ザ・ミステリアス・甘いマスク
「――もう! 広いのは構わないのだけれども。その分だけお手洗いの場所も増やしてほしいものだわっ!」
所持していたピンク色のハンカチで、両手に付着した水滴を拭き取りながら物々と呟く一人の少女。
大人びた黒のジャケットと赤のチュニックに。黒のジーンズと厚く束ねられた、腰まで伸びる白のポニーテール。
それらは、その少女にデキる大人の雰囲気を醸し出させていたものではあるが。しかし、その少女の内に秘められし彼女の本性は。常に探究心と好奇心に駆り立てられる、今という青春を謳歌する、年頃の乙女そのもの。
今日も今日とて、生き甲斐である冒険を仲間達と共に巡り。その自身の欲求を満たしたことによる満足のまま。心行くままに、目の前の祝宴を満喫している最中であったその少女。
「あとちょっとで間に合わなくなっちゃうところだったじゃないのっ! もうっ! 全く、広い場所って、こういうところが不便だわっ! こういうところも配慮してほしいのだけれ……ど……も――?」
酒の作用で催してしまった少女であったが。祝宴を抜け出し事を済ませることができたのは、彼女にとって何よりも安心するべき結果であっただろう。
……しかし、これが不の連鎖か。それによって生じた焦燥は、少女にとって、また異なる障害を生み出すこととなるとは。さぞ、本人も想定していなかったことであろう…………。
「…………あれ……? ここ、どこ……?」
自身の行動によって招いた、新たな試練。
そう。姉御肌な外見をしたその乙女は、この壮大な会場内において。ものの見事に迷子となってしまっていた――
「アレウスー!! ミントちゃんー!! アーちゃーん!! ペロ君ー!!」
酒の入った空腹の腹で、目一杯の呼び掛けをしてみるも。その少女の活気溢れる声音は、ことごとく大盛況の渦に飲み込まれていく。
それに負けじと、その少女は呼び掛けを続けていくものの。しかし、そんな少女の求めている結果とは裏腹に。その声は、熱気漂うこの空間に空しく溶けていくばかりであった。
「アレウスー!! ミントちゃんー!! アーちゃーん!! ペロ君ー!! みんなどこー!? ……あらっ」
挫けずに、声を張り上げて必死に呼び掛けていくその少女の前からは、一つの集団が歩いてくる。
酔っ払った男女で構成されたそのグループを目にして。ふらふらなその様子を確認しては、ぶつからないようにと、道を譲るように歩む方向を変えるその少女であったのだが。
……目の前の集団にばかり意識を向けてしまっていたためか。その進む方向の確認を一切交えていなかったその少女は、その瞬間にも。突如として加わった前方からの衝撃に、堪らず驚きの声をあげてしまう。
「――キャッ!!」
ドンッ。何かとぶつかる鈍い音と共に。よろけては、後方へと転倒してしまいそうになる少女。
……しかし、そんな少女に起こった次の出来事は。この流れによる予測とは、まるで正反対であるものであったのだ――
「おっと」
声を零しながら。胸元に響いた振動と、それによって転倒しかける目の前の少女へと腕を伸ばし。
少女の背と腰に手を回して。次には、抱き上げるように優しく受け止めたその人物。
「すまない。大丈夫かい?」
「えっ――?」
落ち着きを払った、とても優しく甘い響きに鼓膜を刺激されて。
視界に覆い被さるように近付けられたその顔に、最初は堪らず驚きを隠せなかった少女ではあったが。……しかし、その目前の美形を確認しては。次にも、心に走った衝撃のままに。思わず頬を赤く染めながら、照れと緊張で声を震わせ始めるその少女。
「え、えっと、えっと……え、えぇ――あ、ありがとう」
優しく抱き止められたまま、ゆっくりと体勢を起こしてもらうその少女。
次には、転倒せずに済んだ少女から、どこか名残惜しく手を離す目前の人物と。そんな"彼"を前にして、抑え切れないトキメキのままに。その少女は、両手を胸にあてがいながら目の前の人物を見上げる。
「わ、私の方こそっ。ご、ごめんなさいっ――」
「そんな、とんでもない。これは、ボクのうっかりが招いてしまったアクシデントだ。こちらこそ、すまなかったね」
そう言うなり、その人物は被っていた帽子を取り払いながら。目の前の少女に優しく言葉を投げ掛け。そして、爽やかに微笑み掛けてきた。
身長は百七十九くらいか。若草色の、黄と緑の混じる身なりの良いタキシード姿であり。同じく、若草色の靴に。同色の中折れハットという、至極目を引くとても鮮やかな外見であるその好青年。
それに加えて。紅葉を思わせる、オレンジ色の快活なショートヘアー。その紅葉色を宿らせ、吸い込まれ行く不可思議な感覚に陥れさせる橙の瞳。それに、整った長いまつ毛に。ケアを欠かしていないであろう美肌と。生まれもった有り余る美形に、自信に満ち溢れた勝気な表情が、その好青年という魅惑の存在をものの見事に引き立てている。
全てのステータス値を容貌に割り振ったかのような。その魅惑的な青年を前にした少女が最初に抱きしその感想は。突如として現れ出でた、ザ・ミステリアス・甘いマスク……!!!
「……見た目も中身も、なんてイケメン君なの……っ!」
「ん、そうかい? ……アッハハハ、仮にそうであったとしても。君の美しさとは、とても比率を取れない程度だと思うけれどね」
甘く囁くように。本能を掻き立てる吐息を織り交ぜた、魅惑な息遣いと共に。
至極繊細な芸術品に触れるかのように。目の前の少女の顎に優しく指を添えては、くっと少女の顔を引き上げて瞳を覗き込む青年。
「……それにしても、美しい。その内側に宿るものは、純真の加護に守られし無垢の水晶。しかし、そこからは、それとはまるで対を成す存在も感じられる。これは――そう、外側に秘めているのは、情熱か。火柱の如く、それは遥か天の彼方へと長く太く伸びていて。しかし、蛍火の如く、それは実に儚く煌く、求めては空を切る夢幻の"渇望"を思わせる…………」
目前にした少女の瞳を眺め。肌の神経に優しく撫で掛けるかのような、柔らかく滑らかな調子で呟いていくその青年。
「……夢現を彷徨う、美しき宝石。無垢に纏い付くのは、情熱で燃え滾る紅のペルソナ――――内に秘めし心魂。付き纏う酷の軌跡。そして、純真の加護と儚き夢幻で設えられた、天賦の美貌。……あぁ、君はなんて美しく、魅力的な女性なんだ」
「え、えぇ……??」
彼の口から現れる言葉の数々に、思わずハテナマークを浮かべてしまうその少女。
しかし、吸い込まれそうになる目前の瞳を目の当たりにし。また、不可思議という神秘のベールに包まれた青年の存在感につい興味をそそられて。
自身の肌に触れ行く彼の思うがままとなって。その少女は今、餓えし狼の危険な匂いに魅了され、ただただその場に留まり続けてしまっていた。
「君という存在に、ボクは惹かれてしまった。それに、今回の君との出会いを、これだけの意味だなんて思えなくて仕方が無いんだ。これは運命か。いや、これは、運命という偶然を越えた。宿命とも言うべき、然るべき出会いにきっと違いない。……そんな君と、もっと話を交えてみたいものなのだが。今、時間いいかな?」
「え、えぇ……? 運命の出会い……?? なんて美しい……??? わ、私が……???? あ、あわわっ――」
あまりにも突然に投げ掛けられた言葉に、困惑の感情ばかりを晒していくその少女。
また、目前の美形から発せられた言葉であることに、更なる動揺が生まれ生じ。そこに更なる追い打ちをかけるかのように、その青年が徐々に顔を近付けてくるものであったから。
未知なる美形との出会い。未知なる甘い言葉の数々。
束となって一気に出くわした、未だ自身の知らぬ未知を前にして。その少女の思考回路は熱でパンクし。色白の肌を赤く染め、瞳も混乱を招き渦巻いていく――
「ま、ままま待ってッ!! あわわわわっ――そ、そそそその、ご、ごごごごめんなさいっ!!! イイィイケメン君とと話がができるのはは嬉しいのだだけどれもっ!! わ、わわわ私、ぃ今、だだ大事な仲間達を待たせちゃっていぃるからっ!!! だ、だから! その! っごめんなさいっ!!!」
あまりのパニックによって、その青年から逃げ出すように。
新たな未知による混乱と、どうすることもできない羞恥によって喚声をあげながら。溢れ出す衝動のままに、その場から抜け出すように駆け出していってしまったその少女。
そんな一人の存在に押し退けられ。おっと、と声を零しながらも、掴んでいた若草色の中折れ帽子を被り直しては、駆けていく少女の背を真っ直ぐと眺め遣って見送る。
「……ふふっ、なるほど」
何かに納得をしては、軽く失笑を漏らして。
中折れ帽子を手で押し当てながら俯き。次に再び失笑を浮かべては、その中折れ帽子から覗き込むように視線を上げるその青年。
大盛況の中に消え失せていった少女のもとへと視線を向けては。吸い込まれそうな魅惑を放つ、不可思議な光を宿したその瞳で眼前の光景をじっと見遣り。
……そして、見えなくなったその少女の姿を名残惜しむばかりに、この大盛況の中でぽつりと呟いたのであった――――
「…………次は、あの子で試してみたいものだ――――」




