諦めないということ――
「……へ、へへ……んだよ。……こんなもん、死ななきゃ安いぞ……!!」
……もはや、生気を感じさせない黒に染まったその姿で。今にも塵となり崩れ落ちそうな彼は、足で踏ん張り、体勢を立て直し、今まで使用していた剣を取り出しては。眼前に存在する藍色の脅威へと、再び立ち向かっていく。
爆発によって黒焦げとなった全身を庇うように。足を引き、痛む右肩を左手でわし掴み。口や身体から黒煙を噴き出しながら。塵となってパラパラと崩れていく防具を気にも留めず。自身よりも遥か格上の相手へと歩き出していくその背を目撃して。
……背後にいた少年は。歯を食いしばり、俯き、何かを堪えるように言葉を零していく……。
「……なんでだよ。……なんでなんだよ……。おまえ……なんでだよ……。……どうしてそこまでして、おまえは立ち上がり続けていくんだよ……?」
往生際の悪い彼に戸惑いの念を込めた問いを投げ掛けていくその少年。
少年を尻目にして、ボロボロとなった身体を引きずりながら。腰に手をあて、何かを探すよう辺りをまさぐりながらその彼は答えていく。
「なんでって……それは、どんな意図を持っての言葉だ……?」
「どんな意図って…………おまえ、そんな……だってさ、あんなのに勝てるわけがないのにさ……! いくら挑んでも、あんな相手に敵いっこないって決まってるってのにさ……! それでもさ、なんで……! なんで、それでもいちいちと挑んでいくんだよ……!? そんなに挑み続けたところで、一体どうなるっていうんだよ……!? それとも、おまえは正真のマゾヒストなのか……!? こんなに、一方的にやられることがそんなに楽しいってのかよ……ッ!?」
それは、心からの疑念を言葉に乗せた、悲痛の叫び。
涙ぐんだ声音で。恐怖で立ち上がれず、全身を震わせながら、地に尻を着いたその状態で。……しかし、それとは対象にして。自身とは全く正反対として、目の前の彼は幾度となく立ち上がり続けるものであったから。
……自身と比べて、明らかに劣っていると見ていた目の前の彼が。眼前に見据えた恐怖を前にしても、挫ける気配も見せぬまま、一向として脅威に立ち向かい続けていくものであったから……。
「……んー、どうしても何もさ……そんなの、決まっているだろうよ」
黒焦げの変わり果てた姿で歩んでいた足を止めて。ボロボロとなったその身体で振り向きながら。……彼は、言い放つ。
「……諦めたくないんだ。目の前の戦いに敗北することが嫌だからさ……。だから、この戦いに勝つためにも、俺は最後まで、絶対に諦めたくなんかないんだ……!」
「……は? 何言ってんだよおまえ……? そんなに、惨めにも負かされてさ……それでも諦めないって、んな、何を言っているんだおまえ……? だってさ、あいつに負けるって結果がもう判っているってのに。それでもおまえは、しつこくあいつに挑み続けるって言うのか……? ――なぁ、おい。おまえ……まさかさ。諦めないって言えば、目の前の敵を倒せるとでも思っているのか……?」
「思ってる」
返ってきた一言を耳にして、心の底から湧き上がったある感情のままに。その少年は恐怖の念に後押しをされる形となりながら、目の前の彼に向かって過激な怒号を撒き散らし始めた。
「だったら……だったら、おまえはただの阿呆だッ!! それも、いくら繰り返しても一向に学習をしない能無しの猿も同然の!! ただの阿呆だッ!! 諦めなければ勝てるっていうのかおまえッ!? 今、目に見えているこの状況がわからないのか、このド阿呆野郎ッ!! もう、散々と実力の差を見せ付けられただろう!? もう、どれだけ挑んだとしても! もう、おれ達はあいつの力に敵いっこないんだよッ!! ……おれ達はもう、あいつに勝つことなんかできないんだ……ッ!! もう、今ここで……おれ達は負けて殺されるしかないんだよ……ッ!!」
「まだだ。まだ、俺はこうして戦える。だから、まだこの勝敗は決まっていない」
「おれにも勝てない薄鈍人間が、何をぬかしてやがるッ!! おまえよりも強いおれが、こうしてあいつに歯が立たないんだぞ!! そんなヤツを相手にして、貴様なんかが勝てるわけがないッ!!」
「だからこそ、こうして挑むんだろ」
彼の返答を聞き、その少年は絶句に近い形で黙りこくってしまう。
「確かにさ、俺はあんたにも勝てない薄鈍人間だ。それに、ペロにも命を救われた非力な人間だし。これまでの旅路でだって、ユノやニュアージュ、ミントやアイ・コッヘンにも命を救われて。そんな、助けられてばかりの、なんともまぁ非力で未熟で劣ってばかりの新米冒険者だよ……」
落胆の様相を浮かべながら。散々と舐めてきた汚泥の味を思い出し、彼は若干と呆れ気味の笑みを零していきながら。腰辺りを探っていた左手で回復薬を取り出し、それを一気に飲み干してはビンを投げ捨てる。
「……だからと言ってさ、それを諦める理由にしてはならないと、俺はそう思うんだ。……自分の弱さを理由にして、目の前の大事な戦いをほっぽり出してしまうだなんて。少なくとも、俺は嫌だな。――弱いからなんなんだ。未熟だからなんなんだ! 実力不足だからなんなんだ!! ……そんな思いつく限りの理由なんぞを並べていることこそが、それこそ本当に何の意味も成さないだろうよ……」
ボロボロとなった防具を手で払い。こびり付いた塵を払い落としながら、彼は背後の少年へと続けていく。
「……俺はそれを、散々と汚泥を舐め続けてきたこれまでの道のりで理解したんだ……!! ――俺は未熟だ! 俺は実力不足だ! 俺は経験不足だ!! 俺は弱いッ!! ……だが、そんな敗北続きだった俺でも、今はこうして生きているッ!! それは、どんなに絶望的な状況下であったとしても! それに対して、既に諦観の域に達してしまっていたとしても!! 何度も何度も何度も何度も! 負け続けて負け続けて死に直面してきた俺は!! それでも! 今もこうして生き長らえているッ!! ……勝負というのは、最後まで何が起こるかわからないんだ……!! だったらさ……! 俺はその、最後まで何が起こるかわからないという、僅かながらの可能性に賭けてみたいんだッ!! ――この、こんなにもちっぽけな人間でも! 目の前の困難を乗り越えることができるという!! ……この世界で生きる主人公らしい、奇跡の大逆転に賭けてみたいんだッ!!」
背後の存在へと向けた真っ直ぐな視線は、その先で諦観の意を抱く少年の心を貫く。
少年の姿を捉えたその目には、覚悟を宿す勇敢なる炎が燃え盛っており。その眼は、遥か彼方の未来を見据える、歪み無き一本の道を確実と捉えていた。
「……ふ、ふふふ……っははは……ッ。あぁ……そうか。おまえ、怖くなって頭がおかしくなったのか? あんなのに勝とうとするなんてさ。……なぁおい。ふざけんなよ。いい加減に夢から目を覚ましたらどうなんだ? おまえ程度の薄鈍人間が、あの存在に勝てるとでも思っているのか……?」
「勝負事というもんは、誰だって勝ちを狙いに行くもんだろ」
彼の言葉を聞き、心底と呆れを貼り付けていた表情が緩む少年。
「ミズキ。あんたは、あいつに勝ちたくないのか? この戦いを無事に収束させて、この街の皆を守りたいと思わないのか? この戦いから無事に生還を果たして、またブラートといつもの日常を過ごしたいとは思わないのか?」
「…………」
「……あんたからどんなことを言われようとも、俺は絶対に諦めないからな。――この命が続く限りに、俺はとことんと、一発逆転の大勝利を狙いに行ってやるさ……!!」
視線を戻し、目前に佇む藍色の脅威を捉える彼。
その沸点は収まったのか、橙の斑点は藍色から姿を消しており。しかし、その脅威は依然として衰えることも無く。その巨体は嘆きの三重奏を奏で、そして、スタートダッシュを決めて彼のもとへと駆け出し。
眼前から迫り来る爆炎を運ぶ者に備え、手に持つ剣を構えて走り出す彼。気合いの雄叫びを上げながら、覚悟を抱きし勇敢な剣士は今、また再びと脅威に立ち向かっていく。
……往生際が悪いその背を見送りながら。……しかし、彼の言葉に、少なくとも揺さぶられた少年は。一つの深いため息を零し。若干と笑みながら。……キャスケットと上着の襟から覗かせる鋭い視線で、眼前の光景を眺め遣っていく――
「……ふざけんなよ。ふざけんなよ。……なんだよ、その、諦めなければどうとでもなるってさ。……ブラートの兄さんに気に入られたからって。一番弟子のおれよりも期待されているからってさ。おれの前で認められているからって、随分と調子に乗りやがってさ…………」
何かを堪えながら。俯き、歯を食いしばり、細めた目つきで首を振りながら呟き続ける少年。
今も、街に蔓延る脅威に立ち向かう彼の存在が気に食わず。それも、その発言によって、その少年は更なる反感の意を抱いて静かに怒り出していくものではあったが……。
「……諦めなければなんとでもなると、おまえはそう言いたいのか? ――バカをぬかすんじゃないぞこの薄鈍人間。そんな、気合いだけの根性論が通じるほど。この世界はそう簡単なものなんかじゃないんだぞ。――なんだよ、頑張ったら最後まで何が起こるかわからないだと? 諦めずに、一生懸命と努力を積み重ねれば、それでなんとかなるとでもいうのか? ……だったらさ…………」
徐々に前へ前へとしな垂れる上半身。それは、力が抜けていくという脱力感からの動作ではなく。ある絶望を抱かざるを得ない凄惨な結果による、現実という錘による重みで倒れていくその半身は。地面に腕をつけ。頭を垂れて。額をつけてから。……溢れ出した感情によって、その少年はボロボロと大粒の涙を零し咽び泣き始める――
「……だったら。だったらさ…………"あの時"の、おれの気持ちは一体何だったんだよ……ッ!!! おれだってさ……おれだってさ……毎日毎日、ずっとずっと諦めずに。何日も何日も、何年も何年も頑張り続けてきたというのにさ……ッ!!! 毎日、ずっと諦めずに未来を信じ続けて。一発逆転を狙える奇跡が起こることに、ずっとずっと賭けていたというのにさ……ッ!!! でも結局!! おまえの言うとおりの結果になんか、なりやしなかったんだぞッ!!!」
止まらない涙。粒となって瞳から落としていき、だらだらと流れ出てくる鼻水も、食いしばる歯の間から滲む唾液さえもそのまま流していきながら。"その時"の悔しさに地面を殴り付け、額を擦り合わせ……首を横に振っていく。
「……世の中は、無理なものは無理なんだよ……!! ダメなものはダメなんだよ……!! どうにもならないことは、どれほど頑張ってもどうにもならないんだよこのヤロウ……ッ!!! ……それなのに、諦めなければなんとでもなるみたいな言い草をしやがって……!! そんな綺麗事がまかり通るほど、この世は甘くなんかないんだよッ……!!!」
涙ながらに悲痛の思いを叫びながら。しかし、地面を殴っていた拳を開き。掌をついて無気力となっていた上半身をゆっくりと持ち上げていく少年――
「……あんな、実際に辛い思いをしたことも無さそうなお気楽野郎になんか諭されてたまるか……ッ!! こんな、綺麗事を上っ面で、如何にもそれっぽく語り出しては偉そうにしてくる人間の言葉を認めてなんかたまるか……ッ!!」
それは、激情によって煮えくり返る腸の沸騰を燃料とした、憤怒の感情による無意識の行動。
持ち上げた足でゆっくりと立ち上がりながら。絶望で力の入らぬ身体を感情の昂りによって無理矢理と動かし。……右手にダガーを握り締め。キャスケットと襟の間から、激情のままに向けられた鋭き眼光を光らせる……。
「……努力の末に辿り着くその未来は、既にこの眼で見通しているんだ……!! ヤツは今にも、この世の中というものが、その達者な根性論のみでは一切と通用しないことをその身で体験することになるんだ……!! そして、ああして運良く生き延びてきただけの薄鈍人間は。今にもその現実に絶望しながら……ここで死んでいく……ッ!! ――ッハ!! なんだよ。諦めなければなんとでもなるだと? ……ふざけやがって…………」
ダガーを構え、眼前で繰り広げられる戦闘を見据えて。恐怖と絶望に満ちることによって一向に動かなかったその足も、無意識に滾る激情によって勢いよく走り出し始めて――
「――いいだろう!! なら、貴様の言う『諦めなければなんとでもなる』が本当にそうなのかをこの目で確かめるために!! ……その知った口で上から語る上っ面のみの綺麗事にッ!! 一方的な不利を目前にしても尚気持ちがあればなんとでもできるという根性論にッ!! 何年も何年も報われない環境と努力の境遇も知らず!! そんな思いもしていないような知ったかぶりの偽善者の口車に敢えて乗せられてやろうじゃないかッ!!! ――どうせ死んでいく身だ! だったら、貴様の言う綺麗事に、最後まで付き合ってやるッ!!!」
鬼のような形相を浮かべながら。その少年、水飛沫泡沫は。全ての思いを乗せたダガーを携え、災厄の化身である藍色の脅威と、その脅威に無謀にも立ち向かい続ける一人の男による死闘の渦へと。その身を投げ出していったのだ――――




