ウェーブ三:少女の勇気 3794字
その"少年"は、邪悪なる力の衝撃を受けて吹き飛ばされていた。
黒い軌道を描きながら。吹き飛んだ先の瓦礫へと叩き付けられ、それの衝突で更なる悲鳴を上げながら広範囲へと破片や欠片を散らしていく。
弾かれるように宙を舞い、無気力な状態で地面に落ちて。その少年は虫の息である身で地を這い、残り僅かの余力を振り絞り、瓦礫に寄り掛かる。
これまでと被っていたキャスケットは付近に落ちていて。流した長髪に絡まる土煙や瓦礫の破片。ズタボロとされた衣類と肌に、その少年が迎える運命を容易に想像さえできてしまえる。
――眼前には、少年へと蔓延る大勢もの邪悪達。これまでと小ざかしく動き回っては注目を集めてきた"それら"が一斉と集い。そして、飛び回っていた虫けらを叩き落したことにようやくといった笑みを浮かべながらにじり寄る『魔族』の集団。
絶望を凌駕する、それが悪夢であると錯覚さえしてしまえる景観に。少年は切らした息で僅かと呼吸を行う中で、ただ唇を噛み締めて。小さく、そう呟くことしかできずにいた……。
「……終わったよ、ブラートの兄さん。おれが成すべきことは成した。おれができること、おれが必要とされることは全力を尽くして努めたよ。……おれ、ブラートの兄さんのいないところでも、たくさんと頑張ったんだ……」
次第と力の抜けていく肩。微かな笑みを零し。――頬に伝ってきた、大粒の涙……。
「……っだから。だから……っ、ブラートの兄さん。おれ、皆の役に立てたよね。おれ、必要とされたんだよね。ブラートの兄さん以外の人達から、たくさん必要とされて、たくさん感謝されたよね。……これまでの努力が、ようやくと実って形になったってことだよね。……だったら、もう、いいよね。もう、これで……ッ」
涙ぐむ言葉を喉に詰まらせて。溢れ出す感情で震える両手。それを握り締めて、少年は俯く。
「……っやだ。やだよ。ブラートの兄さんともう会えないなんて。もう兄さんと会えないだなんて、おれは嫌だよ……っ。だって、おれ、兄さんが傍からいなくなってしまったら……どうしたらいいのかもわからないし……ただ、寂しいよ。っ嫌だ。嫌だよ……おれ、ここで死にたくなんかないよ……ッ!! こんな終わり、寂しすぎて嫌だよ……ッ!!!」
限界に達して動けなくなった両足。腰に手を回しても、ポーチの中には空となったアイテム欄しかそこに広がっていない。
空を切る手。希望の一筋も見えぬ現状に嘆き。そして、眼前から迫る邪悪達の勝ち誇った様相に。少年は絶望の淵に打ちひしがれ。挙句の果てには、右手に持つダガーを自身の首へと突き付けて――
「……っごめんなさい、ブラートの兄さん。だったら、最後までおれは、おれの想いを貫くよ。これがおれの最期なんだ。だから、最後にこれだけは伝えたいよ。――ブラートの兄さん。こんなおれを拾ってくれて。こんなちっぽけなおれを相棒として愛してくれて、本当にありがとう。おれ……ブラートの兄さんと出会えて、本当に幸せだった…………」
弱々しくそう呟き。瞳から溢れ出る涙は止まることのないまま、その少年は自身の手で命を絶つことを決意し。そして、その右手を躊躇いも無く突き出していく。
――その瞬間だった。
「ミズシブキ君ッ!!!」
絶叫交じりの甲高い声音が響くと共に、少年の前へと全力で駆け付けてきた一つの存在。少年を"それら"から遮るよう、少年の前で立ち止まり仁王になって佇んだ。
薄浅葱の釜を抱えた、小柄の少女。真っ黒なロングマフラーが疾風になびかれて。百六十三ほどの身長の、チェック柄のポンチョと七分丈のガウチョパンツの、そのふくらはぎ付近まで伸ばした深緑の超ロングヘアーを目にした少年は、思考停止したかのよう動作を止めてしまう。
華奢な顔の輪郭からはみ出る、黒い縁の大きな丸メガネを通して。眼前の光景を真っ直ぐと見つめる少女。
……しかし、膨大なる恐怖が心を蝕み。少女には荷の重いそれに声をガチガチと震わせながらも。だが、特殊な想いを抱く彼へと、少女は勇気を振り絞っていくのだ――
「ミズシブキ君を置いて逃げるなんて……ウチにはできないッ!!!」
「っ……おまえ。あれほど逃げろと言ったはずなのにっ。この、馬鹿野郎が……!!!」
「ウチは、ウチは……ミズシブキ君のためなら、どんな馬鹿野郎にもなるッ!!!」
特殊な感情の込められた力強い言葉に。少女の気迫に押された少年は、思わずとダガーを持つ右手をゆっくりと下げてしまう。
今も眼前から悠々と接近をする"それら"を前に。少女は涙ぐんだ声音で、溢れ出す想いを少年へと告げ始めた……。
「ウチは、ウチは……どんなことを言われようとも、この気持ちだけには嘘をつけない……ッ!! ミズシブキ君!! ……ミズシブキ君と初めて出会った時のことを、ウチは今も覚えているの。……ミズシブキ君は、出会ったその時からずっと静かな人で、ちょっと冷たい人だった。ウチ、最初はミズシブキ君のことも怖かった。……でも、自己紹介も交わしていなかった赤の他人も同然なその関係で。ミズシブキ君がウチへ最初に掛けてくれたその言葉を、ウチは今でも覚えているよ。……へぇ。料理、できるんだ。って。ミズシブキ君がそう言ってくれたことを、ウチは今でも覚えているの……」
溢れ出す淡い感情にボロボロと涙を零し始める少女。恐怖と特殊な感情で震える全身で、少女は走馬灯を辿るかのよう、過去の出来事を思い返していく……。
「……初めて声を掛けられたその日から、ウチはミズシブキ君のことばかり考え始めた。……自分でも全くわからないほど、頭の中はミズシブキ君のことばかり。……初めての気持ちで、よくわからなくなって。トーポさんに聞いてみたの。……そうしたら、トーポさん、その気持ちをもっと深く知るには、今以上とミズシブキ君と関わってみること。何度か話している内にも、自分のことがよくわかってくるよ。って、そう言ってくれた。……それからは、ウチ、定期的に宿屋に来るようになったミズシブキ君のために、いっぱい話す練習をして。……その前に、人前で話をするという練習もしてきて。……結局、今もうまく話せないままだけども……。っそれから、初めてミズシブキ君と話をしたその時。お手伝いでたまたま鍋を混ぜていたあの時に偶然、ミズシブキ君が声を掛けてくれた料理というものも、それから継続的にするようになった。……今まで、人が怖くて失敗も怖くて、一人で本を読むことしかできなかったウチに料理なんてとてもできなかったけれど。でも、それでもウチは料理を続けてきた。……それも全部、ミズシブキ君に、ウチの料理を食べてもらいたかったから。ミズシブキ君と、話ができるキッカケを作りたかったから――」
薄浅葱の釜を抱き締める。
力む全身が少女の想いを表現し。少女はただ涙を流し続けながら、これまでと抱いてきた想いの数々を"彼"へと打ち明けていく――
「――ウチ、ミズシブキ君に助けられた。ウチ、ミズシブキ君に救われてきた。ウチ、ミズシブキ君から元気を分け与えてもらえた……!! ウチは、ミズシブキ君がいてくれたから、今もこうして前向きに生きている気がするし。それで、ウチはミズシブキ君のことが…………す……。っ……感謝をしているの、ミズシブキ君に。だから、ウチ……ミズシブキ君のためになら、どんなことにでも逃げたりなんかしない……! ミズシブキ君を見殺しにするなんて、ウチには絶対にできない……っ!!!」
叫び上げると同時にして爆発した感情。涙を散らしながら、胸の内を明かす勇気に押されて号泣を始めたその少女。
弱々しく、頼り無さげに佇んでいながらも。だが、その内側に宿る一種の勇気に満ち溢れた少女の背や言葉に。背後で無気力と座り込んでいた少年は、ただただ呆然と彼女を眺め遣っていく……。
「……。おれは、必要とされていたということなのか……? ブラートの兄さん以外から。っあの薄鈍人間に諭される以前からも。おれは、誰かに必要とされていたということなのか……?」
「うんっ、うんっ、ッ!! ウチ、もう、ミズシブキ君がいないと生きていけないっ……!! 自分が死んじゃうのは怖くてイヤだけど……でも、ミズシブキ君がいない世界なんて考えられないから。だから、ミズシブキ君がいなくなっちゃうのなら、ウチも一緒に消えて無くなる……っ!! …………それでも、痛いのはイヤだし……でも、それ以上に。ミズシブキ君が死んじゃうのが、ウチは絶対にイヤ……ッ!!! だから……だから――」
呆然と見遣る、少女の背へと向けた少年の真ん丸の瞳。
彼から受ける視線を感じ。また、自身の内から込み上げてくる、恐怖や絶望という感情さえも灰と化し燃え滾る本能の熱情を燃料として。
傷付き疲れ果て、力尽きる背後の彼のために。そして、彼が必要である自身のために。その少女は、熱情からなる気迫の宣言を、今この場にて言い放ったのだ――――
「ウチ、ミズシブキ君のために頑張ってこれた! ミズシブキ君がいてくれたから、ウチはこれまでの毎日に、楽しみで胸を弾ませながら過ごせていた! ……っそんな、ウチにとっての希望であるミズシブキ君を、絶対に死なせたくなんかないっ……! 絶対に、一緒に生きて帰りたいの。だから……だから!! ――ウチが、ミズシブキ君を守るッ!!!」
【~次回に続く~】




