39:封印
死は怖くなかった。
ただ怖かったのは、自分の存在が無かったものにされてしまうこと。
だから、きっと。
自分は幸せなのだ。
(瑞樹…)
伸ばそうとした手は届かず。
血か、涙か。
滲む視界でその姿は捉えることは出来ず。
其処には暗闇だけが広がっていた。
「キヨ、君…!!」
瑞樹の簪を覆っていた光が、全て岡野の体へ吸い込まれる。
凪が忌々しげに顔を顰めた。
「人間風情が…」
倒れこむ岡野から再び力を吸収しようとするも、出来ない。
どうやら瑞樹の発した光がそれを拒んでいるかのようだ。
翳した手を懐に直すと、凪は鋭い眼光を二人に向けた。
「嘘であって欲しかった…再びこんな形で、伊織の姿を見ようとは。」
「あなた、お父さんの何なの…?」
「知りたいのなら、教えて差し上げましょう…」
ゆっくりと、凪は顔半分を覆う包帯を解いていく。
全て解き終わると、その顔が全て明らかになった。
その姿に瑞樹と狩谷は思わず息を呑む。
「それ、は…」
包帯で覆われていた部分の下は、赤黒く焼け爛れている。
その中央にある目には、切り裂かれたかのような傷。
「この傷は…あなたの父親が私につけたものです。」
「お父さんが…?」
「昔、この地域には多くの妖怪が居ました…私も、含め…ね。」
(20年前)
「〜、」
上機嫌に鼻歌を歌う横顔。
赤い夕日が彼の穏やかな表情を照らしていた。
ふと見かけた瞬間。
綺麗だ、と単純にそう思った。
別に他意があったわけではない。
ただ、何となく。
凪は誘われるようにふらふらとその人間について行った。
林を抜け、神社の鳥居を潜る。
そして境内へ。
そこで漸く彼の足取りが止まった。
「何…?」
振り返る。
茶色の髪がさらりと風に靡き揺れる。
凪はその光景に思わず見惚れた。
「つけて来たでしょ?俺に、用事?」
「…」
「別に怒っているわけじゃない。何か有るなら、聞こうかなって思っただけだよ。」
穏やかな口調。
その人間は、優しく笑いながら凪の元へと近づいて視線を合わせた。
そして、手を差し伸べられる。
「俺は、瑞樹伊織。君は?」
「………」
「教えてくれると、嬉しい。」
「……凪…」
「凪、か。綺麗な名前だな。」
伊織が笑うと、凪の心は温かいもので満たされた。
その当時妖怪は忌避の対象であり、人間と関わることは殆ど無かった。
勿論凪もそうであり、極力人間との接触は避けていたはずなのだ。
しかし、伊織の姿を見た瞬間、何故かそう思えなかった。
近づきたい、とただ思った。
そして伊織もそれを許してくれたのだ。
「おーい!悟!」
「何だ?」
「俺、妖怪の友達出来た。」
「あぁ、そう…じゃあ茶2つ持ってくる。」
神社の境内の中から出てきたのは何処か気だるげな雰囲気の男。
悟、と呼ばれた男は驚くでもなく凪の存在をあっさりと認めたのだ。
その事に驚きながらも、凪は嬉しさを感じていた。
程なくして悟が戻って来て、縁側に3人並んで座る。
「紹介まだだったな。コイツは北森悟。この神社の跡取り息子だ。」
「…凪、です。」
「よろしく。」
それが出会いだった。
ともに時間を重ねるうちに、伊織は凪にとって特別な存在へとなっていった。
しかし穏やかな時は長くは続かない。
3人が出会ってから3年ほど経過した時、事は起こった。
「凪!逃げろ…!」
「悟…?どうしたんですか?」
悟の神社に住まわせて貰っていた凪は、珍しく慌てた様子の彼に驚きながらも訊ねた。
しかし悟はそれには応えず、凪の手を無理矢理引いた。
「良いから逃げろ!手遅れになる前に!」
「悟…?」
「っそ!行くぞ!」
戸惑いながらも凪は悟に手を引かれついていく。
そのまま納戸へと2人は身を潜めた。
程なくして大勢の足音が聞こえてくる。
それと同時に、辺りが急にざわつきだす。
「何処だ!?」
「情報は確かなのか?」
「あぁ。此処でどうやら妖狼を一匹匿っているらしい。」
「早く見つけるんだ!」
「封印しろ!」
凪の口を塞いでいる悟の手も小さく震えている。
息を殺し、その集団が行き過ぎるのをただ二人は待った。
「おい!この納戸調べたのか?」
「いや。」
「怪しいな…」
心拍数がどんどん速くなる。
がたがた、と戸を揺する音が耳に響く。
悟が庇う様に凪をきつく抱き締めたその時…
「待って!」
「あぁ、伊織君か…どうしたんだ?」
「妖狼の居場所…俺知ってるよ。」
収まりかけた心拍数が再び跳ね上がる。
悟の手にも力が籠もるのが分かった。
「本当か、伊織君!」
「うん。あっちの山に逃げてくのを見た。」
「そうか!…行くぞ!」
ばたばた、と伊織が指した方角へ皆走っていく。
全員居なくなったのを確認すると伊織は納戸へ手を掛けた。
「悟、凪…」
「ありがとうございます…伊織…」
「死ぬかと思った…」
す、と伊織の目が細められる。
きらりと視界の端で何かが光った。
「ごめん、凪…」
「伊、織…?」
「俺…こうしなきゃ、いけないんだ…」
それがナイフだと認識する前に、その刀身は凪の腹部へと突き刺さっていた。
避ける隙も、声を出す暇もなく。
熱くなってくる腹に視線を落とすと、白い袴がじわじわと赤く染まってきていた。
「伊織…嘘、でしょう…?」
「嘘じゃない。俺は、妖狼であるお前を、狩らないといけなかった。」
「だから、私と一緒に…?」
「そうだよ。こうして封印するために、俺はお前に近づいた。」
信じていた、信じたいと思っていた人間に裏切られた。
悲しみは徐々に怒りへと変換される。
顔を上げた凪の瞳孔は大きく開き、大きな力の波を放った。
「許さない…」
怒りのまま放たれた力。
しかしそれは見えない力によって弾かれる。
自分が手負いだから、という訳でもなさそうだ。
凪は驚きに目を見開いた。
「凪…俺はお前を処分するだけの力を持ってる。」
「伊織!やめろ!」
「悟は黙ってて。これは俺と凪の問題だ。」
凪の力を物ともせず、伊織はじりじりと距離を詰めてくる。
制止に入ろうとする悟を押しのけ、凪だけを狙う。
伊織が手を横に払うと、凪の作った結界はいとも容易く掻き消えてしまった。
最早、凪を守る物は何も無い。
「伊織…」
「お前は、俺の血と共に…此処に封印する。」
「何故…!何故私を裏切った!!」
「凪…」
「裏切るくらいなら、初めから私を受け入れなければ良かった!こんな屈辱は無い!」
――― こんな悲しみも無い。
凪の叫びに伊織は何も答える事無く、ナイフで自らの手を切りつけた。
滴った血でポケットから取り出した札に文字を書く。
「言い訳の一つでも、して、下さい…」
「言い訳なんか無い。これが、真実だ…」
―――俺を、恨んで…
血の呪文が書かれた札を、伊織は凪の右目へ押し付けた。
途端、札が炎を発し凪の身体を一瞬にして覆う。
身を焼く業火に、声も上げることすら出来ず凪はもがく。
「凪…俺を憎め…そして、何時か…」
その先の言葉は聞こえなかった。
伊織のナイフが再び光り、凪の右目は光を失い身は封印された。
「あれから何年か経ち、私は突然解放された。」
凪は爛れた皮膚を隠すように再び包帯を巻きつけた。
瑞樹は苦痛に表情をゆがめたままだ。
「伊織が死んだのだ、と直ぐ分かりました。」
「……!」
「封印は解けた。しかし、最も憎むべき人間はもう居ない。何年封印されていたかは分かりませんが、世界は変わってしまっていた…」
町並みは変わり、住む人間も変わっていた。
唯一変わっていなかったのは神社。
しかしその中に住む人間に悟の姿は無かった。
「もう気付いているかもしれませんが、悟は透の父親です。」
「北森君の…」
「しかし悟も、すでにこの世に居なかった。私を庇い立てしたことで迫害を受け、自ら命を絶ったそうです。」
凪の目が徐々に鋭くなっていく。
恨み、憎しみ、全てをその瞳に凝縮させて。
「待って!お父さんは…」
「今更言い訳など聞きたくありません。」
自らの身体に残る全ての力を無理矢理引き出し、凪はその手の中に大きな光の塊を抱く。
どんどんとそれは大きくなっていく。
「同じ言い訳ならば、あの日、伊織の口から聞きたかった…」
「凪さん!」
「もう結構です…楽になりなさい。」
圧縮した光の弾を狩谷と瑞樹に向けて放つ。
圧縮されたそれは元に戻ろうと、徐々に大きな光へとなっていく。
飲み込まれる寸前。
鼻先まで迫った光に瑞樹は思わず目を閉じた。




