蛇蝎③
「――"彼"のあまりもの異端さには、キミも既に気付いていることだろう?」
美青年からのセリフの後にも、それまでと交わされた内容の中で、その長身は初めてと同意を示す沈黙を流していく。
長身の彼からの合図を受け取った美青年もまた、先の余裕から一転とする真剣味を帯びた調子でそれを切り出してきたのだ。
「――皆からは"アレウス"と呼ばれ親しまれている彼。その人柄や存在感は至って平凡なもので、特にこれと言った目立つ特性を持つ人間ではないことはキミも把握していることだろう。――だが、それは飽くまでも表面上における彼の特徴であり。その内側は……まるで皆無となる無の空間のみ。……キミも、"匂い"か何かで気付いていることだろう? …………そう。とても不思議なことに、彼という人間の根本には、器も何も存在していないんだ…………」
その穏やかな声音に低音を織り交ぜた美青年の言葉を静かに聞き入れていく長身。無言を貫く長身へと、美青年は続けていく。
「……その人間の内なる根本に根付く、それという存在を成り立たせるために必要不可欠である人格の器。この器には、その人間を構築する色や形を成しているものであり。それは、その人間が。いいや、こうした生物そのものが形体を維持するために必須となる、自然の理。――だが、あの"アレウス"となる彼には、その器に色も形も……それどころか、まず根本となる器自体が根付いていないんだ。……その人間や生物の誰やどれにも、これまでの道のりを歩んできた歴史というものが存在する。そして、その根本となる器が存在しないということは……つまり、"彼"の内側には、歴史が無いということになるんだ。…………そんなことが有り得ると思うかい? 否、決して有り得ない。絶対に有り得ない。今も、従来の自然の理でこの世界が成り立つのであれば、本来、"彼"のような形はまず存在すらしないはずなんだ。この異常性は、勿論キミにも分かるだろうさ」
首を横に振り、その存在を、その現実を否定し頭を悩ませる美青年。一方で、そんな彼の話を未だと沈黙を貫く姿勢を通す長身に構わずと、美青年は更に続けていく。
「……見た限りでは、彼は空っぽなんだ。中身の無い、まるで風船のような人間ということなんだ。だって、風船は人間どころか生物でも生命体でも何でもないだろう? その中身はただの空気なんだ。その中身には、何も存在していないんだ。……だが、今、そいつが手を生やし足を生やし言葉を喋り命を宿している。異常なんだ。異端なんだよ、彼という存在は。――条件、その一。今、キミが共にしているこの一行に交じる、ある一人の人物の情報を開示すること。それは……"アレウス"という男についての情報を、余すことなくこのボクに伝えるということ、だ。な? 対してそんな難しい条件ではないだろう?」
その口元に紅の三日月を浮かべながら、卑しい目つきでそう尋ね掛ける美青年。
だが、そんな彼にいちいちと構うこともなく、長身は淡々とした調子でそう返していくのだ。
「……へっ、バカバカしいぜ。お前さんはこのオレを試しているようだが、そいつぁただの無駄そのもの。本来他に回すべき時間を無駄遣いにしちまっているだけだぜ。――お前さんも分かっているだろうよォ。……"アレウス"という人物に関しちゃぁ、このオレでもまるでサッパリだ。むしろ、その問いを他のどいつかに。例えば~……常に、"ヤツ"の傍に、いるユノっちにでも尋ね掛けたいくらいよ。……あぁ、分かるぜ。分かるぜ? お前さんの心理がよォ。怖いんだろう? あぁ、怖いんだろう、アレウスという未だ得体の知れない未知の存在がよォ?」
「…………」
先にも優位に余裕を見せていた美青年の表情に訪れる陰り。中折れハットを深く被り直し、若干と俯いては無言を貫き静寂の中を佇む。
背後の彼にしてやったぜとニヤリ笑みを零す長身。――だが、次に訪れたのは、その美青年と同じく無言の静寂。
「……今のお前さんの立場で、今のお前さんの心情を言葉にするのならぁ…………アレウス、という人物は情報不足による至極危険極まりない存在、と言ったところかね。そいつぁ、このオレを遥かに凌ぐ。それも、危険性という次元を超えた……"まるで、別次元"を思わせる気色の悪ぃ感覚を覚える存在。とても、この世界の生命体だとは思えねェ……そうだなぁ、言ってしまえば、"外来種"……」
「あの彼の根本である空白は去ることなく、だが、その周囲には勇敢なる水縹のオーラが漂っている。これが一体何を意味しているのかは、今現在ではまるで分からないものだが…………少なからず、世間を騒がす『魔族』とはまた異なる……いいや、全く異なる脅威だと、このボクはそう睨んでいるよ。その存在は、あまりにもデカすぎる。それは、これら一連のあらゆる物事がまるで、全て、"彼が中心となっている"かのような錯覚にまで陥ってしまえるほどの。彼という存在があるからこそ、この世が成り立ち巡っているかのように……」
「お前さんの意見に賛同するつもりぁ微塵もねェもんだけどよォ。んでも、そいつばかりは、共感のきの字でも頷いてやろうかね」
これまでの流れとは一転とした、双方の意見が一致し共通する互いの思考に悩む仕草を見せる美青年。
「……だからこそ、満たされることの無い探究心に飢えた情熱を滾らせるユノ・エクレールという彼女は、そんな未知なる巨大な存在感に探究心が惹かれ、行動を共にしているのだろう。――そう。それを考慮すると、こう考えることができる。……彼が存在している限り、彼女の目には彼の姿しか見えない、のだと。それは、彼女を手中に収めようとするボクの思惑を阻害する、この目的の達成というゴール地点の直前に立ち塞がる最後の障壁。…………アレウスという彼が、ボクにとって邪魔で邪魔で仕方が無いんだ」
その言葉が進む中にも、力み握り締めた拳に浮き上がる血管を眺める美青年。
美青年の様子にため息を一つ零す長身。そんな彼からの音に、我に返ったかのよう落ち着きを取り戻した美青年は静かにそう続けた。
「……おめでとう、これでキミは、このボクから提示された条件を一つ達成した。残るはあと一つだ。そいつを満たせば、今回ばかり、キミという危険な存在を特別に見逃してやってもいい」
「んなこと言ってねェで、さっさともう一つの条件も言えや。っまぁ、これまでの話から察するにぃ? お前さんの言いたいこたぁだいたい想像がつくってもんだが?」
「ふふっ、話が早くて助かるね」
握り締めていた手を優雅に払いながら。やれやれといった息遣いにもったいぶる調子で答え、敢えての間を空ける美青年。――直に、彼の口から言葉が流れ出す。
「では、もう一つの条件だ。――条件、その二。それは…………キミというライバルが、今この晩にもユノ・エクレールの視界から消え失せ、その姿を皆の前から晦ませること」
「へっ! 本当にそいつだけでいいのかい? "お前さんら"にしちゃあ優しすぎる条件なこったぁ」
長身からの返答を耳にし、その嫌悪漂う表情をおもむろに浮かべ睨みを利かす美青年。次の時にも鼻を鳴らし、その言葉を続けていく。
「ライバルというものは、その存在だけで随分な気掛かりとなる。まずは、それを着実と排除することから始めなければね。ということだ。残念だったね、ペロ。唐突となった、これまでと共に歩んできた仲間達とのお別れ。それまでと口にしてきた言葉の表面上では、さぞ否定し仲間を装うことは無かったことだろう。けれども、"それらしくなった"キミのことだ。これまでの反応や態度を踏まえて、若干もの心残りが生じていることだろうさ。――結構。その予兆は、このボクとしても、本人であるキミからしても実に良い兆候だ。何せ、その傷の痛みを緩和させた彼女らの温もりは、"キミの本能"を抑制させる蓋になったことだろうからね」
「お気遣いどうもさんよォ。尤も、この抉れた傷跡を刻みやがった張本人である"お前さんら"から色々と気遣ってもらう筋合いなんぞまるでねェんだがなぁ」
そう言い、長身は肩に掛けていた棍を消失させ。長らくと背けていた彼から逃げるよう歩みを始めていく。
怒れる表情のまま。食いしばる口元に眉を歪ませ苦悶の様子を見せる長身。背を向け宵闇へと歩を進める彼を尻目に、美青年は胸元へと手を伸ばし何かを取り出す。
直に、これまでの中で一番となる大きな声を上げていく美青年――
「待ちたまえ、ペロ。先にも言ったように、ボクは最低限もの美徳を弁えているものだ。そんなボクの美徳が、キミの寂しさに同情を抱きそう訴え掛けてくる。……一度、踵を返すんだ。これまでと共に歩んできた仲間達との無言の別れだなんて、キミとしても望んでやいない最後だったことだろう? ――ボクは、美しいものが大好きだ。そんなボクに、キミから最後の別れとなるメッセージを仲間宛へ綴る美しき姿を見せてほしいものなんだが。どうかな?」
「…………ちっ。悪趣味な野郎だ。外に出ても、極めた外道を遺憾無く発揮していくねェ……」
美青年から手渡された、立派な紙と筆。それを手に取り連ねられる文字の流れを眺め、愉悦に笑む彼の視線に終始苛立ちを見せる長身。
暫しして落ち着いた手元。次に、静寂と同化した、音の無いゆっくりとした足取りでとあるテントの中へと侵入し。その中央で無防備に眠りへとついていた一人の"彼"を眺め……無言を貫くその空間、彼の付近に添えられた紙。
また暫しと、目を瞑る彼を眺めては。……長身は、その真っ直ぐな瞳を向け、小さく、呟いた……。
「……厄介事に巻き込んで、本当にすまねェと思っている。そんでよォ、こんな形で別れを言うだなんてよォ。……これまでと皆から与えてもらった恩を、何の形にもせずにこう言うのもあれなんだがよォ。……皆から与えられた温もりに、"オレっち"はただ、心地良さを感じていた……」
……流れる沈黙。長身は、再びと口を開き、足元で眠る彼へと言葉を落としていく。
「……アレっちは、こんな別れなんかは望んでいなかったことだろうよ。っへへ、その寝顔を見ただけで分かるぁ。そうして寝ている間にも、お前さんはこのオレっちにどう仲間意識を持たせるかばかりを考えていたんだろうよォ。…………ほんっと、お前さんはお人好しが過ぎんだよ。本当に、お前さんはお節介が過ぎんだよ。……そいつぁ、これまでと信じ込んできた思考と心を揺さぶるほどの、とんだ大迷惑をこのオレっちに与えてきたもんだ…………」
ゆっくりと背けていく視線。その間にも零されていく言葉の数々……。
「……いいか、アレっち。オレっちの話をよく聞いておけ。…………"ヤツ"は。いいや、"ヤツら"は至極危険極まりねェ。人道から掛け離れた邪道を極めた、外道の中の外道集団だ。そいつぁ、『魔族』とは全く異なる脅威を持つ輩で。それは、下手すりゃあ"『魔族』並みの危険度を誇る"だろう力を有する集団。そうよ、この世界を表から蝕む『魔族』とは違ってよォ。"ヤツら"は、この世界を裏から蝕む、陰りに身を潜めた蔓延る邪悪さ。――そんな"ヤツら"に、あのユノっちが狙われちまっていやがる。そんで……そんな輩から確実にユノっちを守れるのは……常に傍に居てくれている、アレっち、お前さんだけだ」
音も無く踏みしめられるテントのシワを刻みながら。寝息を立てる背後の彼へと言葉……と、希望を託し。……その言葉を言い残し。
……それを最後に。長身、NPC:ペロ・アレグレ=Y・シン・コラソンは、つい先までと行動を共にしていた仲間達のもとから、忽然と、その姿を消したのであった――――
「……いいか、アレっち。……"ヤツら"もまた、『魔族』と同じように世界の侵略を目論む害悪共の集いなんだ。そいつぁ、その脅威は『魔族』に一歩の引けを取らないほどの力を身に付けてしまっている可能性だって有り得る。……そして、今、"ヤツら"が欲しがっているものは、その侵略を現実にするべくの実力行使が可能となる、あの『魔族』らにも劣らぬ十分な戦力。…………"ヤツら"の野望は未だに不透明なところがあるものだが。ただ、ユノっちという存在が"ヤツら"のもとに渡ってしまったら、恐らく"ヤツら"は機が熟したと言わんばかりにこの世界の侵略を開始することとなるだろうよ。そうなりゃあ……"ヤツら"はあの『魔族』さえも討ち倒し、この世界を征服するだろうよ。……つまり、ユノっちが"ヤツら"の手に渡ったその時にも、"この世界は終わりを迎えかねない"。だから、アレっち。どうか……ユノっちのことを見守ってやってくれ。……いいや。……アレウス・ブレイヴァリー、このオレからの頼み事だ。……ユノ・エクレールという、この世界の行方を定める重要なトリガーを、どうか、"ヤツら"から全力で守ってやってくれ……ッ!! ――じゃあな、アレっち。…………この世界のどこかで、また会おうぜ。……最初の時と同様に、偶然、な」
【~次回に続く~】




