NPC:ミントとの会話【よろこび】
夕日を背景とした、黄昏の黄金と影で染められたフィールド:ピンゼ・アッルッジニートの渓谷。
そのフィールドの入り口エリアで黄昏の光景を眺めていたユノ・エクレールとの会話を終えた俺は、薄暗くなった砂地の中を一人歩いていた。
さっきは、中々に実りのある会話ができたなと。彼女と過ごした一時に満足をしながら。それでも、セーブポイントであるキャンプ地に配置されている二人の仲間を思い浮かべて。
……この流れのまま、あの二人にも話し掛けていこうと。そう思い立った俺は簡易的な拠点として設置されているキャンプ地へと赴く。
広大な砂地のど真ん中に存在しているキャンプ地にて。その地に横たわる、枯れた倒木に腰を落ち着けていたミントの姿がそこにあった。
こちらに背を向けて。俯きながら、何かゴソゴソとした落ち着かない様子でいるミントのその姿。
何をしているのだろうか? そんな疑問と共に、俺は音を立てることなくゆっくりと背後から近付いていって……。
「……ミント?」
「――っひぁっ!!」
背後から掛けられた突然の声に驚いてなのか。それとも、このタイミングで俺から声を掛けられたことに驚いたのか。
ミントには珍しい穏やかではない声を上げて。両手を首辺りに引っ込めながらこちらへと振り向いてくるミント。
そんな彼女の鼻には、とても大きな円形の赤い物体が取り付けられていて――
「ご、ご主人……っ様――!!」
その赤鼻に負けず劣らずと、その顔を真っ赤に染めながら。ミントは目をグルグルにしてただただ困惑をしていた。
それの大きさは、親指と人差し指でギリギリ持ち上げられるほどのものでいて。その外見は、まるでお手本のように乱れの無い綺麗な球形で。この様子には赤色の透明なガラス玉を思わせられる。
だが、その触感は弾力を持っており。例えるのであれば、肉質と肌質を持つ生き物の一部のような、生々しい質感と温もりを帯びているという、なんとも気味の悪い存在感を放つその物体を鼻に付けているミント。
確か……ナーゾ・チェルヴァという頭装備だったよな、これ。
……何故、ミントがこれを……?
「な、何をしていたんだ?」
ダンジョン:忘れられたピンゼ・アッルッジニートの峡谷で交わしたあのイベントを思い出しながら。俺は画面の前に現れたであろう選択肢のセリフをそのままに、困惑の次に一人慌てふためくミントに尋ねてみることに。
「こ、これは……っその。あのっ……! に、にゃっ――ふごッ――」
何かを誤魔化そうにも、言葉が思いつかなかったのか。
慌てて赤鼻を取ろうと手を動かすのだが、動かした手は上手くそれを掴むことができず。焦燥のままに持ち上げられた手は赤鼻を下から上への軌道を描きながら叩き上げる
手に当たった赤鼻はミントの鼻からもぎ取れ、彼女がにゃっと声を漏らすと共に上へすっ飛んだ赤鼻がミントの額に直撃。
その不可思議な物体が直撃した額には、赤鼻にそっくりそのままな跡がついていて。
そして終いには、一連の出来事による羞恥で全身を震わせながら、ミントは無言となって俺のことをじっと見つめ始めてきた。
……いや、そんな目で訴えられてもなぁ……。
睨んでいるのか。助けを求めているのか。どちらにしても、何かしらの複雑な感情で向けられたその視線を真っ直ぐと見つめていると――
「……エリア:忘れ形見のピンゼ・アッルッジニートにて、ワタシはこの胸の中に、ある何かを宿しました。ですが、あの場面を最後にして、その正体は未だに行方が知れず……。このミント、そちらがどうしてもと気になってしまい、落ち着きのあるこちらの空間に在していても、尚穏やかな心境ではいられなくなってしまいました……。ですから……その、未知なる何かを理解するために。と、それを引き起こす発端となりました、こちらの赤鼻でありますナーゾ・チェルヴァを装着しておりました次第です……」
「胸の中に、ある何かを宿した……?」
ナビゲーターであるミントがその存在を把握し切れないという、彼女が言う、ある何かというもの。
あの時に二人で交わした言葉を思い出し。あの時に二人で交わした感情を思い返して。
俺は、ミントが今もこうして必死に思い出そうとしている。いや、再発させようとしているその何か、の正体をなんとなく察知することができた。
……もしかして。ミントのやつ、"喜び"という感情を理解しようとしていたのではないのだろうか。
悲しみや苦しみといった感情が豊かであるミントだが。そんな彼女は不思議なことにも、まるで欠けてしまっているかのように、喜びという感情を自身で感知することができないのだ。
「ミント。えっとな、今、ミントが捜し求めているという、その何か、というものは……多分、喜びという感情のことだと思うんだ」
「よろこび……?」
首を傾げるミント。
聞き慣れないといったその様子が、この俺の言葉に対しての立派な返答であった。
「そう、喜び。ミントは、嬉しいという感情を抱くことはないのか?」
「嬉しい。ですか? うれしい……? ……すみません、ご主人様。嬉しいという言葉の存在を把握することは可能なのですが、その、うれしい、という言葉の意味を認識することが、このミント・ティーにはできません……。嬉しい。喜び。どちらも、似たような言葉であることは、このミント・ティーの及ばぬ知識を用いてでも把握することができるのですが……」
喜び。嬉しい。それらの言葉の存在自体は把握し理解することができるというもの。しかし、それらの意味となると、また話は別とのことらしい。
喜びという感情を認識することができないという、このミント・ティーという少女。俺は彼女と共にこの世界へ降り立ったというのに、彼女に関してはまるで謎だらけという不思議なキャラクター。
初日からは、彼女の真面目過ぎるその性格が。セル・ドゥ・セザムの勝気な山丘では、本人から、まるでこの世界にいたことを示唆するようなセリフを。そして今、"喜び"という感情が欠けているこの設定に。
……良いにしても、悪いにしても。俺は、何かしらのただならぬ予感を感じていた。
ユノが未知を追い求めるように。アイ・コッヘンが後悔という言葉をよく用いるように。
……もしかしたら、ミントにもこの世界の住民と通ずる何かがあるのかもしれない。と――
「喜び。嬉しいの意味、か。うぅん、そうだな……」
悲しみや苦しみばかりを抱いてしまうミントに、俺は喜びという感情を知ってもらいたくて――
「……それじゃあ、あのセル・ドゥ・セザムの勝気な山丘でワイルドバードの卵を見つけたあの時は、どんなことを考えていたか。……ミント、覚えているか?」
「アイテム:ワイルドバードの卵の入手の際における思考……? あのシーンで……ですか? えっと、あのシーンの際にめぐらせたワタシの思考は……メインシナリオの達成となりますキーアイテムを、苦難の末に入手したことによります、ご主人様を次なる展開へ導くための状況整理。でしょうか……」
喜びという感情を知らないと言うわりには、すごく良い笑顔を浮かべて笑うものだから――
「えーとだな……その時に何か、想い、というものを感じなかったか? 例えばさ、辛い、とか……苦しい、とか……」
「悲愴の念も苦悩の念も抱くことはありませんでした。ただ、このミント・ティーの胸の中に伴う、何か、この……言葉にならぬ高揚感でありましたら、その当時には巡り巡っていたかと思われます。その際には、何か、その……ワタシの胸の中に、ある違和感が巡り巡った記憶がございますので……」
こんな年頃の女の子が、喜びという感情を知らないなんていうこの現実が。俺はなんだかすごく可哀相に思えて仕方が無くて――
「うんうん。それじゃあ次に、だ。その赤鼻を俺に付けてもらったその時には、どんなことを考えていたかな?」
「あちらのシーンの際には……ご主人様にあられもない姿を晒してしまったことによる羞恥が、このミント・ティーに巡っておりました――」
俺はこの少女を。
このミント・ティーという、真面目過ぎる性格が故に、従順を生涯とした人生に何の遺憾も見せず。
自身の意思も身も全て主人に委ねて。自身の全てを押し殺しながら、それでいて喜びという感情を知らずのままこの先を生きていく一人の女の子を……一人の人間として成長させていきたいと思ったから――
「――いえ。羞恥の他にも、時を同じくして感知した、あの高揚感……それは、以前のワイルドバードの卵の、あのシーンと共通して……まるで同じ高揚感でありました……。……あれは、一体――?」
「そう。それだよミント。その高揚感が、喜びという感情なんだ」
「これが……よろこび……?」
「そうだ。それが喜び。そうだなぁ……何か、自分が好きだと思ったものや、求めていたものを手に入れた際に、こう、ぶわっと一気に元気が沸き上がってくる感情があったりするんだが。それがミントの言う、その高揚感というもの。これは俺達だけでなく、様々な生物がこの心に宿す、そうだな……こう、心の底から気分が盛り上がってくる、生きていく上で最も最高だと思える、一番良い感情なんだ!」
俺はいつの間にか親身となって。ミントに喜びという、欠けてしまっていた感情を教えていた――
「だから、この高揚感が巡り巡ってきたその時には、嬉しい、っと言うんだよ」
「……うれしい……?」
胸の中から沸き上がってくる高揚感をその全身で感じ取って。
新たな発見に。自身の知らぬ存在の感知に。
活気を宿しながら淡く揺らめく、感情という一つの炎をその身で感じて。
……ミントは、手に持っていた赤鼻を顔にくっ付けながら……
「……嬉しい……っ」
……喜びの感情を感じ取った、穏やかな表情を浮かべて。
ミントは、俺に優しく微笑んできたのであった――――




