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ザ・ゲームワールド  作者: 祐。
一章
25/368

のどかな湯煙、リポウズ・イン

「くぁぁ……身に染みるわぁ……」


 身体の芯まで温まるこの感覚。

 疲労によって削がれた身体中の神経に巡るこの熱。じわじわと染み渡るこの感覚を堪能することで、俺は幸福という言葉を身体で実感する。


 祭りという寄り道イベントが終わり、その場での解散となってから早数時間。

 時刻は深夜。早朝から冒険へ出発するというフラグが確立されているにも関わらず、俺は余裕の夜更かしという生活習慣ガン無視な現状を送っている。


 そんな俺は現在、宿屋、リポウズインの湯船であるのどかな村温泉を満喫中。

 今日は目玉焼き風呂ということで、温泉の中央には卵黄を思わせる橙色の球形が。そこから外へ広がるにつれて、卵白と思わせる白色のお湯という、なんとも奇抜な外見の温泉がそこに広がっていた。


 その温泉の心地はと言うと、実に美味だ。

 うん、温泉の具合のことを美味と表現するのはあまりにも可笑しい話なのは判っている。だが、それでも、この目玉焼き風呂の心地はどうかと聞かれたら、それはもう、美味だ。という一言が一番しっくり来てしまえる、そんな不思議な温泉を堪能している。


 ……そんな意味のわからない感想を思考にめぐらせながら。俺は状態異常:疲労によって疲れ果てた身体を温泉で癒す。

 生きている。HPの増加に伴って訪れた生の実感によって、俺のステータスからは状態異常:疲労が綺麗さっぱりとその姿を消した。


 ごちそうさまでした。とても温泉に掛ける言葉ではなかったものの、それでも美味な湯を身体で堪能したことで、ついテーブルマナーを心掛けてしまう俺。

 

「……そろそろあがるか」


 そう思い、俺はこの湯から上がろうとしたその時。


「ユ、ユノ様。あの、あのっ! お、お待ちくださいっ! それはもう――キャっ!」


「もうミントちゃんったら、これまた結構な恥ずかしがり屋さんなのね~。ねぇねぇ、ほらほら。もうちょっとくらい私と、ね? もう少しくらい、よいではないか、よいではないか~」


 ……壁を隔てた先から響いてくる、隣で繰り広げられているのであろう戯れの声。

 俺と同じく、別室にてこの目玉焼き風呂を満喫中であるユノとミントの少女コンビ。この壁の先では、二人は一体ナニをやっているんだろうか。

 そんな、隣から聞こえてくる二人のやり取りに、俺はつい耳を傾けてしまう。


 ……まぁ、だって、男だもの。こんな場面に出くわしてしまったら、本能としてつい、ね――


「おやアレウス君。奇遇だねぇ」


「うぉっ!?」


 気後れしながらの行為に割り込んできたその声は、場違いなフライパンの反響が特徴の宿屋、リポウズ・インのオーナー、アイ・コッヘン。

 二百五十七の身長を持つアイ・コッヘンもこの湯を満喫するためか。温泉でその盛り上がった筋骨隆々な全身を惜しみなく晒しながら、温泉の入り口からこちらへ歩んでくる。


「おや、どうかしたのかい?」


「い、いや。なんでもないです。ハハッ」


 二人の少女のちょっとしたやり取りを盗み聞きしていた矢先に。まさかの二人きりという隣と似たシチュエーションが男風呂でも再現されてしまうとは。

 ……先程のやり取りを踏まえ、どこか不安な面持ちになる俺。それでもって、そんな俺の隣にまで歩んできた長身のアイ・コッヘン。

 隣、いいかな? 一言を投げ掛けて俺からの許可を取り、承諾をもらうなりその筋肉で覆われた長身が俺の隣に腰を下ろしてきた。


 場面が場面であったため、ただでさえ付近の他者という存在が気になってしまうのに。そんな俺に更なる追い討ちを掛けんと、ある強大な衝撃の真実が俺を強襲する。

 というのも、首から上がフライパンという謎の構造で成り立つ、アイ・コッヘンという人物のその身体。今まで謎に包まれていた、頭部のフライパンと上半身が結合するその部分を、とうとう俺は目撃することとなったのだ。


 その瞬間にも。俺には何か、見てはならぬものを見てしまったという形容し難い胸騒ぎを起こし始める。

 目撃した俺の光景。そのアイ・コッヘンの首の謎。俺が見た、衝撃的なその光景とは――!


 ……いや、ここは敢えて描写するのをやめておこう。これはきっと、知ってはならない領域に違いないだろうから。


 ただ、唯一俺が伝えられる描写と言えば。恐らくこのゲーム世界は、温泉回という展開を想定していなかったのだろうなと。そう思わせる真実を知ってしまったということ、ただそれだけか。

 ……このアイ・コッヘンの首の部分に関してだが。多分、この部分はデバッカーのみぞ知る、裏に巡らされた禁忌の領域なのだろう――


「ところでアレウス君。この目玉焼き風呂の湯加減はいかがかな?」


 そのフライパンで俺を見下ろしながら。

 アイ・コッヘンは至って通常通りのどこか胡散臭い調子で俺に尋ねてくる。


「え、えぇ。今日の温泉も気持ちが良いです。今日の疲労も、この湯に浸かった瞬間にあっという間に癒されました」


「はっはっは。それは良かった。なんてったって、この温泉には今日アレウス君が命辛々に入手してきてくれたワイルドバードの卵が使用されているからね。この卵に含まれている成分が、こうしてワンランク上のお湯を生み出してくれる。これも、アレウス君のおかげだ。実にありがとう」


 ……あれ、俺が取ってきた卵、料理に使われなかったの……? それに、卵って温泉に溶くものだったっけ……。

 揺らぐ常識。より一層の動揺で、額には温泉によるものではない変な汗が出てくる。


「ワタクシは勿論、こののどかな村の皆も君に大いなる期待を寄せていたよ。プレッシャーを与えてしまうようで申し訳ないのだが、それでも尚君にこう伝えておかないと、どうも気が済まなくてね。というのも、やはり新米冒険者という身であのドン・ワイルドバードを倒してしまうだなんて、正直なところ、とても信じられない話なのだよ。そう、それが成されたという現在であっても、だ。ワタクシは未だに信じられん。だが、それを君は成してしまった。これが意味することとは一体何か、アレウス君に判るかい?」


「……昼間にもおっしゃっていた、流れてきた運命による運勢の変化……というものですか?」


 うむ。

 俺の返答にコクリと頷いて、アイ・コッヘンは持ってきたタオルでフライパンを拭い始める。


「ワタクシは運命という気の流れを信じるタチなんでね。遥か彼方からその姿を現した君という運命が、こうして我々に良い運勢を運んできてくれたにきっと違いない。と、ワタクシはそう考えているのさ。どんな場面にも、その場の空気というものがあるだろう? その場に悪い空気が流れていれば、そこに重荷が圧し掛かったかのような重くどんよりとした運勢が流れ出し。その場に良い空気が流れていれば、そこにどこまでも羽ばたけそうな気分とさせてくれる爽快な運勢が流れ出す。どの場面でも、空気というものがその場の運勢と運命を定めると。ワタクシはそう思っているのだ」


 普通のタオルによって磨かれた、アイ・コッヘンの頭部のフライパン。

 汚れを拭き終えたのだろうか。頭部であるフライパンからふとタオルを離したその瞬間。なんと、唐突とそのフライパンが輝き出すという珍事が発生する。


 あまりの眩しさに目を瞑る俺。そんな俺の様子もお構いなしと、アイ・コッヘンは自身の話を続けていく。


「だから、君は実によくやってくれたのだ。新米冒険者という身でありながら、あのドン・ワイルドバードを単身で倒すという偉業と同時に。この重くどんよりとした空気の流れの除去。云わば、誰にも成し得なかった、停滞した運勢の換気というものを、君という一人の冒険者が成してくれた。これでしばらくは人間達に良い結果がもたらされることになること間違いない。さぁ、ここからが人間という種族の本領が発揮される場面だ」


 停滞した運勢の換気。

 独特な表現で俺を褒め称えてくるアイ・コッヘン。近い未来に対する大いなる期待を抱き、なにやら意味深な独り言を呟いていく。


 少しして、アイ・コッヘンのフライパンの輝きが落ち着く。

 唐突な光が無くなり、やっとのことで目を開けることができた俺。そんな俺の様子を見るや否や、ひょいと俺に振り向いて一つの質問を投げ掛けてきた。


「……ところで、アレウス君。君は一体、どこから来たのかな?」


「どこから――あ、えっと、あっはいっ」


 しまった。この手の質問に対する返答を考えていなかった。


 このゲーム世界の主人公として、空から降り立ちました。だなんて正直な話をしたところで、この世界に住まう住人は誰一人として信用するわけがないだろう。それどころか、なんだコイツと思われるのがオチか。

 だからと言って、適当な名前を口にして、それを出身地とするわけにもいかないしな……。


 対策を怠っていた質問に、俺は一人悪戦苦闘する。

 次第に空いていく沈黙の間。その空気に、首を傾げ始めるアイ・コッヘン。

 これはどう答えるべきなのか。これはどう答えた方が正しいのだろうか。急に訪れた切羽詰った状況の中、必死となって俺はこの思考をめぐらせる。


 悶々とした思考内であらゆる返答を考えた末、俺はふと閃いたある決まり文句で返答をすることにした。


 それは、ズバリ――


「お、俺。実は、以前までの記憶が無いんすよ……ハハッ」


 記憶喪失。

 なんて都合の良い設定なのだろう。だが、この世界における記憶や知識などはほぼ皆無に等しい。

 ……よって、あながち間違いでもなかったりする。


 完璧だ。咄嗟の判断による勝利の確信を抱いた俺。

 これでこの場をなんとか凌げることだろう。そう思い、俺は一安心だなと一息をついたのだが――

 

「――なんだと。記憶を……?」


 ……そんな俺の返答を耳にしたアイ・コッヘンの様子には、どこか焦燥を感じさせる。

 つい先程までの胡散臭い調子は無く。真剣そのものといった、何かしらの只事ではない緊張を帯び始めた空気が流れ出すこの場。


「アレウス君。それは本当なのか……?」


 とうとう、口調まで変わり始めた。

 緊張を帯び始めるアイ・コッヘン。そんな唐突の展開によって、発言者である俺までもがその只事ならない気配で緊張を抱き出す。


「え、えぇ。そう……だと思います」


「ッ……なんということだ。まさか……。いや、でも。しかし……っ」


 何かを思い詰めるよう。

 アイ・コッヘンは顎に手を当て、何か思考をめぐらせ始めたその仕草。


 ……って、ちょっと待てよ。なんだ。なんだよ……この空気の流れは……。

 もしかして、俺。ただの思いつきで発したこのセリフに、何か余計なフラグが含まれていたりしてたのか……?



 やり直しの利かないこのゲーム世界にて。やらかしたと思われる、ある失言を境にして。

 俺は先程のセリフを発したことによって。この瞬間に、この世界に得体の知れないフラグのシステムを確立させてしまったのかもしれない――――

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