03
魔神対策庁。
今から一ヶ月ほど前に新しく作られた防衛省の特殊機関であり、私達が「政府の
人間」と呼んでいる人達はそこの職員だ。
仕事は主に魔神達の動向監視とそれに付随する事後処理、国民からの問い合わせ
処理、それから私のバックアップの計四つ。人間同士の戦争という概念が無くなっ
た現在、国防予算の九割以上がこの部署に充てられている。
ゆえに高給。ただし死亡による離職率はすさまじく、ここ一ヶ月で全国に三万人
いる職員のうち、実に二割がそれにあたる。その穴を埋めるべく採用基準が日ごと
に下がっており、他の省や庁から毎日のように異動命令が飛び交っているらしい。
とはいえ、今や自衛隊を遥かに上回る巨大組織。生贄……もとい、魔神との恋愛
相手としての駒には事欠かない。高校生である魔神と年齢が近い十代から二十代の
職員を四、五十人ほどピックアップして、顔写真付きの名簿を作り、それをホーム
ルームでクラスメイト全員に配布する事になった。
もしも名簿を見た魔神が気に入った人間を見つけて恋人役として選んだ場合、す
ぐさまその人物が派遣される。後の事は、その魔神に全て委ねられる。
もちろん、政府の許可は得た。差し出された人間はたまったものじゃないだろう
けれど、人類のためだ。私と一緒に死んでもらう。
「……まさか私まで入れられるとは思いませんでしたよ」
ホームルームの直後、本日の教師役を担当したお馴染みの黒服が私に恨み言をぶ
つけてくる。確かにピックアップしたのは私だけど……お門違いな文句だ。
「丁度良い年齢してるあなたが悪いんですよ。それに、こういう事で顔見知りだか
らって遠慮するのもおかしいですし」
「勘弁してくださいよ……」
ちなみにこのお馴染み黒服、年齢は二十四歳。名前は黒魚安蘭というらしい。イ
メージに違わない苗字で何となく面白い。
「ちなみに黒魚先生、魔神の中で付き合うとしたら誰ですか?」
「ぞっとするような質問はやめていただきたい。誰が相手でもごめんです」
「個人的に忍さん辺りを引き取っていただけたら助かるんですが」
「冗談でもそんな事は言わないでほしいものです。私が彼女に殺されかけた事、も
う忘れたのですか?」
「私がどうかしたんですか?」
「ひえっ!?」
いつもいつも、唐突なタイミングで会話に入ってくるから恐ろしい。いつの間に
か忍さんが私と黒服の近くまでにじりよっていた。こちらを見透かすような紫電の
眼光が、今日も貼り付けたような笑みの向こうで輝いている。
その手には、先程配布したばかりの名簿を持っている。他の魔神達同様、降って
湧いた面白イベントの種として興味深く名簿を読んでいるかと思いきや……
「さっきのむーちゃんさんの話から察するに、今日の先生は以前私と会った事があ
るみたいですねえ」
「え、忍さん覚えてないんですか? ほら、先週私と一緒に登校した時の……」
「ああ、あの時の。人間の顔なんていちいち覚えてませんからねえ……」
「……」
さらっと恐ろしい事を言う。よくこれで恋人役を派遣してくれなんて言えたもの
だ。こんな事を平気で口にする忍さんが元人間だなんて、悪い冗談だ。
「ではこれも何かの縁ですし、先生を恋人役として指名しましょうか」
「……!!?」
黒服の顔面が真っ青になった。私も驚きつつ忍さんの表情を覗くと……ああ、悪
い笑みを浮かべている。
さすがにこれは止めるべきだろうか。会話の流れから考えても、忍さんは黒服を
まともに扱うとは思えない。十中八九壊して返してくるに違いない。
でもそれは他の魔神でも似たような事が言えるし、案外忍さんは黒服を気に入ら
ないとも限らない……少なくともそう言える以上、私に止める権利はない。そもそ
も私だって、当初はそういう扱いで派遣されたのだろうし……
「止める必要なんて無いわよ」
「え?」
私が悩んでいると、三途璃さんが傍に寄ってきた。委員長にして発起人の彼女は
他の皆と違い、名簿を受け取った他の魔神を観察していたらしい。
「皆、恋愛云々というより興味本位って感じね。高校生っていってもまだ一年生だ
し、初心なのかしら。まあでも、こういう選択肢があるって提示出来ただけでも、
今回の活動は無駄じゃなかったわね、夢路」
「そ、そうですね……あの、それより三途璃さん。忍さんを止める必要が無いって
いうのは……?」
「ああ、その話だったわね」
三途璃さんは腕を組み、忍さんを見据えた。
「忍、あなた名簿をきちんとよく見た?」
「きちんとって……どういう意味です?」
「夢路が作った名簿は私が事前に目を通して、検閲しているのよ。黒魚先生のペー
ジをもう一度確認してみなさい」
「ふむ……?」
忍さんが名簿を捲るので、その肩越しに私も名簿を読む。該当のページには、他
の殉死者……もとい、恋愛相手と同じように、顔写真とプロフィールが載っている
だけで……
「おや? 小さい字で何か書き足してますね……『指名不可』?」
「その通りよ。残念ながら、黒魚先生は指名出来ないわ」
「ほほう。そのこころは?」
「単純明快! 先生と生徒が恋愛なんて、不純異性交遊以前の問題よ!」
三途璃さんが、すごくまともな事を言った。発言だけなら当たり前過ぎてシュー
ルだけど……それ、魔神の理屈として通用するんだ。
「うーん……三途璃ちゃんはいつも冴えてますねえ」
「あなたに言われると、褒められている気がしないわね……」
二人して苦笑いを浮かべる魔神達。
その傍らで、黒服が青白い顔でへたり込んでいた。
「今この瞬間、初めて教師役に抜擢されて良かったと思っています……」
「あ、あはは……それはおめでとうございます」
「夢路さん……あなたは私の生命を乱降下させるのがお好きなようですね」
「結果的にそうなっただけですよ。人聞きの悪い事を言わないで下さい」
ともあれこれで人間一人が救われた……わけではない。黒服が指名出来ないのな
ら、他の人物が指名されるだけだろう。
「あ、あの、忍さん……くれぐれも、穏便にお願いします」
「んん?」
私の嘆願に、忍さんはわざとらしい呆け顔で答えた。
「むーちゃんさんが何を懸念しているのか分かりかねますねえ。私はただ、恋愛と
いうものを体験してみたいだけですよ」
「……真面目なお願いです。代わりに私が言う事を聞きますから」
「ん? 今何でもするって言いました?」
「そこまでは言ってません! けど、まあ、意気込みはそんな感じで……」
「駄目よ」
低姿勢で媚びを売る私の肩を三途璃さんが引き寄せ、止めた。
え、なんで……?
わけも分からず見上げると、眉を立てたイーグルアイが私を見下ろしていた。
「軽々しく何でもするなんて言っちゃ駄目。あなたの身体は自分一人のものじゃな
いのよ?」
「何でもするとは言ってませんけど……今なんて言いました?」
なにやらものすごく意味深な事を言っていたような気がして、自分の耳を疑う。
私が問い返したのと、照が勢いよく席を立ったのは同時だった。
「ん?」
名簿を開いたままにして、照が大股でこちらに向かってくる。そして開いたペー
ジを複雑そうに私へ突き付けた。
「むーちゃん……これ、どういう事?」
そのページには、やたら見覚えのある黒髪の少女の顔写真だけが貼られていた。
見ているだけで吐き気がしそうな忌々しい顔……むかつくなあ。毎日鏡の前で見
るくせに、なんでこんなところにまでいるんだよ。
「ってこれ、私じゃん!?」
「むーちゃん、反応遅いよ……」
名簿を作ったのは私だ。私が自分を売るわけがない。というか、既に照の友人と
してここに来ている以上、これ以上役割を増やす意味は無い。
だとすると……
「三途璃さん……? なんで私の顔写真なんて持ってるんですか?」
「昨日のデートで撮ったのよ」
「……どうして私を名簿に追加したんですか?」
「だってルール上、あなたも恋人候補の一人だもの。そこはきっちりしないとね」
「え?」
「あ、あなたのところに指名不可って書くのを忘れていたわ。当たり前だけれど、
浮気は駄目よ。あなたは私の恋人だものね……夢路」
「え?」
三途璃さんが何を言っているのか分からない。私がいつ、彼女に指名された?
昨日だ。お試しで、彼女のデートに付き合った。そしてそれは成功した。だから
それで終わり。それ以上の話は無かったはずだけど……
「何言ってるの。私がいつ、あなたと別れたって言うの?」
「え? で、でも、あくまで恋人役ですよね……?」
「そうよ。あくまで仮の恋人。でも期間は設定していないし、どこまでやるかも決
めていないわ。取り決めが無かった以上、勝手に終わらせるわけにはいかない」
「え、えっと……」
「たとえ仮でも、私は本気で恋愛を知ろうとしたわ! だから全力でプランを練っ
たし、本気で恋人役を演じたのよ! その時の想いは偽りのない本心のはず! で
なければ、仮に行った意味が無いわ! 私は本気であなたが好き、私は本気であな
たを愛しているの。私は本気、私は本気、私は本気……」
「み、三途璃ちゃんが壊れたっ!?」
正気を失ったような目つきでぶつぶつと一人呟く三途璃さんを見て、照が飛び上
がった。魔神にあるまじき常識的な反応だけれど……そこに親近感を抱いている場
合ではない。
確かに、三途璃さんは壊れている。持ち前の真面目さが暴走して、役に嵌まり込
んでいるらしい。軽々しく恋人役なんて申し出るんじゃなかった……彼女の真面目
さも融通の利かなさも、何となく分かっていたはずなのに……!
ど、どうしよう……このままじゃ彼女の「仮」に永遠に付き合わされてしまう!
「じ、じゃあ三途璃さん。きりもいいので私達、別れましょうか……?」
「駄目よ!」
鋭く見開かれた銀鉱石が、激情に燃え上がる。
「さっきも言ったけれど、私は本気なのよ! あなたと別れるなんて考えられない
わ! 第一、別れる理由が見当たらないわ! 昨日のデートはお互い何の落ち度も
無かったでしょう?」
「え、ええと、性格が合わないと思った……とか、どう、ですかね」
「……今のは聞かなかった事にしてあげる。もしももう一度同じ事を言ったら、あ
なたを殺して私も死ぬから」
「……」
怖すぎる……! まさかそこまで言うなんて思わなかった。厄介だなあ……
もしも本当に心中する気なら、それはそれでいい。私と魔神一体の生命を交換出
来るなら、人類も万々歳だ。
でも魔神って死なないから、私が一人で犬死にだ。あまりにも無駄すぎる。
いやこれ、真剣にどうしよう。なんて言ってもだめな気がしてきた……
「もういっそ受け入れたらどうです? 逆に言えば、魔神の加護を受けられるんで
すよ。今後も安泰じゃないですか」
「何言ってるんですか、せんせー! だめですよ! むーちゃんはわたしが連れて
きたんですから! 恋人なんて作ったら、遊ぶ時間が減っちゃうでしょ! そうな
ったら、今度こそ世界を削り取るからね!」
「うふふ……むーちゃんさん、愛されてますねえ」
外野は全く役に立たない……どころか、破滅的な事を言っている。口々に勝手な
事を言っているので、一人一人にツッコミを入れたいけど……そんな余裕もない。
三途璃さんは私を本当に恋人にしようとしてくる。
逃れる術はない。
そうなったら、照が世界を滅ぼす。
最悪だ。流れるように世界崩壊のシステムが組み立てられていく。普段は無害な
照だけど、やると言ったらやる……すごみがある。実際、前科もある。
何か……手だては無いだろうか。
縋るような思いで周囲に目をやる。騒動に気付いた他の魔神達は、興味の有無こ
そ違いがあれど、皆一様に止めるつもりは無さそうだ。黒服とて、照や三途璃さん
に口出しなんて出来るわけもなく、当然忍さんは面白がっているだけだ。
「ふっふっふ……やだなあ、むーちゃん。そんなに期待に満ちた目で見られると、
わたしもちょっとばかり頑張っちゃうよ」
「い、いや、頑張らなくていいから! 照はもうちょっと緩く生きてもいいと思う
よ! 世界なんて滅ぼさなくていいじゃん!」
「そんなに必死にならなくたっていいじゃん。どうせわたしがやらなくたって、誰
かが滅ぼすでしょ、世界」
「そんな新雪に足跡付けるみたいな感覚で世界を滅ぼそうとしないで……」
「まあまあ、あくまで仮の話だよ。もしもむーちゃんが三途璃ちゃんに娶られちゃ
ったらって話。そうはならないよう、わたしがこうして腰を上げたわけですよっ」
そう言って照は天真爛漫な笑みを浮かべ、私の肩を掴む三途璃さんの手を握る。
私を介して、二人が向かい合った格好だ。魔神に挟まれた私は、一体どうすればい
いのだろう……
「なによ、照。あなたがどう言おうとも、夢路は譲らないわよ」
手を掴まれた三途璃さんの目の色にほんの僅かな落ち着きが差したけれど、主張
は変わらない。
「私は夢路と真剣に愛し合ってしまったの。悪いけど、撤回は出来ないわ」
「んー……でもそれってあくまで仮のお話でしょ?」
「さっきも言ったでしょう。仮だろうと、恋人同士である事に違いはないのよ」
「そうだね。だからむーちゃんはもう、他の人と付き合えないって言いたいの?」
「そうよ。浮気なんてあり得ないわ。どんなルールでも容認は出来ない」
「恋人がいるむーちゃんにアプローチするのは浮気?」
「当たり前でしょう!」
「じゃあ三途璃ちゃん、むーちゃんを恋人にする前に確認した?」
「確認……?」
「だから……浮気かどうかだよ」
そう言って照は自分の人差し指から『つらなりの鎖』を具現化し、ぐるりと私の
首に巻き付けた。
「もしもむーちゃんにわたしっていう先約がいたとしたら……三途璃ちゃん、自分が
浮気相手だって認められる?」
「…………」
いつになく鋭い照の指摘に、三途璃さんの動きが止まった。
もちろん照が言っているのは嘘だ。私は断じて、照とそんな約束はしていない。
でも、三途璃さんにはそれを否定する事は出来ない。約束をしていないという証拠
なんて、どこにも存在しないのだから。
「ふぅん……悪魔の証明ね。照ってば、なかなか痛いところをつくじゃない」
「お、三途璃ちゃんが珍しくわたしを褒めた! 調子に乗っていい?」
「鬱陶しいから駄目」
普通の会話をしながらも、彼女の手は私の肩から離れない。
「しかし……そうなると困ったわね。普通に考えるとこの場合、私が退かなければ
ならないのよね。でも照のは所詮口約束だし、そのまま鵜呑みにするのはかえって
恋人としては不誠実に思えるわ。そもそも今更ながら、恋愛に優先権みたいなもの
があるとは思えないし、たとえ順序が間違っていたとしても、夢路が私を恋人とし
て扱っていた事実は変えられない……」
「あ、あの、三途璃さん?」
「……略奪愛って言葉もあるわよね」
「考え得る限り最悪の結論に達してませんか!?」
要するに、浮気じゃないか。
三途璃さん……錯乱のあまり、自分で駄目だと言っていた行為を正当化しようと
しているみたいだ。いつもルールを重んじ、きっちりした言動を好む彼女らしくも
ない。いや、彼女だからこそ嵌ったどつぼか。
「……」
彼女自身、それを自覚しているのだろう。だから口を噤み、それ以上何も言えな
くなってしまった。けれどそれでもやっぱり、私の肩から手を離さない。
「……」
照も困ったように首を傾げている。次の攻め手は無いらしい。これ以上三途璃さ
んを刺激したら大変な事になる気がするので、それはそれでありがたい。
「……」
オーディエンスも何も言わない。当然黒服もこんな空気では授業を始めない。他
ならぬ委員長が沈黙しているのだから、それに文句を言う者もいない。
つまり、千日手……膠着状態というわけだ。
「どうやら私の出番のようですねえ」
これ見よがしに肩を竦め、口を開いたのは忍さんだった。
どうしよう、もうろくな事にならない未来しか見えない。
「あまり辛辣な事を言うと、私もあなたのお嫁さん候補に立候補しますよ」
「何も言ってませんが……すみません。どうか許して下さい」
「そこまでストレートに謝られると、いっそ清々しいですねえ」
言うなり忍さんは私への興味を失った様子で照と三途璃さんに視線を送り、ぽん
と両手を叩いてみせた。
「じゃあ、ゲームをしましょうか」
「ゲーム?」
「勝者がむーちゃんさんを手に入れられます。これなら話が早いでしょう」
「……遊びで恋人を賭けるのは、誠実じゃないわ」
「では審判とでも言い換えましょうか。なあに、古くは奉行所でも採用された由緒
ある聖戦です。この私が、お奉行様を務めましょう」
「……」
嬉々として話を進める忍さんに、照達は困惑しつつも、彼女のジャッジに委ねる
事にしたらしく、神妙な顔で頷いた。
それを見た忍さんは、生き生きした様子で私に笑いかける。
「では、手早く準備をしてしまいましょう」
「準備って……あの、審判って一体、何をするんですか?」
その問いを待っていたように、忍さんは私の眼前でぱちんと指を鳴らした。
「大岡裁きって知ってますか?」




