イベント:臆病者ですから……
「お、お助けいただき本当にありがとうございます……! アレウスさんって、とてもお強いのですね……! おかげさまで、この命が救われました……!」
礼を述べたあと、深々と頭を下げてありったけの感謝を表現するニュアージュ。
律儀なその様子はどこかミントを思わせたため、あぁ、この人も真面目な人なんだなぁと改めての印象を受けた。
そんな会話を交わす俺とニュアージュは今、拠点エリアである黄昏の里へと戻るために、森林地帯の帰路を二人で歩いていた。
「いつも所持しております"煙玉"が底を尽きてしまいまして……もう、あのオークエルフの群れに食べられてしまうのではないかとヒヤヒヤしてしまいました……! ですが、こうして偶然にも外界でアレウスさんと会えたことに、何かしらの運命を感じます……!」
まぁ、これは運命というよりかは一種のフラグなんだろうな。……いや、この世界における運命という言葉は、イコールでフラグという概念のことを意味しているのかもしれない。
……そんな感想を抱きながら俺は目の前からの感謝に答えつつ、ついでにと気になったある点についての質問を投げ掛けてみることにしてみた。
「なぁ、ニュアージュ。その、煙玉というものは、一体なんなんだ?」
「あらまぁ。煙玉をご存知ではないのですか? さすがは実力者のアレウスさんですね。こんな小物を使用しなくとも自力で乗り切れるお力を持つ方は、さすがに煙玉とは無縁ですよね」
おっとりと。でありながらもハキハキとした調子の、独特なペースで喋るニュアージュ。
……なんか今、さりげなく皮肉っぽいことを言われた気がする……?
「煙玉は、使用するとモクモクと立ち込める煙が現れる、可愛いお団子の形をした小さな玉のことです~。その煙玉を使用すれば、様々なモンスターからの追跡を振り切ることができましてー、わたしのお使いに必須となる道具なのです~」
なるほど。要は、出くわした戦闘から確定で逃走するためのアイテムということか。
追手をとても振り切れそうにない場面かなんかで、その効力を発揮する逃走用のアイテム:煙玉。また新たな知識が増えたことで、俺は一人納得をする頷きを無意識に行う。
……しかし、そんな呑気な俺の脇では尚刻々とイベントが進んでいたらしく。完全に最初の部分を聞き逃しながらも、俺はすぐさまニュアージュの発するセリフへと意識を向けて目の前のイベントと向き合うことにした――
「……わたし、ダメですね。魔法使いとしての経歴もそれなりに長いというのに……一人では何もできず、こうして新米冒険者さんに助けられないと生存さえもできないだなんて……なんだか、わたし自身が情けなく思えてきてしまいます……」
沈んだ表情で俯き。どんよりと落ち込んだオーラを漂わせながら、ニュアージュは独り言のように呟いていくその様子。
そんなニュアージュの様子からは、何かただならない予感を感じさせて。そして今、画面の目の前にはセリフの選択肢が表れたであろうこの場面において、俺は何か気の利いたことを言わないとという焦燥に駆られながらも、ニュアージュのことを想っての選択を行うこととした。
「いや、そんな情けないって……。俺はただ、たまたまニュアージュが襲われていたところを助けただけだったし。情けないも何もニュアージュも、戦闘中に俺を危機から救ってくれた。これでお互い様というか、これでどっこいどっこいだと思うから、何も気にすることはないと俺は思うんだが……」
「……ありがとうございます。アレウスさん」
ただの気遣いだと思われたのだろうか。
自身が情けなくて仕方が無いと。自身に呆れを抱いた切ない表情でこちらを見遣って。慰めに対する礼を言うなり再び俯いては、ニュアージュは相談するかのような意気消沈とした様子で静かに喋り出した。
「……わたし、逃げてばかりなんです。キャシーさんから承ったお使いは、モンスターからの追跡を振り切れる煙玉が無いとろくにこなせなくて。それでもって、何か大変な物事が起きてしまうと、パニックを起こして現実逃避をしてしまったりして。いろんな場面で追い詰められたりすると、何がなんだかわからなくなってしまい……結果、それでいつもキャシーさんに迷惑をかけてばかりなんです……」
泣き出しそうな調子でありながらも、落ち着きを払ったしっかりとした口調で俺に悩みを打ち明けるニュアージュ。
……その物事には、随分と悩まされているようだ。と、彼女の様子や調子からは何の疑いも無くそんな印象を受けることができた。
「こんなんじゃダメですよね。それはわたしも判ってはいるのです。でも……大変なことや怖いことを前にすると、どうしてもそれに立ち向かう勇気を振り絞ることができなくて……。わたしは根っからの臆病者ですから……現実と向き合うこともできず、いつも逃げてばかりで周りに迷惑をかけることしかできなくて……」
心に蓄積した思いが重量となって。その足も前へと出せなくなったニュアージュは、その場で立ち止まるなり身体を震わせ始めた。
"無念"。彼女から受け取ることができた、ある一つの感情。それはアイ・コッヘンのような"後悔"とはまた異なる、悔しい思いにやるせない気分が含まれた、現状に対する未練がましい心残りへの不満を意味するもの。
逃げてばかりという今の自身に、相当な悔しい思いをしているのであろうニュアージュ。
頭では判っていても、恐れという本能からなる危険信号を前にすると気を保つことさえも困難となる。と、彼女は自分自身のことをひどく責めているようであった。
ユノの"未知"やミントの"忘却してしまった喜び"、また、アイ・コッヘンの"後悔"のように、このニュアージュの"無念"もまた、そのキャラクターの象徴や特徴となる部分であることを記憶しておいた方がいいのかもしれない。
それでもって、そんな悔しさに自分自身を責めているニュアージュの姿を見ているのが何だか辛く思えてきて。そして、俺はいつの間にか、持論しかない言葉で彼女の慰めを行っていたのだ――
「……ニュアージュってすごいな」
「…………え?」
唐突の賞賛によって、唖然とするニュアージュ。
「だって、モンスターと出くわすことが怖いと思いながらも、こうしてキャシャラトから頼まれたお使いをきっちりこなしているんだろう? つまりニュアージュは、沸き上がってくる自身の恐れの感情を抑えながらも、それでもしっかりと目の前の現実と向き合っているってことになるよな。それって、並大抵の人間には到底こなせないだろう中々に難しい事だと俺は思うんだ。しかも、その物事は命懸けのお使いときたもんだから、ニュアージュはとてもすごい人だ」
「え……えっと……? あの、アレウスさん……?」
「なぁ、このキャシャラトからのお使いって、いつくらいから始めていたんだ?」
「え……えっと……もう、随分と前から……でしょうか」
「随分と前。つまり、体感で昔からこなしていると言い切れる物事なんだよな。それを、ニュアージュは今日の今まで続けることができたというわけだ」
「……あの。ア、アレウスさん……?」
未だに唖然としていて。現在の会話の内容を飲み込めないと若干の困惑さえも、ニュアージュから感じ取ることができる。
「今の話を聞いただけの感想としては、なんだが。……ニュアージュ、多分それ、自分が思っているほど、実は現実から逃げていないと俺はそう思えるんだ」
「え……?」
「煙玉が無いと、ろくにお使いもこなせない。大変なことが起きると、パニックを起こす。それは多分、ニュアージュが決め付けてしまった、ただの思い込みだと俺は思うの。そうした自分のことを臆病者だと称していたが、最低でも今、俺自身はとてもニュアージュが臆病者になんかとても見えなかったよ。今もニュアージュの姿を思い返してみて、あぁ、あれは臆病者が起こすであろう行動なんかじゃないよなぁと今でも思えるくらいだ。そんなニュアージュから、自分は臆病者だからと聞いたときは、いや、とてもそうとは思えなかったなと、ふと俺はそう思えたんだよね」
「ですが……わたし、煙玉が無いとモンスターと戦うことができなくて――」
「でも。それでも、追手を振り払うためにニュアージュは立ち向かったよな。俺はあの時にはもう、遠くからニュアージュ達の姿が見えていたんだ。ニュアージュがオークエルフの群れへと振り返って。手に持った杖で魔法陣を生成してから攻撃をしていた。その姿はとても臆病者には見えなかったよ。むしろ、ニュアージュはとても勇敢だった。その身なりと杖で魔法陣を生成した姿を見たときは、思わずカッコいいなぁとも思ったしな。俺も魔法使いに転職したら、あんな風にカッコよく振舞ってみたいものだわ」
「勇敢で……カッコいい……? わたしがですか……?」
その言葉は疑念に満ちていたが。その実はちょっと嬉しそうな様相に見えなくもなかった。
……そして同時に、希望で上ずった調子も混ざっていたような気もした。
「キャシャラトからのお使いだって、昔からずっとこなしているんだよな。俺からすると、まず物事の継続という事柄だけでも、それ相応の決心の強さ、つまり、相当な勇気がいることだと思えるからさ。だから、それを続けられるだなんて、ニュアージュはしっかりとした心を持つ、それも、臆病とはとても掛け離れた強い心を持つ人間だと俺は思うんだ。だって、もしニュアージュが本当に臆病者だったとしたら、長い間に渡るお使いの途中でも、道中にモンスターがいる時点でキャシャラトのもとに帰ってきたりとろくに役割を果たせなかったと思うだろう? 自身のことを臆病者だと称している割りには、目の前の現実としっかり向き合っている。だから、俺はニュアージュのことを臆病者だなんてこれっぽっちも思わないし、これからもそう思えないかもしれないな」
「で、ですが……わたしは逃げてばかりで、キャシーさんに多大な迷惑をかけてきました……」
「それももしかしたら、ニュアージュがそう思い込んでいるだけかもしれないよ」
再びの唖然を見せたニュアージュ。
半開きになった口で、俺の発する言葉を待つかのように。ニュアージュはその表情を停止させたまま、視線をずらすことなく俺の顔を見遣り続けている。
「……まぁ、キャシャラトとの間で何があったか。というのは何も知らないからさ。さすがにこれ以上のことは言えないのだけれども。でも、これまでのニュアージュの話を聞いていた限りでは、ニュアージュが掛けたという迷惑に関してはキャシャラト自身、実はそれほど迷惑だとは思っていない可能性もあるかもしれないと、俺はそう思えただけなんだ」
「…………」
……あれ、何かマズいことでも言ってしまったか……?
黙り込み。俯いては何か思考をめぐらせるような思い悩む表情を見せて――
……少しして、ふと何かの域に達したのか。急に自信を取り戻したかのような、柔らかい微笑みを浮かべたニュアージュの表情。
「……アレウスさん。いろいろとありがとうございました」
礼を述べて、頭を下げてはすぐさま振り上げる。
その様子からはどこか空元気を思わせたものの。しかし、その笑みはいつものニュアージュが浮かべる、嬉しい時に微笑む至って自然そのものな表情だった。
「あぁ、いや、なんか、気が利いたことを言えなくてすまん……」
「いいえ、アレウスさんのお気持ちが乗せた先程の言葉の数々は、臆病者という言葉に逃走していたこのわたしの心に訴えかけてくる、とても良い目覚ましとなりました……!」
お上品でありながらも、人間としての力強さを感じさせるニュアージュのその調子。
しかし、彼女の言葉はどこか曖昧で、果たして俺の言葉は彼女を傷付けてなどいないだろうかと不安にさせるものでもあった。
……まぁ、元々独特なペースを持った調子で話す少女のため、その真意を測ろうと言おうものならそれは無謀となって空回りするにきっと違いない。
そう思った俺は深く考えるのを止め。再び元気を取り戻したニュアージュと共に、拠点エリア:黄昏の里へと帰還したのであった――――




