再起 4625字
晴天。先までの漆黒に染まりし暴風は消滅するかのようにピタリと止み、その地帯は突然と平穏を取り戻した。
その地特有となる強い風が走る。運命を運ぶ渓流に訪れた流れる川の音。風になびかれてしなりながら激しく音を立てていく木々。空には真っ白な雲が忙しなくと流れ往き、その地には先までの邪悪の侵略が昨日のものであるかのような至って穏やかな時間が流れていく。……しかし、その穏やかな時の中で唯一と欠損した自然のパーツが、直にも目立ち始めたのだ。
その地からは、生物が姿を消していた。活動を行っていた生態系のほとんどがこの短時間で姿を消し、行方を晦ましてしまっていたのだ。
原因は形として残らなかった。その、たった一つの要因である邪悪の侵略。魔の翼が貪り尽くした活力のエネルギーは、本体が四散したことによって何処へと辿り着くこともなく。今も、運命を運ぶ風と共に、空間を彷徨い続ける運命を辿ることとなったのだ…………。
黒き翼が彗星の軌道を描いて地に降り立った。
高速の滑翔によって天に浮き出た彗星の跡。漆黒が直線となって伸び、それが降下を始めて下を向くととある森林に直面する。
二つの邪悪と二つの足が地に足を着ける。そこは、そよ風に吹かれるのどかな緑と、湖の青が際立つ透明感な自然に囲まれた神秘の領域。奥には貼り付けたように山脈が連なっており、その場所から眺める自然の光景は正に絶景と豪語できる素晴らしさだった。
……しかし、漆黒は絶景に見向きもしなかった。砂煙が充満する荒野から逃げるようにこの地へ辿り着いた漆黒は、抱えたもう一つの色白な漆黒を力強く抱き締めながら、そう小さくセリフを零したのだ。
「……天」
その筋骨隆々な外見に等しい、ゴツく無愛想な声音。だが、その音には温もりが込められていた。
視線の先、抱える漆黒の無残な姿。激闘の末に敗北し、生かすことも許されぬ最後の猛攻を受けて再起不能となった満身創痍の"彼"に心を痛めて。無念といった表情で漆黒は俯き、ただひたすらと謝罪のセリフを呟き続けたのだ。
何度も、何度も。漆黒は何度も頭を下げて罪悪感からなる言葉を呟く。目には雫を浮かべて、零し。歯を食い縛り、力んで震える両手両腕で何度も何度も頭を下げる。
……と、漆黒が罪悪感に苛まれるその中で、抱えられた"彼"が瞼を持ち上げた。その視界に入った上司の涙する顔を見つめ、"彼"は枯れ果てた声でそう喋り出す。
「……痛い、っす。もうちょ、っと、繊細に扱って、ください……怪我に、響きま、す」
その声に、漆黒は目を見開いて息を引きつらせた。
目覚めたその姿へと向けた感情と、同時に"彼"からの要望が交ざり出す。漆黒はそのゴツい顔で感極まり、気分の落差を顕著に示した。
……だが、漆黒の反応とは正反対に、"彼"は無気力でその手を伸ばした。漆黒ではなく、漆黒越しから真っ直ぐと見据えた天へと右腕を伸ばす。――"彼"の痛ましい姿の描写はできなかった。その姿の九割方はシルエットによって隠されていたから。描写すらも許されぬひどく痛ましい姿となって、"彼"は限りある力を振り絞って、そのセリフを口にする。
「……ォ。…………オレ、頑張り……ました。…………申し訳、ござい……ません……ゾーキン、の……旦那……。オレ…………頑張ったけど……ダメ、でした……」
伸ばしていた右腕が崩れ落ちた。
シルエットに包まれた"彼"の身体が、その留めていた原型を崩し始める。全て黒に染まる姿からはドロドロと生理的な嫌悪を生じさせる音が響き出して。"彼"の姿はシルエット越しから垂れ落ち、穴が空き、離れ離れとなる。
凄惨な事態が起こっていることが、容易に想像できてしまえた。"彼"としてもそれに対して表情を歪ませて、凄惨と相応の感覚を覚えて唇を食い縛る。
……"彼"は目を瞑った。それは身体に巡った感覚によるものではなく、眼前でこちらを覗き込む漆黒への申し訳無さから来る行動だった。もう目を合わせられない。無意識と首を横に振り出しながら、"彼"はセリフを続けた。
「……すんません。すんません。……すんませんッ、ゾーキンの旦那……!!! オレが……オレが甘かったばっかりに……負けて、しまいました……!!! こんなんじゃァ、示しが付きやしません……!! "皆"にも、顔を合わせることが、できない、です……!! オレは……オレは一体……これからどうしたら――」
「天。よく聞け」
遮るように放たれた漆黒からの声に、"彼"は怯えた様を見せた。
口元が引きつる。目を瞑ったまま、"彼"はピタリと止まって次のアクションを待ち続けるのだが。……その反応とは一方として、漆黒は無愛想な外見とは似ても似つかないとても優しい口調でそれを口にしたのだ……。
「よく聞くんだ、天。……天は勇敢だった。何せ、"我々"を一人で背負い、託されし使命に馬鹿が付くほど忠実となってその禁忌を振るってくれた。自身を顧みない捨て身の突撃は、さぞ心細くて不安に満ちたものだっただろう。怖かったことだろう。寂しかったことだろう。怖気付き、死への恐怖に耐え忍ぶ孤独とも戦い。だが、無念にも散ってしまった仲間達を想い、その念を一人で抱え、"人類"という我が宿敵との決着へと臨んだ。……天。お前は勇敢だった。お前は褒め称えられるべき、"我々"の勇者だ。『魔族』という種族に、あの"人類"へと対抗する己の勇姿を示した。今後の戦争において、この未来へと続く架け橋を天は築いてくれたのだ。――戦友。オレは、天を心から尊敬するぞ。上司と部下だなんていう上下関係のしがらみなんぞどうでもいい。オレは、天の"勇敢なる魂"を未来永劫と讃え、これからも天の支えとなれるよう、対等の立場の元でその最善と努力を尽くすとそう約束しよう。……不安がる必要など無い。中には、この健闘に対して心無い言葉を掛ける連中も存在することだろう。だがな、その声は僅かな数による大きな声に過ぎないのだ。一つの心無い言葉に、十の温かな言葉が存在すると考えると良い。……天が成すべき残りの使命。それはな、胸を張って"皆"のもとへと戻ることだ。そして、この戦から生還を果たしたという"我々"の希望として、この先も"皆"を導く架け橋となってほしい。…………我が心底から、真意を込めて尊敬の念を表する。『魔族』随一の特攻隊長、天叢雲剣。"我々"はこの戦場に立った戦士達を敬い。又、司令塔という重大な役を背負い、命辛々と生還を果たしたお前のガッツを尊重するッ!!!」
渾身のガッツが、"彼"の心を救った。
今も止まらない涙を流し続ける漆黒の、その鍛え上げられた筋肉から溢れ出んばかりのパワーを込められたガッツポーズ。掛けられたセリフも相まって、"彼"は漆黒の腕に項垂れながら、力無くとその場で泣き崩れた。
――それは、邪悪の化身だった。しかし、同時として。"それら"もまた、この電脳世界で生ける生命の一部分だった。
自然の緑に響き渡った二つの男泣き。打倒されるべき存在という運命を背負いし二つの漆黒は、リベンジを誓った。それは、"彼ら"もまた打倒すべきとして立ち向かう一つの強大な勢力へと臨む、勇敢なる魂の宿し主であることの証明。その胸に宿っているのだ、"ヤツら"を打倒するための闘争心が。その想いを抱いているのだ、"自身ら"が目指すべき未来を望む信念が。
……これは、ゲームという電脳世界で繰り広げられる、生命達による熾烈な生存競争を描いたRPG。主人公という、ゲームの攻略を進める特異的な存在がそのクリアを目指すと同様にして。主人公に立ちはだかる存在もまた、それぞれの信念を抱いて眼前の特異と相対するのだ。
……"彼"は乾いた笑いを零した。先までの不安を思わせない、邪悪とは程遠き純粋な笑顔で。
「……また、ゾーキンの旦那に救われちまいました。……オレぁ、旦那のような上司を持てて、ホントに良かったと思っていますよホント……。――ですが……こう言っちゃァあれなんっすけど……感傷に浸るのは、もうちょい後にしてもらってもいいっすか。……ちょっと、この状態はあまりにもよろしくないんで……旦那には早く、オレが休める場所を探してもらいたいなーなんて、オレはそう思ったりするんっすけど……」
"彼"の言葉を耳にして、漆黒は驚きでハッとしながら筋肉をピクつかせた。
我に戻ったかのように目を見開く。そうだ、まずはそれをなんとかしなければ。思い出した"彼"の大惨事に突然と慌て出す漆黒。どうすれば、どうすればいいと先までの神妙な様とは全く異なる様子で"彼"を抱えたままあちこちと行き来し、脳内で渦巻く思考でしばらくと忙しなく動き回った漆黒。直にも、やるべきことの目処をつけた漆黒は、閃いたように大声でそれを口にして、"彼"へとセリフを言い放ったのだ。
「んっ、ん、ンーッ!!! そうだな!!! 取り敢えず、まずは天が休める安息の地を探さなければな!!! 何せ、この怪我だ。"我々"の戻るべき場所へと戻ろうにも、無理を強いてしまうことは確実!!! その道中で力尽きられてしまったら、オレは喪失感でただただすごく悲しいッッ!!! で、あれば! まずは薬草を現地調達だ!! それと、再生に必要な栄養も摂らなければな!! ――ん、よしっ!! オレにも、まだまだやれることはあるぞっ!! 待っていろよ天!! このオレが、この純正なる『魔族』の誉れの象徴とも言うべきシーボリ一族の誇り高き血統を代々から受け継ぎし筋肉の賛美と三食の食事を心掛け筋肉をつくるタンパク質の摂取と極限の筋トレを一日足りとも欠かしたことの無い行動力の肉体美こそゾーキン・シーボリが、このマッスルを以ってして傷付いた戦士を癒すヒーラーマッスルへと転身するッ!!! いいか!! 筋肉というものはな……常にこの心と共にあるものなのだッ!! 肉体の強化は魂の強化ッ!! 肉体の成長は魂の成長ッ!! そして!! 肉体の喜びは、魂の喜びッッ!!! 不安事も、タンパク質へと変えて吸収してしまえば筋肉の一部となって万事解決!! 天の傷を癒すヒーラーマッスル。癒しを与えるべくモリモリと参上ッ!!! いざ往かん!! 天の超回復への道へとッ!!!!」
「……旦那。お言葉ですが、ヒーラーマッスルは響きが気持ち悪いっす。あと、オレにぁ筋肉はそんなありませんし、憂いをタンパク質に変えるって旦那の体内構造どうなっているんすか怖いっすよ。それに超回復って、傷付いた筋肉の修復のことを言い表す言葉だし。それと…………まぁ、なんか。もう……いっか…………」
"彼"は呆れ気味にそう呟き、それを最後に気を失った。
それを抱える漆黒は漆黒で、怪我人を運んでいるとは思えぬ大袈裟な動作で動き回り。そして、肩に掛けていたマントを魔の翼へと変化させるや否や、禍々しき翼をはためかせながら踏ん張ると同時にして瞬時とその姿を消していく。
漆黒の跳躍によって、緑の地には大気が張り裂けんばかりの衝撃が周囲へと伝った。
次の時にも、漆黒のいた箇所のみの緑が消し飛んだ光景を背景にして。彗星となって晴天に黒の軌跡を描き出した魔の翼は、その高速の滑翔で人類の目から姿を晦ましたのであった――――
【~次回に続く~】




