アイ・コッヘンとのお別れ――
「わ~、すごい……私の知らない新たな未知が今、目の前に……っ!!」
思わず、再び感嘆を漏らすユノ。
陰りを帯びた段差を上り終えたその先で。一足先に駆け出していったユノの立ち尽くしている背中を確認しながら、俺は彼女の隣に並んで目の前の光景を見遣る。
そこには、夕暮れの黄昏とその陰りのみで構成された、二色の小さな里が存在していた。
円形に近い台地に存在するそれ。左右にはそれぞれ、木材に藁や紐で装飾や固定された住居や屋台が存在していて。その地を三十人規模の人間達が行き交っている。
お馴染みの道具屋や鍛冶屋が見受けられる他。奥の真正面には宿屋と思わしき、コンクリートやお洒落な看板という立派な外装が施された建物が。台地の地面は陰りで真っ黒。ほぼ、影を踏ん付けている感覚とでも言うべきか。
この里を行き交う人々の大半は、何か大きな荷物を背負ったり持ち下げたりしていて。すれ違う人々と何か会話を交わしては、互いにその荷物から取り出した物を分け合う光景が繰り広げられている。
また、この里の住民と思わしき人々は、ゲーム世界の民族服にしろ、ラフな恰好という現実味を帯びた服装にしろ、頭には日除けの被り物を。胴体や足には、なにやら鎧らしき円形のプロテクターを装着している。
「では、改めまして……えー、コホンッ。アレウス君、ユノちゃん、ミントちゃん。ようこそ。ここが、哀愁平原・ハードボイルドにおける唯一の癒しの土地『黄昏の里』だ」
俺達の前まで歩み、その長身で陰りを纏いながら。
その胡散臭い調子はそのままに。紳士を意識した丁寧な仕草でこの里の紹介をし、振り返って背後の里を見渡した後、再度こちらへと振り返ってくるアイ・コッヘン。
「さて諸君、ここまでの長旅、実にご苦労であった。今回のこれに加えて、君達はきっと、これからも更なる旅路を巡り行くこととなるだろう。本来であれば……いや、実の本音を言うとね、ワタクシはもっと君達の傍にいたかったのだ。いやぁ、この旅路は実に愉快で楽しいものだったよ。そもそもの話としては、ワタクシも、こうして誰かと旅をするだなんて、ほんとに久々なことだったからね。今回、こうして君達とこの旅路を共に歩めて、ワタクシは本当に心から良かったと、そう思っている。君達も同じ気持ちでいてくれていると、実に嬉しいな」
そう言って、アイ・コッヘンは俺達に背を向ける。
「……だが、そんな夢の一時も、これにて閉幕となる。というのも、もう既に気付いているとは思うが……この地に到着した今、これをもって、ワタクシは君達とお別れをしなければならない。これは君達のためを想って行うことであり、ワタクシ自身のために行うことでもある痛烈な現実だ。……が、しかしだ。冒険というものはなんて運命的なものなのであろうか……なにせ、君達もワタクシも、互いにこの足を前へ前へと進めていれば、いずれまたどこかでワタクシ達は巡り会うことになるだろうからね。そう、つまり、これは一時のお別れにしか過ぎないのだ!」
力強い口調で。人差し指を立てながら、アイ・コッヘンはバッと勢いと共に振り返って言葉を強調させる。
「だから、またワタクシのもとにその面々の顔を出してくれたまえ。そして、今より更なる成長を立派に遂げたその面を、また、このワタクシに拝ませてやってほしい。本当に勝手なことを言ってしまうとね、ワタクシは君達のことをまるで息子、娘のように……いや、年齢的には孫という言葉も当て嵌まってくるかもしれない。そう、それほどまでに、ワタクシは君達のことを大切に想い、大切に扱ってきたものだからね。それはもう、孫達の旅立ちに寂しくて仕方が無いのだ」
次に、俺は気付いた。
その力強い口調には、空元気が交じっていたことを……。
「……アレウス君。ユノちゃん。ミントちゃん。君達はこの先、更なる困難や障害とぶつかることとなるだろう。だが、そのことに恥を覚えなくていいのだ。だから、目の前の現実に苦しくなってしまったら、いつでもそこから逃げ出したまえ。目の前の現実に辛くなってしまったら、いつでもあののどかな村に帰ってくるといい。その時には、ワタクシ達は大いに歓迎し受け入れよう。いいかい。冒険者という者は、決して死にたがりな人間のことを指し示す言葉ではないのだ。では、一体なんなのか。それはね……この、冒険者という言葉はね、『その世界にロマンを見出した、その世界に魅了されし永遠の探求者のこと』を指し示すのだ。これはとっても幸せなことなのだよ。だって、自身を魅了する、自身が本当に愛してやまない物事と巡り会うことができた証なのだから。だからこそ、命があってこその永遠の探求者だ。そんな君達に、この言葉を送りたい。……行動を起こす際には、死なないことを考慮していくのではなく、生き残ることを考慮しながらその行動を起こしていってほしい」
力強くも、今まで以上の静かを帯びて。
まるで、自身の孫達に言い聞かせるような調子で、アイ・コッヘンは俺達に言葉を伝えていく。
……のだが、そんな感動のお別れというこの場面においても。俺の隣にいたユノは未知への興奮でうずうずと、もう一刻の探索へとその身体を落ち着かせずにいた。
いやユノ、気持ちはわかるが、その場の空気というものがあるだろう……。
「……ハッハッハ、足止めをしてしまって悪かったね。ここでいろいろと言っても君達が巡る冒険の阻害になってしまうだけだろうから、これはまた次に会ったその時にでも話すとしようかな」
申し訳無さそうにアイ・コッヘンは言う。
いや、なんかほんとすみません。せっかく様々な教えを聞かせてくださっているというのに、なんだかこちらまで申し訳無い気持ちになってきてしまう。
「さぁ、では――アレウス君! ユノちゃん! ミントちゃん! 君達はこの先の旅路で、更なる冒険の数々を巡り巡るがいい!! その足で! その目で! その身体で数多の光景を目の当たりにし! 多くの経験を積むことで、この世界のロマンを巡る一人前の冒険者となれ!! 君達が巡る旅路の幸運を、祈っている!! では、さらばだッ!!!」
「さよなら、アイおじさま!! ――さぁアレウス! さっそくこの黄昏の里を見て回りましょ!!」
「えっ、あっちょ、ユノ――!!」
アイ・コッヘンとの別れと共に、俺はユノに手を引っ張られる形でその場から遠ざかる。
黄昏と陰りの二色で染まった景色の中で。俺は仲間との別れを経験して。
あぁ、これが冒険なんだなと。改めて、このゲーム世界を巡っている実感を認識するのであった――――
「……おっと、ミントちゃん。ちょっとだけいいかい?」
「? はい」
仲間に引っ張られていく主人を追いかけようとその足を走らせた矢先で、背後から胡散臭い調子の声が掛かってくる。
それに反応して振り向く少女。踵を返すなり律儀な佇立をしてから、長身の彼と向かい合って不思議そうに見上げた。
「その、一つだけ。一つだけ、どうしてもミントちゃんに尋ねたいことがあるのだ」
「尋ねたいこと……? ご主人様ではなく、このミント・ティーにでしょうか」
うんうん、と首を頷ける長身の彼。
その動作は、実に速かった。
「その、ね。もしもだ。もしも、この問いに心当たりがあるようであれば、その知っていること全てをこのワタクシに話してもらいたいのだ。いやはや、急にこんな話をしてしまって悪いね。だが、それでも、どうしてもワタクシは尋ねておきたくて仕方が無かったのだ。あのリポウズ・インで交わしたアレウス君との会話以来、どうしてもそれが気になってしまっていて仕方が無かったからね」
たゆたう湯煙の中で耳にした、あの少年からのセリフを思い返して。
胡散臭さという調子が消えた長身の彼は、目の前のいたいけな少女に向かって。
……一転して、迫る調子を交えた鋭い声音を放った――
「……ミントちゃんはあのアレウス君に、"対価"を支払った経験があるかい?」
「……対価。ですか……?」
表情を変えずに。まるで状況を飲み込めないという、少女の首を傾げるその動作。
一連のそれを確認してから、長身の彼は咳払いを一つ交えてフライパンを打ち鳴らす。
「うむ、実に変な質問をしてしまったようだ。いやすまないねミントちゃん、この件に関しては忘れてくれたまえ。――さてさて、その足を引き止めてしまってすまなかった。では、ミントちゃん。いたいけな少女である君にも、この先の冒険における幸運を祈っているよ」
一礼を交えた少女はそのいたいけな小走りで、仲間に振り回されている主人のもとへと真っ直ぐに駆け出していく。
そんな少女の背を見送った長身の彼。実に穏やかに手を振っていたものの、次第にその動作は自然と流れるように頭部へとあてがわれ、次には物思いに耽る様子を見せたのであった――――
「……確かにそのハズだと思ったのだが……どうやら、彼女の様子を見る限りではそうでなさそうだ。しかしそうではないとなると……はて、では……一体なんだと言うのだ……? それか、彼女は"対価"として"記憶"を取られてしまったとでも言うことなのだろうか……? ――様々な可能性が有り得てしまって、現状では判断を下すことが困難だ。いやはや、まぁ、実に気掛かりな面が多いな。……それにしてもだ。ミントちゃんの件のことも大いに気に掛かるが……そもそもの話として、そんな守護女神だなんて不可思議な存在を連れている、あのアレウス・ブレイヴァリーという少年の正体は一体なんなのだ……?」




