頑張ってきたからこその "この時" ――
「っ……ぐ、クソぉ――ッ!!」
爆破属性を引き起こす拳に直撃し、遥か後方へと吹き飛ばされ洞窟の壁に打ち付けられる少年。
不覚を取った自分自身に苛立ちを覚え。しかし、目前にも迫ってきた藍色の脅威を目撃し、直にも自らの死を予感する。
『オォォォォォォォォォォォォオッ!!!』
爆破属性を身に纏い、憤怒と共に橙の斑点を浮かばせた巨体を全速力で走らせて。異常に発達した豪腕を振り被り。壁にめり込む少年のもとへと、隕石の如きストレートの一撃を放っていく。
自身のHPと現在の状況を鑑みても。それは救いの無い慈悲無き絶望の光景。今も動けない身に襲い掛かる、地獄へと突き落とす拳を前にして。……少年は小さなため息を零しながら目を瞑り。……諦観の意と共に、その時を待つことにした――
「……ほらな。やっぱり、いくら頑張ったとしてもさ……どうにもならないものは、どうあがき続けても絶対にどうにもならないんだよ……」
諦めなければなんとでもなるだと? ……そんなこと、口先であればおれでも簡単に言うことができる。
……そう。口で言うことはとても簡単なんだ。だが、それ故にか。それを口にすれば、それが現実になると勝手に思い込むなんとも軽率な輩が現れる。そして、そうなるという絶対的な根拠も無いというのに。それでも、それを絶対と信じて止まずに何度も何度も偉そうに口ずさんでくるのだ。……ほんと、なんて馬鹿馬鹿しいやつらなんだ。……本当に、あの薄鈍人間は正真の阿呆だ……。
「……何が、諦めなければなんとでもなる。だよ……。他人事だからって、適当なことばかりをほざくなよっての。……ろくに苦労もしていないようなヤツが、偉そうに色々と言ってくるなよ。……おれのことを知らないくせに、如何にも一番の理解者であるような面をしやがって。……ほんと、ムカつく……」
……死を待ちながら、力無くぽつりぽつりと呟き続けていくその中で。自身の口で発していく言葉を汲み取っているその内にも、少年の脳裏にはある記憶が巡り巡ってくる……。
……それは、生まれながらにして、どうすることもできない現実と直面し。辛い、苦しい。そして……悔しいという感情に苛まれてきた苦痛な場面の回顧。
その場に馴染むためにも、その子供は誰よりも必死となって頑張り続けていた。それは、周囲の努力を遥かに上回る過酷な作業をこなし。時には血反吐を吐きながら。周囲から見下されながら。……差別を受けながらも、その子供は、努力というものを続けていた。
……しかし、生まれてから十数年にも渡るその努力は、ある日を境に全て水の泡となってしまう――
「……ははっ。おれの人生って、一体なんだったんだろう。周りから認められるために、必死こいて誰よりも血反吐を吐き続けてきたというのにさ。……充血した目から血が出てきた時もあったくらいにまで、おれは誰よりも頑張ってきたというのにさ。……おれ、この人生で一体何にそんな必死になっていたんだろ。どうせダメだと判り切っていた結果を前にしていながら。それでも、周りのヤツらを見返したくって。おれでもやればできるということを認めさせてやりたかったというのにさ。……あーぁ、おれ、どうしてこんな、どうにもならないことにこんなもがいていたんだろう……」
苦笑。何の意味も成さなかった人生を振り返り、少年は息の抜けていくような枯れた声を零しながら。……あーぁとため息をつき続けて。首を横に振り。静かに涙を流していく。
目前に迫った拳から目を逸らし。少年は俯き、報われなかった人生の幕が閉じるその時を待つ。
……しかし、その刹那にも。そうして何もかもを投げ出した少年の脳裏に、ある言葉が響き始めたのだ――
『ミズキはね、このマリーア・メガシティを裏で支える陰の正義執行人、この探偵・フェアブラントの助手を立派に務める、唯一無二の一番弟子! その名も、水飛沫 泡沫! 発見から解明までを手掛けるこの探偵・フェアブラントのサポートを手際良くこなす、とても優秀な部下さ!』
……そんな、あまりにもダメな所しか無くて。挙句の果てに無残にも捨てられたこの役立たずのおれを拾ってくれたのが、ブラートの兄さんだった。
……そうなんだよ。ブラートの兄さんはこんなおれを拾ってくれたんだ。その十数年をただ無心と必死になって頑張り続けて。命辛々と"その場所とその時間"を過ごしてきたことも全く知らなかったブラートの兄さんが。そんなおれの頑張りを一目で理解してくれて。それも、よく頑張ったねと言葉を投げ掛けながら。……もう安心したまえと言ってくれて、捨てられてしまったこのおれを保護してくれたんだ……。
『ミズキは、喧嘩や戦闘といったこの探偵・フェアブラントに似合わぬ荒事を担当する、云わば、フェアブラント私立探偵事務所が誇る最大戦力なのさ!』
"皆"に認められたいという思いの一心で、強くなるために"あの時"いっぱい頑張った。でも、結局はその頑張りを"皆"に認めてもらえなかった。……それなのに、ブラートの兄さんはそのことをたくさん褒めてくれた。よく頑張ったね。辛かっただろうに。毎日苦しい日々を送っていただろうに。みんなから馬鹿にされ続けて、さぞ悔しかっただろうに。それでも毎日、毎週、毎月、毎年、そして十数年も。今までよく頑張り続けてきたねって。――前の探偵事務所で、今の宿屋でもある、あの大海の木片の中で。ブラートの兄さんとファンさんからいっぱいいっぱい励ましてもらったあの瞬間を、今でもよく覚えているんだ。
……その時も、今と同じように涙が止まらなかったことを鮮明と覚えている……。
『こんな、どこかそっけないミズキではあるけれどね、いやいや、ちゃんとね、きちんとした正義と人間性を持つ立派な人間なんだ。なにより、ミズキは人の痛みというものがすごくわかる、とっても他人想いの性格なんだよ』
褒めてくれたのは、これまでの頑張りだけじゃなかった。
ブラートの兄さんは、おれの、人としての内面までも褒めてくれたんだ。これまで頑張ってきたことだけじゃなくて、これまでの経験や過去も真摯と受け止めてくれて。これまでの全ての話を親身となって聞いてくれた。……そして、おれという人間を受け入れてくれた。
おれという、"皆"から理解されることの無かった人間を。ブラートの兄さんはその短時間で全て理解してくれたんだ……。
『おれは、そんなブラートの兄さんに認めてもらえた、誇り高き探偵の助手! 兄さんの誇りを共有する一番弟子でもあるんだ!! 直にブラートの兄さんから認められて、おれはそれを誇りとして助手の活動を行っていたんだ!! ――だが、それなのに……それなのに…………!! おれに無残にも負けた貴様が何故、ブラートの兄さんにあれほどまで気に入られているんだ!!? おれよりも劣っている貴様が!! 何故!! おれよりも褒められて!! おれよりも認められて!! おれよりも期待されているんだと聞いているんだ!!!』
……だから、そんなブラートの兄さんに認められて。いい様に持ち上げられていた彼の存在が、とても悔しくって……とても苦しくって……とても辛かった。
辛い目に遭ってきたような人間にはとても見えなかったのに。それも、それほどまでの経験も積んでいなさそうな顔をしていたのに。……とても、そんな実力を持っているようには感じられなかったのに。……それでも、あのブラートの兄さんにそれほどまでの言葉を言わしめる異質な存在だったものだから……。
今までおれを褒めてくれていたブラートの兄さんが、急に現れた彼のことをたくさん褒め出して。それも、一番弟子としてこの存在を受け入れてくれたおれを差し置いて、いっぱいいっぱい褒められていたものだったから。……その様子を見ていて、すごく寂しい気持ちになってしまったんだ……。
「……おれよりも褒められてさ。おれよりも認められて。おれよりも期待されてさ。……だからって、調子に乗るなよ。この薄鈍野郎。……おまえなんかがたくさんと認められたところでな。あのブラートの兄さんに一番認められているのは、このおれなんだよ……――――ッ」
……瞬間、自身の口で発した言葉に、思わず息を呑んでしまった。
……その、無意識に放っていた言葉の数々は。これまでの努力は、全て無駄だと思い込んでいた自分自身の否定であったのだ。
いくら頑張ったところで、それは形になりやしない。だから、敵わないと思った場面があったその時には。結局は諦める他の選択肢が無いと決め付けていた。そして、実際にそうだった場面が数え切れない程あった。
……でも、それは合っていて。それは間違ってもいたんだ……。
これまでの辛いと思える過去があったからこそ、ブラートの兄さんはおれのことを拾ってくれた。
これまでの苦しいと思える過去を乗り越えてきたからこそ、ブラートの兄さんはおれのことをいっぱい褒めてくれた。
……これまでの、強くなりたいと願い続けて頑張り続けた努力があったからこそ。おれは今こうして、ブラートの兄さんの一番弟子として。それまでの過去も振り切れてしまえるほどの日常に辿り着くことができたんだ。
周りを見渡しても、誰も自分のことを認めてくれやしない毎日。
認められたいから。その一心で打ち込んできた十数年の努力も、ただの空虚として空回りばかりしてしまい。挙句の果てに、その努力は全て水の泡となってしまったと思い込んでいた。
…………でも、今こうして自分の言葉を思い返してみると――
「……おれって……実は認められていたんだな…………」
これまでの努力を、ブラートの兄さんは認めてくれていたんだ。
努力というものは、いくら頑張っても全て無駄になると思い込んでいた。いくら頑張ったって、結局は何も報われないと思い込んでいた。……でも、実は、その頑張っている姿を見てくれていた人が、すぐ傍に存在していたのだ。――そして、頑張ってきた姿を見てくれたブラートの兄さんは。おれという存在を認めてくれた……。
「……そっか。全然意味が無かったと思っていたこの努力は、本当は全く無駄にはなっていなかったんだ。――むしろ、今までの頑張りがあったからこそ、今のおれがここにいるんだ……!! ……そっか。おれの、これまでの努力に、意味があったんだね…………ブラートの兄さん……!!」
……これまでの努力は、決して無駄ではなかった。その真実を見出した今、これまでの努力の糧がこの身に詰まっているということを意識し始めてしまう。
……せっかく今も、この努力が認められ続けているというのに。その努力の全てを無駄にするようなことをしてしまえば。それこそ本当にただの無駄となって何の意味も成さなくなってしまうんだ。
「……嫌だ。そんなの絶対に嫌だ……!! ここで死んでしまったら、それこそ、今までの頑張った結果が全て……!! 努力の末に辿り付いたこの今が無駄となってしまうんだ……!! ……十数年と積み上げてきた"これ"を投げ出してしまうだなんて、おれは絶対に嫌だよ……ッ!!」
ここで死んでしまえば、これまでの努力が全て無駄となってしまう。
……苦労の末に見出した今にようやく気付けたと言うのに。それを、諦めによって無かったものにしてしまうだなんて勿体無さ過ぎる……!!
……嫌だ。嫌だ。嫌だ!! こんなところで死にたくなんかないよ……!!
努力の結晶でもある"この時"を無駄になんかしたくない……!!
努力の末に辿り付いた、生きていきたいという真なる渇望を諦めたくなんかない……ッ!!
……おれはこれからも諦めずに、"この時"を生き続けたいんだ――ッ!!!
『オォ……オォォォォォォォォォォォォォォオッ!!!』
壁を蹴り出し勢いよく飛び出していき、爆破属性の宿る藍色の拳を紙一重で回避し。その通りすがりにも、胸に突き刺さる剣の柄をダガーの斬撃によって破壊。
砕ける柄の破片と共鳴するように、魔族との契約者からは悲痛の三重奏が鳴り響き出す。
……その手際は、清々しいほどまでの鮮やかさであった。
……そう。それは正に、この少年の心に巣食っていた暗雲が晴れたかのような。輝かしい未来を見通す、幾多もの眩しき光の如き清々しさを思わせる、希望溢れる活力が垣間見える動きだったのだ――――




