蛇蝎②
巡る不穏の予感が的中し。その長身は思わずと息を引きつらせ一瞬と身体を跳ねさせる。
――次第に訪れる震えに指を痙攣させて。心臓から流れてくる激しい鼓動に喘息気味となった長身の様子に笑みを零す美青年。
……暫しして、冗談めかした呆れ気味のため息を吐く長身。未だに収まらぬ身体の振動で言葉を震わせながら、額に手を当て力無く口を開いたのだ――――
「……そうかい。あぁ、そうかい。……そうだねェ。あぁ、そういうこと。把握だ。…………っへへ、あーぁ、ユノっち。っあーぁ……あぁ、こんな、よりにもよってこんなヤツに目を付けられてしまうだなんてな。どうやら、お前さんはだいぶと運が悪すぎたみたいだ」
「そんな下手な言動で誤魔化さないでくれるかい? 生憎、ボクは本気なんだ。それ以上ともったいぶるようであれば、力ずくにでも聞き出すつもりでいるんだ。――何せ、その関係性という立ち位置からして、キミはこのボクのライバルなのだからね。ライバルは否が応でも容赦無く叩き潰すつもりでいる。……ということだ。さっさとキミの言い分を聞かせてくれないかな。さもなければ……その人格からして、意外にも賢く鋭いキミのことだ。あとは判ることだろう?」
ニヤける口から焦らすよう放たれる、迫る調子で投げ掛けられる言葉の数々。
依然として収まらぬ震えのまま、長身は息を呑み拳をぐっと握り締め。――しかし、力む指は垂れ下がり一種の諦めと共に長身は口を開いていく。
「…………ばったり会っただけだ。偶然に、な」
「こんなにも広い世界で、そんな偶然があるわけがないだろう? ボクは本気なんだ。その程度の適当な言葉でボクを騙そうとしてくれては困る。――あぁ、感じるよ。この、ボクの内にも根付く根本の器からふつふつと昂ってくる苛立ち。もう我慢ができそうにない。今すぐにも、キミを排除してしまいそうだ」
「…………」
流れる沈黙。脅しを前に黙りこくる長身は、ただこの口を噤むことしかできずにおり。――少しして、美青年は先の続きとばかりに言葉を連ね始めた。
「――なんてね。如何せん、久方ぶりの再会だ。反射的にも、少々とキミを脅したくなってしまった。あぁ、そうだろう。キミは賢く鋭い。故に、このボクを騙くらかそうという愚行が死に直結することを既に知っている。信じるよ、その言葉を。っふふふ、何せ、ボクとキミがこうして出会ってしまったかのように。そして、ボクが、あのユノ・エクレールという少女と運命的な出会いを果たした時のように。こんなにも広い世界だからこそ、そうした奇跡的な偶然が起こってしまっても何もおかしいことなどないんだ。この世界は、全てが行き当たりばったり。偶然の名の下に成り立つ、偶発的な出来事の連続である。……だからこそ、偶発的に訪れる様々な出会いや出来事は、実に美しい。ボクは、美しいものが大好きだ。だから~……もし、キミがこのボクを騙くらかそうとも、その内容に偶然という言葉が紛れ込んでいれば否が応でも許すしかないだろう。…………嘘に塗れ友を庇うその姿こそも、また美しいものだからね。ふふっ…………」
「……"お前さんら"は、ほんッとうに頭がおかしいぜ。つくづく……狂っている」
「ふふっ、褒め言葉をどうもありがとう。その皮肉は、同時として自分自身にも宛てた言葉という理解でいいものかな? ――キミも気付いていることだろう。それを、自分自身が言える立場ではないことを……ふふっ」
「…………お蔭さんでな」
煮え滾る静かな憤怒に、唾を吐き必死と堪える長身。
一つの流れが終わりを告げ、その空間に流れ出す沈黙に美青年はここぞと話を再開する。
「美しいのは、今のキミの姿だけではない。――ユノ・エクレール。彼女もまた、その何もかもが美しい。あの美貌に人格に、センスや戦闘能力も去ることながら、あれほどまでの無垢を持つ器はそう多くお目にかかれない。そう。彼女ほど、このボクの厳しい条件を満たす女性と出会うことはまず初めてだった。……心から待ち望んでいたチャンスが目の前にあったら、誰だってそれに飛び込むことだろう? だから、このボクを恨まないでくれよ? 何せこれは、そのチャンスを与えてきた全ての引き金である。所謂、"ボクら"という存在がキッカケであるチャンスなものだからね。ということだ。このボクを恨むのは筋違いなんだ。ボクは被害者なんだ。だから、恨むのであれば"ボクら"という存在を恨んでくれ」
「ややこしい言い回しをしやがって。んな風に言わなくとも、お前さんの境遇くらいはとっくに気付いているっつぅの。んで、なんだぁお前さんはァ? 共感や同情の一つでも言葉として掛けてほしいってこったい? あーぁ、そいつぁご愁傷さんでしたねェ。んで、茶番はこれくらいでいいか? ――バカバカしいぜ。こちとら、こんなままごとに付き合っている心情じゃあねェんだよ」
右手に持つ棍を勢いよくと地面に叩き付けながら。その閑静に鈍く響き渡る音が直にも静寂へと溶けていき。その怒りを未だに抑えながらと、長身は言葉を続けていく。
「……お前さん、その企みの裏には一体どんな外道な策を張り巡らせていやがる? 彼女はただ、好奇心のままに冒険をしていただけの純粋なお嬢ちゃんだ。そんな天真爛漫の少女をその卑しい目つきで見遣って穢れた手でベタベタと触れやがって。"オレの人生だけでなく"、彼女の人生までにも一生と残る穢れを浸透させるつもりか? そいつぁ、あまりにも非情過ぎやしねェかい? 彼女を――いいや、お前さんは、女性という存在のことをどう見ていやがる? こいつぁただの使い回せる遊び道具なんかじゃねェんだぞ!!」
「遊び道具、だと?」
長身の怒号に、心地の良い声音に低音を織り交ぜた鋭い反応を示していく美青年。
「……遊び道具とは心外だね。ボクは、女性というものが好きだ。ボクは、女性という存在を心から尊重している。だから、ユノ・エクレールという少女を迎え入れたその暁には、ボクは、彼女が永遠と幸せに過ごせる幸福の日々を授け。彼女のこの先を、ブレることの無い愛情による責任を持って導いていくつもりだ。――ふふっ、それが例え、キミの言うような、張り巡らされた策の一部であろうとも。彼女は、このボクが一度でも純粋に惚れてしまった女性なんだ。そんな、このボクにとって特別な存在である素敵な彼女を心から愛せなくて一体どうする? ボクは、この性に耐え切れるであろう彼女の強靭な身体が欲しいものであり。ボクは、互いに未来へと歩んでくれる彼女に受け入れられたい。彼女へ、この愛情をずっとずっと注いでいく。彼女もまた、その幸福に陽だまりのような微笑みを浮かべてもらいたい。彼女の幸せは、このボクが保証する。……そう。ボクは、ユノ・エクレールという彼女にぞっこん惚れ込んだ。ただそれだけなんだ……」
「……ユノっちもまぁ、とんだ面倒な害悪に目をつけられちまったもんだな。……こいつぁ、なんて非情な世の中なもんだ……」
背後から、この背から伝わる異常な執着心を感じ取り。その長身はあまりもの少女への同情に、頭を抱えその行く末を案じ苦悶の表情を浮かべてしまった――
その宵闇にて現れた、安全地帯という穏やかであるべきの空間を邪気によって穢す一つの存在。黄緑の若葉に身を包む紅葉のそれは、愛という狂気を振り撒き少女への執着心を語り長身の精神を追い遣って行く。
……狂気の宿る言葉が一方的と交わる会話の中。その美青年は、ひとまずと話し終え一息を挟むものであり。……だが、とある疑念を晴らすべくと、長身へと立て続けに言葉を投げ掛けていったのだ。
「――ところで、ここまでとボクの目的を説明したものだけれども。今回は、その目的の障害となる存在の排除のために、わざわざとこうしてキミの前に姿を現したというものであってね。こう、このボクがせっかくと表舞台に参上したんだ。であるからには、その障害の排除を遂行しなければ、これはただの無駄な登場となってしまうだろう?」
「……つまりよォ、そいつぁ遠回しに、オレの存在を排除しに参ったと意味を汲み取ることができちまうもんだがよォ? さっきお前さん、オレを見逃してやるとでもぬかしていたよなぁ? ――だから、"お前さんら"は信用に値しねェっつぅもんよ。この外道野郎共」
「悪いが、もう"彼ら"とは一緒にしないでくれ。あの集団の中でも、このボクだけは最低限もの美徳を弁えているものだ。あんな、卑劣に塗れただけの、美しくない醜き姿ばかりを晒す輩と同じにしないでほしいものだ」
やれやれと言った調子で両腕を上げながら言葉を連ねていく美青年。
その様子に、気に食わんと舌打ちを鳴らす長身。悪ふざけのような態度を背にやり辛さで頭を掻き毟る中。黙る長身へと、美青年は続けていく。
「だから、そのためにこう付け加えたんだ。ボクは今、"ボクら"の目的では動いていないものだから。今は"ボク個人"の目的で動いているものだから、キミという存在は条件付きで見逃してやってもいい、と。条件付きで、ね?」
「いちいちとややこしいっつぅもんよ。その回りくどい言い回しもまた、お前さん曰く美徳ってこだわりの一部なんか? ――くだらねェ」
長身の一言に僅かもの間が空き。頃合いを計らい美青年が喋り出す。
「……じゃあ、その条件を提示するとしよう。――条件、その一。今、キミが共にしているこの一行に交じる、ある一人の人物の情報を今すぐにも開示すること」
指を立て、卑しい目を背後の存在へと向けながらの言葉を耳にした長身はため息を零す。
「もう、キミも勘付いていることだろうね。……というのも、"彼"もまた、キミと同じく、このボクのライバルである存在であり。……それでいて、その存在が…………とても計り知れない」
「珍しいもんだねェ。お前さんが心から用心をするだなんてよォ。こうして好きな女を付け回すストーカー紛いの一人旅で随分と臆病になっちまったんじゃねェんかい?」
「――"彼"のあまりもの異端さには、キミも既に気付いていることだろう?」
「…………」
美青年からのセリフの後にも、それまでと交わされた内容の中で、その長身は初めてと同意を示す沈黙を流していく。
長身の彼からの合図を受け取った美青年もまた、先の余裕から一転とする真剣味を帯びた調子でそれを切り出してきたのだ――
「――皆からは"アレウス"と呼ばれ親しまれている彼。その人柄や存在感は至って平凡なもので、特にこれと言った目立つ特性を持つ人間ではないことはキミも把握していることだろう。――だが、それは飽くまでも表面上における彼の特徴であり。その内側は……まるで皆無となる無の空間のみ。……キミも、"匂い"か何かで気付いていることだろう? …………そう。とても不思議なことに、彼という人間の根本には、器も何も存在していないんだ…………」
【~蛇蝎③ に続く~】




