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皇女の恋<最終話>

「おい、本当にあんな場所に行くつもりか?」

「ああ」

 ライナーは頑固な友に呆れていた。クラウスは辺境の地への異動を願い出て身の周りを整理している最中だった。ロータル騒ぎで、今はクレール家を出て絵を描く隠れ家として使っていた家で寝泊まりをしていた。

「グレーテ様の事、好きなんだろう?親友の俺は騙せない。白状しろよ、クラウス」

 無言のクラウスにライナーは再び呆れながら続けた。

「良いのか本当に?」

「良いも、悪いも無いだろう?どうすることも出来ないのだから」

「だから逃げる訳か?」

「・・・逃げる訳では無い。私が居なければあの方のお気持ちが落ち着く筈だ」

「そう自分に言い聞かせている訳か・・・分かったよ。じゃあ、一応言っておくけどグレーテ様の夫候補だった男が素行悪くて降ろされた。そして今、候補に挙がっているのは・・・俺だ」

 クラウスは流石に驚いた表情を見せた。

「妹がだいたい昔から皇子の花嫁候補だったから俺は外されていたけどね。権力分布の関係で同じ家から候補は出さないだろう?しかし、妹が花嫁候補から遠のいているから俺に回って来たようだ」

「・・・・・・そうか。お前が皇女と・・・お前ならあの方を幸せにしてくれるだろうから・・・良かった・・・」

「俺は迷惑だ」


「何だと!」


 クラウスはライナーの胸倉を掴んだ。

「俺は自由な恋愛がしたいんだ。決まった相手なんか興味なんか無い。しかもお守りする皇族が妻なんて気が休まるどころかずっと勤務中のようなものになるだろう?だから迷惑なだけさ。そうそう、それにクラウス、俺は寛容だから妻に恋人が居ても気にしないからな。俺は忙しい身の上で相手が出来なくて申し訳ないから、妻には慰めてくれる恋人がいれば良いと――」

 ライナーは最後まで言葉を発することが出来ず、クラウスに殴られてしまった。帝国一の剣士が素手とは言っても簡単に殴られる訳が無い。ライナーはわざとクラウスを怒らせたようだった。

「そんなに怒るぐらい本気なのに本当に諦められるのか?」

「・・・黙れ・・・ライナー・・・」

「分かったよ。好きにするが良いさ・・・俺はもう帰る」

「ああ・・・ライナー・・・皇女を・・・グレーテ様を幸せにしてやってくれ・・・頼む・・・」

 クラウスは拳を硬く握りしめ肩を震わせて呟くように言ったが、ライナーは答えず去って行った。


 雨の音が煩かった―――


 その音に紛れてクラウスの名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。気のせいだとクラウスは思い荷造りを再開した。何かに没頭していなければどうにかなりそうだった。

 どれくらい時間が経っただろうか・・・ふと手を止めた時、また名前を呼ばれたような気がしたクラウスは窓の外を見た。外は土砂降りで黒い顔料を流した様に真っ黒だ。そこに薄らと何かが光った。窓から漏れる光りに何かが反射したようだった。引き寄せられるように窓辺に近付いたクラウスは驚きに瞳を見開いた。

「グレーテ様・・・」

 窓の外には雨に打たれながら立っているグレーテがいたのだ。光って見えたのはクラウスが贈った櫛が髪に挿してあったからだ。クラウスは窓を越え雨で凍えるグレーテの両腕を掴んだ。

「グレーテ様!何時から此処に居られたのですか!早く中へお入り下さい!早くお身体を温めないと・・・どうしてこんな・・・」

 グレーテは白いドレスを着ていた。まるで肖像画に描かれた姿そのままだったが、全身ずぶ濡れで純白のドレスの裾は泥にまみれ肖像画では薔薇色に染まっていた肌は白磁のように血の気が無かった。それでも真っ青な唇が動いた。


「わ・・・わたくし・・・城を出て来ました・・・皇女の位も何もかも捨てます・・・だから・・・だからどうぞ・・・わたくしを・・・一緒に連れて行って下さい・・・」

「・・・皇女・・・貴女はこんな事をしてはいけない!心無い者達に話題を提供するようなものだ!傷付きたく無いでしょう?」

「いいえ!構いません!世間から後ろ指さされようと、笑われようと、わたくしは貴方について行きたい!お願い・・・わたくしを攫って下さい・・・どうか・・・」

 クラウスは唇を噛み、唸り声を上げた。

「貴女を諦めようと突き放したのに・・・どうして・・・」


 グレーテはクラウスから贈られたものに特別な何かを感じた。記された文章はそんな気持ちを読み取る事は出来なかったが気になった。勇気を出して今一度会ってみようとジークを尋ねるとクラウスが辺境の地に赴任すると聞いた。

 その時、グレーテの心の中で何かが弾けた・・・ジークにクラウスの居場所を聞き出したグレーテは急ぎ部屋に戻り、置き手紙を書くと身支度を自分でした。真っ白なドレスを身にまとい、櫛を髪に飾った。そして警護の目を盗んで部屋を抜けクラウスの隠れ家に向かったが、途中何度も道に迷い雨で尋ねる人影も無くようやくたどり着いた時は夜だった。

 しかしライナーの姿を見止め外でずっと待っていた。そのライナーが去ったがグレーテの足が動かなかった。勢いよく飛び出したもののクラウスの姿を見ると弱気になったのだ。しかし何時の間にかクラウスの名を呼んでいた・・・


 クラウスは堪らずグレーテをかき抱いて抱き上げた。クラウスの首にグレーテは両手を回して縋るように抱きついた。皇女のその腕も手も抱いた背中も足も氷のように冷たかった。

「無茶なことをして・・・雨ぐらいだと思っても雨の夜は気温が急激に下がるのですよ!心臓だって止まりかねない!死ぬ気ですか!」

「いいえ・・・わたくしは貴方に会いたかっただけ・・・」

 クラウスは床に広がる水溜りを見つめた。自分からも皇女からも水が滴り床を濡らしている・・・そして視線を上げ、髪に飾られた今にも落ちそうな櫛を見た・・・宝石商の飾り窓から、ふと目に留まったその飾りは皇女に似合うだろうと思って衝動買いしたものだ。しかし好意を示すような贈物は避けたかった。だから自分の絵にそれを描いた。絵の中のグレーテは自分のもののような気がしていたせいだろう。しかしその想いを断って立ち去ろうと絵と飾りを贈ったのだが・・・クラウスは大きな溜息をついた。


「負けました・・・貴女の勝ちです」


 クラウスはグレーテを降ろしその足元に跪いた。そして驚くグレーテの金木犀の色の瞳を見つめた。

「ああ・・・本当に美しい瞳だ・・・私も貴女を初めて見た時から心惹かれておりました。その瞳で見つめられる度に心は騒ぎ・・・自分を誤魔化すのに必死でした。貴女を欲する資格の無い私は・・・貴女の為に身を引く覚悟を決め・・・でももう駄目です。貴女をもう誰にも渡したくない。貴女を愛する事は罪だと分かっています。世間から謗られようと二度と帝都の土を踏めなくても構いません。ですから私の妻になって下さい。愛しています、グレーテ」

 グレーテは涙で頬を濡らしながら何度も頷いた。そして愛を誓い合った二人は夜明けまでお互いを求め合った―――

 グレーテが何もかも捨てようとクラウスが皇女と駆け落ちすることは不可能だ。現実社会で結ばれる事は無いと二人共、分かっている・・・この至福のひと時は続かず直ぐに消えるのだ・・・



 翌朝、皇女の姿が無く部屋に残した手紙が見つかった。愛する人を追って城出をすると言う内容だ。当然許される筈も無く捜索が開始されたが、連れ戻される前にグレーテとクラウスは皇帝を訪れていた。皇女が城を出て駆け落ちしようとした事が何時の間にか公になり、その相手が今話題のロータルとなれば城中は大騒ぎとなっていた。

「それでグレーテ、駆け落ちは止めたのか?」

 皇帝は意外な事に穏やかな様子だった。ここは皇城の最奥・・・外の騒がしさとは無縁の静かな皇帝の私室だ。その場所には大神官ダマーが呼ばれていた。

「いいえ。本気でございました。わたくしは何もかも捨ててこの方に付いて行きたいと、今も思っております」

「では戻って来たのは・・・クラウス・クレール、そなたが皇女に諭したのか?」

 跪き軽く頭を垂れていたクラウスは皇帝の問に顔を上げた。

「いいえ。私も何もかも捨て皇女を攫う覚悟でございます」

 大神官が、わなわなと震えた。


「ゆ、許されませんぞ!皇女の相手は決まっている!そのような勝手、神殿は許可出来ると、思うかっ!」


 いいえ、とクラウスは否定した。

「許可を望んで戻ったのではございません。私はその許されない罪を犯しました。その罰を受けに参りました」

「わたくしもそうです」

 グレーテはクラウスを見つめながら同意すると、大神官は悲鳴のような声を上げた。

「ななな、なんと・・・皇族の義務を放棄し!その様な・・・定めに逆らうのは神殿、いや、国家への反逆ですぞ!」

「ダマー、まあ・・・落ち着きなさい。グレーテ、処罰がどのようなものか知っているのか?」

 大神官を宥めながら皇帝は相変わらず穏やかな調子で聞いた。グレーテとクラウスが選ぶ道は二つだった。一つ目は追ってから逃れ続けて少しでも長く二人の時間を続ける。二つ目は逃げずに自分らしく意志を貫く・・・引き離されるとしても心は一つなのだとこの道を選んだ。この恋が罪だと言うのならそれを認める覚悟だった。

「いいえ。ですが・・・どのようなものでも構いません。二人で受けるものは辛くても受ける覚悟は出来ております」

「・・・グレーテ、そなたに覚悟は必要ないのだよ。このような事例が過去に全く無かった訳では無い。過去の例では男に罪が有るとし女には無い。もしそなたにこの男の子供が宿ったとしてもそれは問題では無い。そなたはその後、定めに従って嫁ぎ血統の良い子を産めば罪は帳消しだ。しかし男は許されない。皇族を汚した罪で極刑だ」


 グレーテは驚きで瞳を見開くと、言葉を無くして蒼白になってしまった。自分は独身を通しクラウスを心に想い続けながら生きて行くつもりだった。それは彼が生きている事が前提の話だ。離されても心だけは繋がっている・・・それさえ許されないとは思わなかった。しかしクラウスは平然としていた。グレーテに言わなかったが極刑は免れないと覚悟していたのだ。

「クラウス・クレール、そなたは分かっていたようだな?」

「はい・・・私はグレーテ様の想いを受けた時に覚悟致しております」

「クラウス!そんな・・・お父様!わたくしが、わたくしが全て悪いのです!クラウスは悪くございません!彼はわたくしを何時も遠ざけようとしておりました!わたくしが、わたくしが――」

 クラウスはグレーテの言葉を遮った。

「いいえ!皇帝!皇女に非はございません!私は自分の意思で行ったことです!」

「これこれ、余り大きな声を出すな。我が后ヘレーナが飛び出して来る。それで無くても今回の件に首を突っ込みたがっていたのだからな。あれが出て来ると余やダマーは極悪人にされてしまう。のう?ダマー」

「陛下・・・そこに皇后陛下を出されるのは卑怯ですぞ」

 グレーテはもちろんクラウスも殆ど面識の無い皇后が何故自分達の件に関わりたいのか見当がつかなかった。

「クラウス・クレール、余の后を知っているだろう?」

「もちろんでございます。貴き冥の花嫁でありローラント皇子の母君でございます」

「そう・・・冥神の血を帝国に継ぐ貴き血を持つ者・・・それ故に我々は苦悩し無駄な時を費やしてしまった。冥神の貴き血・・・そなたの妹、ジークリンデがベッケラートの娘と知れる前、ローラントはジークリンデを愛していた。しかしそれがどんなに本気だろうと許されない恋だった。分かるな?」


「・・・はい」


「血統の保持が皇族の義務。だから二人の仲は認められなかった。しかしそれを一番反対したのはヘレーナだった。その貴き血の為・・・血統の為に苦しんだ事をローラントにさせたくないと言った。自分が悪い、自分が丈夫で無かったから子供を産めなかったからだと嘆いたのだよ。だから今も自分のせいで愛し合う二人が認められないと思い悩んでいる筈・・・話を戻すがローラントとジークリンデは血統に関わらず我々は容認するつもりだった」

 クラウスはそんな話があった事に驚いた。先程の大神官の言葉では無いが国家反逆罪に等しいものを皇帝が容認するとは考えられなかった。それよりも皇帝が親の情で許しても神殿側は許さない筈だ・・・しかし皇帝は我々と言わなかったか?

「ダマー、今回も目を瞑ってくれるであろう?」

 クラウスは皇帝の促す言葉に再び驚いて大神官を見た。ダマーは不機嫌な顔そのままだ。

「ローラント皇子は目を瞑ろうと思いましたが、皇女はそう参りません」

 やはり・・・とクラウスは思った。しかし皇帝は落胆した様子も無く逆に微笑んでいた。

「そうか。なら良いのだな?」

「はい、目は瞑りません。神殿より正式な許可を出します」


「!」「え?」


 グレーテとクラウスは驚き大神官を見た。不機嫌だったダマーの顔が困ったように笑んでいた。

「ご自分を責める皇后陛下のお嘆きはもう見たくございませんですから・・・それにローラント皇子で覚悟した時に比べれば容易い事。陛下は初めからそうお考えだったのでしょう?」

「まあ・・・そんなところだが・・・婚姻の許可は良いとして、この騒ぎの責任をクラウス・クレールに取って貰わねばな・・・のう、ダマー、あれが良いと思わぬか?」

 急に話を振られた大神官は初め、何だ?と言うような顔をしていたが、ああと言って手を叩いた。

「そうでございますな!そういたしましょう!その処罰ならば我々も賛成致します!」

「お父様!何の罰かは存じませんが、わたくしも罰を受けます!」

「いいえ!私だけを罰して下さい!」

 グレーテとクラウスがお互いに庇い出すと皇帝が笑い出した。

「仲が良くて結構だがこの罰はグレーテには無理なことだからクラウス・クレールに任せなさい」

「陛下、ロータルでございましょう?」

「え?ロータル?」

「そう、大神殿に増築した祭壇画をロータルに無償で描いて貰う。歴史に残るだろうと思う天才画家の絵は時価にしてもかなりの筈。良い思い付きであろう?」


 クラウスはそんな罰が有るかと呆れてしまった。大神殿の祭壇画を手掛けるのは超一流の画家達だ。そしてその名は栄光と共に帝国の歴史に刻まれるもので罰の類では無いものだ。クラウスは姿勢を改めて頭を垂れた。

「クラウス・クレール・・・ロータルはその罰を謹んでお受け致します」

「うむ、頼んだぞ。それとは別にヘレーナの肖像画を描いてくれないか?執務室に飾りたいのだよ」

「もちろん、喜んでお受け致します」

 皇族の肖像画も歴史に名を残す画家にしか描かせないものだ。


 天才画家ロータルと皇女の恋は、神殿と皇帝に承認された時点で醜聞では無く、美しい恋物語となっていた。そして、グレーテはその恋物語の主人公に相応しい女性へと変わって行った。喪服の皇女は臆病な自分をその喪服と一緒に脱ぎ、輝いていた。それはロータルが描いた肖像画そのままのようだった。

 その後、クラウスは画家の道に進んだ。謎の画家は帝国一の称号を持つ画家となったが、相変わらず好きなものしか描かなかったので肖像画は殆ど無かった。その中でも有名なのはローラントとジークリンデを描いた肖像画。そして最高傑作と評されたのは、もちろんグレーテの肖像画だ。まるで息をしているかのようだと評価を受けるそれはロータルの名と、彼の愛した皇女の名を後世に伝え続けたのだった―――


「喪服の皇女」如何だったでしょうか?グレーテの相手は迷いました。未婚の主要な登場人物は色々いましたが、名前ぐらいしか出てなかったお兄様に決定した時は自分でもあれ?と思いました(笑)ライナーが有力だったのですけどね。それとみなさんお判りになったかと思いますが、ラストのローラントとジークリンデの肖像画は「冥の皇子」でティアナ達が見ていた肖像画です。お兄様、いい仕事してますね。

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