38:変貌
辿り付いたのは広い空間。
其処を潜り抜けると本殿が見えた。
本殿からは絶えず重苦しい空気が流れている。
凪は恐らく其処に居るのだろう。
瑞樹が立ち止まる。
先を走っていた狩谷も釣られるように振り返った。
「瑞樹…?」
「ヒロ君…これで終わりだよ…」
乱れた息を整え、瑞樹が狩谷を見上げた。
そして自らの制服のポケットを探る。
冷たい金属の感触を確かめてから、瑞樹はポケットから手を離した。
「…無事に帰れたら…お前に言いたい事がある…」
「言いたい、事?」
「あぁ。俺も腹括る…」
首に掛かっていた水無瀬に託されたチョーカー。
それを握り締め、狩谷は目を閉じた。
「行くぞ…!」
「うん!」
禍々しい気を放つ重い扉を開く。
発せられる瘴気を瑞樹は手を翳して跳ね返した。
そして薄暗い部屋の中へ突入する。
「良く、辿りつきましたね…」
低い笑い声が響く。
包帯で覆われていない方の目は、やはり人外のもので。
敵だと分かる前までは恐怖を感じなかったそれも今は違う。
鋭く今にも射殺さんばかりに2人を見据えている。
「私は、妖狼です。」
「妖、狼…?」
「狼ですよ、」
言い終わるとほぼ同時に、凪の姿が視界から消える。
次の瞬間には、瑞樹の背後に音も無く現れた。
「ゃ…!」
瑞樹の頭を左手で押さえ込み、右手は瑞樹の左腕を掴む。
そしてそのまま瑞樹の首を露出させると鋭い牙を宛がった。
「こうして、この娘の喉を食い千切るのも、引き裂くのも容易い…」
「瑞樹から離れろ!」
狩谷が殴りかかろうとすると、再びその姿は視界から消える。
どうやら完全に遊ばれているようだ。
「まぁ、そんなに焦らなくとも直ぐに楽にして差し上げますよ…」
「私達は死んだりしない…!」
「絶望は唐突に訪れるものです。まだ命を諦めていないなら…」
凪の瞳が鋭く光る。
ただそれだけで身体から力が抜けていくようだ。
瑞樹と狩谷はその場に膝を付いた。
「楽に死ねませんよ…?」
「私は…楽に死ぬくらいなら、苦しくても生きていられる道を選ぶ…!」
「戯言を…」
再び凪の姿が消える。
2人はそれぞれ、四方を見回しその姿を探す。
神経を研ぎ澄まし、意識を集中させる。
ふと、狩谷の右にある掛け軸が揺れた。
「ヒロ君、右!」
瑞樹が声を上げるとほぼ同時に、凪の姿が現れる。
咄嗟に狩谷は身を屈めた。
「っ!」
「ヒロ君!!」
直撃は避けたものの、右の上腕が見る見るうちに赤く染まっていく。
凪の鋭く伸びた爪も同じ色に染まっていた。
滴る血を舐め取りながら凪が笑う。
「一つ、ゲームをしましょうか…」
「ゲーム…?」
「そう。彼らに私の力を託します。彼らを倒す事が出来れば、私の負けです。」
「彼らって…」
瑞樹の目が見開かれる。
狩谷もその姿に言葉を失った。
其処に立っていたのは…
「キヨ君…直君…」
「晋、北森まで…どういう事だよ…!」
4人は無表情で其処に立っていた。
顔色は蒼褪めていて、目は虚ろだ。
「彼らは、この世界で死んだのです。だから私に魂を取られた…」
「魂を…」
「そして記憶の書き換えを行い、私に忠実な僕となる。人間を超えた存在になれるのです。」
こんなに素晴らしいことはない、と凪は笑った。
瑞樹は唇を噛み締め、その姿を睨みつける。
「皆を返して!」
「取り返せば良い。彼らを倒して、ね。」
「!」
最初に動いたのは直だった。
氷のボウガンを構え、矢を瑞樹達の足元に放ってきたのだ。
床が大きく抉れ、破片が宙を舞う。
飛んできた破片を手で払うと、今度は反対側から北森が大刀を構え飛び込んできた。
「やめろ!」
寸での所で大刀を蒼い炎を纏った腕で狩谷が受け止める。
攻撃が止められると、北森は直ぐに身を引いて構え直した。
その後から今度は水無瀬が拳に雷を纏い突っ込んでくる。
殴り掛かってきた拳を狩谷は身を捻ってかわし、カウンターをその鳩尾に叩き込んだ。
ふらつく水無瀬の体。
思わず狩谷が手を伸ばしかけた時、鋭い風が吹き抜けた。
「ヒロ君!」
「ッ!!」
狩谷の右肩から左脇腹に掛けて、大きく裂ける。
血が噴出し狩谷の身体は後ろへと倒れこんだ。
「ヒロ君!!しっかりして!!」
「大丈夫…深くは無いから…」
出血は派手だが、そこまで深くは切れていないようだ。
直ぐにでも治療をしたいが、じりじりと距離を詰めてくる4人がそうはさせてくれそうにも無い。
瑞樹は狩谷を後手に庇うようにして4人を見据えた。
「皆…もう、やめて…」
「何を言おうと、彼らにはもう聞こえませんよ?」
凪の言葉を無視して瑞樹は続ける。
「もう、其処に居ないの…?少しでも聞こえてるならこんな馬鹿げたことは止めて…」
「瑞樹…」
「お願い…みんな…!こんな事で死んじゃ駄目…!生きて!!」
必死に訴えるが、4人にはまるで聞こええていないようだ。
瑞樹の頬を涙が一筋伝う。
その時。
「!」
「何…!?」
瑞樹のスカートのポケットから強い光が発せられた。
その光が4人の動きを止める。
「これは…」
瑞樹のポケットに入っていたのは一本の簪。
死んだ両親が唯一瑞樹に残したものだ。
それを瑞樹が手に取ると一際大きく光を放った。
「傷が…」
光に照らされた狩谷の傷が見る見るうちに直っていく。
4人の動きが止まった。
「これ…は…」
凪が苦しげに胸を押さえている。
次の瞬間。
瑞樹の手にあった簪が更に強い光を放ち、細く鋭い短剣へとその姿を変えた。
「まさか…あなたの親は…」
凪の目は見開かれ、その瞳孔は驚きに揺れている。
瑞樹は顔をゆっくりと上げ、凪の言葉を反芻した。
「私の親…?私の親は…交通事故で死んだよ。」
「あなたの…父親の名は…?」
「瑞樹伊織…」
「やはり…そうでしたか…」
押さえている胸から手を離し、凪が両手を広げた。
「!」
岡野以外の3人がばたばたと倒れていく。
瑞樹と狩谷は警戒するように、それぞれ武器を構えた。
「状況が変わりました。伊織の子ならば、私も本気を出さなければなりませんね…」
「お父さんを知ってるの…!?」
「えぇ…だから私はあなたを全力で消さなければ…」
倒れた3人から抜けた光が岡野へ向かう。
そして全ての光を吸収し終わると、岡野がゆっくりと顔を上げた。
その目は凪と同じ様に瞳孔が縦長に変わり、口元には鋭く牙が光る。
「キヨ…君…」
「岡野…」
ゆらゆら、と岡野は瑞樹達へと近づいてくる。
すっかり風貌が変わってしまったその姿は不気味ささえ感じるほどだ。
「…がぁっ!!」
「!!」
突然、岡野が叫ぶ。
次の瞬間には瑞樹の目の前へと移動していた。
瑞樹は咄嗟に構えた剣で、その牙を受け止める。
しかし、所詮は女の力だ。
じりじりと鋭い牙が迫ってくる。
「瑞樹!」
瑞樹から離そうと狩谷が岡野の横腹を蹴りつけるが、岡野の体はびくともしない。
そうこうしている間にも岡野の牙は瑞樹へと迫っている。
考えている暇など無い。
狩谷は直ぐに体勢を整え、岡野の後ろへと周りその首へ腕を巻きつけた。
「岡野!!お前、ふざけんな!!まだ、瑞樹を泣かせる気かよ!!」
狩谷は躊躇する事無く岡野の首を後から締め上げる。
それでも岡野の目は瑞樹のみを捕らえ、今にも噛み殺さんとしている。
瑞樹の手は小刻みに震え、押し切られるのも時間の問題だ。
「勝手に消えて、泣かせた挙句…!このザマかよ!?」
「…ぐ…、ぁ…」
「お前がそんなんじゃ、張り合いないだろうが…っ、」
ふと、岡野の動きが止まる。
瑞樹は伏せていた視線をゆっくりと上げた。
「キヨ、君…?」
「ミ…ズキ、逃げ…て…」
よくよく見れば、岡野の左目だけが元に戻っていた。
右目は相変わらず人外のもので、牙は瑞樹の首元を狙っている。
それでも取り巻く雰囲気が、少し変わったように見て取れた。
湧き上がる衝動を堪え、必死に押し込めようとしている。
「岡野…か?」
「カリ、ヤ…ミズキを…護っテ、…ぁあア!!」
内から侵食してくる力を押さえ、岡野はフラフラと数歩下がった。
狩谷は移動し、瑞樹を背に護るように立った。
獣の様に体勢を低くし、再び岡野の瞳から色がなくなる。
それでも直ぐに飛び掛ってこないのは、まだ残る岡野の意識が留め金になっている為だろう。
狩谷は瑞樹の手に握られていた剣をそっと奪った。
「岡野…ごめん。」
躊躇いを振り払い。
狩谷の靴が地面を蹴った。
――― 俺、岡野潔。お前は?
――― 狩谷裕之。
――― そっか。よろしくな、狩谷!
――― あぁ。
――― なぁ、狩谷。瑞樹って可愛いよな。
――― そうだな。
――― 肯定、って事はお前ももしかして瑞樹の事…
――― 今の所恋愛に興味ないから安心しろ。
――― そっか…
――― お前とはずっと親友でいたいからさ…
狩谷の振りかざした剣は深々と岡野の胸へと沈んでいた。
ほんの一瞬。
岡野の口元が笑みの形を作った。
『ありがとう…』
そう呟くと、岡野の体は前のめりになりそのまま地面へと沈んだ。




