宿屋【やるせな・イン】
「長旅で疲れているのに、私に付き合ってくれてありがとねっアレウス! もちろん、ミントちゃんも! それじゃあ、そろそろ宿屋に向かいましょうか」
黄金と影の領域を。そのもの寂しげな黄昏とは正反対の、まるで太陽のような有り余るパワフルさで駆け出しながら。
それじゃあ、次はあの目的地! ……と、次なる興味の対象を定めたユノは俺達を置いてその先へと走っていってしまった。
「いやほんと元気だな……」
あの長旅を介しても、尚その活発さが欠けない。まさに疲れ知らずといったところか。
もはや、同じ人間とは思えないほどの。それも魔法使い系統の職業であることをまるで感じさせないほどの体力を見せ付けてくる彼女。
未知を求める命知らずな女冒険者。という噂話も嘘では無いということか。と、その未知を求める活力の源を目撃し、俺は改めてユノというキャラクターのことをより詳しく理解できたような気がした。
アイ・コッヘンと別れてから数時間が経っただろうか。
常時夕暮れという体内時計の狂いに体調を崩しかけてしまうものの、それでも俺はユノとミントの二人と巡る黄昏の里の観光を無事に終えることができた。
この黄金と影の色で形成された夕暮れの領域を堪能して。結構時間が経ったねなんていう会話を交わしてから。
それじゃあそろそろとこの地を拠点にするための部屋を確保しに、この拠点エリア:黄昏の里の宿屋へと向かうことになったところだ。
「ご主人様。ただいまフラグを検知いたしました。こちらは……メインシナリオの進行に関わる重要なフラグのようですね。こちらのフラグの反応は、この先にあります宿屋から確認することができます」
俺の斜め後ろから、律儀な様子でついてくるミント。
その彼女からの報告を受けてから、俺は目の前の現実へと向き合う覚悟を改めてきめる。
この先に存在する宿屋を経営する、このゲーム世界における重要となる人物、オーナー。
アイ・コッヘンがそうであったように。今回もその人物との関わりを中心として、俺を主人公とするこの物語が展開されていくのであろう。
「……よし、行くか」
「このミント・ティー。ご主人様のナビゲーターとして、この身体がこの世界に存在する限り永遠にご主人様をお支えいたします」
「ありがとな、ミント。ミントはとても心強い味方だ」
お礼の言葉に、俯いて恥ずかしがるミント。与えられた褒め言葉には、未だに耐性が付かず、といったところか。
俺を支えると意気込んでくれたミントというナビゲーターを味方に。俺は再度覚悟をきめてから、この旅の最初からパートナーとして存在してくれている彼女と共に、メインシナリオの進行に向けてこの歩を進め始めた――
「来た来た! ……来るのが遅かったけれど、何かあったの?」
ユノが早過ぎるだけだ。
首を振って応答し、俺は宿屋の前でこちらを待っていたユノと合流する。その先には、この拠点エリア:黄昏の里に設置された宿屋の姿が。
この地に存在する他の住居と比べると、コンクリートで築かれたその姿がさぞ立派に見えてくる。というか、その見た目通りに立派な建物だ。
その形状はと言うと、あののどかな村にもあった宿屋、リポウズ・インとまんま一致していた。
三階建てで。ブロックのような四角い形をベースとし、所々を均等にくり貫いた全体的にカクカクとした外装。
扉も四角形で、なるほど、この世界における宿屋は、この形で統一されているのだなといった印象を受ける。
そして、その上に掛けられていた看板には、その宿屋の名前となる文字が彫られていた。
「なになに……『宿屋【やるせな・イン】』とな……」
……なんというか。その名前通りに、なんともやるせない名前だ。
夕暮れに照らされた宿屋の文字を読み、俺は一人静かに納得をする。そんな俺の隣では、ユノが目の前の宿屋にワクワクと期待の眼差しを向けていた。
「外には酒場が見当たらなかったから、きっとこの宿屋の中に酒場が設けられている形式のものね! あぁ、こうして仲間と出発地点から目的地まで旅をしたのって私、初めてなの!! 皆、一日や二日で私から離れていってしまっていたから、こう、隣に誰かが居てくれているだけでもすごく嬉しいわ!」
ユノの、未知を求める旅路についていけなかった仲間達の気持ちも、まぁわからなくはないんだよな。
そのクールビューティな外見と反した、有り余るほどの膨大な活力。皆はそのギャップや、困難を極める旅路をひたすらと求める彼女の姿勢に。ユノという命知らずな人物に衝撃を受けることで、その冗談にならないノリについていけずに彼女から離れていってしまうのだろうなと。密かにそう考えてしまう俺。
「私、この時が待ち遠しかったの! こうして旅路を辿った先にある酒場で。こう、これまでに巡ってきた旅路に乾杯~って! 皆、お疲れ様~って感じに、巡ってきた冒険への感謝を込めた祝杯を挙げてみたかったの!! こうして私のもとにアレウスとミントちゃんがついてきてくれた感謝も兼ねて、今日は私の奢りで盛大に祝杯を挙げましょう!」
太陽のように輝かしい笑顔を零して。
穢れ無き純情からなる喜びを表してから、ユノは玄関前の階段を跳ねるように上っていって。それに続くように俺とミントもその歩を歩み出す。
ユノによってガチャリという扉の開く音が響き渡り。彼女の後を追うように、その扉に手を掛けながら。
この黄昏の里に設置された宿屋、やるせな・インに到着となった俺達。
室内にまで侵食した黄金色と黒色が視界に入る中で、俺はこの宿屋の内装に既知感を抱きながら辺りを見回した。
建物内の全体的な色合いとしては、眩しく無く落ち着いた彩度の黄金色が全体を収めていて。その落ち着きに寄り添うように陰りの黒色が侵食している。
そして、広くなく、狭くなくといった横に伸びる長方形な木製のラウンジ。目の前には受付カウンター。左右の空間には木製の丸テーブルや木製のイスが。床や壁の焦げ茶色が無難な雰囲気を演出しており、この地域を覆う陰りよりも黒い絨毯。そして、受付カウンターの双方には奥へと続く廊下が伸びている
……どこかで見たことがあるな。
馴染みのある光景に頭を悩ませ、少ししてから、いや、鈍感な俺はここにきてやっとのことで気付くことができた。
内装が一緒だ。外装といい、内装といい。以前に滞在していたのどかな村の宿屋、リポウズ・インと丸々同じだ――
「すみませーん! 何方かおりませんかー?」
が、そこには人の姿が確認できず。ユノはこの宿屋の関係者を探すように声を張り上げて呼び掛けを行っていく。
落ち着いた黄金色で明るいハズなのに、結果的には全体的に暗い雰囲気で。夕暮れというどことなく不安を感じてしまう時刻の固定に。この建物内はもぬけの殻を思わせる。
そんな目の前の光景を目にして、俺は不気味な場所だという不吉な印象を抱いてしまう。というのも、この宿屋。この建物の中から人間の気配をまるで感じさせないのだ。
……しかも、人間ではない何かの気配であれば、微かに伺うことができてしまう――
「……誰もいないのかな」
そう呟いて、俺は奥にあるカウンターへと近付いていく。
異様なほどまでに目に優しい黄金色の彩色が、この不安を更に駆り立ててくる。それはまるで、嵐の前の静けさ、ならぬ、嵐の前の明るさと言ったところか。
……何を考えているんだ俺は。っと同時に、そんなくだらないことを考えてしまうほどの余裕を持っていることに気付く。
なんだ、心配することなんて何もないじゃないか――
「どちらさん?」
「うぉ!?」
――と、油断した直後に、俺の目の前にあったカウンターから、それが顔を覗かせてきたのだ。
気だるそうで、喉に突っ掛かるような低い声で。活力を思わせず、掛かってきた声の主なんかには興味も無しと言わんばかりのだるそうなその声で。
……そして、目の前から顔を覗かせてきたその存在の正体を見て、俺は驚愕することしかできなかった。
俺が見た限りの感想。それの外見を率直に説明するのであれば。
……その顔を覗かせてきた正体の姿は見るからに、ウナギの姿をしていたのだ――――




