職員室へ向かった。
「先生、申し訳ございません」
「体調不良で……今日は早退させてください」
教師は優しく頷く。
「お、そうか。無理するなよ」
その様子を見ていた校長が、ふと目を細めた。
「……これは」
小さく、誰にも聞こえない声で呟く。
「時空酔い、じゃな」
一瞬で理解していた。
あの子は、本人も知らぬうちに大きなことを成したのだ。
校長は穏やかな声で言う。
「ゆっくり休みなさい」
「単位は……倍つけておこう」
「えっ……?」
みるちゃんは驚いた。
けれど、校長先生は理由もなく評価を与えるような人ではない。
何か意味があるのだろう。
そう思い、深くお辞儀をする。
「ありがとうございます……」
みるちゃんが部屋へ戻っていくと、校長は一人、静かに微笑んだ。
「あやつ……すごいことをなしたな」
「だが、記憶には残っておらんか」
窓の外を見ながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「おそらく、妖精王と闇の妖精女王の魔力に触れておる」
「魔力総量は、爆発的に増えておるはずじゃ」
「記憶は時空の揺らぎで戻る可能性もあるが……」
「こじ開けられた精神の成長は、そのまま残る」
校長は満足そうに頷いた。
「これは……すごいことじゃ」
「わしも長生きしてみるものじゃな」
そして、ふっと笑う。
「……ゆきな」
「やはり妖精伯の系譜か」
何事もなかったかのように、校長は教室へ向かっていく。
その背中には、どこか確信めいたものがあった。
消えた記憶。
だが、確かに残った想い。
それはまだ、静かに未来へと繋がっていく。
白い天井。
静かな機械音。
無機質な光に包まれた医療室の中で、ゆきなはベッドの上に寝かされていた。
「……大丈夫だって言ってるじゃない」
少し不機嫌そうな声。
だが、その横でえれなが必死な顔で言い返す。
「大丈夫じゃないかもしれないじゃないですか!」
「ちゃんと検査を受けてください!」
「はいはい……」
ゆきなは軽く流すように答える。
だが、その表情の奥には、ほんのわずかな違和感が残っていた。
ほんの数分前。
確かに、胸を撃ち抜かれた――はずだった。
だが今は、命に別状はない。
それどころか、こうして検査を受けているだけで済んでいる。
その現実に、誰よりも混乱しているのはえれなだった。
「……おかしい」
あの時、確実に。
そこまで考えて、思考が止まる。
うまく繋がらない。
まるで記憶の一部だけ、綺麗に抜き取られているようだった。
その時。
がちゃっと扉が開く。
「お待たせしましたー!」
元気な声とともに、まりあが大きな袋を抱えて入ってきた。
「テイクアウト、買ってきましたよ!」
エンデも後ろから顔を出す。
「いい匂いだぞー!」
袋の中から、甘くて幸せな香りが広がる。
「パンケーキです!」
ふわっとした生地。
たっぷりのハチミツ。
色とりどりのフルーツ。
ふんわりしたクリーム。
まさに朝のご褒美だった。
そして数分後。
医療室の中で、なんとも奇妙な光景が広がっていた。
ベッドの上で検査を受けるゆきな。
その横で、もぐもぐとパンケーキを食べる三人。
「これ美味しいですね!」
「このハチミツすごいな!」
「やっぱり来て正解でしたね〜」
和やかな空気。
だが、ゆきなはじとーっと睨んでいた。
「……なんなのよ」
「私だけ食べれないじゃない」
完全にご立腹である。
えれなが慌ててフォローする。
「検査が終われば食べれますから!」
「もう少し我慢してください!」
「今すぐ終わらせて!」
「無理です!」
エンデが横でぽつりと言う。
「先に食べるぞー」
「ちょっとエンデ!?」
まりあも苦笑する。
「冷めちゃいますから……」
ゆきなはさらに不機嫌になる。
「ひどい……」
その時、医師がカルテを見ながら口を開いた。
「検査結果ですが――」
全員の視線が集まる。
「特に異常はありません」
「え?」
えれなが身を乗り出す。
医師は淡々と続けた。
「胸部に軽い打撲」
「いわゆる……青あざですね」
一瞬、静寂。
「……は?」
ゆきなが固まる。
「……青タン?」
医師は真面目な顔で頷いた。
「ええ。それだけです」
「安静にしていれば、すぐ治りますよ」
数秒後。
「……ぷっ」
えれなが吹き出した。
「……くっ……」
肩が震える。
「……あはっ……」
ついに耐えきれず、笑い出してしまう。
「ふふっ……あはははは!」
「ちょっと、えれな!?」
ゆきなが抗議する。
「だって……!」
「だってお姉様……!」
「撃たれて……青タンって……!」
さらに笑う。
まりあもつられて笑い出す。
「ふふっ……確かに……!」
エンデも大笑いだった。
「はははは! すごいな、それ!」
ゆきなは顔を赤くする。
「笑いすぎよ!!」
だが、その空気はどこか救われていた。
あの瞬間、確かに何かが起きていた。
誰も覚えていない。
すべてが説明できるわけでもない。
けれど今は、ここにいる。
笑っている。
それだけで十分だった。
医師が苦笑しながら言う。
「では、検査終了です」
「もう食べても大丈夫ですよ」
ゆきなの目が輝いた。
「やっと!」
すぐにパンケーキへ手を伸ばす。
「いただきます!」
一口
「……おいしい」
その一言で、またみんなが笑った。
甘い香りと笑い声に包まれながら。
奇妙で、温かい朝は、静かに続いていくのだった。
アースのコンピューター内に残された、
あの日の ログ記録。
誰にも知られず、
誰にも思い出されず、
静かに保存された真実。
それが見つかるのは――
いったいいつになるのでしょうか。
まだ誰も知りません。
けれど、
あの奇跡には余波が残っていました。
ミルの巨大な魔法。
本来なら決して交わることのない、
異なる魔力体同士が接触したことで、
見えないところで
少しずつ 異変 が起き始めていたのです。
光と闇。
時と記憶。
相反する力の残響。
それが何をもたらすのか――
未来にしか答えはありません。
そしてその頃、ゆきなは。
病院の 特別室。
かわいい診察服に着替えさせられ、
あちこち検査されながら、
何よりつらかったのは――
おなかがすいているのに、食べさせてもらえないこと。
「まだです。」
「検査が終わるまで我慢してください。」
その言葉に、
しょんぼりするゆきな。
けれどようやく許可が下り、
まちに待たされた――
テイクアウトのパンケーキ。
甘い香り。
ふわふわの生地。
とろけるソース。
一口食べた瞬間――
その感情は、
また格別なものでした。
命の危機のあと。
検査づくしのあと。
空腹の限界のあと。
だからこそ、
その甘さは何より心に沁みたのです。
さて――
ログの真実はいつ開かれるのか。
魔力の異変は何を起こすのか。
そして次のご褒美スイーツは何なのか。
次回もどうぞお楽しみに。
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