04
誘拐されるのには慣れている。
覚えているだけで、過去五回も経験がある。ピーチ姫クラスとはまでは言わない
けれど、それなりに一家言あると言ってもいいだろう。
最初に攫われたのは六歳の頃。幼女趣味の男に捕まって、数日間ほど何故か料理
や洗濯等といった花嫁修業をさせられたのを覚えている。今でもあれは理解の及ば
ない謎の出来事だ。子どもの頃の記憶なんて、大なり小なりそんなものかもしれな
い。
二回目は営利誘拐、三回目は宗教絡みだったかな。いずれも連続性は無く、ただ
ただ私の運が悪いが故に起きた事件だったと言わざるを得ない。そこに因果を求め
るならば、頭にアルミホイルでも巻くべきだろう。
でも四回目と五回目は連続した出来事だ。私をこの町に連れてきた大神照と、映
画館で寝落ちした私を自分の家に連れ帰った空々忍に関しては、ある意味仲間と称
して差し支えない間柄なのだから。
じゃあ今……つまり六回目はどうなるのだろう。この場合、私はどういう方向性
だと解釈すればいいのだろうか。
見知らぬ部屋の中で私が起床した物音を聞いたのか、家主と思しき者が現れた。
特徴の薄い栗色の髪……唯野さんだ。私よりも起床が早かったのか、既に身だしな
みを整えた制服姿になっている。対する私は一晩眠ったままみたいなよれよれの恰
好なので少し居心地が悪い。いや、気にしてる場合じゃないのは分かってるけど。
「唯野さん……ええと、ここは?」
「あ、不破さんの家じゃないよ」
澄ました顔で答える唯野さん。
「不破さん、家の中で倒れてたみたいだったから、それで……」
「……」
ああ、そういえばそうだっけ。私、あの後すぐ気絶したのか。私が倒れた音を聞
いて戻ってきてくれたのかな。
であればこれは、ただの看病?
いやいや、そんなわけない。だったらこの足かせは何なのか。
足元に目を落とすと、「あー……」と言い淀んだ声が飛んでくる。
「いや、あれだよ? 他意は無いよ?」
「他意が無い方は寝てる人に足かせなんて付けないと思いますけど……」
「えーと……ドッキリ、的な?」
「……」
「ごめん、嘘」
観念して項垂れた唯野さんは、ものの数秒で開き直ったように顔を上げた。
「その足かせは念のためのもの。目を覚ました不破さんがパニックになって逃げな
いように、一応、ね」
「……逃げるような事をするつもりなんですか?」
「あ、いやいや違うよ? 勘違いしないで。私、そんな悪い魔神じゃないよ? 不
破さんの身柄を拘束して、政府から大金をせしめようなんて思ってないから!」
「……えっと」
「私はただ、不破さんの体調が心配なの! 倒れるくらいコンディションが悪いん
なら、そう言ってくれればいいのに……」
「それは……」
「不破さん、いつも委員長とか木霊木さんとかが暴れそうになったら危険を顧みず
に飛び込んじゃうでしょ。体調悪くても学校行くし無理しちゃうでしょ?」
「……」
無理しない、とは言わない。そりゃもちろん私だって人並みに怠惰だし嫌な事は
避けたいけど……そうした結果のリスクが計り知れないから無理せざるを得ないと
いうか……
学校をサボれば三途璃さんは怒るだろうし、その日一日魔神の暴走を止める人が
いなくなる。多少無理をしてでも、学校には通わないといけない。
「……心配してくれるのはすごく嬉しいです」
だから私はいつも通り、笑みを作って応対する。
「でも私、やっぱりもう平気ですよ。唯野さんがベッドに寝かせて下さったおかげ
でよく眠れましたし……」
「……」
「あ、あの、だから足かせ、外して貰えないでしょうか……」
「…………」
私が懇願すると、唯野さんは何も言わずに上を向いた。ベッドに座っている状態
では、その表情は分からない。まあ立ち上がったとしても背が低いからどのみち分
からないけど。
しばらく沈黙が続いた。部屋の壁掛け時計は、午前八時を示している。唯野さん
の家が街のどこにあるかは知らないけれど、そろそろ着替えて支度しないと間に合
わないんだけど……
「あは」
不意に唯野さんの口から声が漏れた。
「あはは……」
「た、唯野さん?」
「分かってる……うん、不破さんならそう言うと思ってた」
「え、ええと……足かせを」
「駄目」
唯野さんが私を見下ろした。その表情には、狂気染みたものを感じる。
「不破さんは学校に行っちゃ駄目」
「え、ええと……体調ならもう」
「体調はこの際どうでもいいよ。魔神だらけの危険な場所にあなたがいちゃ駄目」
「それは私もそう思いますけど……」
「でしょ? だからあなたはここにいて。学校には私が何とか言っとくから」
「そういうわけには……」
「駄目ったら駄目! 私の言う事、聞いてよッ!!」
突如、目の前の魔神の態度が変わった。苛立った様子で足を踏み鳴らし、床板を
破壊する。拳を握って震わせるその行動は、私を威嚇するのに最適である事を、彼
女は理解しているのだろうか。
唯野さんは私の両肩を掴み、顔を寄せる。見開いた茶色の瞳から、大きくなった
瞳孔が激しく血走っている。
こ、怖い……!
「た、唯野さん……私を一体どうするつもりですか?」
「あなたはもうここから出さない。今日からずっとここで安全に暮らすの。それが
あなたにとっても一番でしょ?」
「い、いや、しかし……」
「あなたは私にとって唯一なの! 魔神になって家族も友達もいなくなったし、新
しく作ろうにも人間は皆気味悪がって近づかないし! 同じ魔神の皆は頭おかしい
変な人達ばっかだし! 私をただ一人の人間として接してくれるのは不破さん、あ
なたしかいないの! まかり間違ってあなたを失ったら私、耐えられない!」
「お、落ち着いてください! 友達役が欲しいなら、政府に掛け合って……」
「そんなの意味無い! どうせそいつら、色々企んで私に接してくるでしょ? 表
面上へらへらしてても、裏ではどうやって私を殺すか常日頃頭の中でシミュレーシ
ョンしてるに決まってるよ! そんな奴らと仲良くなれるわけないじゃん! 不破
さんだから仲良くなれたんだよ!」
「……」
いや、敢えて口に出さないだけで私も似たようなものなんだけど。私だって一応
政府から派遣された諜報員だし。
でもそんな事言える剣幕じゃない。唯野さんは完全に我を忘れている。
「っていうか不破さんも悪い!」
「え?」
「私にあんなに思わせぶりな態度取っておいて、そのくせ他の人達とたくさん仲良
くして! 私が魔神と仲良く出来ないの知ってるでしょ!」
「だ、だって無視は出来ないですし……」
「私には不破さんしかいないのに、不破さんにはたくさん相手がいるんだね……」
「な、なんで浮気を咎められてみたいになってるんですか……?」
「実質そんな感じだから!」
「り、理不尽……」
「とにかく不破さんはもう他の魔神に浮気させない。委員長にも大神さんにも他の
皆にも、もう会わせない! 不破さんは私のもの! これから毎日、不破さんは私
だけと過ごすの! 悪く思わないでね、不破さん! これはあなたのためでもある
の! ここにいれば安全だから! 誰にも何も煩わされず、平穏に暮らせるよ!
あはは! あははははははは!」
「……」
唯野さんは一体で舞い上がり、部屋の中を踊り狂った。その様子はもはや、狂気
と形容する他無い。
おかしいな……どうしてこうなった?
唯野さんは他の魔神と違って、狂気を孕んだ様子は見受けられなかった。人間に
近いメンタルで、だからこそ安全な個体だと思っていた。
いや、実際私を傷つける気は無さそうだし、思想から言って危険ではない。でも
こんなに大胆かつ理不尽な行動を取るなんて、今までの言動からはまるで予想が出
来なかった。
唯野唯は私の予想を裏切った。
彼女の狂気を、私は見抜けなかったのだ。
「それじゃあ不破さん。私は学校に行ってくるよ」
ひとしきりはしゃいだ後、唯野さんは時計を気にしながらそんな事を言う。人の
事を誘拐しておきながら、自分は律儀に学校に行くのか。
いや、好都合だ。唯野さんが見ていない間に逃げ出して、照辺りに助けを呼べば
とりあえずこの場はしのげるはずだし……
「もしかして、逃げ出そうとしてない?」
「え? い、いや、してませんよ!? 私は至って従順なあなたの下僕ですよ!」
「滅茶苦茶分かりやすいね……いっそ好感が持てるよ」
唯野さんは苦笑いし、私に右手の手のひらを向けてきた。
「もちろん逃がさないよ。不破さん、私が魔神って事忘れてないよね?」
「そ、それはもう、常に意識してますけど……」
「あ、そうなの。それは意外だなあ。まあいいけど、えい!」
掛け声とともに、向けられた手のひらのうち小指だけが曲げられ、その先端が私
の方に向けられる。そしてそこからハートマークの小さな物体が飛び出し、こちら
に飛んできた。
「……!?」
避けられない……!
そう思った時にはハートマークが私の顔に当たり、視界いっぱいに広がって溶け
た。そして次の瞬間、背中から「こんにちは」手が触れた。
「わあっ!?」
振り返ると、そこには天使がいた。
顔立ちや背丈は唯野さんとほぼ同じ。ただし髪だけはモモさんみたいなピンク色
だ。トーガを纏って背中には大きな白い羽、頭の上には天使の輪。そして胸の部分
にハートマークが付いている。
これは……なに?
「私の能力……『見かけの四連星』だよ」
と唯野さん。
「記号を付けた相手に聖霊を憑り付けて、いろんな効果が与えられるみたい」
「みたいって……曖昧ですね」
「あんまり使える能力じゃないから。特にそのハートは『愛のある命令を与える』
事が出来るんだけど……今まで使う相手いなかったから。あはは!」
「そ、それで、私に何の命令を……?」
「もちろん『逃げるな』だよ! 愛ゆえに、ね」
そう言って唯野さんが指を鳴らすと、天使が「いえっさー」と敬礼した。この聖
霊とやら、自我があるのか。不思議な能力だ。
試しにスマホを取り出して、外部に連絡を取ってみる。するといざ通話ボタンを
押そうとしたタイミングで天使が私の背に手を触れ、そこから全く指が動かなくな
った。身体が動かない……わけではない。通話ボタンが押せないだけだ。
「どう? 逃げられないでしょ」
唯野さんが得意げに鼻を鳴らした。私は頷く他無かった。
「で、でも、私が休みになったら他の魔神が様子を見に来ると思いますし……」
「分かってるよ。そこも手を打つから心配しないで」
まるで私が逃げたくないと思っているみたいな口ぶりで、彼女は次に薬指を壁に
向けた。今度はクラブマークの記号が打ち出され、壁に触れると緑色の髪をした天
使が現れた。
「クラブのマークは『無生物の強化』。これで壁を強化したから核兵器でも壊れな
いし、外からじゃ不破さんの気配も辿れない。安心していいよ」
「……」
律儀にそう言い残して、今度こそ唯野さんは出て行ってしまった。妙な聖霊二体
と一緒に部屋の中に取り残された私は何もできず、その背中を目で見つめていた。
※
時間が刻一刻と過ぎていく。もうじきホームルームの時間だ。
私は未だ脱出出来ず、唯野さんの家に監禁されていた。
「……」
家主の居ぬ間に家探しをした。唯野さんの私物を漁って弱みに付け込めば、のち
のちこの状況を打開する策になり得るだろうと思って。
でも残念ながら、何も見つからなかった。弱み云々以前に、ほとんど家具が見当
たらない。人間はおろか、魔神が出入りした様子さえ無いのだ。睡眠も食事も必要
としない魔神だけれど、唯野さんは常識的なところがあるからどちらも摂っている
と考えて然るべきなのに。
つまり、そもそもここは唯野さんの家ではないと考えるべきだろう。
魔神の街はその広さに反して人数分の住居しかないから、他の建物は全てはりぼ
て同然の空っぽなのだ。そのどれかに放り込まれたのだとしたら……厄介だ。誰か
が建物一つ一つをしらみ潰しに捜索してくれたとして、私に行きつくのにどのくら
い時間が掛かるやら。
いや、そもそもここが魔神の街である保証さえどこにも無いのか。窓の外から見
える景色は生憎ながら見覚えが無い。学校でも見えていれば話は違っていたかもし
れないのに……
そうなると尚更自力で脱出しないと、私には先が無い。人類にはもっと無い。
今頃誰かが暴走していないだろうか。それを止める手立てを、誰かが持っていて
くれればいいんだけど……
いやいや、他力本願でどうする。私が何とかしないと。
とはいえ……それは難しい。唯さんは出かける前に私の足から枷を取り去ったけ
れど、それは何の足しにもならない事だった。玄関扉はもちろんのこと、窓から身
を乗り出す事さえ私には出来ない。
「はいそれだめー。戻ってね」
背後からピンク色の天使が気の抜けた声で注意してくる。彼女が私の肩に触れる
と、そこからびた一文家の外へ向かう行動が出来なくなる。
「あの、ちょっと外の空気を吸いに行こうと思いまして……」
「はいそれだめー。認めないよ」
「ええと……後で絶対戻るので、ちょっと家に行きたいのですが」
「はいそれだめー。認めないよ」
「……取り引きしませんか? 応じて下さるなら、巨万の富を約束します」
「……?」
天使に話しかけても似たような事を言うか、不思議そうに首を傾げるだけだ。ど
うやら自我があるというよりも、特定の言葉や行動に反応しているだけみたいだ。
これでは騙したり隙を突いたりするのは難しそうだ。
物理的に距離を取ろうとしても駄目だった。私がどんなに気まぐれに動いても、
天使は必ず私の二歩ほど後ろをついてくる。後ろ手で扉を閉めても普通に扉を開け
てくるし、鍵を掛けてもいつのまにか背後に現れる。扉を背にスマホを構えても、
手だけ扉をすり抜けて私の肩に触れてくる。
「はいそれだめー。手を離してね」
「……」
いちいち語調が軽いのが腹立つなあ……
そう思ってベッドに戻り、枕を掴んで投げてみた。天使は枕を避けなかったけれ
ど、けろっとした顔をしている。
「はいそれだめー。全然効かないよ」
「ああ、もうむかつくなあ!」
いっそやけになって、逆に天使に一歩近づく。
天使は逃げない。でも何の反応もしない。
思い切って拳を握り、その額に叩き込んでみた。
「はいそれだめー。逆に痛くない?」
「わ、わざわざ専用のコメントがあるなんて……」
なんかちょっと得した気分になるのは、ゲームの隠し要素を見つけた時みたいな
シチュエーションに似ているからだろうか。でも拳が滅茶苦茶痛くてすぐに泣きた
くなる。この天使、岩みたいに堅いよ……
「もう……いい加減にしてよ! 一体どうすれば離れてくれるの?」
「……?」
「これには反応しないんだ……」
疲れたので、ベッドに倒れて横になる。ああ、こんなよく分からない謎の生物も
どきと戯れている場合じゃないのに……
ハートの天使は私の顔を間の抜けた表情で覗き込む。近くの壁にはクラブの天使
もいる。こっちはずっと壁を背にして動こうとしない。どうやら取り付いた対象の
挙動以外には興味を示さないらしく、こちらを見ようともしない。なんなのこいつ
ら……もうやだ。
万策尽きて天井を見上げる。見慣れない天井に、見慣れない天使の顔。落ち着か
ない。思考を放棄する気にもならない。
「……ん?」
天使の顔をじっと見ていると、その瞳に小さな揺らぎが見えた。ぼんやりと揺ら
いだその正体を追うため、私は天使の顔を掴み、その瞳を覗き込んだ。
「は、はい、それだめー……あなたには他に愛する人がいるんじゃないの……?」
「また専用コメント……しかもなんでちょっと照れてるの?」
「もう、しょうがないなあ……ちょっとだけだよ?」
「何が?」
突然悩ましげな顔をして、トーガをずらすハートの天使。ええと……どう反応す
るのが正解なんだろう。無視していいのかな。いいよね。うん。
「そういう小芝居いいから……ちょっと瞳を見せてよ」
「きゃっ、強引ね! そういう情熱的なの、嫌いじゃないよ!」
「無駄にバリエーションが豊富だなあ……」
ハートの天使だけに、耳年増なキャラを演じる義務でもあるのだろうか……まあ
どうでもいいか、心底。
そんな事より彼女の瞳、ただの眼球じゃない。その硝子に映り込んでいるのは、
見知った教室の光景だ。
視点は窓際。目の前には仄かな輝きを誇る黄金色のツインテール……照だ!
さらにその右隣には、目も覚めるようなショッキングピンクの触角が二本……モ
モさんもいる。この並びは、普段の席順と同じだ。そして普段私の目の前にいるモ
モさんが、今は右前にいるって事は……この視点の主は私の左隣に座る個体。
つまり唯野さんだ。
という事はこの瞳は、唯野さんのものをそのまま映しているって事?
くねくねと身体を捩らせるハートの天使を離し、今度はクラブの天使の瞳を覗い
てみる。こちらは特別私に反応を示さず、されるがままだ。瞳にも何も映っていな
い。ハートの天使だけの特徴……なのだろうか。
再びハートの天使を掴み上げて訊いてみると、「そうだよ……」と妙にしおらし
い態度で答えてくれた。
「愛を誓った二人の間には、隠し事なんて必要ないの。いつでもお互いの視界を共
有すれば、離れ離れでも寂しくないの……」
「……ああ、そう」
なんかうざくなってきたなあ。魔神と違ってこいつらはこっちに実害を及ぼして
来ないから、気楽なものだ。うるさいだけのカメラだと思う事にしよう。
「別に愛を誓った覚えは無いけど……でもそういう事なら、私には見る権利がある
って事だよね。じゃあほら、顔貸して」
「そんなぞんざいな……でも好き!」
「うるさい」
構わず瞳を注視する。どうやらホームルームはもう始まっているらしく、今日の
教師役が教壇に立っていた。上手くやっているみたいで、魔神が暴走している様子
は見られない。
「……」
声は聞こえないから、何を話しているのかは分からない。けれど視界の主が一瞬
だけ、右隣の空席に目をやった。
私の席だ。
次の瞬間、前の席のツインテールに落ち着きが無くなった。どうやら私が無断欠
席している事が伝わったらしい。
教師役がおどおどと忙しそうに視線を彷徨わせている。他の魔神が何か言い出し
たのだろうか。ざわざわという擬音が聞こえてきそうな慌てっぷりだ。
やがて照が立ち上がり、右手に一巻の鎖を具現化させた。『つらなりの鎖』だ。
それで私を探そうと思っているのだろうか。鎖の先端が虚空に消えた。
いつもだったら次の瞬間、私の手首に鎖の先端が現れるのだろう。でもその瞬間
はいつまで経っても訪れなかった。照はやがて何を引っ張り出すでもどこかへ消え
るでもなく、そのまま鎖そのものを消してしまった。
多分、私を探すのに失敗したのだ。この場所はクラブの天使が強化している。唯
野さんはあの天使を置いた時、『外からじゃ気配を辿れない』と言っていた。あれ
はそういう意味だったのか。
部屋が持つ『隠す』とか『仕舞う』とかの意味を強化し、文字通り私の存在を世
界から隔絶させた。
さすがは魔神。さすがは異能力。いくら人間みたいな性格と態度をしていても、
その力は本物というわけだ。
「……」
瞳の中の照は立ったまま、きょろきょろと周りを見渡していた。
一体何をしているのだろう。教師役の男はもはや何一つ口出しできずに呆然と成
り行きを見守っている。視界の主……唯野さんもその視線を追うようにして教室中
を見渡していた。
三途璃さんの姿が見えた。ホームルームの時間が取られている事に苛立っている
一方で、照の事を頭ごなしに止めようとはしていない。
忍さんの姿が見えた。にやにやと面白そうに笑ってる。いつも通りだ。
私の後ろの席の魔神を見た。いつも通り眠っている。こちらに何のリアクション
も示そうとしない。
さらに唯野さんの後ろ……ジュジュさんがいる。不景気そうに背を丸めていた彼
女は、ふと何か恐ろしいものに気付いたようにぎょっとして背筋を伸ばした。
唯野さんが振り返る。その視界一杯に、照の顔が映り込んだ。
「ひっ!?」
思わず驚愕の声が漏れた。
照の純金の瞳の中に、引きつった顔の唯野さんが見えた。
けれど照の瞳は、その姿を捉えていない。彼女はまっすぐに……本当に掛け値無
くまっすぐに、唯野さんの瞳だけを見つめていた。
こちらをまっすぐ見つめていた。
みーつけた。そこにいたんだ。
口の動きだけで、照の声が聞こえてくるような錯覚がした。




