イベント:曖昧模糊
「へへっ、アレっちの奢りってだけで、すっげぇ気が楽だぜ」
「頼むから、値段の高いやつだけは選ばないでくれよ」
様々な種類の酒が並ぶバックバーを眺めながら。両手を擦り合わせては、さてさてと気楽な調子で酒を選び出すペロと。そんな彼の様子を見ていて、少しだけ不安を過ぎらせて苦笑いを浮かべてしまう俺。
宿屋:大海の木片でユノ達と別れてからというもの、モンスターという脅威の存在から開放されたペロの調子はすこぶる好調となって。あれほどまでに恐怖で震えていたその姿から一変し、完全にいつもの陽気な様子に戻っていたペロ・アレグレ。
そんな彼の変化に安堵して。それじゃあ、ついでにどこか寄ろうかという話へと移った結果。俺達は今、男二人で、大人のムード漂う街のバーへと訪れていた。
淡いネオンの照明に照らされて。少し高いカウンターチェアに腰を掛ける俺達。
付近には、同じく同性でありながらも。しかし、俺らよりも立派な身なりで酒を飲み交わすNPC達や。隣には、色っぽい服装の女性NPCと乾杯を交わす、スーツ姿の男性NPCが配置されていて。
ゲーム世界であっても、その雰囲気というのはものの見事に演出されていたために。そこからなる大人の雰囲気に飲まれて、つい緊張を感じてしまっていた俺。
……なのであったが、隣のペロはというと。迷彩柄のバンダナにゴーグルという、相変わらずの服装で平然と落ち着いているという、なんともシュールな光景が隣で展開されていて。そんな様子に、誰もが注目しないその辺りに。さすが、ここはゲーム世界と言ったところか。
「それにしても、まー、何処のバーも雰囲気は変わらないねぇ。変化が無いってのは、安定していて落ち着くってもんだわ」
「ペロ、お前はバーに来たことがあるのか?」
「んバカにしてくれちゃってぇん、もー。オレっちと言ったら、大人っぽい雰囲気が似合うダンディな男。だろぅ?」
いや、その容姿でそう尋ねられても。
一周回った挙句の清々しさに、思わず返答に困ってしまう。
バーの店内でも平然と迷彩柄のゴーグルを着用している、自称、ダンディー・ペロ。先程まで具合悪そうにしていた上に。宿屋付近の道端で、それも、俺の肩越しで盛大にもどしていたこの男からは、とてもダンディーな一面を伺うことなど到底できそうにもない。
――尤も、この男、表面の素はナイスガイなものだから。ゴーグルとバンダナを取っ払ってタキシードでも着こなしていれば、少なくとも表面上はダンディー・ペロを繕えたことだろう。
「なァに訝しげな顔でオレっちを見ちゃってぇ。アレっちこそ、もうちっとばかし肩の力を抜けよ。初めてかい? こーいう雰囲気」
「んっ――んん……」
「へへっ、まっ、オレっちに任せとけって」
謎の敗北感。そこに緊張も相まって、ただ口を尖らせて頷くことしかできない。
そうしてバーの向こうから出されてきたのは。透明な飲み物が注がれた、なんともお洒落な雰囲気を醸し出す一つのコップ。そこでかちかちと音を立てている氷が、また大人なムードを見事に演出。
一方、隣のペロに出されたのは、縦に長く。しかし、小さな器でなんだか飲みにくそうなコップ。しかも、液体が水色という未知の出会いを前に、俺はただ唖然と眺めることしかできない。
「再確認だが。これ、アレっちの奢りなんだよな?」
「あ、あぁ、そうだが。……まさか、本当に高いのを頼んでなんかないよな?」
「大丈夫だ。きっと後悔なんかしねぇから」
「どういうことだよ……」
水色の液体を口に運んでは、流し目でこちらを見遣りながらニッと笑う。
いや、だから、それは一体どういうことだよ……俺、不安しかないぞ……。
「……ところでよ、アレっち。その魂胆は既にお見通しってわけだが。一応、訊ねるだけ訊ねてみるぞ? ……オレっちに聞きたいことがあるもんだから、わざわざ奢りとまで言って店に連れてきたんだろう?」
「……そう。だと言ったら?」
「ほへぇ、周りに合わせて行動しているあのアレっちがここまでしてなんてなぁ。へぇ、なんか意外。って感じ」
「じゃあ、聞いてみてもいいか?」
「どうせ、オレっちのモンスター嫌いのこととかなんだろぅ?」
「モンスター……に限らず、ペロの過去のことを知りたい」
「随分とまぁ、ド直球に訊いてくるねぇ。んまっ、アレっちらしいよ」
工夫を思わせないその返答を聞いては、失笑を零して少しもの間を置くペロ。
「そいつは嫌だね。――と言ったら、アレっちはどうするよ?」
「じゃあ、聞くのをやめるよ」
心底尋ねたいという勢いを纏ったいくつもの質問が、喉にぶち当たる。
喉仏にそれが当たり、喉奥にそれが突っ掛かる感覚を覚えながらも。ペロから視線を外しながら、目の前の透明色となる飲み物を一口啜る。
流し込んだアルコールの度に驚きながらも。しかし、それはむしろ、喉に突っ掛かっていた衝動の抑制にもなり。その一口で気を落ち着かせた俺は、そのまま口を噤んで彼の様子を伺う。
「再再確認だが。これはもう、アレっちの奢りってことでいいんだよな?」
「大丈夫だ、考えは変わってなんかいないよ。人間誰しも、喋りたくないことはある」
「ったく、ひやっとしたぜぇ。オレっち、持ち合わせなんかねぇからよ」
「……聞きたくない真実だったわ」
今の一言で、俺の方がひやっとしたわ。
先程の先走るような衝動とは異なる、焦燥のそれを落ち着かせるために再び酒を一口。
――今更ながらだが、今の所持金で支払いが足りるだろうか……。
「……苦手意識ってのは、大変だよな」
「答えたくもないほどにまで、それは嫌なことだね。――って言ったら?」
「それじゃあ、聞くのをやめておくか……」
あっさりと回避されたことに再び先走りを覚えてしまい。そんな気を静めるために、再びと目の前のコップに手を伸ばしたものであったが――
「アレっち。バーはゆっくりするところだぜ」
「…………急く気持ちってのは、目の前が霞んでしまうな……」
喉奥の突っ掛かりをそのままに、耳にした指摘にため息を零して。俺は無造作に頭を掻きながら。しかし、それでもこれだけは伝えたいという想いのために。俺は懲りずに、再度と言葉を投げ掛けていく。
「なんていうかさ。……何か大変なこととかさ。あと、悩みかなんかがあるっていうんなら、遠慮なんかせずに俺達に話してくれてもいいってことを伝えたかったんだ。特にユノ。彼女ならきっと、親身になって話を聞いてくれるだろうし」
「アレっち。それ、バレバレ」
「今のは、いっそのこと包み隠さずの精神でぶっちゃけた。ペロが相手では、並大抵の探りはまるで通用しないからな。……にしても、まぁ、俺としてはすごく何気無く聞き出そうとしてみたものなんだが。やっぱ難しいな、こういうの」
「アレっちはぎこちなさすぎっつーの。詮索ってのは、もっとさり気無く。雰囲気を悟らせずに滑らかと相手に喋らせるもんなんじゃねーの?」
「俺には向いてないなぁ」
「まっ、そもそもとして。それ、オレっちには通じねぇしな。相手が悪かったな、へへっ」
勝気に笑みを浮かべては、満足げに水色の飲み物を口にするペロ。
それにしても、この男。その見た目や性格は実に陽気なものではあるが。しかしその本質は、一切もの隙を晒さない強固で謎めいた一面を持ち合わせる、とんだ不可思議人間。こうして本質を尋ねようとしてみると、彼は頑なにそれを避けてくる。
「さすがはペロだ。五感が鋭いだけに、勘も鋭いってか」
「アレっち。それ、ちょーつまんね」
「反応してくれただけでも、俺の勝ちだな」
「どこで張り合ってんだよ、へへっ」
二人で失笑を零し、互いに酒を一口啜っていく。
「……まぁ、そういうことだからさ。何かあったら、遠慮無く俺達に話してくれてかまわないからな。何せ、ペロは俺達の仲間なんだから」
「…………」
俺としては、ペロのためにと思って。悩みを抱く彼の助けになりたいと思っての言葉であったのだが。
その言葉が聞こえていたのかどうかも怪しいくらいにまで。それに対するペロの反応を、まるで伺うことができなかったのだ。
失笑も小声も零すことなく。目前のバックバーを見つめ続けては、ただただ無言となって水色の酒を口に含んでいく。
静かに起こしていくその動作を見遣り。次には、一つの話題が終わったことを告げる空気を悟っては、俺も無言で透明の酒を口に含んでその場の流れに従っていく。
その沈黙からは、あらゆる可能性の存在を伺えた。
これは果たして、先程の言葉を飲み込んだ肯定であったのか。はたまた、それに対する否定であったのか。それは、それでも誰に話すことのできない深刻な話であったのか。それとも、表面上では避けていながらも、心のどこかでは迷ってしまっていたのか。
……いや、それ以前の問題かもしれない。
それは、ペロから見て俺達の姿は、旅を共にする仲間として映っているのかどうかという。親密性さえも有耶無耶となってしまう、実に曖昧模糊で心の苦しい一つの現実であり……。
「……ユノっちといい、アレっちといい。随分とまぁ、お人好しなもんだねぇ。――そんな簡単に許してばかりいて、いずれ内側から食われちまっても知らねぇぞ」
その内容に、俺は透明色の酒を残したコップを握り締めたまま。酔いのままにほろっと言葉を零したペロへと視線を向けては、その内容につい硬直してしまう俺。
次に、彼の手元からは、空となった細長いコップが現れて。その短時間にして一滴もの水色が消え失せたコップをカウンターに置くなり、ペロは小声でふと呟いたのであった――――
「……そんなことを言われちまうと、"あん時"のことや。あん時の"アイツ"を思い出しちまうじゃんかよ…………」




