宵闇のマリーア・メガシティ
「ここ最近、アレウス君の御一行さん以外にこの宿屋へと訪れた者はいたかな? いや、ね。少しばかり…………いや。この問いに、まるで心当たりが無いのであればそれでいいのだ」
一人疑念を抱いては、辺りを見渡し。気を巡らせて。
正義……基、メタな視点に近き直感を持つ探偵・フェアブラントは。とてもさり気無く、そして、どこか探るかのような調子でそう尋ねてきたのだ。
その表情は、彼が滅多に浮かべることのない真剣そのものである鋭いそれであり。いつもの誇らしげな調子を微塵も感じられない彼の様子から、その問いに余程なまでの不穏さを伺わせる。
そんなブラートの不穏漂う雰囲気とは対照的に。ファンはその独自なペースのまま、思考をめぐらせて答えを探す様子を見せてから……直にも、彼にそう伝えていく。
「ンー? 宿泊ハしてない聞イたけド、こコに訪レた人ガいたことハ聞イたネ! とてモとてモ見タ目ガ恰好ノ良イ、バリバリ? メキメキ? モリモリ? な超絶イケメンだっタ!! っテ、働イているあの子ガウキウキしながラそう言ッてたヨ!!」
「……ふむ…………」
ファンの言葉を耳にしては、腕を組み右手を顎に付けて何かへと思いをめぐらせるブラート。そんな彼の仕草を目にしたミズキは急に改まり、ブラートの様子を伺い出して。
……そして。突拍子も無く、ブラートはこう言ったのだ。
「ミズキ」
「いつでも大丈夫」
「では、参るとするかな」
そう言い、敏速で踵を返し出口へと向くブラートとミズキ。
二人の様子に、俺はただただ目を点にして眺めていただけであったが。直ぐにも、二人の去る気配に反応を示したファンの声が響いてきた。
「あラ? もウお話ノ終ワりにすル? もウ戻ッてしまうノ? こうしテやってきタ、だかラ、もっトゆっくりしてモ大丈夫ダヨ?」
「すまないね、グーさん。この俺やミズキとしても、せっかくなものだからもっとくつろいでいきたかったものだったが。でもしかし、ここに到着してからというものの、とてもそうとは言えない急用を見つけてしまってね。……これも、この宿屋のためだ。この真意を探るためにも。この街の秩序と平穏のためにも。俺とミズキはこれから、ほんの少しばかりと荒事に臨まなければならなくなったのだ」
ブラートの言葉にいまいちと理解が追い付かない俺達。急にどうしたのかと首を傾げているその中で、この時にも、ブラートはこう続けていく。
「……君達を不安がらせてしまうのはあまりよろしくないものではあるが。しかし、『魔族』の件が件なだけに、そうとは言っていられないのもまた事実。…………この宿屋に、魔の手が忍び寄っている可能性が極めて高いのだ。――今も感じるよ。……その不適な瞳で、この宿屋のことをじっと監視している存在がいることをね。その妖しい気配を臭わせて。それも、入念と姿を消し、しっかりと息を殺してまでこちらの様子を伺っている。その存在を隠し切っているようだが、残念だったな。この俺をなめてもらっては困る。この探偵・フェアブラントに見抜けぬ事象など決して存在しない!」
魔の手に監視されている。突然とそんなことを言われ、俺は巡ってきた警戒の念に無意識と立ち上がってしまう。
驚いたのは俺だけではなく、ミントもファンも、その不定の存在に恐れを抱いては不安な眼差しでブラートを見つめ出すその中で。……ブラートはふと、一瞬と疑念の声を零しながら出口を見遣り出す――
「――この探偵・フェアブラントの動きに気付いたな。ッフフフ、面白い。その挑発、正々堂々と受けて立つとしよう!! そうとなれば、こうしてゆっくりなどはしていられないなッ!! ミズキ!! 早速、この、闇に蠢く妖しい存在の正体を暴くために。いざ、宵闇のマリーア・メガシティへと乗り出そうではないか!!」
「うん」
とても誇らしげに。とても活き活きとした調子で声を上げながら。助手のミズキと共に走り出し玄関から飛び出していったブラート。
勢いよく現れては、唖然としながらこの背を見送る俺達のもとを勢いよく去っていき。自身の信じる正義を抱きし誇りを持って飛び出していったブラートとミズキは、その不適な存在を追及するために。そして、この宿屋を。この街の秩序と平穏とやらを守るために。その揺るぎない正義と共に、夜のマリーア・メガシティへと飛び出していく。
……そして、今宵。街の影に潜む存在を暴くための、二人の静かな戦いが幕を開けた――――
街灯に照らされる白の大都市。自然の摂理によってもたらされた宵闇を纏いながら、二つの影は人気の無い裏の通りを走り抜けていた。
俊足の持ち主である双方。その先頭を走る青年は、その胸に宿りし正義のままに長広舌を繰り広げて。そんな、緊迫を思わせない彼の会話に。少年は穏やかな表情を見せながら、彼の言葉に耳を傾けていく。
「ッフフフ!! ハッハハハハハッ!! どうやら今回の相手は、一筋縄ではいかないかもしれないな!! こちらを惑わせる、とても良い変則的な逃走経路だ!! どうやら、あちらは無我夢中とこの宵闇に紛れているだけではないみたいだね。ふむ、そこから鑑みるに……何か、特殊な手段を用いていることを考慮しなければならないな! だがしかし! この探偵・フェアブラントはどんな姑息な手段を前にしても一歩も引けを取らない!! 相手は気付いていないことだろう! こうして、ただ目の前の存在を追い掛けているだけに見えるこの奔走も! 実は、追い込み漁と同一とも言えるであろう、この探偵・フェアブラントが確実にマウントを取ることができるホームグラウンドへの誘導である、計算された上での無暗な疾走であることをな!! ――この俺に目を付けられてしまった逃走者はたちまちと御用になった!! 今回も、この探偵・フェアブラントから逃げられると思わないでもらいたいね!!」
「でも兄さん。ビッグプロジェクトで『魔族』の二人組を取り逃がしたよね」
「ミズキ!! あれは、人間ではないからノーカウントだ!!」
街灯の無い暗闇の路地を駆け抜けて。道を辿り壁を乗り越え空を駆け影の軌道を描いていく。
闇から姿を現したその時にも、少年の姿は消失しており。眼前の光景を見据えて駆ける青年は、ある広間に踏み込むなり緩やかとその足を止めた。
四方が建物に囲まれた、殺風景なまでに何も存在しない団地。以前にも、その存在が不可思議で仕方の無い少年に追い掛けられた際にも、彼を都合良く利用するための手段として捕らえるべく迎え撃ったこの地にて。
目前には、優雅に佇む一つの影。宵闇に紛れしそれは、被っている中折れハットを左手で押さえ込みながら。執着的に、且つ、計画的にこの身を追尾してきた存在のもとへと振り向いていく。
「この探偵・フェアブラントから逃走を図ろうだなんてね。それは少しばかり……いいや、随分と無謀な試みでこの俺に挑んでみたものだ。だが、そうして試している内にも、どうやらその、覆し様の無い事実に気付くことができたようだな。その証として、逃走という無謀な試みをサッパリと諦めて。この俺の、執着的なあまりのしつこさに、堪らずと観念したその姿勢だけは評価に値する」
誇らしげに両腕を広げ。悠々と語り掛けながら、その人物のもとへと歩み出す青年。
「だが……その気迫。どうやら君は、少々と侮ることができない人物のようだ。その不適な眼差しの奥に、一体何を仕込んでいるとでも言うのか。その律儀な外見の裏に巡る、艶めかしい存在感が実に誘惑的で仕方が無い。きっと、君はここで終わるような人間ではないことは確かのようだね。だからこそ、俺はこうして君に訴え掛けたい。この手の犯罪に、所謂、ストーカーというものに相当な手慣れであるようだが。その技術をもっと、世のため人のために使おうとは思わなかったのかね――」
「すまないが、その長ったらしい無駄口でこれ以上と、この繊細な鼓膜に刺激を与えないでもらえるかな。ボクは、男の声という甘美の欠片も無い野蛮な低音に興味が無いんだ。だからこれ以上、キミなんかがボクに関わらないでくれるかい?」
その言葉で青年の歩を妨げて。次の時にも、宵闇から姿を現す一つの存在
若草色の、身なりの良いタキシード姿と同色の中折れハット。オレンジの快活なショートヘアーと、生まれもった有り余る美形を惜しみなく晒した"美青年"の口ぶりに。青年は呆れの表情を誇らしく浮かべて続けていく。
「ふむ。その口ぶりから察するに、やはり君は女性をターゲットにした至極悪質なストーカーのようだ。その行為はれっきとした犯罪のそれであるが、そう迸ってしまう感情ばかりは認めるとしよう。確かに、あの小さな宿屋には多くもの美女が集っている。皆が皆、美人と呼ぶに足る人物であることは、この探偵・フェアブラントも納得するしか他にあるまい。だからと言って、それをストーカーという形で美女を眺め続けることは絶対にダメだ。それでは、せっかくの美女に恐怖心を植え付けてしまうことになり兼ねないからね。ほら、君は一度、あの宿屋に訪れたのだろう? だったら、そのまま一泊でも宿泊すれば、その美女達に近付けただろうに。君は実に勿体無いことをしてしまったね。その綺麗な顔立ちとは裏腹に、実は人見知りだったのかな。だが、案ずるな青年!! 君はもっと自分に自信を持っていいのだ!! その顔立ちがあれば、恐れることなど何もあるまい!! この罪を償いしその時には、ぜひとも勇気を振り絞って美女に近付いてほしいものだ――」
「鈍感なのか、わざとがましいのか。……それじゃあ、言い方を変えてもう一度伝えるとするかな。――このボクの、これ以上もの邪魔をしないでくれるかい?」
性を問わず魅了する甘美な声音を、刃物の如き鋭い調子へと変貌させて。
怒りに近き感情を込めた言葉を前にして。天賦の美貌を持つ美青年と、それと相対する青年は会話を続けていく。
「キミのような、勘の良い人間は実に鬱陶しいんだ」
「最高の褒め言葉を、ありがとう。この俺の正義がまた、この経済と女神の大都市を蝕まんと侵食する、秩序と平穏を乱す悪党を見つけ出してしまったようだな」
「ボクは忙しいんだ。これ以上もの邪魔をするようであれば、ただでは済ませないつもりでいるんだが」
「フッハハハハハ!! ――いやはや、実に愉快だ。いや、ね。そんな生意気な悪党を目前としてしまうと…………」
何かを惜しむかのように、その言葉を徐々とゆっくりに連ねていく青年。
その誇らしげな様子のまま段々とペースを落とし。細めていく目元と口元に合わせて、低く、鋭く、不適な調子で言い切っては間を空けて……青年は言い放つ。
「より一層と、君のような悪党を懲らしめたくなってしまうじゃないか――――」
宵闇に紛れて飛び出す影。若葉色に身を包む美青年へと腕を振るい、彼の首元に襲い掛かる刃の一閃が迸り――しかし次の時にも、刃は美青年の背後で静止する。
鋭い金属音が宵闇に鳴り響く中。刃に刃が重ねられている状況に、背後で滞空する少年は驚き――
「へぇ。それは奇遇だね。――ボクの方も、こうした邪魔をしてくる輩を目前にしてしまうと…………つい、排除してしまいたくなるんだ」
少年の振りかぶったダガーを受け止めた刃。それもまた、背後からの奇襲を阻止するために美青年の右手から振りかぶられたダガーのそれであり。
後ろ向きの状態であった美青年は、振り向き様に少年へと斬撃を。少年はそれを予期し事前にも飛び退き距離を取り。
街灯の無い静寂な暗闇に包まれた女神の大都市にて。右手にダガーを、左手で中折れハットを押さえたままの美青年と。同一の武器種であるダガーを構え、深く腰を落とし戦闘態勢へと移行した少年の。相対する双方の戦いの火蓋が切って落とされた――――
【~次回に続く~】




