NPC:水飛沫 泡沫
「ミントちゃん! 私とアーちゃんの三人で温泉に行きましょ!」
「かしこまりました、ユノ様」
既に俺の懐から飛び出して、少女の形を成していたミントの姿。
そのいつものようにかしこまった佇立で頷き。差し出されたユノの手を繋ぎ、ニュアージュを含めた三人でこの宿屋に設備された温泉へと向かっていく。
「温泉かぁ…………なんだか、この日は特に疲れたしなぁ。俺もちょっと、温泉にでも行ってくつろぐとするかな……」
一旦もの緊張から解放されたことにより。俺もまた、これまで忘れていた疲労を思い出して。
それが両肩にドッと圧し掛かる感覚を覚えて、そんなことを呟いていく。
そして、それじゃあ俺も温泉にでも入って、この身体に蓄積した疲れを癒そうかなと。夜明けのイベントに備えるためにも。だが、それ以上に癒しを求めて、俺もまた歩みを進めたその時であった。
「待て」
クッと、後方に掛かった僅かな抵抗。
防具の裾を引っ張られる感覚と共に後方へと振り向くと。そこには、宿屋のフロントに残っていたミズキがこちらを引っ張ってくる姿が存在していて……。
「話がある」
その抑えたような喋り方と少々乱暴な方法で、その少年はある会話をふっかけてきたのだ――
「話? 話って何だ――」
「とぼけるな」
その抑えた声から放たれた鋭い声音と。被っているキャスケットと襟の立てられた上着から覗く鋭利な眼光が睨みを利かし、俺の顔を突き刺してくるようにじっと見遣ってくる。
「と、とぼけるって……俺、あんたには何もしていないだろ?」
「あんたには。と言ったな。今、あんたにはって言ったな?」
今でも少々と力ずくではあったものの。その少年ことNPC:水飛沫泡沫は裾をぐいっと引っ張り、俺を引き寄せながら怒鳴るようにこう続けてきたのだ。
「つまりブラートの兄さんには何かしたということだな!? ふん! 不用意にも、ついにそのぼろを出したな貴様!! 言え!! 吐け!! 白状しろ!! ブラートの兄さんに一体何をした!? この薄鈍人間!!」
「う、薄鈍って……! な、何かをしたって――何かをしたってどういうことだ!?」
「ブラートの兄さんに何をしたんだと聞いているんだ貴様!!」
あまりにも心当たりの無い言葉を。それも、誤解ではなく、どうやら本気でそう言っているらしいミズキの言葉を聞いてからというもの。俺は思わずキョトンと、一瞬停止してしまう。
「……何をしたって。何をしたって……?」
「だから、そうと聞いているだろう!! あのブラートの兄さんに貴様は何をした!?」
「――お、おい。おい! ちょっと待て! 理解が追いつかない。な、何をしたって? 何をしたって……俺、あんたらに一体何をした!? だって俺、ブラートにもあんたにも、何をしていないだろう!? それなのに何をしたって責められても、そんな、イマイチぴんと来るわけがないだろう!! というか、むしろだな、俺がブラートに何かされた側でもあるんだ!!」
「…………ッ」
何かを堪えるように唸り、その場で何かを少し考え。
続けてミズキは裾を離し、前のめりになっていた俺に人差し指を突き付けていく。
「いいか! ブラートの兄さんは、誰もがその領域へと到達さえできない随一の鑑識眼を持っている!! それは食べ物然り! 骨董品然り! そして……人間性を見定める観察力も然り!! それは善悪。真偽。美醜というあらゆる人間性を見極め! それら全てを含め、兄さんは正義という自身の信念に置き換えて見定めているんだ!!」
堪えている何かを必死に抑えていたものの。そうして話していく内にも、これまでのように抑えていた声が段々と強く鋭いそれへと変化していって……。
「おれは、そんなブラートの兄さんに認めてもらえた、誇り高き探偵の助手! 兄さんの誇りを共有する一番弟子でもあるんだ!! 直にブラートの兄さんから認められて、おれはそれを誇りとして助手の活動を行っていたんだ!! ――だが、それなのに……それなのに…………!!」
そして、とうとう堪えきれなくなったのか。
ミズキの内側が爆発するかのように、それは怒鳴り声となって俺へぶつけてきたのだ。
「おれに無残にも負けた貴様が何故、ブラートの兄さんにあれほどまで気に入られているんだ!!? おれよりも劣っている貴様が!! 何故!! おれよりも褒められて!! おれよりも認められて!! おれよりも期待されているんだと聞いているんだ!!!」
「ちょ、待て――」
鬼のような形相で感情のままに俺の胸倉を掴み。おでことおでこが強くぶつかり合う距離にまで引き寄せられる。
「ずっとおれの速さについてこれず!! ずっとおれに行動を読まれ続けて!! 最後までおれに攻撃を当てることもできないまま!! 無残にもおれに敗北して地べたに這いつくばった貴様が!! 何故!! ずっと、長い間一緒にいたおれよりも!! たったあれだけの時間で!! なんであんなにブラートの兄さんに気に入られているんだよ貴様は!!? こんなの可笑しいだろ!!?」
感情のままに俺の胸倉を揺さぶり、真正面から直に怒鳴り続けていくミズキ。
眼光を見開き。その鋭い声音で俺の鼓膜を突き刺し続けて。疲労し切ったこの身体を揺さぶられて、俺はどうすることもできないままにガクンガクンと視界も揺さぶられてしまう。
……だが、ミズキの、赤レンガのような赤みを帯びた茶色の瞳からは、どこか潤いを伺うこともできて……。
「これほどまでに可笑しな話、有り得て堪るか!! 貴様! さてはブラートの兄さんに何かを仕込んだな!!? ――兄さんは羊羹が大好きだ!! 周りの茶菓子に目もくれず食い付いてしまうほどに!! ……もしかして貴様! それを知っていて兄さんに餌付けをしたな!!? それに、兄さんはピカホの絵画が大好きだ!! 休暇として二人で美術館に行ったときにもまず最初に二人でそれを見に行くんだ!! ……もしかして貴様! それを知っていて兄さんをピカホの絵画で釣ったな!? ――いや、兄さんがプライベートでよく通っているバー!! そこで兄さんは必ずピンク色のカクテルをオーダーする!! バーのマスターとも話が合い! 時に事件の武勇伝を語り! 時に有益な情報を得たりしている! たまに周りの女性にちょっと誘惑されたりするときもあるが! 兄さんはそんな下心なんて持っていないから! 立派な紳士である丁重な対応でお断りをして! でもその対応で相手の女性を余計とメロメロにさせてしまうんだ!! ……もしかして貴様! それを知っていて兄さんとバーで落ち合い!! そこで兄さんが大好きなピンク色のカクテルに薬を盛って裏で操作しているんだな!!?」
「ちょっと、待て、待て――」
「おれは誰よりもブラートの兄さんのことをわかっている!! おれは誰よりも兄さんの傍で行動を共にしてきた!! ブラートの兄さんと歩む道のりには、常に誇りをもっていたんだ!! 一方で貴様ときたら……!! 貴様なんかが、ブラートの兄さんと釣り合えるような器の持ち主にはとても見えない!! 貴様なんかが、兄さんに認められるわけがないんだァ!!!」
さすがはあの探偵の助手といったところか。
これまでの抑えめな声音からは想像し得ないほどの長広舌を披露し。それを疲労でくたくたな俺へと浴びせ続けてくる。
というか、この宿屋に帰ってきてからというもの。俺、やけに揺さぶられているな。
……いや、待てよ。というかそれ以前にさ……。
「ミ、ミズキ……!! おま、お前……やけに、ブラートのプライベートのことを知っているんだな……」
「――――ッ!!」
どんっと、次にも俺は目の前のミズキに突き飛ばされていた。
息を引きつらせ。キャスケットのつばを摘んで引き下げてから、顔を隠し黙ってしまったミズキ。
……熱が一気に冷めた。となれば、反論をするとなれば今がチャンスか……。
「……待ってくれよミズキ! まず、あんたは色々と誤解をしている!! まずな、あんたと対立したあの場面ではまだ、ブラートのことは盗賊の一員としての認識でしかなかったんだ!! そのあとに盗賊のヤツらに捕まって! そこで、俺の可能性が云々とかよくわからないことを口実に、ブラートに助けられたんだ!! そして、あの探偵事務所で、俺は探偵・フェアブラントという彼の正体を初めて知った!! だから、事前に仕込んだとか、そんな、あんたの言うでたらめの可能性は一切とも有り得ない!!」
「本当か!?」
「本当だ!!」
「嘘ではないな!?」
「嘘じゃない!!」
「今ならまだ虚偽の申告を受け付ける! その言葉を未来の自身に誓って言い張れると言うのか!?」
「い、言えるよ!!」
「言葉を詰まらせたな!? やはり――」
「それは、あんたがプレッシャーをかけてくるからだろう!! こんなの、見覚えや聞き覚えに無くても、こんなに責められたら言葉の一つや二つ詰まらせるに決まってるだろ!!」
我ながら驚くほどの大声を張り上げながら。目の前で睨み訝しむミズキと必死の言い合いを行う。
そんな、誤解を解くことに必死となって真正面から対立する俺の顔を睨み続けて。しかし、その鋭い眼光からは探りを思わせるために、俺の内側に眠る真相を見極めていたのだろうか……。
「……偽りの色を伺えない…………それじゃあ何故、こんなヤツなんかがブラートの兄さんに気に入られているというんだ……? ……とても可能性を秘めているとは思えないよ…………」
これまでも散々と失礼な物言いではあったものの。だが、今回のそれは、それまでとは少し異なる雰囲気によるものであり。
失礼な言葉はそのままに。しかし、怒鳴り声から一転して。それはどこか弱々しい、疲れ果てたような調子へと変化しており。
若干もの声を震わせ、鋭かった眼光からも、今はそれまでの勢いをとても伺えない無気力な目つきとなっていて。
そんな少年からは、もはや悲愴とも呼べるであろう重たい空気が流れていた。
「だって……だって……こいつなんかより、おれの方がよっぽど兄さんの力になれると言うのに……!! これまでずっと、兄さんはおれを頼ってくれていたというのに……。なのに急に、ぽっと出の凡人ばかりに頼り出して……どうして。どうして!? なんでだよ! なんでこいつなんかが認められて!! なんでいつも傍で頑張ってきたおれが認められないんだよ!? なんでなんだよ!? なんでなんだよ――」
「ミズキー! そこにいるのかー?」
ハッと、その声の主に俺とミズキはギョッとしながら、咄嗟にそちらの方へと振り向く――
その先には、片手に皿を持ち、もう片手にはフォークを。そして、そのフォークを口で加えたまま。何かをもぐもぐと食べながらこちらの様子を見に来ていたブラートの姿がそこにあって。
俺とミズキの様子に首を傾げながら。もぐもぐと動かす口と、その美味で瞳を輝かせながら。これまでの空気を知らなかったのか、ブラートは至って平然とした調子でこう続けてきたのだ。
「もぐもぐ。うむ。うんうん……うん! さすがはお嬢ちゃんの手料理だ! ミズキ! これは、お嬢ちゃんの料理を見習う絶好の機会だとは思わないか!? それに、今日は色々と忙しなく大変なスケジュールだったからね! さぞ、ミズキも腹を空かしていたんじゃないのかい? ハッハッハッ、さーさー、いつものように遠慮などするなミズキ! 向こうには、ミズキの分もたんとある! さー、この俺と共に、お嬢ちゃんのお手製料理をこの舌と味覚で堪能しようじゃないか!!」
「……わかった。今行くよ。ブラートの兄さん」
落ち込み気味に、抑え目な調子で答えてからブラートの方へと歩き出すミズキ。
キャスケットを深く被って、完全に顔を隠し。その場から足早に去ろうとするミズキではあったものの……。
「……おれは貴様のことを認めない。絶対にだ……」
そう言い残し、ブラートと合流し食堂へと歩き去って行ったミズキ。
なんとも後味の悪い空気のまま、先程まで怒号飛び交う言い合いをしていた少年の背を見送った俺は。
……この世界に来てから初めてとも言うべき出来事に、なんだか、この気持ちがモヤモヤとしたまま。しかし、呆然といった表現の似合う放心状態のまま、しばらくその場で立ち竦んでいたのであった――――




