指導の時間
『グオォッ!! グオォッ!! アオォォーンッ!! オガァァァァアアァァァッッッ!!!』
大気を喰らわんとばかりの咆哮が轟き。その大口から唾液や胃液から血液までをも散らしながら。充血した血眼でその豪腕を振るい。
数段もの攻撃力が上がった脅威のステータスを誇るオオカミ親分。その豪腕にオレンジ色のオーラを纏い、目の前から次々と姿を現した標的の仲間を貪り喰らうために猛進を開始する。
そんな眼前からの脅威を前にしても尚、俺達の代わりとして戦闘を引き受けたアイ・コッヘンは至って至極冷静のまま。
その落ち着きを払った紳士的な姿勢で、右手に所持する釣竿型のレイピア:グルグル・マーキを構えて。逆上で唸るオオカミ親分とは反して、アイ・コッヘンはその場で静かに佇立をしていた。
「指導の時間だ。来なさい」
アイ・コッヘンへの飛び込み。全身の筋肉を活用した素早い跳躍から、オオカミ親分は特技『ウルフィンガー』による高威力を宿した豪腕を獲物へと振り被る。
機敏な動きから繰り出された一撃は狂いも無くアイ・コッヘンへと突出し。瞬間に、アイ・コッヘンの姿が喪失して豪腕が空振りに――
……アイ・コッヘンの姿が喪失?
「遅い」
大地に直撃した『ウルフィンガー』。その地盤を砕き大量の砂埃が辺りに立ち込めるが。その豪腕から紙一重の距離に、姿勢を一ミリも変えずに未だ佇立を続けていたアイ・コッヘンの姿がそこにあった。
まるで何事も無かったかのように、冷静沈着のまま相手の動きを評価しながら。それでいて、頭部であるフライパンが眼前のオオカミ親分の顔を見据えながら。
特段揺さぶられた感情も表情も見せないその様子に、オオカミ親分は気に食わんと逆上の念を沸き上がらせ――
『グオォォォンッ!! アオゥッ!!』
オレンジ色のオーラを纏いながら。攻撃と特技を織り交ぜたその恐るべき猛攻を繰り出してきた。
その様子は、俺との戦闘のとき以上に激しいものとなっており、もはや、素人である俺ではヤツの動きにまるで目が追い付かない。
目に見えない攻撃と特技の連撃を前に、見学者である俺とユノは戦慄を覚える。
そんな俺達の前では。それでもってオオカミ親分の眼前では。
――ありとあらゆる猛攻の連続を。その姿勢や様子を変えることもなく。
最低限の素早いステップのみで次々と回避をしていく、アイ・コッヘンの姿。
「……なんだ、あれは……」
思わず呟く。
とても信じられない。あの猛攻を超える速度で、それでいて必要最低限の動きによる紙一重の回避が当たり前だと言わんばかりに。そんな、ギリギリでいてバリバリな余裕を持つアイ・コッヘンの姿に。
これはもう、呟きざるを得ない――
「アイおじさまの職業:フェンサーは、接近を主体とする職業の中でも特に抜群な俊敏力を有する、素早さと器用さを兼ね揃えた剣士気質の職業なの。アレウスの職業:剣士と比較した際の特徴としては、やっぱりあのような素早い俊敏力ね。あの素早い動きで相手を翻弄して、そこに鋭い一撃をお見舞いして再び様子を伺う……その繰り返しを例えるならば、超高速アウトローと言った感じかしら」
唖然としていた俺の脇で、何も知らない俺のために説明を添えてくれるユノ。
「欠点としては、あのレイピアによる攻撃の一撃が、他と比べて弱々しいところかしら。それでも、あの素早い動きからのヒット&アウェイの戦法は中々に強力なものであるし。何より、アイおじさまはこの辺りの地域における守護を任された相当な実力者なの。そんなアイおじさまの正体は……その力を有しながらも、ある騎士団を引退した"元騎士団の隊長"さん……!!」
ユノの口から、今後のフラグに繋がってくるであろうまた新たな言葉が飛び出てきたその瞬間に、目の前で繰り広げられていた戦況に変化が生じた――
「その立派な豪腕を怒りのままに振り回したりなんかして、それほどまでにこのワタクシを捉えたいのかい? ハッハッハ、ならば結構。では、君のお望み通りに、その攻撃が当たるよう立ち止まってあげようじゃないか。だから、君はこの隙に、思う存分にワタクシを攻撃してくれたまえ」
未だに微塵も動かしていない上半身で。アイ・コッヘンは余裕を含んだ調子で急停止と共にその場で佇立。
これまで散々と攻撃を避けられて。更になめられた行動までもとられたオオカミ親分。その頭部に血管を浮かべて怒りの咆哮を。そして、感情の赴くがままにオレンジ色のオーラを纏った『ウルフック』が、アイ・コッヘンへと振り被られて――
「最も。君が行動できるのであれば。なのだがね――」
瞬間――アイ・コッヘンの周囲を包む、未だ見たことの無い緑色の透明なオーラ。
次には、オオカミ親分の特技と重ねるように突き出された、アイ・コッヘンのレイピア:グルグル・マーキが。
そして、この時に生じるであろう相殺というシステムがその機能を果たさず。
なんと、アイ・コッヘンのスキル攻撃が、あのオオカミ親分のスキル攻撃を貫通してしまったのだ――
「レイピアスキル:一尺八閃!!」
横切る閃光。
オオカミ親分に突き出された一撃と同時にして。目に見えない一度の突きから現れたのは、鋭く尖ったレイピアの如き八つの閃光。
質量を宿した閃光は、レイピアの着弾地点に集うかのように。
その一度の攻撃によって定められた地点へと向かい、ダメージの概念を宿した八つの閃光が、眼前のオオカミ親分を一気に貫く。
――何が起こったのか。まるで理解できない。
悲鳴をあげる余裕も与えられず、オオカミ親分が怯みによって項垂れた頭部に。そのスキルの効果によって行動の放棄を余儀なくされたオオカミ親分へと。
見慣れているのであろうその洗練された動きのまま、アイ・コッヘンは次なるスキルを繰り出す。
「レイピアスキル:一閃懸命ッッ!!」
勢いよく突き出された、至ってシンプルな突き攻撃。
だが、それの直撃と同時に発生した巨大な閃光。表記には『会心』の文字が浮かび上がり、オオカミ親分のその図体を後方へ一気にぶっ飛ばす。
なるほど。ユノが言うには、あのレイピアという武器自体に設定された攻撃力は相当に低いということらしいが。どうやらその低い攻撃力を補うための、多段に渡るヒット数と倍率が乗った会心攻撃というわけか。
『グオォッ!! グオォッ!! アオォォーンッ!!』
一瞬にして反撃を食らい続けたことによって、更に怒り狂うオオカミ親分。
その咆哮を轟かせては自身の攻撃力を上げて。更なるステータス上昇を重ね掛けることでより一層の破壊力を宿す豪腕。
そしてオレンジ色のオーラを豪腕に纏って。怒りのままに先程と同じく獲物のもとへと駆け出すその様子に。
アイ・コッヘンは、呆れのため息を漏らした。
「君はこれまでにも、対峙してきた数多の冒険者の命を狩り取ってきた強者の端くれにきっと違いないのだろう。だからと言って、別にワタクシは、その彼らの無念を晴らすためといった正義のヒーローを気取るつもりは毛頭無いのだがね。そう、これは仕方の無いことなのだ。何故ならば、これは自然界における摂理であり、何が良い何が悪いという問題ではないのだから」
その調子には、まるで自分自身へ言い聞かせるかの含みを思わせて。眼前の化け物へと語り出したアイ・コッヘン。
陰った声音。重みを帯びたその言葉に続けて。アイ・コッヘンは思考を転換するために一度首を振って間を挟んでから、再び眼前から迫り来るオオカミ親分へと向き直った。
「だが、それは自身も対象だということを忘れてはならないよ。そう、この摂理に、慈悲なんて文字は存在しないのだ。だからこそ、よく聞きなさい。オオカミ親分――」
そして、眼前へ向けていたグルグル・マーキを一振り――
「今回、君は狩られる側なのだよ」
瞬時に、腕を振るって手前でグルグル・マーキを回転させる。
同時にレイピアから漂い出す透明な気の流れ。それは俺の『カウンター』をどこか思わせ、しかしそれ以上に濃い気は濃度となって霧を生成する。
「フェンサースキル:閃集霧散」
生成された霧はアイ・コッヘンの全身を取り巻き。
その姿が薄らぼんやりとした幻影を漂わせる幻の如き容姿となったアイ・コッヘンへと、オオカミ親分はオレンジ色のオーラを纏った豪腕を構えて跳躍する。
「まずは敗北を知ることだ。敗北を期すことによって、己の不足した部分を見つめ直すことができるというもの。これを出来る限りの早い段階で気付き施しておいた方が、未来を生きる自分自身のためになるのだ。でないと、本当に大事なその場面となってから、その結果と共に"それ"が容赦無く己を蝕んでくることだろうからね」
オオカミ親分は跳躍からの、超火力を宿した『ウルフック』をアイ・コッヘンへと振り被る。
その勢い。その速度。その気迫は正に先程とは比較しようが無いほどにまで段違いであり、その一撃にはあらゆるものを粉砕し滅却する威力が宿されていたことそう違いない――
「ははぁなるほど。どうやら、"君はワタクシと同じタチ"のようだ。だからこそ、今この場面でしっかりと認識し把握しておくと良いだろう。いいかい、オオカミ親分。しっかりと、その身でよく知っておくのだよ――」
超火力を纏った豪腕の一撃がアイ・コッヘンへと一直線に振られ。
今、長身である彼の身体に直撃――
「失敗――つまるところ、後悔というものを学ばない限り、君がワタクシに攻撃を当てることは決してできないだろう」
オオカミ親分の『ウルフック』が、アイ・コッヘンを取り巻く霧に直撃したその瞬間――触れた豪腕の面が突然、空間が歪むかのようにぐんにゃりと原型を崩し始めたのだ。
それは溶けているという物理的なものではなく、霧が衝撃を宿す物体を吸収することによって、その威力を受け流しているとも見て取れる。
オレンジ色のオーラを纏った一撃はあえなく受け流され、次には豪腕がつるんっとアイ・コッヘンの目の前を空振りしていき――
「レイピアスキル:足払い」
音速の足払い。
俺に見えたのは、その軌跡のみ。アイ・コッヘンの腕が動いたと思った次にはオオカミ親分が体勢を崩しており。
未だ出くわしたこともないと伝わる驚愕の表情を浮かべたオオカミ親分の頭部に向かって。アイ・コッヘンは慈悲も無くそのレイピアを突き出した――
「レイピアスキル:一閃懸命ッッ!!」
視界を覆い尽くす、横切る閃光の一直線。
会心という表記を読み終えた時には、既にオオカミ親分は遥か遠くへと吹き飛ばされていて。
『グオォッグオォッアオォォーンッ……!!』
遥か格上の狩人を前に、オオカミ親分は砕けた牙を手で押さえながら悲鳴をあげて。周囲に存在していた子分を連れながら、どこかへと走り去って行ってしまった。
「……戦闘、終了です。この瞬間に、新たなフラグを感知いたしました。それは、ご主人様を取り巻いていたサブシナリオが消え失せる反応。すなわち、こちらはサブシナリオのクリアの達成を意味しております。あの……ご主人様。……本当に、お疲れ様でした」
ミントからの報告を耳にして、俺は我に返ったかのようにハッと息を飲む。
それは、散々な絶望を思わせる窮地に現れた目の前の希望に。勝利が確実となったアイ・コッヘンの華麗なる一連の戦闘に魅了されて。
……俺はいつの間にか、またしても涙を流していた。
「おめでとう、オオカミ親分。これで君は成長した。この敗北をキッカケとして、更なる高みへと精進するが良いだろう。まぁ、最も。"その念"によって自身の可能性を潰してしまえば最後、その成長はまるで無駄となってしまうのだがね――」




