孤高の蛇と少女 7227字
強風吹き荒れる晴天の下、邪悪なる翼に貪られた崩落の町を背景に、一人の少女は淡々と歩みを進めていく。
少女の服装は、白のノースリーブのパーカーと、黒のホットパンツ。黒のニーハイソックスに、黒の運動靴。一見すると快活そうな外見であるその少女は、まだまだいたいけな容貌、光を帯びた輝く水色の瞳。透き通るような銀色のショートヘアーと、鎖骨辺りにまで伸ばしたもみあげ、それに絡まるように巻かれた黒色のリボンを風になびかせて、前へ、前へとひたすら歩いていた。
凸凹となった足場の悪い山道を、足早と歩んでいく。その手には水色のハンカチを持ち、手に付いた飛沫を拭っていく。それを終えてポケットにしまい、ただ足早と少女は進み続けていた。
が、その時にも、ふと足を止めた。それは、自身の在り方を最も重視とする、強い使命感を抱きし少女にはもの珍しげな動作であったものだ。
次の時にも、その足は側へと向いた。眼前に広がる真っ直ぐな道のりから、唐突に左へと曲がり出して目的から逸れていく。
目の前の道の先に存在する"主人公"と合流する。その、自身に課されし使命に付き従うことこそが、ナビゲーターである少女の生き様であった。が、しかし、同時にして、この瞬間には少女の心にとある葛藤が生じ始めたのだ。
――少女は、これまでと最も重視としていた己の使命ではなく、その場にて生じた直感に近き軽い気持ちを優先としたのだ。心を揺さぶるその感情の末、少女は初めて決断というものを下した。
それは、"優先すべきもの"を差し置いて己の直感に付き従うとする、自身もまた"この世界にて命を育む一つの生命"として起こした、とある少女の小さな小さな大冒険の始まりだった…………。
風国の地が誇る、天へとそびえる大規模な山。この地のシンボルとも言えるだろうそれは、急斜面と平坦の繰り返しで段々となった、側から見れば凹凸を象る一風変わった外見。まるでピラミッドのような形であるそれの、凹凸な段々の至る箇所に広がる広大な敷地には、そこに建てられていた建物の瓦礫が、敷き詰められるように散らばっていた。
広大な敷地の、その一つ。天と地の中間、といった箇所の平坦もまた例に漏れず邪悪の被害を被っていた。その一面は、荒廃した跡地。建物だったそれらが瓦礫となって地面に転がり、街灯や並木といった鮮やかな彩りも塵と化していた。
無惨な姿へと変貌を遂げた、平坦の一部分。広大な敷地の一部であるそれも邪悪なる力によって破滅へと導かれてしまったものだが。しかし、そんな変わり果てた地にて、とある人工物のみがそこにぽつりと存在していた。
黒き爪痕が残るその地で、今も水を噴き出し続ける噴水。円形のそれは、実に優雅だった。砂埃を被っていたりと、戦争に巻き添えとなった形跡は残されているものだが、その動作は至って良好。唯一と原型を留め、今もその噴水は水を放出する。その姿は正に、風国の形見とでも言えるだろう。
そして、美しき風国の形見には一人の人物が座り込んでいた。それは、灰色の羽織を被るように身を包み、陰りの落ちた顔で前のめりに座り込んで、その先の絶崖の先にて繰り広げられる無惨な光景を眺めている。
……孤高の蛇。孤独の傭兵。"彼"は、報酬一つでその手を汚し、あらゆる任務に己の信念を投影し、承った依頼を確実に遂行する血みどろの兵士。その殺意に塗れた存在感はただならぬオーラを醸し出しており、彼のテリトリーに足を踏み入れたら最後、その両腕に纏いし魔法陣に息を潜めた大蛇に呑み込まれかねない。
彼は危険な人物だった。それは、容易く人の命を奪う、殺し屋のプロフェッショナル。殺しで生計を立てる、非道の極みだ。……そんな彼のもとに、ある人影が静かに歩み寄り始めていた。
先の少女だった。彼の正体を知るそのいたいけな少女は、まるで音を立てない足取りのまま、躊躇いもなく背後から彼に接近を試みる…………。
少女は、終始恐れることはなかった。それは怖いもの知らずと言うべきか、勇敢なる魂の持ち主であると言うべきか、はたまた、危機管理に乏しき愚か者であるだけか。
そんな、殺し屋を相手にまるで恐れる様子を見せなかった、至って冷静な顔付きの少女。律儀に、かしこまった雰囲気を醸し出し、噴水に腰を掛ける孤高の蛇へと近寄っていく。
……堪らずと、その空気に堪えかねた彼は呆れ気味にそう呟いた。
「地平線の最果てに想いを馳せし孤高の蛇。それは、回顧を辿り空想を這う、個の信念が創り上げし繊細なる精神の投影に励む空虚と向き合いし悟りの蛇なり。これは、己が信念の再確認。己が信念の奮起。己を信じる一念、その定めし志へと問い掛ける、萌える魂への自問自答。故に、理想に飢え、ナーバスとなった飢餓の蛇を刺激することは即ち、自ら袋の鼠となることを望む愚かしき好餌なり」
おどろおどろしい雰囲気を声音に乗せて、彼は呟いてみせた。彼はいつでも、背後の気配を抹消することができる。だが、それとは一方的に、少女の歩みは決して止まりなどしない。その歩は止まることを知らず、ずんずんと歩み寄ってくる。
彼はセリフを続ける。
「…………つまり、今は一人にしてくれ、ということだ。今は、誰かと群れたい気分ではないのだ。思いを馳せ、思いに耽りたい。誰だって、そう思うときくらいあるものだろう。我は、一切もの存在が介することのない絶対的な孤独を所望する。だが、その所望とはまた別に、この我から尋ねさせてもらおう。なぜ、貴様が……よりにもよって、我にとって忌々しき存在である貴様がその姿を現したのだ? その、透明感を帯びた存在感もまた、他には無き特異的な資質を思わせる。つまり、貴様もまた、貴様が仕えし"ご主人"に似る気質を秘めているということだ。……やめてくれ。もう、主人のヤツも、貴様という存在も、この肌でその存在感を感じ取りたくなどないのだ。――っふ、っははは。あぁそうか、仕える主人に劣りし蛇の抜け殻を嘲笑いにでも来たか。であれば、その未成熟な面持ちを貼り付けた裏の顔で、この様を好きなだけ笑い飛ばすがいい。所詮、我は貴様らに敵うわけのないイレギュラーに過ぎないのだ。貴様や、貴様の主人には、我が持ち合わせぬ輝かしき才の能が宿っている。貴様らには、我らを嘲笑い貶せる程度の素質があるのだ。だから……我を存分に笑い飛ばすがいい。この、主役になどなれやしないちっぽけなる蛇の存在を……」
遠くを見つめる瞳で、虚しき声音でそれらを言い終える彼。
そのセリフの最中にも、彼の隣に少女が現れた。どこか、遠くへとそう呟いていく彼の様子を律儀に見守りながら、その少女はじっと彼を見つめ、佇む。
そんな、隣からの視線や存在感を受けて、彼は堪え難いといった具合に顔を両膝に埋め、それらを両腕で覆うようにして膝を抱える姿勢となる。完全に、自身の殻に閉じこもってしまった様だ。
次の時にも、少女は彼の隣に腰を下ろした。律儀な動作の一つ一つで、彼と似た姿勢となる。
ちょこんと隣に座った少女。更に近付いてきた上に、自身と似た姿勢を取ったことが気に触れたのだろうか、直にも彼は膝から眼光を覗かせながらそれを少女へと言い放つ。
「クソ……その存在感が、我にとってただただ煩わしいのだ……ッ!!! 貴様らの姿が、至極輝かしく見える……!! その類まれな能力が、この心臓を締め付けるほどにまで羨ましいぞ……ッッ!!!! ……信念に陰りを蔓延らせる、邪念の元凶、か。悪いことは言わない、貴様には、一刻ものこの場からの逃避を推奨する。さもなくば、我は嫉妬となる歪みし理性に我が信念が支配され、狂い猛る思考による残忍な手段も容易くやり遂げてみせることだろう。今も、この心臓を蝕む邪念に苛まれし葛藤を抑圧することで精いっぱいなのだ……! これは責任転嫁ではあるが、これも全て、貴様という存在が悠々と何気無くその姿を見せたことで生じた深淵の闇……ッ!! 闇は底知れぬ憎悪を渦巻き、逆上からなる憤りによって対象を惨く憎しみ続ける……!! 心に巣食いし深淵なる闇に勝る生物など皆無! なにせ、これは己の敗北を自身が素直に認め、眼前の現実に絶望し、それを決して認めたくなどないと足掻き続ける虚しき悪足掻きであるのだからな……! ……尤も、貴様らのような、才に恵まれし苦労を知らぬ天才共にはまるで縁の無い感情であるだろうから、我がどうこう言おうとも同情の余地も有りはしないだろうが――」
「蛇さん」
彼は、セリフをピタッと止めた。
少女の真っ直ぐな視線が、彼を見つめ続ける。うずくまる彼の顔を覗き込むような上目遣いで、何かをねだるかのようなもの欲しそうな面持ちで、少女は孤高の蛇を眺めていた。直にも、沈黙した空気を破るかのように少女がセリフを続ける。
「今、このミント・ティーの心は躍動を覚えております。これは、これまでに一切もの身に覚えの無い不確かな感覚であり、ワタシは今、困惑とされる一種のパニック状態に陥っております。それは、今も目の前に見据えた期待や楽しみからなる動揺であることそれのみを認識しているものではありますが、如何せん、不測の事態に陥ったこの感情は、到達するべき心理を失い、行き先を定めることのできやしないこの感情の迷走に、ワタシはこの感情を一体、どういった言葉で表現を成し、ダークスネイク様にお伝えをすればよいのかそればかりに言い知れぬ迷いが生じ、どうしても切り出せず、ただこうしてお傍に寄ることそれのみしかままならないものでございます」
「…………」
知りもしない初めての感情を胸に抱き、少女は困惑していた。
この時、どうすればいいのか。この世界のデータを脳に収納する賢き少女は、その不測の事態を前に成す術も無く立ち往生してしまっていたのだ。
言葉もしどろもどろとなり、現状に相当困っていた様子だった。そんな少女の姿に、孤高の蛇は眼光を目の前の景色へと戻しながら、気だるげにそれを口にする。
「貴様は、物事を合理的に捉えて判断をするタイプなのだろう。故に、迷いが生じた際にはまず、何が正しい、何が間違っている、の二択に絞ることでより適切な判断を導き出そうとするのだろうな。――感情というものは、常に起伏が激しいものだ。そいつは、合理的に捉えることもままならぬほどに、様々且つ複雑に絡まり合い、己が信念に介入し葛藤を生じさせる。そんな、常に突発的な不測の事態を招く根源を前に、貴様はいちいちとこれは正しいこれは間違っているとそれぞれ区別し、より最適解に近き選択肢を思い浮かべ、今できる限りの最善な選択を行おうとしてより深く考えてしまうのではないのか? ……その気持ちが正しかろうと間違っていようとも、別にいいんじゃないか? 感情というものは、ふと込み上げてきたその時のその直感そのものなのだ。故に、貴様が抱きしその想いに思考を任せ、ふと呟いてみるといい。そうして零れ出した言葉それこそが、貴様が抱きし感情の正体だ。…………つまり、そう深く考え込むな。ただ純粋にふと閃いた言葉を口にすれば良いだけの話なのだからな」
「想いを、呟いてみる……」
暫しと、思考を巡らせた少女。
じっと、固まった空気。遠くを見つめる孤高の蛇はただ真っ直ぐと景色を眺め続け、その時を待ってくれる。
思考の末、少女はふと呟いてみた。
「たのしい。…………はい。たのしい、ことをこのミント・ティーは望んでおります。そしてこのワタシの、たのしい、と思えるものは……動物と触れ合うこと。――ダークスネイク様。このミント・ティーに、ダークスネイク様の召喚獣と戯れる許可をいただけませんか?」
彼は意外そうな表情を浮かべて、少女へと視線を向けた。
目の前の、真っ直ぐな水色の瞳と向き合う。……しかし、その輝きに堪え難き苦痛が生じた彼は、次の時にも不愉快と言わんばかりの嫌悪を垣間見せながらそのセリフを口にする。
「帝王に付き従いし双腕を一時的に受け渡せと、貴様はそう言うのだな? ……この蛇神帝王ダークスネイクも、随分と甘く見られたものだな。それこそが、強者の余裕というものなのか? やはり、我が長年と積み重ねし労力や功績、これまでと流してきた血も、それら全ては所詮類まれた才を持ち合わせし優れた能の主には到底敵わぬ。ということか……。であれば、我もまた大人気無くそれに僅かながらの抵抗を見せるとでもしよう。ッ貴様のような高貴なる存在に見せられるほどの蛇など、この場に存在などしない。よって、貴様の目論見は水の泡となった!! 貴様に我が蛇竜を触れさせてなるものか!! その蛇竜は我と一心同体! 我が貴様を拒むかぎりは蛇竜もまた貴様を拒み、我の信念を邪念に蝕ませる忌むべき存在として貴様を生涯に渡り憎しみ続けることだろうッ!!! ――ん?」
彼はふと視線を左腕へと向けた。
そこには、意図せずに浮かび上がっていた魔法陣。大蛇を召喚する際に介する動作の一つがひとりでに機能し、それは彼の意図とは裏腹に意思を宿して蠢き、その姿を現していた。
彼の腕からは、一匹の大蛇が出現していた。灰と黒の斑であるそれは通常よりも小さなサイズとなって姿を見せて、いつの間にか隣の少女に撫でられていたのだ。
……彼は唖然としていた。今までに無い出来事に理解が追い付かない様子だった。一方で、少女はすごくご満悦な表情を見せて大蛇の頭を撫でていた。その瞳を光らせて、頭を撫でる動作の一つ一つをゆっくり丁寧に行っていく。次にも、少女はそうセリフを喋り出す。
「想定よりも、だいぶと艶やかな鱗でございます。この輝きは見る者を魅了いたしますね。ダークスネイク様のお手入れが隅から隅まで行き届いていることが一目瞭然です。それほどまでに、召喚獣であるこちらの蛇さんを、こよなく愛しているのですね。感服でございます。……あぁ、たまりません。この撫で掛ける手をつるつると滑らかに流れ往く張りと艶の触り心地。鱗と鱗の合間の隙間がコツッコツッと指に起伏の振動を与え、その微震が神経を撫で掛け、触れる者に落ち着きという心の安定を促す。ダークスネイク様の蛇さんの手触りに、このミント・ティー、感動という感極まれり感情を覚えました」
恍惚する少女。大蛇にぞっこんであるその小さな存在の感動を耳にして、彼はハッと我に返る。
――眼前の光景に、彼が困惑をしていた。自身の召喚獣が意図せずその姿を現したことに驚愕をしたものではあったが、それと同時にして、彼は嬉しいような、やっぱり悔しいような、持つモノを持つ者に目上から褒められた、そんな感覚に囚われて、彼は素直に喜べずにいたものだった。
複雑な顔付きで少女を眺める彼。そんな彼へと、少女は続けて尋ね掛ける。
「蛇さんのお名前をお教えいただけませんか?」
ピクリと微動した彼。それに一瞬もの停滞を見せて、次の時にも孤高の蛇はどこかやり辛そうな仕草を垣間見せながら、淡々と少女に説明をした。
「名など無い。我が蛇竜に、名は不要であるのだ。それは、本来であればこの我にも名は不要であることを意味する。というのも、我々は共にして、界隈から見捨てられし名も無き放浪者。要は、蛇ではあるものの、負け犬なのだ。……同時にして、我々は同胞でもある。それは、双方の身分や待遇を同情し、我らの信念に同調し、敷き詰められた負のレールを共に辿る運命を受け入れた、生涯の友。そいつは、名を呼び合い互いを認識し合う相棒とは異なり、我々は、絆が織り成す奇跡を必要としない。我々は、手を組んでいるに過ぎないのだ。――我々が成すべき事柄は、ただ一つ。こうして我々を深淵へと突き落とした醜き鼠を悉く喰らい尽くす、非道の絶息。我々はただ殺しで食っているわけではない。我々は、非道に手を染めし外道を標的とし、制裁の意と、正義の鉄槌を、そして……許すまじと煮えくり返る私怨を込めて、相対する非道の鼠共を貪り喰らい回っているのだ。…………ハッ?! あろうことか、貴様なんぞに我々の過去を語ってしまうとは、何たる不覚……!!!! ッ要はだな……我々は、過去を共有する同胞であり、切れぬ縁に紡がれし互いの志を尊重し合う同類に過ぎない。ということだ。故に、我が蛇竜と我に名は不必要であるのだ。では、このダークスネイクという名は何なのか。それは、云わばあだ名であると断言することができる。傭兵として活動する際にも、名が必須であるからな。指名を受ける際にも、名が無ければ不便極まれり。名が無ければ、場合によっては我という存在を蔑ろにされ、報酬を有耶無耶にされかねない事態を招き入れてしまう。まぁ、こいつは経験談だ。故に、我は仮の名として、このアイアム・ア・ダークスネイクという名を名乗っているというものだ」
……一通りと喋り終えて、ふと自身が口にしたセリフの数々に思いもよらないといった具合の渋い表情を見せた。
続けて彼はその一言を付け加えた。それは……"貴様ら"との会話は、どうしたことか説明口調となってしまう。というものだった。それを最後に、彼は口を固く噤んだ。これ以上は喋ってたまるかと、"自身ら"が歩んできた明るくない道のりを説明してなるものかと、彼はなにかムキになって口を噤み続けた。
その間にも、隣からはじっと視線を向けられていた。その純粋に光らせた瞳は、どうしたことか彼の横顔を眺め続けていく。
……横から注がれる視線を受け続けて、それにしびれを切らしたように彼はため息をつきながら、眼前にて広がる荒地の景観を狂ったように眺め続けた。隣の小さき存在を忘却するよう、彼は目の前のその景色のみに意識を向け続けたのだ。
彼の様子に、不思議そうに首を傾げた小さき少女。顔を覗き込むような動作も見せるものの、一向として無反応である彼の様子に少女は何かを察しては視線を外し、そのまま、少女はしばらくと彼の召喚獣と戯れ続けた――――
【~次回:孤高の蛇と少女 その②~】




