新たなる旅路と長身の道標
「本当にありがとー!! アイおじさまー!!」
「こちらこそ! 楽しい一時をありがとう!! ユノちゃん!!」
互いに叫び合いながら。
ユノとアイ・コッヘンはその身長差のまま、まるで恒例とばかりにどっと二人で駆け出してハグを交わす。
現在は早朝。日の出がその顔を出し始める、薄暗くありながらも快活な気分となれる時刻。
俺とミントが宿屋リポウズ・インの受付カウンター前まで来ると、ユノとアイ・コッヘンが友情の証としてハグをしながら別れを惜しんでいた。
「またしばらくアイおじさまと会えないなんて寂しいわ!! また、この村が恋しくなったらいつでも来ちゃうわ!! もう、それくらい、私この村とこの宿屋が大好き!!」
「ユノちゃんにそう言ってもらえると、この村一同の励みになるよぉ!! あぁ、またお別れをしなければならない日が来るなんて!! そうさ! 皆はユノちゃんの来訪をいつでも待っている!! またいつでも、アレウス君とミントちゃんの三人でこののどかな村に訪れるがいい!!」
両者涙ぐんだ声で。悲痛にも感じ取れる調子のまま。しばらく抱き合い、ひたすら言葉を交わしていくユノとアイ・コッヘン。
そんな光景を俺とミントで唖然としたまま眺めていると、ふと俺らの存在に気付いた二人はパッと離れてそれぞれが個別の行動を始め出した。
「さっ、アレウス! ミントちゃん! 旅の準備はいいかしら? お日様があのまん丸な顔をにょっきりと出してくるその前には、ここを出発するわよ!!」
えい、えい、おーっ!
っと、一人で張り切るユノはその大人びた外見で、無邪気に元気いっぱいな掛け声で自身に気合いを入れていく。
まぁ、そんなハツラツとしたユノの様子を見ると、彼女の元気を分けて貰えたかのように気力が湧いてくる。
クールビューティなその見た目とは裏腹に。彼女からは太陽のような活力溢れるオーラが漂っており、それを帯びると自然とこちらも元気になってくる。
ユノは皆を笑顔にする。これも、未知なる体験を求める旅をこなしてきた実績によるものか。
っと、そんなユノに感化された俺も、彼女につられて声を出し、自分自身にも気合いを入れていくのだが。
……それでも、俺の中には、ある一つの不安がよぎってしまっていて仕方が無かったのが俺の心境だった――
「なぁ、ユノ。そう言えば、旅に向けた事前の計画を全く立てていなかったよな……。その、考えなかった俺も悪いんだけどさ。すまん。それで、ユノはこれからの旅、一体どうしていくつもりだったんだ?」
そう。こともあろうか、俺達はこれから歩むべく旅路の予定を決めていなかった。
これでは、目的も無くただ歩き進める、途方も無い旅行のようなものだ。
道中にはモンスターもいるだろうその道のりについて、俺は謝罪を交えながら恐る恐るとユノに尋ねてみると。
「計画? 大丈夫よアレウス! そんなものなんて必要ないわ! だって、これは旅なのよ? 私達はこの無限に広がる世界を放浪するちっぽけな冒険者なのよ? これはもう、私達はその気の赴くがままに歩いていく。ただそれだけに限るわ!! そうね。計画と呼べる唯一のものと言えば……旅路を歩んでいく私達を包み込み、優しく撫でるかのようにそよそよと吹いてくるそよ風が、私達を新たなる旅路へと導いてくれる何よりの道標! アレウス! ミントちゃん! いい? 『道を辿りて未知を知る!!』カッコいいでしょ! これが私のモットーなの!!」
まぁ、要は行き当たりばったりということだろう。
昨夜、アイ・コッヘンからユノを支えてほしいと頼まれていたが。なるほどこれは確かに。と、そう思わざるを得なかった。
こんないたいけで楽観的な冒険者、モンスターが蔓延るこのゲーム世界に放っておくにはとんでもなく危なっかし過ぎる。
そんな自信満々に無計画性を語るユノに対して、俺は同時に危機感と使命感を感じた気がした。
ユノは俺が守らなきゃ……。
「ところでアイおじさま。こんな時間から宿屋の切り盛り? なんだか珍しいわね。アイおじさま、朝には弱いんでしょ?」
ふとした疑問を浮かべたのであろうユノ。
先程の気合い十分なその様子からコロッと一変、淑女らしく落ち着いた様相で。割と自由気ままな感情を持つユノは、この早朝にもこうして目覚めているアイ・コッヘンに質問を投げ掛ける。
そんなユノの質問を耳にして。アイ・コッヘンは思い出したとばかりに、グーに握り締めた拳を掌に打ち付けた。
「そうだそうだ! ユノちゃんとアレウス君とミントちゃんとのお別れですっかり忘れていた!! そうそう、ワタクシも今日ばかりは早起きをしなければならない用事があってね! その準備をするために、こうして太陽が昇る前に起きたということなのだ!!」
「アイおじさまが直々に出向くなんて珍しいじゃない。もしかして、何かの救援を要請されていたりとか?」
今回は違うのだよ、と。
両手と頭部のフライパンを振りながら。大袈裟な仕草でユノの予想を否定するアイ・コッヘン。
「いやね、ちょっとした取引をするために出掛けなければならないのだよ。というのも、その取引先はとても用心深い商人でね。輸送を通してでの交渉には、さっぱりと応じてくれないのさ。その用心深さがまた信用できるポイントではあるのだがね」
そう言って、アイ・コッヘンは受付カウンターの陰から巨大な荷物袋を取り出す。
「それで、ワタクシが直々と赴くために、こうして出掛ける準備をしていたというわけさ。ここからそれなりに離れた場所でね。その道中には手強いモンスターもわちゃわちゃと湧いているし、その道のりもとても険しく大変なものなのさ。それも、数日という時間を往復で掛けなければならない。だが、その商人との交渉によって得られるカボチャがまた絶品の一言に尽きるのだよ。一度食べたら、二度とあの舌に残る味を忘れられない……じゅるり。おっと、失敬」
透明の液体が付着したフライパンを、ポケットから取り出した布巾で拭うアイ・コッヘン。
そのシュールな光景に、俺がただただ唖然としていたその脇で。ユノは呆然とした間抜けな表情を浮かべながら、そんな様子のアイ・コッヘンのことを見つめていた。
やはりあのユノでさえ、フライパンから涎が出てきたらさすがに気になるか――
「道中には手強いモンスター……道のりもとても険しくて大変……」
復唱するユノの言葉に、俺はただならぬ予感を感じる。
この予感は、果たして良いのか悪いのか。どうやらそれは、この耳で直に確認するしかないみたいだ――
「――アイおじさま! 決めたわ! 私達、アイおじさまの旅路について行く!!」
驚いたのは俺だけではなかった。
予想外というべきか、口を滑らせてしまったというべきか。アイ・コッヘンは度肝を抜かれたような大袈裟の仕草で驚き、慌ててフライパンを布巾で拭ってから再度ユノの元へと見遣る。
「ユ、ユノちゃん!? いや、しかし……あの道はまだ君達には早過ぎる……」
「大丈夫よ!! きっとなんとかなるわ! それに、アイおじさまも一緒だもの!! この地域を守護するアイおじさまも一緒であれば、どんなに危険な道のりだって奇跡的に生き残れるかもしれないじゃない!!」
その奇跡的にって部分が不安要素なんだよ。
危険性を把握していながらも、尚その旅路を歩みたいと願い出したユノ。
そんなユノの勢いに押されたのか。アイ・コッヘンは何か思考をめぐらし、少しして考えをまとめたのか人差し指を立てながらコクコクと頷き出す。
「……まぁ、どういう道を辿るのかというのは、その地を歩む冒険者である君達に任せるよ。ただ、ここでハッキリと言っておく。今の君達がこの道のりを歩むというのであれば、その旅路を自身の墓場とする覚悟が必要だ。それほどまでに、これからワタクシが歩む道のりには多大なる危険性が伴ってくる。ワタクシとしても、せめてもっと経験を積んでからの方が良いと思うのだがね」
アイ・コッヘンの言う経験というのは、ゲームで言うレベルのようなものだろう。
今以上のレベルを上げてから歩むことを勧められながらも、尚ユノはその忠告を聞き入れてついて行くと言い続ける。
いや、多大なる危険性という言葉に食いついたのか。ユノは先程よりも更にその目を輝かせていた。
……何と言うか、気持ちはわからなくもないんだよな。俺だって、手強いモンスターがいる地域に行ってみたい気持ちはあるし。
ただ、ここまで言われても尚ついて行こうとするなんて、いくらなんでもチャレンジャー過ぎるだろ……。
「……それならばもう仕方ないね。ユノちゃんのことだから、いくら断ったところでワタクシの後を追ってくるだろう? で、あるならば、その旅路を共に歩んでいこうじゃないか。そして、行動を共にする以上、ワタクシは君達に出来る限りのバックアップを心掛ける。だが……これだけは言っておかなければならないか――」
大きな荷物袋を肩に掛けるアイ・コッヘン。
そのままアイ・コッヘンは宿屋の扉に手を掛けて。ゆっくりと扉を開きながら、これから率いる一つのパーティーメンバーへ。
忠告として念頭に入れるべきそのセリフを、その重い調子と共にゆっくりと発した――
「いいかい。後悔というものは、ふとしたその瞬間に、突拍子も無く突然やってくるものだ。例え、それが訪れる時期を完璧に見据えていようとも。一度憑かれてしまったら最後、この感情から逃れることなどは決してできない。そして、その念はどれほどの時が経とうとも、永遠に失せることは無く。ふとした時に、突拍子も無くその姿を現すそれに怯え続ける日々を送らなければならなくなるのだ」
停滞する空気。
まるで葬式のように。一気に凍りつき静寂が訪れた、宿屋の空間。
アイ・コッヘンの言葉には、その意味に相応しき重みを感じることができたのだ。
そして、俺は確信した。
これは忠告でも警告でもない。たった今のセリフは、アイ・コッヘンの"後悔"そのものということを。
「……えぇ、わかったわ。……いえ、この返事は少し違ったかも。アイおじさま。私は、私なりの注意を払いながら、アイおじさまの背中を追っていくわ。それでもって、アレウスとミントちゃんを絶対に死なせないためにも、ついて往くべき道標には絶対に従う……! それが、今の私に。いえ、今の私達にできる、たった一つの方法だから……!」
「よろしい。では、ついてくるといい」
静かに扉を開け払ったアイ・コッヘン。
ゆっくりと歩み出したその歩を追い掛けるために。ユノは俺とミントに目を配り、アイコンタクトで出発を合図する。
初めての冒険に心を躍らせていた俺は、この瞬間をもって血の気が引いてくる感覚に陥ることとなる。
それは、今まで楽しみにしていたことが、実はとんでもなく危険なものだったという衝撃の事実を知ってしまったから。
……いや、とんでもなく危険な道のりを歩むことになる。と、改めての再認識を行うことができたと考えるべきか。
目前で旅路を辿り出す二人の背を追うために。
俺はミントと目を合わせ、互いに決めた覚悟を確認し合う。そして、俺とミントもこの宿屋リポウズ・インから。この拠点エリア:のどかな村という最初のステージを後にしたのであった――――




