嵐の前の静けさ 【街に潜む闇の影】
「ところでアレウス君。君の戻るべき場所はどこなのか、一体どういう場所へと戻りたいのかを教えてほしい。なんてったって、俺はこの街の、陰の正義執行人。探偵・フェアブラントなのだからね。このマリーア・メガシティのあらゆるものを網羅している、このブラートの兄さんにかかれば。例え現地点からどれほど離れている建物であろうとも、君の戻るべき場所へと送り届けることができるのだよ。――さー、遠慮せずに申してみたまえ、アレウス君」
「ブラートのご厚意は、こちらとしても助かるよ。ただ……俺の戻るべき場所は、とてもマイナーな宿屋らしいんだ」
「案ずるな! それも、宿屋であれば好都合だ! さー遠慮なく申してみたまえ!」
と、俺の隣でいつものごとく誇らしげな調子で尋ね掛けてくるブラートへと、あの宿屋の名前を提示する。
「大海の木片という、個人営業の宿屋なんだ」
そう、何気無く宿屋の名前を口にした俺。
……なのであったのだが。
「……大海の木片、か」
あの宿屋の名前を出したその瞬間にも、ブラートは何だか拍子抜けのような、とても意外そうな表情で俺へと見遣ってきて。それでいて、俺とブラートの少し後ろをついてきていたミズキもまた、微かに言葉を零し驚きを表してくる。
「どうしたんだ? ブラート」
「……いや、なんでもないよ。いやいや、なんでもないさ。あー、そうさ、これはなんでもないのだ!」
段々と抑え切れなくなってきた笑いをくっくっくと喉を鳴らしながら。とうとうブラートは堪えきれなくなったのか、続けてこう話してきたのだ。
「いやはや、これは参ったよ! ――な、ミズキ!! さすがは、この俺がこの眼と正義で見定めただけはあるだろう!? いやいや、実に素晴らしい! あの宿屋に目を付けるとはね! ミズキ、これでもう安心しただろう? この俺の眼と正義には、一片足りの狂いなど断じて存在し得ないのだ!!」
「でもブラートの兄さん。これはただの偶然かもしれないし。そもそも彼が選んだとは思えない――」
「しかし、そこに宿泊していることは事実だ! いやいや、それにしても、あの宿屋に目を付けるとは、なんて人物なんだアレウス君は! やはり、アレウス君には何か、特別なものが存在している! ――だからね、ミズキ。いつまでも、そんな不満に満ちた表情を貼り付けている必要なんてないのだよ! 彼を信じよう! アレウス君という、我々の救世主にね!」
「…………」
彼らの言葉からして、どうやら大海の木片という宿屋には何かしらの凄みが存在しているらしく。そんな宿屋に宿泊する俺を、これほどまでかと褒め称えてくるブラート。
詳しい話などは全くわからないために、なぜ彼らがこれほどまでと言ってくるのかは依然としてわからないままではあったが。今わかることとすれば、ブラートというこの人物は、俺という一人の少年をやけに過大評価してしまっているということのみと言ったところか。
……そんな真横の男からの期待が次々と圧し掛かっていき。俺は次第にもプレッシャーを感じてきてしまい、なんだか居心地が悪くさえ思えてきてしまい出した……。
「――さて、それでは本題へと入っていこうか」
気を取り直してと、ブラートは一息おいてから右の人差し指を立てて誇らしげに始めてくる。
「もう既にある程度の説明はしてあるからね。まずは簡単にでも、これまでの話をまとめていくとしよう。そうだね、ではまずは――」
「裏で暗躍していた悪の組織が、この夜明けにも強大な力を手にしてしまう。その力というものが、この街に留まらない脅威を秘めているものであるから。その力を得ようとしているヤツらの企みを食い止めるためにも、この夜明けにはその悪の組織らをどうにかしなければならない。……という感じだったか?」
これまで散々とこちらの話を遮られてきたために、今回のこれをやり返しすることができて、内心では少し得意げとなった俺。
尤も、探偵である彼のことだ。もしかしたら、俺が理解していることを自ら示すために、こうして遮ってくることさえもお見通しであったのかもしれない。
……そう。これまでの出来事も、これからの出来事も全て、彼の想定の範囲内であるだろうから……。
「話が早くて助かるよ。さすがはアレウス君だ。――どうやら、段々とこの話にノリノリとなってきたんじゃないか?」
「全くだよ。あんたの打算のおかげでな」
こちらの言葉を聞いては、おっと意外そうに表情を固めるブラート。
「話を聞いている内にも、ある程度の察しはついたよ。……つまりあんたは、俺をこの作戦における駒の一つとして利用するために、裏でコソコソと手を引いていたんだろうなって」
「――ふふっ、意味合いとしては間違っちゃいないね。ということで、この俺からも素直に認めるとしようか。……この探偵・フェアブラントの魂胆が暴かれてしまったようだね。それでこそ、この俺がこの眼と正義で見定めただけはある少年だ!」
と、誇らしげに両腕を広げながら続けていく。
「もう一人のお仲間と一緒にいたあの時から、悪の組織の連中に苦戦をしていたあの時にも。君の存在に一目を置き、この眼と正義で君のことを見定めていた。あの少年からは未知なる可能性を感じる、と。あの少年であれば、今回の件を一番良いハッピーエンドで収束させてくれるだろう、と直感で目星をつけていたのだ」
「俺はあの連中やミズキに敗北した。それでもなぜ、一体どうしたら俺にそこまでの可能性を見出すことができたんだ?」
「探偵事務所でも言っただろう? その容姿や実力はまだまだ未熟かもしれないが、本質というものはその人物の内側に眠っているものなんだ。今はまだその芽が出ていないが、今にもその芽が開花する。――アレウス君からは特別な何かを感じるのさ。この件における一発逆転を十分に狙える、我々の切り札となり得る何かをね」
歩き進めている内にも、場所は見慣れた街道へと入っていく。
あらゆる建物や照明から、僅かながらに溢れてくる淡い灯り。真夜中であっても眠らぬその活気からは、今にも這い寄りその姿を現す街の危機をまるで予感することができない。
「それでいて、君には揺るがぬ潔癖な正義を伺うことができたものだったからね。それを見定め、俺は君の正義を見抜いた。――この少年は、敵の内部やその事情を知ってしまったその時にも、そのままじっとせずにいられなくなり、我先にも問題解決へと走り出したくなってしまう性質なんだろうな、っとね。……言い方は悪くなってしまうが。結果的に言ってしまえば、この俺は、君という未知なる可能性を今回の作戦で利用するために、君の正義を裏で操作し今の結果に至ったということになるね」
「なるほど……」
上辺ではあるものの、そうして納得を示した俺の様子を確認して頷き。続けて、今回の作戦となるその内容へと触れていくブラート。
「この件は、既にこの街のお偉いさん達の耳にも届いているよ。そして、まー当然の如く警戒を始めたお偉いさんは、その連中を見張るよう俺へと命令を下した。……まー、誰かの下にくだるだなんてこの探偵・フェアブラントの性には合わないからね。これは飽くまでも、見張りではなく、潜入調査としてやらせてはもらっていたけれども。いや、そんなことは今はどうでもいいな。――と、そんな探偵・フェアブラントの潜入調査の甲斐あって。連中の行動を把握し、対策を練ったお偉いさん達はこの街の護衛達を操作。その者達は少し前からにも、今回の作戦のための準備を既に万端とさせていたのだ。だからあとは、この街の秩序を保つ護衛達と協力して、悪の組織の野望を食い止めるだけなのさ」
ここまで流れるように話していたブラートであったが。しかし、ここにきて少しもの間を挟み。表情を若干と曇らせてから、ふと呟くようにこう続けてきた――
「……あとは夜明けと共に、契約となる連中の悪巧みの頃合いを見計らうだけだ」
「――待ってくれ。もう既に準備ができているというのに、それじゃあ何故今すぐにもヤツらの阻止へと向かわないんだ? それも、契約とやらをさせてしまったら、それこそこの街や世界が危ないんだろ? だったら尚更、なぜ、契約の頃合いをわざわざ見計らう必要があるんだ?」
ふと思いついた俺の疑問を聞いては、呆れ気味とも言うべき深いため息を鼻から一つつくブラート。
「……上の連中はそのことについて話したがらない。ただ、その契約とやらの実体を現地で知りたいだとか。それに関する、今後の対策としての資料を作るためだとかと色々と理由を連ねてはいたが、それは所詮、ただの上っ面の口実に過ぎないだろう。……お偉いさん達は、この契約とやらに目を輝かせていた。その声、その表情からは偽りが浮き彫りとなっていた。――そうでないことを祈るが、きっとこのお偉いさん達も、その脅威ともなり得る契約を独占しようと企んでいる可能性がなんとも否めない。……現マリーア・メガシティの住民として、ただただ情けなく思えてくるね」
訝しげに話すブラートの声や表情は、これまでの誇らしげな様子をまるで伺えない、とても神妙なものであった。
「いくら恩を売っているからとはいえ、この探偵・フェアブラントであっても、上の者への言及は決して許されていない。特に、今回の作戦は極秘任務。そう、世間的にも……そういった意味でも極秘である作戦なのだからね。ということもあり、今この言葉が録音でもされていたとしたら、後日にもこの俺……とミズキとアレウス君は粛清されることだろうね。……全く、"前任者"が去ってからのマリーア・メガシティからは、どこか闇が拭えなくて心地が悪いよ」
と、真夜中とはいえ街道でそんなことを大っぴらに話していくブラートに心配してしまう俺。
……ではあったのだが、ここでブラートの口から、さらなる不安を予感させる言葉が発せられることとなったのだ。
「……まー、これだけであれば、こうしてわざわざと手を尽くしてまでアレウス君を巻き込み、未知なる可能性というこの街を賭けた大博打に出る必要なんて無かったのだけれどね」
「それはどういうことだ……?」
「上の者達の意向とはいえ、今回ばかりは異論を唱えたくて俺は仕方が無いんだ。――というのもね、今回の件について、この俺の正義がどうしても静まらなくてね。……どうしても、この俺の正義が訴え掛けてくるんだよ……」
これまでは誇らしげに広げたりしていた両腕であったが。その言葉を口にすると、ブラートは目を細め神妙な雰囲気を醸し出しながら、両手をズボンのポケットへと入れてこう伝えてきたのだ――
「…………まず、悪の組織の連中にこの契約を行わせてはならない、とね。――契約の実体が云々とか言っている場合ではないのだよ。さもなければ、本当に取り返しのつかない最悪の結末。あるいは、今後の世界情勢を狂わせる、史上最悪ともなり得る"終わりへの序章"が繰り広げられてしまうかもしれないと、俺の正義がそう訴え掛けてくるんだ――――」




