14:痛み
「アンタの力はそんなもの…?」
「っそ…」
お互いボロボロではあるが、武器がない分水無瀬の方が不利である。
水無瀬には翡翠の攻撃を受ける手立てがないのだ。
一度避けなければ相手に攻撃を叩き込むことが出来ない水無瀬とは違い、翡翠はククリ刀を使い攻撃も防御も思いのままに出来る。
切れた腕の傷から血が流れる。
水無瀬は鬱陶しげにそれを舐め取り、吐き捨てた。
「ざけんな!」
「…っと、」
渾身の力を込めて叩き込んだ上段蹴りも翡翠の刀にいなされる。
よろついた体は情けなく雨に濡れたコンクリートに倒れ込んだ。
降りだした雨は強さを増し、白く煙るほどだ。
ほんの一歩先さえ見えない。
ふらふらと立ち上がると頭上で光る稲光。
続いて耳をつん裂く程の轟音。
「早く避難しないと雷にうたれて死んじゃうよ」
「うっせ…」
立ち上がった水無瀬が覚束ない足取りでまた構える。
しかし翡翠は容赦なくそんな水無瀬の身体を蹴り飛ばし、その掌に刀を突き刺した。
「っああああっ!」
「残念…アンタは守護者として不適切だ。」
仰向けに倒れている水無瀬を尻目に、翡翠は屋上の出口へと踵を返した。
手に刺さった刀はコンクリートのひび割れにがっちりと挟まれて簡単には抜ける気配は無い。
1人雨の中に残された水無瀬は一際酷くなった雨足に目を閉じた。
(痛ぇ…体が動かねぇ…負けた…のか…?)
頭上でまた雷光が瞬く。
今度は1秒と置かず隣のビルに落ちた。
(もう…死んでも良い…か?)
ふと浮かんだ考えを頭を振って掻き消す。
(裕之…)
幼馴染が何年もかけて自分の為に導いた答え。
それは『一緒に生きる』だった筈だ。
ならば、自分の心はもう決まっている。
「死んで…たまるか…!」
刀の刺さってない方の手で、ククリ刀の柄を掴む。
そのまま渾身の力を込めてそれを引き抜いた。
皮膚と肉が引き攣れる激痛に眩暈がしたが、何とか意識を繋ぎとめる。
「一緒に生きるって、誓った…」
「へぇ…」
引き抜いたククリ刀をそのまま頭上へ突き上げる。
まるで雷を呼ぶかのような動作だ。
その動きに答えるかのように空が白く瞬く。
鼓膜が破れるかと思うほどの轟音の中、水無瀬が光に掻き消された。
上がる煙。
パラパラと舞い上がったコンクリートの破片が降ってきて、翡翠の体に当たった。
咄嗟に身を守るために翳した腕の隙間から水無瀬の様子を窺うが、白く上がる煙ばかりでその姿は確認する事が出来ない。
「死んだ…?」
雷の直撃を受けたのだ。
まともに考えれば無事なはずが無い。
唯一つの場合を除いては…
白く濁る煙の中、黒い影がゆらりと動き翡翠は目を見張った。
風が吹き、雨と共に煙が流される。
そこに現れたのは、ククリ刀で雷を受け止めている水無瀬の姿。
翡翠と目が合うと不敵に笑ってみせた。
「死なねぇったろ?」
雷の直撃を受けても助かる唯一つの場合。
水無瀬の持つ属性が『雷』であった場合。
針の穴を通すような確率で、水無瀬はそれを見事にやってのけたのだ。
「運の良い人だね。」
「これで五分だ。負けてやる気はねぇぞ?」
バチバチ、と何かがショートするような音。
水無瀬の右腕に目を遣ると、所々で弾けるように光る電気が見えた。
「属性見つけたら、一応俺の役目は終わりなんだけどね…」
困ったように翡翠は頭を掻く。
しかしその表情は何処か楽しげだ。
す、と翡翠は身を屈め水無瀬の刀を握る手を蹴り上げてククリ刀を奪い返す。
そして再び構えの姿勢をとった。
「良いよ、アンタの気が済むまで相手してあげる。」
「そうこないとな。負けっぱなしは趣味じゃねぇ」
水無瀬が手を真っ直ぐ空に向ける。
再び空が光り、稲妻が水無瀬の体を包み込んだ。
遠くで響いている低く唸る様な轟音。
岡野はふと顔を上げた。
「どうしました?」
「いえ…」
「気になるのは他の守護者ですか?それとも…」
凪の瞳が岡野を捉える。
「端樹さんですか?」
図星を指摘されて岡野は押し黙る。
そんな岡野の様子を見て、凪はゆるりと口元に弧を描いた。
「端樹さんはあなたの恋人なのでしょう?何を心配する事があるのですか?」
岡野の握り締めた手が小さく震える。
動揺を隠すかのように、岡野は凪に笑ってみせた。
「そうだよな!何の心配もない…」
言い終わる前に、凪の指が岡野の口を押さえた。
無理矢理言葉を止められて岡野は戸惑ったように視線を彷徨わせる。
「どうやら…あなたは嘘吐きですね…」
「な…」
「まずはあなたを試す必要がありそうだ。」
す、と離れていった凪の手が印の様なものを結ぶ。
目の前が暗くなっていく感覚。
闇に体が飲み込まれていく。
意識を引き戻そうと伸ばした手も飲み込まれ、やがて岡野の意識は暗転した。
「瑞樹、どうした?」
「ぇ…」
3人と離れ、狩谷と北森の特訓に付き合っていた瑞樹は何処か上の空だ。
そんな瑞樹を先程から狩谷はずっと気に掛けていた。
しかし何と声を掛けて良いのか分からず、何度も言葉を飲み込んでいた。
余りに哀しげな瑞樹の表情にやっと出た狩谷の言葉は余りに月並みなものだった。
そんな搾り出した言葉に、瑞樹はぼうっとした表情そのままに振り返った。
「うん‥皆、大丈夫かなって…」
「大丈夫だろ、簡単に死にそうにも無い奴ばっかだしよ。」
「そう…だよね…」
自分の服の胸元を瑞樹はぎゅっと握り締めた。
その表情は相変わらず晴れない。
「変だよね…何か、さっきから嫌な感じがして…」
「嫌な感じ?」
今度は北森が聞き返す。
瑞樹は北森のほうへ視線を向けるとこくりと頷いた。
両手を二人に向けて翳す。
「左手は氷水に浸けたみたいに冷たいし、右手は電気通ったみたいに痺れてる…」
無遠慮に北森はその翳された瑞樹の左手を握る。
そして無表情なその顔にある綺麗な形の眉が少し顰められた。
「直…」
「何言ってんだよ、北森…」
「直は左利きだ。」
相変わらず言葉の少ない北森に狩谷は溜息を吐き出した。
「この左手は直を表しているとしたら?」
「じゃあ右手は何だよ…?」
「分からない。」
「あのね…!」
瑞樹が狩谷の服の裾を引っ張る。
その目は何かを確信したかのようだ。
「北森君の言う事…私も思ってたの…」
「瑞樹…」
「二人が怪我した時も…体がおかしかった…」
瑞樹はじっと自分の手を見詰める。
冷たく冷え切った左手、感電したように痺れる右手。
そして…
「今もおかしい…手だけじゃなくて、胸が苦しいの…」
「俺達の体に起きる異変がお前の身体にも起こるって事か…?」
「わかんないけど…多分…」
狩谷と北森は此処に居る。
そして怪我も処置されている…
瑞樹の憶測でいけば、此処に居ない3人の身に何かが起こっているということだ。
「何となく誰かも分かるの…」
もう一度瑞樹は両手を前へ伸ばした。
左手は北森の前へ、右手は狩谷の前へと。
「今は左手が直君…右手は水無瀬君…」
伸ばした手を今度は自分の胸に持っていく。
「この胸の苦しさは、きっとキヨ君…」
息が詰まるような胸の圧迫感。
瑞樹は小さな呼吸を繰り返し、それをやり過ごそうと努力した。
しかし胸の重苦しさは酷くなるばかりで、一向に良くはならない。
ついに立っている事も、座っていることも出来なくなった。
境内へ腰を下ろしそのまま横に身を倒す。
「瑞樹…大丈夫だから…」
「うん…分かってる…」
苦しげに、半開きの口から吐息が漏れる。
横になった瑞樹の体にそっと狩谷は自分の上着を被せた。
「大丈夫、皆で戻らなきゃ…」
「そうだな…」
「皆で…っう…」
息苦しさと痛みに思わず瑞樹は呻いた。
思うように呼吸が出来ない苦しさに瑞樹の目に涙が溜まる。
ぼやける視界の中、一瞬だけ恋人の姿が見えた気がした…
(キヨ君…)
その姿は直ぐに暗闇に消えて、瑞樹の身体には息苦しさだけが残った。




