風国の夜②
「この匂い。……そう言えば、俺とミントの晩御飯を注文するのを忘れていたな――」
ふと思い出した、晩御飯の存在。
これからでも注文するために、厨房と繋がるカウンターへと向かおうとこの腰を上げて立ち上がったその時であった。
厨房に繋がっていると思われる扉が急に開き出し。そこから、その暑苦しいほどの情熱的な、ニッコニコな笑顔を浮かべたラ・テュリプが出てくる。……その顔を、降りかかったであろう炭で黒く染めていながら。
「アレウス・ブレイヴァリー君とミントちゃん!! あぁちょうど良かったぁ! ねぇちょっと、二人ともまだ晩御飯って頼んでいないでしょう? だったら、この料理を食べてみてよ~!! そして、ぜひとも感想を聞かせて聞かせて!」
その両手に乗っている二枚の皿には、あのラ・テュリプの屋台でも腕を振るってもらった最高級の肉料理が乗っており。
お洒落に持ち上げているそれらを足早にテーブルへと運んできて。手馴れた動作で素早く俺とミントに提供された至高の絶品料理。
その見栄えは、あの時に見たそのままの、肉汁の詰まった分厚いステーキ。その名前はよく覚えていなかったが、確か、ワイルドバードのソテーのような名前であったような気がする。
目の前でじゅわじゅわと音を立てている料理に、この食欲が一気にそそられて。俺もミントも、もう我慢できないと抑制が解けてはすぐさまとナイフとフォークを手にし、いただきますの一言を伝えて無心と食らい付く。
――あぁん、美味しい。
語彙力もとろける極上の美味に、俺の意識は昇天する。
それは、あの屋台で食べた料理そのままであり。まぁ、調理人が同じであればそれは当然かと。この舌に転がる美味に感動溢れて俺はただ口を動かすことしかできずにいて。
そんな俺……と、同じく美味に瞳を輝かせながら貪り喰らう大食いのミントの様子に、まるで何かを伺うような真っ直ぐな目で、なにやらと頷き続けていたラ・テュリプ。
……直に、厨房へと向いては。その、電気の消えた誰もいない厨房へと声を掛け始めたのだ。
「ほーら!! だから言ったでしょう! マスターシェフであるあたしの指導があれば少なからずと美味しく仕上がるのだから、もっと自分に自信を持ちなさいな」
情熱的で透き通る声を響かせ、次にもこの食堂に広がる沈黙。
……が、しばらくとしてから、この静かとなった食堂に。とある、高くか細いどこか気弱な女の子の声が響き出す――
「でも……でも……それも全部、テュリプ・ルージュさんが教えてくれたからであって……これは、ウチがやったわけじゃない…………」
「でも、調理の大半は"シーちゃん"が手掛けたものよ。腕を振るったのは、飽くまでも"シーちゃん"。それは、"シーちゃん"が丹精込めて調理を行い。出来る限りの全力を注ぎ込んで。メモされた内部の記憶と教えてもらった外部からの知識をレシピにして、自力で一から手掛けた最高傑作なのだから。これは、"シーちゃん"が生み出した最高の料理なんだよ。だから、そこから顔を出してみなよ。"シーちゃん"が手掛けた料理を、とても美味しそうに頬張ってくれている二人の顔をその目で見てみなさい。きっと、これまでの世界観がまた変わるわよ」
情熱的な声音に込められた、力強い調子で厨房へと投げ掛けられた言葉。
それが響いてから、更に少しして。……厨房の入り口からひょっこりと顔を出してくる、とある存在の姿。
それは、百六十三ほどの身長で。その容貌は、黒、焦げ茶、暗めの赤という色々が混合するチェック柄のポンチョに上半身を包み込み。真っ黒の一色に染まる、ロングスカートのような七分丈のガウチョパンツ。同じく真っ黒なロングマフラーで口元や鼻を覆い隠していて。焦げ茶の運動靴を無難にも履いている。
外見の特徴としては、そのふくらはぎ付近にまで伸ばした、深緑の青みと黒みが強いとても濃い緑色の超ロングヘアー。華奢な輪郭からはみ出る、黒い縁の大きな丸メガネ。その瞳もまた黒く、こちらから見た少女の右目の近くにはワンポイントのほくろがぽつりと。
何だか不安げな表情がやけに印象的なその少女。他にも、大事そうに、抱き締めるようにその胸に抱えている薄浅葱の淡く薄い青緑色の釜が、また一層とやけに印象的であったために。突然と登場した見知らぬ存在に、思わず食に集中していたこの手を止めて注目してしまっていたものだ。
そんなこちらからの視線も含めての、その場の全員からの視線を浴びて。その少女はおどおどとした様子で一度厨房へと引き下がってしまうものの。また、再びと顔を出してきては、躊躇いを見せながら料理を口にしている俺とミントの顔色を伺ってくる。
「"シーちゃん"。出てきてみてよ。彼と彼女に恐縮する必要は無いわ。このあたしが、この目でちゃんと確かめたのだから。大丈夫よ。二人は優しいよ」
「でも、でも……ウチはただ、テュリプ・ルージュさんから料理を教わりたかっただけだから……」
「料理というものはね、ずっと厨房で調理をしているわけではないの。こうして、自分が手掛けた料理を食べてくれた人と関わることで得られる発見もあるものだし、コミュニケーションというものも、料理人にとってはとっても大事なことなんだ。ただ料理をすることだけが料理じゃない。こうして、自分の料理を食べてくれたという繋がりを大切にすることも、料理をすることに、そして、料理人として大事なことなの。だから、この料理を手掛けたという、この最高の料理を手掛けたという料理人であることをアピールするために。ほら、まずは自己紹介よ」
「え……でも、でも。ウチ、ウチはただ…………ただ…………」
落ち着かない視線は忙しなくキョロキョロと動き続けていて。おどおどと周囲を見渡し口ごもりながらぶつぶつと呟いていく少女。
――少ししてから、おいでおいでと手を招いてくれるラ・テュリプに、その少女は躊躇いを思わせる重い足取りでこちらへと近寄っていき。だが、少々と距離のあるその場で立ち止まってしまう。
「よくできました、えらいえらい。それじゃあ、次は自己紹介ね。大丈夫、緊張しなくてもいいくらい、彼らはとても寛容な人達だから。挑戦をするなら、それと、失敗をしておくなら、正に今が良い機会なのよ」
「え、えぇ……でも、ウチ…………う、うん……」
ラ・テュリプに背を軽く叩かれる少女。
その落ち着かない様子はそのままに。口ごもる調子でもごもごと言葉にならない言葉を呟き続けていき。
……それでも、懸命であるその姿に感化され、内心で頑張れと応援までしてしまいながら少女の様子を見つめ続けていく。
直に、こちらに向かって。……その少女は、ようやくと、はっきりとした調子でか細く自己紹介をすることができたのだ――――
「は、は、は……初めまし、て。……あの。えっと……ウチは。あ、えっと……ウチが、この料理を料理し……料理を調理し、た。あ、えっと……ウチが、この料理を、調理した、シェフ? の……『バーダユシチャヤ=ズヴェズダー・ウパーリチ・スリェッタ』、……です……。あ、の。……ごめんなさい。長くて、難しくて、覚え辛いですよ、ね…………」
【~次回に続く~】




