これは現在における敗北であり、将来における勝利でもある
『グオォッ!! グオォッ!! アオォォーンッ!! オガァァァァアアァァァッッッ!!!』
大気を喰らわんと空間に轟く、オオカミ親分の逆上からなる咆哮。
それと同時に行われた行動、特技『ウルフック』のモーションを前に。俺は恐怖心に苛まれ涙を零すことしかできなかった。
もう、目の前で対峙する化け物との戦闘にはうんざりだ。
イベント戦という特殊な設定が施された、逃げ場の無い戦地の中心で。俺は震える手で回避コマンドに触れながら、眼前の圧倒的脅威に身震いを起こしているばかりで――
「か、回避ッ――!!」
回避率に全てを託し。俺はその場からの脱却を試みて側へ跳び付いた。
なんてカッコの悪い姿なのだろうか。もはや命辛々という状況下で、それでも俺は好調に回避を成功させていく。
俺が跳躍した地点には、既に振り抜かれた『ウルフック』の残像と衝撃による風圧が発生しており。余した余韻に吹き飛ばされながらも、俺はこの『ウルフック』の後に行われる『フルカウンター』への反撃に備える。
……だが、もはや俺のド新人な思考はヤツの手中であるらしく――
『グオォォォンッ!! アオゥッ!!』
なんと。その勢いを維持したまま全身を捻り出し、再び俺に『ウルフック』を繰り出してきたのだ。
そんなバカな。何が、『ウルフック』のあとは確定で『フルカウンター』だ!! 俺は自身の勝手な勘違いを恨み悔やむ。
スキルコマンドに添えられた手。手元にはソードスキル:エネルギーソードによる青の光源を宿すブロンズソードが。
互いに選択が行われ。そのターンにはそれぞれの選択を原動力として――
俺の振るったエネルギーソードは、あからさまに実力差のあるオオカミ親分の豪腕と衝突。俺のソードから飛び散る青の火花と、ヤツの豪腕から弾くオレンジ色の波動が発生して。
俺とオオカミ親分はこのダメージを分かち合い、互いに退いて体勢の立て直しとなった。
「うげッ――!! がッ、ごふッぅッあっァァッ――!!!」
――相殺によってダメージを分かち合うだと? これがか??
「ご主人様っ!!!」
上空からはミントの叫び声が。彼女から発せられた焦燥による震えた声音が、俺の現状を何よりも物語っていた。
HPが……たかがスキル攻撃の相殺一回で、俺のHPが五分の一にまで減少した――ッ
『グオォッ!! グオォッ!! アオォォーンッ!! オガァァァァアアァァァッッッ!!!』
そんな俺の目の前では、オオカミ親分は毎度のように咆哮を上げて自身の攻撃力を上げている様子が繰り広げられて――
って、んなバカな。これから更に上がっていくのかよ……ッ!?
「ご、ご主人様っ!! どうか、どうか冷静にワタシの報告をお聞きくださいっ……!!」
冷静に状況を見返し、俺はあるシステムを理解することとなる。
……あいつ。もしかして、ただ逆上しているだけではないかもしれない、と。
その逆上という感情を抱くにも、その過程が必要なハズだ。そう、ふと考えたときに、俺の思考の中ではある一つの答えがめぐっていた。
もしや、オオカミ親分は攻撃を受けるその度に自身の攻撃力を上げていくのか……?
討伐による戦闘の勝利。そんなRPGゲームの常識に縛られていた俺は、今までに自身が犯してきた過ちに気付くこととなる。
俺はとんでもないことをしでかしてしまっていたのだ。これならば倒せると踏んで臨んでいた戦闘は、あくまで消化試合にしか過ぎないというこの現状を無視して。
目の前に立ち塞がった強敵に。俺は恐怖に侵された感情で思考が停止する。
ダメだ。これはもう、死ぬと――
「ご主人様っ……ご主人様っ!! お疲れ様ですっ……お疲れ様ですっ!! ユノ様の防衛と、一定時間の経過による条件の達成によって……戦闘は自動的に勝利演出への展開へと移りますっ!! ご主人様の勝利ですっご主人様の勝利ですっ!! ……本当に。本当に、ご主人様のご無事の生存に。このミント・ティー……ただ嬉しく思います……うぅっ」
上空から妖精が少女の姿を成しながら俺の元へと駆け寄るなり、勢い余ってか弱いタックルをかましてくる。
あぅっ、と。涙で狂った距離感覚でこちらの顔を見上げると同時に。俺の脇から漆黒と鮮紅の稲妻が横切り、眼前から迫り来るオオカミ親分を迎え撃った。
「アレウスッ!! 貴方っ――ホントに……ホントに。まさか、あのオオカミ親分とここまで渡り合えるなんて。アレウス……貴方ってホントにすごいわッ!!」
呆然と。流れの変わった空気を前にして呆気に取られていた俺。
脇からはユノの召喚獣、ジャンドゥーヤが勇敢に飛び出して。その巨体ながらも、しなやかで機敏な動作を駆使することによってオオカミ親分とのタイマンを繰り広げ出す。
いや、むしろユノの召喚獣は眼前のオオカミ親分を翻弄していた。
そして、ジャンドゥーヤに続くよう脇からユノが顔を出してきて。
未だ呆然としていた俺の涙を見て同情を浮かべ。俺の肩を叩きながらガッツポーズで慰める。
「私のためにターゲットを取ってくれて本当にありがとう……!! あの時には怪我もしたし雑魚敵の群れにも襲われていたけれども……でも、もう大丈夫よ。だから安心して!! とは言っても、正直なところ、私でも勝てるかはわからないけれどね。でも、皆で逃げ出せる隙は何とか作ってみせるから!! ……そう、バトンタッチ! アレウスのように、次は私が頑張る番よ!!」
窮地という状況下の中でも。冗談とは思えぬ落ち着き様で俺に微笑みかけてくるユノ。
これが幾多の冒険を乗り越えてきた冒険者の余裕か。俺は自身の未熟な部分に臆病者だと自虐をして――
……いや、俺はまだこの世界に踏み出したばかりの新米冒険者だ。どうやら、このゲーム世界の主人公だからと、自身を過大評価し過ぎていたと。俺はこの瞬間に気付かされることとなった。
……ゲームの主人公だから特別なんてものは存在しないのだ。
だって、主人公という存在も所詮、そのゲームの中を生きる、ただの登場人物の一人にしか過ぎないのだから――
『ッ――!?』
「――っ!!」
そして、頭上からの金属音にその場の全員が振り向く。
張り詰めた緊迫感の中に漂う、余韻を残した調理器具の金属音が空間一帯に響き出し。
俺とミントとユノの三人を、眼前の化け物と隔てるように。落ち着きを払った紳士的な様子を見せながらの着地を果たして衣類の砂埃を手で払い出す。
「やれやれ、これはまいったね。ワタクシが極限にまで恐れていた出来事が、まさかとはいかないもののこうして現実となってしまっていたとは。だが、こうして皆が無事に生存しているこの奇跡に、ワタクシは安堵をせざるを得ない。ハッハッハ。"どうやら、ワタクシまでもがこうして救われることとなるとはね"」
俺達の前に姿を現したのは、この旅路に欠かせない存在であるパーティーメンバー、アイ・コッヘン・シュペツィアリテート。
二百五十七の身長と筋骨隆々なその身体。そして、頭部であるフライパンというそのシュールな光景には、もはや安心感さえも感じてしまう強力な助っ人だ。
「下がっていなさい、アレウス君、ミントちゃん。そして、せっかくの出番のところ悪いが、ユノちゃんも下がっていてくれるかな? とうとう訪れた見せ場であろうが、生憎目の前の敵はユノちゃんの実力でも到底敵わないだろう」
アイ・コッヘンのセリフと共にして、オオカミ親分の『ウルフック』が直撃したジャンドゥーヤ。
数段もの攻撃力アップにより跳ね上がったステータス、そこから繰り出された大技の一撃によって。
ジャンドゥーヤもオオカミ親分に負けずと劣らないその悪魔的な形相を浮かべながら。逆上を超えた憎悪にさえも見える面差しで睨みつけながら、最後まで敵を見据えた不服の闘争心と共に魔法陣へとその姿を消していく。
「ジャンドゥーヤッ!!」
ユノの叫び声。ジャンドゥーヤの背後に現れた魔法陣は収縮して移動を始め、ユノの右手の甲へと浸透していく。
自身のペットであり、戦闘要員でもある仲間があえなくやられたその様子に。俺という枠に嵌らずユノまでもが恐怖でその顔を引きつらせた。
「うむ。これは君達にとって、とてつもなく良い経験となっただろう。いいかい。これは君達の敗北であり、勝利なのだ。君達は、あのオオカミ親分というボスモンスターに敗北した。だが、同時に経験を得たのだ。この経験は、身体に浸透するいつものような経験ではなくてだね。これは、こうした危機的場面に出くわしたという"記憶"に残る意味合いを持った、心の一部となって浸透する経験なのだよ。だから君達はまだ、その成長をその身体で実感することはできないだろうけれど。だがしかし、君達は本日の冒険を。そして、本日の戦闘を介することによって確実に成長することができたのだ。これを誇りに思うがいい。それでもって、ワタクシが断言しよう。あぁそうさ、この経験は、いずれ君達が歩んでいく冒険の先々で必ずや役に立つ。だから、今は敗北を実感し。同時に勝利も実感しなさい。そんな君達には、この言葉を送ろう。『これは現在における敗北であり、将来における勝利でもある』。これが、君達冒険者が得られる、何よりの成長だ」
透明のバッグから長身の武器を手にするアイ・コッヘン。それはリールのついた釣竿を模した、所謂、ネタ武器のカテゴリに入るであろうなんともオシャレで斬新な武器。
その釣竿を右手で所持して眼前のオオカミ親分へと向け。左手は腰にあてがいながら。紳士的で綺麗な体勢を取り、アイ・コッヘンは余裕を見せびらかすように構えた。
「ここから先は、ワタクシが引き受けよう。なぁに、心配は無いさ。何せ、ワタクシにはこの相棒、レイピア:グルグル・マーキがあるからね。そして同時に、このワタクシの職業:『フェンサー』の魅力をとくと思い知っておくといい」
立ち塞がったアイ・コッヘンへ咆哮を上げるオオカミ親分。
それと同時にこちらへ駆け出してくる驚異的光景を。そんな猛進を繰り出してくる攻撃力お化けを目前としながらも、尚その余裕のある様子で。
まるで自身に何かを言い聞かせるかのように。アイ・コッヘンは相棒、グルグル・マーキと呼ばれるレイピアを構えて、一人静かに呟いた――――
「あの頃に犯した過ちを、もう二度と繰り返したりはしない――」




