ウェーブ二:肉体を見透かす魔の千里眼
…………っえ?
――空間に走り出す沈黙。
それは、大胆にも決めポーズ交じりの指差しを行う彼から放たれた、少女ユノ・エクレールの未だ明かされることも無かった素性の、衝撃の暴露。……であるハズだったのだが。それを耳にした主人公アレウスとユノは、ただ呆然のままにポカーンな表情を見せていく。……目が点とは、正にこのことを言うのだろう。
腹式呼吸。それは、通常であれば胸の辺りで行う呼吸という行為を、まるで腹で息をするかのよう意図して工夫を行う呼吸法。
その言葉通りに、呼吸をまるで腹で行っているかのように見せる呼吸法ではあるのだが。その腹式呼吸という呼吸法には最低限となる知識が必要とされる。まず、身体の構造を把握していなければ習得までに時間が掛かるだろうし。その理解を踏まえての技術やテクニック、コツや訓練が必要とされる、その言葉からは想像もし得ないほどの、中々に高難易度となる呼吸法なのだ。それは、体内の仕組みを理解していなければ行えないために。腹式呼吸の習得は、云わば、自分磨きの一環である。とでも言えるだろうか。
…………という説明は別にいいんだよっ!!
そんなことを思い浮かべている間にも、隣で目を点にしてポカーンとしているユノが言葉を口にしていく。
「ふ、腹式、こきゅ……???」
困惑がしっかりと伝わってくる。
NPC:ユノ・エクレールという少女の新たな情報及び未だ明かされることの無かった核心の暴露を予感していてからの、この発言。僅かながらと抱いてしまっていた未知への期待を斜め上と往くそのセリフに、本人でさえも呆然としてしまうのも無理も無い。
そして、そんなこちらの様子にもお構いなしと、あの『魔族』である彼はそう続けていくものであって……。
「その衣類で、その熱意で、その美肌でこのオレを誤魔化そうとも! この野生の本能に我が伝統をブレンドしたこのシーボリ一族スーパー本能を以ってしては、それはただの虚しき悪足掻きに過ぎん!! 今もこの全身にびっしりと巡っている、オレの誇らしき美しき素晴らしきマッシブが貴様の腹式呼吸をひしひしと感じ取っているぞ!! ――これは、なんて美しい腹式呼吸なのだ!! まるで手本のような息遣い。力むことも緩むこともない腹への力加減。そして! その呼吸によって腹からしっかりと排出される、二酸化炭素の温もり!! 複雑な技術を要するそのテクニックは、生態の頂点に立つ我が『魔族』であろうとも容易くなど決してないものなのだが。今目前としている女の息遣いは、生態が織り成す体内の構造が作り出した自然の神秘。この呼吸から伝わる振動はなんて心地の良いものなのだ。この鼓膜に優しく撫で掛けてくる吐息は正に、女神がもたらす生命の息吹き。全身を利用した無駄の無い息の排出はこの世界にふんわりと甘酸っぱく溶け合わさっていき。それは空気に交じり植物が吸収し、この美しき腹式呼吸が作り出した息を摂取した生命はみるみると活性化してまた一つの活気ある環境を形成する。……なんて自然に優しき腹式呼吸なのだ……! なんて、生物の本能に訴え掛けてくる腹式呼吸なのだ……! なんてハイブリットな腹式呼吸なのだッ!! ……なるほど。どうやら、オレは人類という生物を見くびってしまっていたようだ。まさか、シーボリ一族の伝統を受け継ぎしこのオレをも感動させる腹式呼吸を持つ人類が、この世に存在していたとはなッ!!!」
それは、彼が腹式呼吸へと注ぐ熱き想いを語る、彼にとっては至極重要である行為であることを言葉の意味そのままに解釈し理解することができて。
同時に、彼が腹式呼吸へと注ぐ熱き想いを語る、彼にとっては至極重要である行為であることを言葉の意味そのままに解釈できながらもまるで理解することができなくて。
彼の言っている意味を真面目に理解することは、実に困難を極める。
得体の知れないこの感情は、あらゆる感情を吸収するブレイブ・ソウルを以ってしてでもゲージへと変換することができず。この、困惑なのか何なのか。それを手持ち無沙汰に、ユノと共にハテナマークを浮かばせることしかできないこの謎の状況。
そんな彼、感極まる調子でユノへと指を差しながら言葉を続けていく。
「オレは今、猛烈に感動をしている!! そして、同時に嘆き悲しみもしている!! それは、生態の頂点に君臨せし『魔族』であってしても尚習得することに困難を極める腹式呼吸を。それも、その呼吸の十割。いや、十割を突き抜けた十割五分の呼吸で行っている!! 無駄の無い真なるパーフェクトな腹式呼吸。あぁ、何と言うことだ。これほどまでの腹式呼吸を会得しているのがあの、人類、という生物だとは!! あぁ、これは悲しみの連鎖!! あぁ、『魔族』という存在は実にちっぽけなのだな……!! 我がシーボリの一族が誇りとする伝統の一部をあたかも自身の流儀だと主張せんとばかりに至って自然と行われていくその腹式呼吸に、このオレは嫉妬さえもしてしまえるぞッ!! ――そして、同時にして! そのパーフェクト腹式呼吸が仇となったな女ッ!! 貴様の命運も、もはやこれまでだッ!!」
指を差す様子から変貌し。それは、先の戦闘態勢の雰囲気を纏い再びと構え直す彼。
背の邪悪なる翼はそのままに、上半身の肉体美を見せ付けるよう構え直す彼に連動して、気が緩んでいたこちらもまたハッと思い出したかのように眼前の脅威へと備える。
直に、その彼はこうセリフを続けたのだ。
「その美しき素晴らしき手本を超越した生物の神秘を物語るパーフェクトな腹式呼吸が仇となったのだ!! この、シーボリ一族の血統を受け継ぎし誇り高き『魔族』の戦士、ゾーキン・シーボリに情報を与えすぎたなッ!! このオレは、この肉体美こそがこのオレそのもの!! それは、筋肉はオレであり、オレは筋肉であるオレ自身が筋肉であることの存在証明!! 筋肉と共にあるこの神経は、空間に漂い筋肉に伝った生物の波長を余すことなく掻き集めることができ! それを相手の情報として分析し、敵の体調から現在のコンディションなどありとあらゆる身体の状態を把握することができる!! 長くなってしまったが。オレが言いたかったことはただ一つ。女! 貴様の腹式呼吸を通じて、オレは貴様のありとあらゆる身体の情報を読み取った!! それすなわち、女のコンディションは全てお見通しというわけだ!! ――今は……ほう。このオレを相手に、実に冷静であるな。で、あって、その心拍数に元気が無い。疲労が見られる。両足の疲労も目立つが、いや、右手から伝ってくるこれは……ほう。どうやら、女の戦闘スタイルは右手からの、何かの召喚。それでいて、MPを浪費した後が見られることから、貴様の身体は休息を必要としている。つまり! これほどの隙を逃すわけにもいかない!! よって! 貴様を討つのは、正に今が絶好の機会ッ!!」
建物の屋上から高らかとそう言い放つ彼。
彼の意図は容易く読み取れた。それは、これらの言葉の数々に含まれた図星を利用した、心理的な圧迫。自身の内側を読み取られたことによって、こちらの情報が筒抜けとなり。手の内が晒されてしまった状況が作り出すこの追い詰められる感覚が、ただでさえ強力であるというあの敵に、更なる恐ろしさと意外性による驚きが与えられ。結果、NPC:ゾーキン・シーボリという存在に備わる脅威を改めて思い知らされ、相手はより恐怖を抱くこととなる。
――ハズだったし。それは彼の戦略でもあったハズだったのだが。
……だが、それとは裏腹に、本人であるユノはそれらを耳にしていく内にも。緊張を帯びていた表情は徐々に、異なるベクトルの恐ろしさによって眉をひそめ出して。
……異なるベクトルの恐ろしさによって、声を震わせながら。少女ユノ・エクレールは、絶望的な呆然の表情を浮かべて、引き気味にそれを口にしたのであった…………。
「…………え、やだっ……」
【~次回に続く……?~】




