その男の能力
「待て! ホワイトモンキー!!」
足場の悪い岩場がごろごろと点在するフィールド:楽園の庭を、その慣れた行動で軽快と駆け抜けていくイベント対象のホワイトモンキー。
それを追い掛けて、俺も必死こいてこの足を走らせてはいるものの。しかし、さすがに過酷な自然界を生き抜く動物には到底敵うわけもなく……。
「……くそ、逃げられた……!」
俺は、全くの見知らぬ初見のエリアで、ようやく見つけ出したホワイトモンキーを再び見失ってしまった。
駆け回ったことによるスタミナの消費によって、この額に汗を流しながら。荒い息遣いと切れる息で肩を上下に揺らして。
額の汗を袖で拭い。辺りを見渡してみるものの、しかしその対象となっていた白色のサルの姿を確認することができず。
あぁちくしょう、また見失ったと。低レベルである自身のステータスに矛先を向けるものの、いや、もしかしたらこれもイベントの一環であるのかもと。そんな展開の様々な可能性の思考をめぐらせて。
……そして、次にはあまりの落胆に、ただただその場で呆然としてしまった俺……だったのだが――
「うぉーい!! うォーいッ!! 待ってくれェェェキミィィィィイ!!! オレっちをォ!! オレっちを置いていかないでくれェェェェエエエェ!!!」
それは、もはや発狂のようにうるさく。断末魔のように儚い絶叫であった。
両腕を必死に振り回しながら俺を追ってきたその男が。この辺り一帯に絶叫を響かせながら走ってきて。
俺以上に必死で。いや、もはや、俺という人物への追跡に命を懸けているのではないかというほどにまで必死な様相を浮かべながら。俺に追いつくなり、ぜぇはぁと震わせた息で荒く呼吸をしながら膝に手を当てて屈む姿勢のまま休憩をとる。
「ひぃ、ひぃ……ごふっ――ぶっ、ぐふぇッふぁッ!! ごッ……おっふ……ぜぇ、はぁ…………」
「お、おいおい……」
その決死な様子に、俺は困惑交じりに声を掛ける。
……にしても、俺を追い掛けることに全てを注いでいたように見えたというか。俺に置いていかれたということが、彼にとっては相当にまでまずいことだったらしい。
尋常ではないその男の必死さに、つい、置いてきてしまったという物事に思わず俺は罪悪感さえも抱いてしまう。それほどまでに、この男の様子は尋常ではないものであったのだ……。
――待てよ。こうして思い返してみると、剣士系統の職業である俺に足が追い付いていなかった……?
それって、この低レベルである俺のスタミナにも追い付けずにいたということだよな――
「んだよォ、もぉ!! ぜー、はー……あぁっ、もうマジ、オレっち死ぬかとおもたよ……」
「いや……そんな必死になって、どうして俺を追い掛けてきたんだ? あんたには、あんたの目的があるだろう……?」
「へぁ?? どうしてキミを追い掛けたのかってェ!? んな、オレっちもよっくわっかんねェ!!! ただ、目の前にいる人が急に走り出したら、そらつい追い掛けちまうもんだろォ!?」
……まぁ、言いたいことはわからなくもない。
その男の、必死な様相での絶叫のような返答に、俺は内心で頷く。
「はぁ……はぁ――んな、もう、それによォ……オレっちの今が安全であるためにも、キミには近くにいてもらわねぇとだからな……ッ!!」
「つまり、俺はあんたの代わりを務める戦闘係りってことか……?」
「頼れる通りすがりってことだよ、へへっ」
と言い、俺の肩をぽんぽんと叩きながら、勝気な笑みを浮かべるその男。
……なんだか、良い様に利用されているというか。別に、俺はあんたの用心棒ではないんだけどなぁと不満に思いながらも。しかし、モンスターという存在への生理的な拒絶反応や、このどこか頼り無い雰囲気を前にしてしまっては。今この男を守れるのは俺だけしかいないという使命感に突き動かされて、つい苦笑いで頷いてしまう俺だったのだが……。
「……ま、それでもただただ守ってもらうっつーわけじゃないから、さ。オレっちにも、立派な男としてのプライドっつーものがある。ぜぇ、はぁ……へへっ。ってことでここは一つ、オレっちの提案に乗ってみないかい?」
「提案?」
勝気な笑みから一転して。得意げな笑みという、そのゴーグル越しでもよくわかるほどの自信に満ち溢れた表情を浮かべたその男。
そんな彼の言葉に、俺は思わず首を傾げてしまう。
「そうよ、提案。キミがどんな理由であの小動物を追い掛けていたのかは知らないが。こんなに全力を振り絞ってまで走って追い掛けるほどだ、さぞ、あれがキミには必要不可欠な目的なんだってことが一目でよぉくわかる。ってことで~、オレっちがあれを追い掛ける手伝いをするから、さ。これの役に立ったその暁には、どうかオレっちを安全な場所へ送り届けてほしいのよ。ほら、言っただろ? モンスターのいない安全地帯を探しているって、さ!」
「……所謂、交換条件ってやつか」
「交渉と言ってくれい、へへっ」
あのホワイトモンキーを探す手伝いをするから、オレっちを安全な場所に送ってくれと。そんな交換条件……もとい、交渉を投げ掛けられた俺。
……その、あまり人を馬鹿にするようなことは言いたくないものの……だが、今までの様子を見ていた限りでは、この男がホワイトモンキーを探し出せるなんて、とても思えなかったために。
最初は、すぐに断ろうかとこの口を開いた。それは決して彼の能力を信じていなかったからではなく。飽くまで、彼の無事を案じての判断であった。
……しかし、目の前の男の表情を見て、俺はこの判断が誤りであったことに気付く。
それは一種の直感であったものの。でも、目の前の男の、得意げな笑み……先程までの頼り無さげなものとは打って変わって。全てオレっちに任せろと言わんばかりの。言ってしまえば、確実にこなせる物事に対する余裕を感じさせるものであったから。
これは、彼の打算だったのかもしれない。だが、その内容というものは俺も彼も得をするウィンウィンなものだったから、俺はこれ以上の深読みをさっぱりと止めてゆっくりと頷いた――
「……わかった、交渉成立だ。ちょうどな、この近くにモンスターが寄り付かないとされる観光スポットがあるんだ。そこには、さっきも言ったようにモンスターが寄り付かないとされているみたいだし。万が一としてモンスターがその姿を現しても、そこには大勢の観光客がいるために無事は保障されているだろう」
「おっほぉ!! さっすがキミだねぇ!! 話がわっかるぅ!! …………え? そんな近くに、そんな安全なところがあったの……? ……ま、いいや!」
その場で飛び跳ねながら。随分とご機嫌な様子で、俺の背中を叩きながらニッコニコの笑顔を見せていくその男。
「オレっちは約束を守るから、キミも絶対に約束を守ってくれよん? じゃあ、ちょっくらあの小動物を探してみるとするぜぃ」
ウッキウキな様子のまま。約束された安全にご機嫌となったその男がそう言うなり……。
「……すんすん。すんすん――」
その男は、その場で立ち止まったまま。
なんと、空を仰ぎながら。その男はその鼻で何かを嗅ぎ始めたのだ――
「な、何をやっているんだ……?」
「ちょ、邪魔しないでくれる――いや、やっぱなんでもねぇや」
真上への呼吸で、喉にこもった言葉を零していきながら。しかし、同時に仰いでいた視線を俺へと向けて……。
「へっ。さっきの白いサルなら、あっちにいったみたいだな」
そう言って、その男はおもむろに適当な場所へと指を差したのだ。
「……どうしてそんなことがわかったんだ……?」
「へへっ。実はオレっち、五感っつーもんがかなり鋭いもんだからねぇ。聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚。これらのことであれば、オレっちはお手の物ってわけよ。今だって、聴覚であの鳴き声を聞き取ったわけだし? 次に嗅覚であの獣の臭いを嗅ぎ分けて? そして、触覚でやつの位置を判断したっていう寸法よ」
そのぶっ飛んだ能力の解説は、とても思い付きによるでたらめや適当には全く聞こえず。真剣味の帯びた得意げな調子ですらすらと答えていくその男に、俺はただただ驚嘆していた。
それもそのはず。こうしてこの男が判断材料とした数々の要因を、俺は何一つも感知することができなかったから。
聴覚なんて、この自然に溢れる環境音以外のものを拾えず。嗅覚なんて、この楽園の庭に広がる草木と岩場の香りしか感じられず。触覚なんて、そもそもそんなものなど生えてなどいないしという領域のものであったから……。
「さっ。と、いっうっこっとっで。キミの役に立ったから、オレっちの護衛よろしくねん」
「あ、あぁ。約束は必ず守る。あと、探してくれてありがとな……?」
未だに半信半疑ではあったものの。とても嘘をついているように見えなかったために。
安全の確保という賢い取引を持ち掛け、それを成したことによってニッコニコな笑みを見せる目の前の男と共に。
俺の用事を済ませ次第に、あの観光客の溢れる丘のもとへと送り届けるという約束を交わしながら。俺はその男と組んだ二人パーティーで。ホワイトモンキーの逃走先と思われる場所へと、この歩みを進めたのであった――――




