刻々と流れゆく世界の中で――
「ソードスキル:パワースラッシュ!!」
日の出を控えた、薄暗く凍える早朝の時刻。
白い靄のかかる霧に包まれた、緑が広がる森林地帯の中で。簡易的なセーブポイントのキャンプ地から僅かに離れたフィールド上にて、俺は一人でモンスターと戦っていた。
「剣士スキル:カウンター!!」
透明色の気を纏い、目の前で振り下ろされた木製の棍棒をすり抜けるように回避して。スキルの効果による軽やかなステップで目前のオークに接近しては、相手の攻撃力に依存するカウンターの一撃を鮮やかに決めていく。
続けて背後から飛び掛かってきたオークにはエネルギーソードで迎え撃って。宙を舞うオークをダッシュからのジャンプで勢いをつけながら通常攻撃で叩き落す。
その脇から飛んできた木の矢。それを咄嗟の防御で防いでは、スキルコマンドに手を添えて弓を持つオークへと接近を図り。
続けざまに放たれた矢をカウンターで器用に跳ね返し。返ってきた矢のダメージを受けて怯むオークにエネルギーソードを叩き込む。
「……ハァ、ハァ……」
額の汗を袖で拭い。息を切らしながら周囲を見渡して。
戦闘技術、テクニックでは相手を上回っていたものの。しかし、そのステータスは遥かに相手の方が優秀であったために。
……今の俺では、この地のモンスターを倒し切れない。感情にただただ急かされるままに挑んだソロ攻略で、俺は自身への新たな課題を見つけることとなった――
「……これじゃあダメだ。もっと……ユノやニュアージュのように、俺ももっと強くならないと……」
切り株に腰を落ち着けて。俺は手に持つブロードソードを眺めながら呟く。
先程までの戦闘は終えていた。その結果は辛勝という形であり、この戦闘のみで多くの回復アイテムを消費したことは言うまでもないか。
主人公だから、何もかもが上手くいく。そんな補正の通じないこの世界の中で、俺は昨夜の戦闘を。グロテスク・マイティバトゥスとの戦闘を。……そして、オオカミ親分との戦闘を思い返し、深いため息をついては暇をしていた左手で頭を抱え込む。
――このままではダメだ。現状からなる不安と焦燥に駆られ、俺は次々と生まれてきては入り混じる感情の数々に苛まれていた。
「ユノもニュアージュもアイ・コッヘンも。皆には過去が存在していて、それによる経験がそれぞれに蓄積されている。いくら主人公とはいえ、俺はまだこの世界に降り立ったばかりの新人冒険者なものだから。皆の適正レベルでもある、高レベル帯における戦闘での散々な結果は仕方の無いものだ。……でも、やっぱりそんな現実に納得なんかできない……俺も強い人間でありたいから……」
抱えた頭と視線を重々しく上げて、薄暗く霧のかかった目の前の森林地帯を眺め遣る。
「……皆には過去が存在していて。皆はそれを、それぞれの生き様で通過している。それらはそのキャラクターの過去として設定されているものだから、皆にこれまで過ごしてきた過去が存在しているということは、このゲーム世界に留まらず、何事においても至って普通のことだ。……待てよ。でもそれは……そのキャラクターが、この世界で過ごしてきた歴史が存在しているということであって。その過ごしてきた時間の、経過というものもまた、存在しているとも言える。か……?」
ふと思い付いてしまった推測に思考をめぐらせて。
いや、もしかしたらこれ、本当はまずいことなのかもしれない、と。何の根拠も無い推測に意識ばかりを取られ続けて。
推測の域を出ない自身の勝手な推測が、より自身に不安の種を植え付けることで。俺の気力や勇気が段々と削られていく脱力感が全身に染み渡り。そして、この不安や焦燥に染まる不安定な心をより蝕んでくる。
「考え過ぎかもしれないが……でも、もしかしたらそれは……こうして悩みで塞ぎ込んでしまっているその間にも。"この世界には、今も刻々と時間が流れ続けている"とも考えられるかもしれない……。どのRPGにも、その一日の流れとなる時刻が次から次へと流れているものだが。でも、システム上、その物語の主人公がメインとなるイベントを進めない限りは、その物語における本来の時間が進んでいかないのがほとんどだ。それは、響きは至って普通のように聞こえてくるものだけど……このゲーム世界での暮らしが、あまりにも現実味を帯びているものだから……もしかしたら、そうとはいかない可能性もあるかもしれない……」
それは、自身を納得させるための呟きだった。
……そうでもしないと、この眼前に見据えてしまっている現実に、とても耐え切れそうになかったから――
「……仮として、このRPGは、主人公である俺がメインとなるイベントを進めていなくても、刻一刻とその時は秒単位の時を刻み続けていると考えてみる。……すると。それは、俺という主人公による、イベントの進行の無視で起こる時間の停滞が適用されないということであって。レベル上げという名の寄り道による鍛錬の時間も。この世界から見たら、その命運を託された中で行う、ただの悠長な行動となってしまうのかもしれない。……こうして俺がレベル上げをしているその間にも、周りのキャラクターや、周りのモンスター……そして、本来の目的である、打倒する魔王という存在にも……各それぞれの時間が流れている可能性があるということになる……」
いくら、俺がこのゲーム世界における主人公と言えども。だからと言って時刻の流れの操作という不平は許されないといったところだろうか。
ここはゲームの世界であり。同時に、現実でもある。
現に、俺がこうして悩んでいるその間にも、仲間達は睡眠という休息をとっているものだし。ユノがこれまでの過酷な旅路によって。ニュアージュがこれまでの悲劇でその実力を磨いてきたように。世界の各地に設置されているであろうNPCやモンスター達にもまた、これまでの過去や歴史といった自身の存在が存在している個々の経過時間が流れていて。そして、それを現在にも渡って経験していることで。時間の流れと並行に、刻々とその実力を身に付けていっていると考えられる。
……そして、それは敵方も例外ではないだろう。
こうして時間が経過してしまえば、それだけ魔王という存在の脅威が大きくなってしまうこともまた、容易く想像できてしまう……。
「……そうなると、ただでさえ今も弱い俺は、この世界の実力に追い付くべく。……より短時間且つ短期間で皆に追い付けるほどのレベルを上げていかなければならないということなのか……? それは、この手のゲームで言う効率というものを求めなければならないということになる。……そうしないと、俺という主人公が、この世界における主人公に相応しい力を手に入れるそれよりも前に。魔王の手によって、この世界の命運が決まってしまうのだろうから……」
自身の能力がまるで足りていないと言うのに。それに加えての、全世界の命運を背負っているという自身の置かれた立場を再認識して。
……このちっぽけな背に、全世界の責任という重圧が圧し掛かり。そんなプレッシャーによって、俺は余計にこの頭を悩ませてしまい……。
「……あー、だからこうして考え過ぎて時間を無駄にするのがダメなんだよな。まぁ、今きっぱりと言えることは、こうして考えていても仕方が無いってところか。取り敢えず、これからはなるべく早く強くなることを優先しながら行動を起こしていこう。幸いにも、傍にはミントとユノが居てくれている。あとは、効率を求めるんだ……そうでないと、主人公である俺がレベルが足りないという理由で、この世界の命運を分ける大事なイベントに立ち合えなくなるかもしれない……」
内から湧き上がってくる焦燥に駆られながらも。しかし、動くことに意識を置いては重い腰を上げて。
フラつきながら立ち上がっては、一旦キャンプ地に戻ろうと次なる目的を決定して。それ次第に手に持つブロードソードをバッグにしまいながら、俺は重い足取りのまま目的地へと歩いていった――
依然としてその時刻は、日の出を控えた霧の過ぎる早朝であり。小鳥の囀りを聞きながら、俺は安全地帯であるキャンプ地に到着する。
目の前の光景は、張られている黄色のテントと青のテント。組み立て式の白色の調理台。炭だらけの焚き火の跡に、そこには昨夜の晩ご飯であったシチューを煮ていた鍋が置いてあって。
自然にありふれたこの森林地帯ではあるが、その目先には見渡す限りに広がる大きな湖が存在していることもあり。この身体をじわりじわりと冷やしてくる、少し強めの湖風がこちらへと吹き付けていた。
黄色のテントへと視線を移す。あのテントの中にはユノとニュアージュが。対する方向に設置されている青色のテントには、俺とミントが寝泊りをしている。
……今も彼女達は寝ているのだろうか。彼女達に劣ってしまっているという劣等感を抱く俺としては、あまり努力を大っぴらに曝け出しながら経験値を稼ぎたくないなという、戦闘に対する見栄っ張りを気にしてしまっていたために。……そう、主人公なのに弱い自分の姿を、彼女達に見せたくないという繊細な悩みを抱いてしまっていたために。こうしてわざわざ早起きしてまで早朝から戦闘をこなし、こうして地道に経験値を稼いでいたというものであった。
「……それにしても、冷えるな……」
湖風というものは、実に冷える。
身体の芯から凍えていくこの感覚を背筋で感じながら。しかし、キャンプ地に戻ってきても特にこれといったイベントが起きないことから、この時点で俺はある展開を察することとなった。
「何も起こらない。なるほど、今は待機状態ってことか……」
このゲーム世界の概念として世界中に蔓延るフラグに縛られない自由時間。
ゲームで言う、次のイベントを控えた準備期間であり。また、この世界を自由に歩き回ることのできるフリータイムとも呼べるだろうか。
尤も、この世界をこうして直に生きている俺としては。正に、嵐の前の静けさ……という大袈裟な言葉を思い浮かべてしまえるものであったが……。
「こんな冷える早朝になんか、誰も起きてきやしないだろう。……切羽詰ったこの気持ちを落ち着けて、きちんと整理するのにはちょうど良い機会なのかもしれない。せっかくの自由時間。有意義に過ごさせてもらうとするか……」
誰にあてることもなく。主人公特有の自分自身への語りとして喋りながら。腰に両手を当てながら、あても無く歩き出す俺。
今までの考えを整理させて、次なる展開やイベントに備えた準備を済ませるために。
……そして、このゲーム世界での、より強くなるための効率を求めたこれからの過ごし方を模索するべく。俺はこの冷える早朝の中、プレイヤーならではのメタな知識を織り交ぜた思考を、一人静かにめぐらせていったのであった――――




