03
「……それで、わたしがここに呼び出されたわけだね」
突然の連絡に快く応じ、コロッセオへとやってきた白瀬城菜は私を見つめ、美し
い笑みを湛えた。
下したてのように真っ白な半袖のオーバーサイズシャツに、長身な彼女の脚の長
さを強調するようなグレーのスラックス。さらにきっちりとした印象を受けるブラ
ウンのローファーを履いている。マニッシュでスタイリッシュな恰好だ。
他人の感情を支配する神器……『神域に至る聖杯』を持つ個体。彼女なら、失わ
れた三途璃さんの感情を元通りに出来るはずだ。話が通じるという意味でも、他の
個体とは一線を画す。
本来ならもっと早くアプローチを掛けたかった相手だけど、残念ながら連絡先を
知らなかったので今日まで接触は出来なかった。委員長であるがゆえにクラスメイ
トの連絡先を把握している三途璃さんがスマホを貸してくれたおかげだ。
とはいえ、ここまでは最低限。交渉となると、ここからが大変だ。
城菜さんは周りを見渡し、ゾンビだらけの惨状に「うわあ……」とドン引きして
いた。けれども恐れや怒りを見せる事なく、下手人である三途璃さんを認めると気
さくそうに「やあ」と声を掛けた。
「昨日ぶりだね、三途璃ちゃん。首尾はどうだい?」
「上々よ。今までにないくらい最高に清々しい気分だわ。ありがとう、白瀬さん」
「なあに、礼には及ばないよ……取引だしね」
城菜さんは笑った。三途璃さんは笑わなかった。
なんだこの会話。この二体、昨日も会っていたのか……?
会話の内容から察するに……
「……三途璃さんの感情を奪ったのって、城菜さんだったんですか?」
「奪ったって……人聞きの悪い事を言わないで欲しいな。彼女の望んだ事だよ」
そう言って城菜さんは私に手のひらを差し出して、その中指と人差し指の間にグ
ラス……『聖杯』を具現化した。その中身は無色透明の液体で満たされていた。
……否、液体ではない。無色透明の内容物は凍っており、杯を傾けても液面が全
く動かない。
「これが三途璃ちゃんの今の感情だよ」
城菜さんは『聖杯』を消し、私に告げる。
「感情というのは、芸術という観点では極めて重要なものだ。それを消してしまお
うだなんてとんでもない話だ。それこそ、狂気の沙汰としか言いようがない。本来
ならば到底勧めるべきではない事だけれど……」
「じ、じゃあどうして……」
「そうすれば、三途璃ちゃんが自分の票を差し出すって言うからさ」
「票?」
「忘れたかい? きみやアイちゃんもわたしにくれたでしょ」
「そ、そういえば……」
林間学校の行き先の話だっけ。結局私と恋心愛は、紆余曲折の末に行き先の希望
を城菜さんに一任する事になったんだっけ。
「あの後、さらに唯野さんと明智君から票をもらってね。で、三途璃ちゃんのを入
れて過半数の六票を手にしたんだ。これで晴れて、わたしの意見が通せるのさ」
「そ、そんな背景があったんですね……ちなみに唯野さんや明智さんとはどうやっ
て話し合いを……?」
「唯野さんとは簡単な勝負を、明智君にはとある実証実験の手伝いを申し出た。内
容は……まあ語る事も無いでしょ」
「は、はあ……」
語るほどの内容ではないのか、語るべきではないと判断されたのか……どちらか
は分からない。ただ後者の方に限っては、ろくでもないのは予想がつく。明智さん
の活動の場合は規模の広さよりも残酷さが問題だから、世界規模の危機にはならな
いとは思うけど……後で一応調べておこうかな。
「……それで? ここにわたしを呼び出したのはどうしてかな?」
城菜さんは優しそうな声で私を見下ろした。怒っている様子はない。旗色はあま
りよろしくなさそうだけれど……ええい、怯むな私!
「あ、あの、三途璃さんの感情を元に戻すっていうのは、その……」
「ちょっと待って」
私の問いに対して、眉を吊り上げるでもなく冷静に三途璃さんが異を唱えた。
「夢路、その話はさっきも言ったでしょう? 私は自分で感情を捨てたんだし、今
から取り戻す事もしたくないって。大きなお世話よ」
「え、ええと……」
そりゃそうか。当人がこう言っている以上、文句が飛んでこないわけがない。と
りあえず城菜さんを呼び出したものの、そこの見通しはまだ立っていない。
行き当たりばったりである。
でもだって、相手はあの三途璃さんなんだから、仕方なくない? 彼女が一回で
も私の思う通りに意見を曲げた事なんて無いし、だったらせめて、城菜さんとの化
学反応を期待するしかなくない? それであわよくば、私の思う通りに事が運んだ
ら儲けものだなって思って……
「あのさあ、夢路ちゃん。わたしにお願い事があって呼び出すのは構わないけど、
そっちの意見は事前に統合してくれないと困るよ」
「す、すみません……」
真っ当に怒られてしまった。なまじ良識がある個体だから、まともな事を言う。
くそう……勢いだけじゃなんともならないのか。当たり前である。
二体の魔神から咎めるような視線を受けて、私は何も喋れなくなった。
うう、情けない……
「……」
そんな私を哀れに思ったのか、城菜さんが視線の先を三途璃さんに向けた。
「なるほどね……愛されてるじゃん」
「ふん。そんな感情、お呼びじゃないって言ってるのよ」
「わたしとしてはそういうの、大好物なんだけどなあ」
「あなたの事情なんて知らないわよ。私はこれが一番いいの」
「その結果、夢路ちゃんを悲しませているとしても?」
「……」
三途璃さんは顔色を変えないまま額の前に手を当て、考え込むような仕草を見せ
た。そしておもむろに顔を上げると、そのままかぶりを振った。
「……駄目ね。今の私では、フラットな判断しか出来ないわ」
「感情を失くしているからね。では一度戻すかい?」
「……それも駄目ね。それではフラットな判断が出来ないわ」
「ええと……言いたい事は分かるけど、じゃあどうしたいの?」
「……私には決められない」
「つまり?」
「……」
三途璃さんの視線がこちらに向いた。城菜さんは特進がいったようで、「へえ」
ともっともらしく頷いていた。
「なるほど、そういう事か」
「ええ……出来るかしら?」
「もちろん構わないよ。やり方はわたしに任せてくれればいい」
そう言って二体は私に視線を集めた。
……え?
「え、ええと、つまり、私の意志を尊重して下さると……?」
「違うわよ。それじゃああなたの意志じゃない。私にとって正しくないわ」
「え?」
「あなたに決めてもらう。でも決めるのはあなたの意志じゃない」
「お、仰る意味が分からないのですが……」
「文句は無いわよね? 元々あなたが言い出した事だもの」
「……」
文句も何も、意味が分からない。三途璃さんは私に何を求めているのだろう。私
は彼女の期待に、どうやって応えればいいんだろう。
「心配はいらない。試されるのはきみの得意分野だろう?」
「へ?」
城菜さんはそう言って私の前に手をかざした。
何も持っていない、大きな手のひらだ。
それを向けられた瞬間、私の意識が急速に閉じていった。
「さあ、ゲームを始めよう」
そんな声が最後に聞こえてきた。
ゲーム……どういう意味だろう。私はそれによって、何かを試されるのか。
それによって、三途璃さんの感情の行き先が決まるのか。
判断を委ねられたというのはつまり、そういう事なのだろう。
よく分からないけれど……今まで以上に負けられない戦いになりそうだ。
負ければ、三途璃さんの選別が続いてしまう。
なんとしてでも阻止しなければならない。
……頑張ろう。




